将棋タイトルの一つ「竜王戦」で、挑戦者だった三浦弘行九段から丸山忠久九段への変更が行われ、金属探知機で“手荷物検査”をしたのち、対局が開始された。なぜそんなことをするのかというと、挑戦資格を失った三浦九段が「将棋ソフト」を使用していた疑惑が濃厚となったからである。彼は対局中にたびたび退席し、戻って後改めて将棋盤に向かった。まあ、ハッキリ言うと、陰でソフトに訊いていた可能性が濃厚なのである。これがセミプロ程度ならまだしも、九段である。しかも、こういう対局というのは、周りに記録・観戦者などがいる中で行う。通常なら“ソフトを持ち込む”などという発想自体が浮かばない。考えられるのは二つしかない。つまり「将棋ソフト」がよほど優秀なのか、それとも本人の頭脳がよほど衰えてしまったのか…。だが、プロの九段であれば、弟子もいるはずであり、協会からの収入もあるはずで、お金に困っているとは思えない。そんなに「将棋ソフト」って、優秀なのだろうか。う~ん。そういえば、私も昔「占いソフト」なるものを作ったではないか。あれは、どうだったのだろう。ソフト制作の会社から依頼を受けて「監修者」となったが、私は最初から、ホロスコープの作図の方に期待していて、判断の方には期待していなかった。なぜなら、占いは総合的に判断するもので、その“総合して判断する”という部分がコンピュータには出来ないからだ。少なくとも“占い”の場合はそうである。ただ自分の名が“監修者”として出る以上、極力、総合的な判断が下せるような方式のソフトを期待した。結果、出来上がったのは、お世辞にも“優秀なソフト”とは言えなかった。一番の問題点は、“総合的に判断する”という正にその部分で、コンピュータの総合的とは“全部を選別なく引き出す”ということになるらしい。つまり、一つの問いに対し“種々なところ”から回答が引き出される。そうすると、あれもこれも出てきて結果的に“矛盾した回答”のオンパレードとなるのだ。つまり、よくわからない、回答となる。占いにおいての的確な答えは、波木星龍の頭脳の中にあるコンピュータしか精査できないらしい。
スマホの登場以来、漫画雑誌が売れなくなって現在は多くの雑誌が危機状態にあるらしい。そうか、漫画家さんたちも大変なんだなと思っているとき、ちょっとしたエッセーと一緒に描かれている“蛭子能収氏の漫画”を見た。この人のマンガ、相変わらずヘタクソ。でも“お話し”の方は、ほのぼのとしていてとても良かった。タレントとしてもそうだけど、この人には「おにぎり」っぽい味がある。いつもは嫌だけど、たまに見ると、なんとなくホッとするのだ。それは「こういう人でも生きてていいんだ」という奇妙な共感力。素晴らしい庶民性。世の中って「1」+「1」じゃないなっていう安心感。近年、日本人は或る意味でスマートになった。若い男子を見ていると、俗にいう「イケメン」が多くなった。日本人って、こんなに整っていたのだろうかと思うほど、見た目の好い男子が多くなった。美女は世界中どこへ行っても“似たような雰囲気”を持っているが、男子は国によって相当ばらつきがある。けれども、世の中、徐々に“そういう垣根”が取り払われつつあるような気がする。なんとなく“自国の構造”のようなものが「顔」から失われつつあるような気がするのだ。そういう中で、蛭子能収氏のような“ほのぼのとした日本人の顔”は、なんとなく「おにぎり」を連想させるその顔は、その“ヘタクソな絵”とともに、必要性を増す。人は時々「おにぎり」を見て安心するのだ。それもシャレたおにぎりではない。幼い頃に食べたことがある“ごく普通のおにぎり”だ。ひょっとすると漫画雑誌が売れなくなったのは、若手の漫画家たちが上手くなって「おにぎり」のような“ヘタクソな漫画”が無くなってしまったからなのかもしれない。
タレントの石田純一氏が17日放映のTV番組で“元妻・松原千明さん”と直接対決するらしい。どうも、その番組内で、これまで明かされていなかった浮気などを突っ込まれるらしいのだが…その内容自体はどうでも良い。それよりも、私は石田純一氏の「ハダカの生き方」というか、マスコミが望めば何でもOKしてしまう“人の好さ”というか、大衆の好奇心にこたえようとする“単純無垢な部分”というか、とても政治家には向いていないが、その“勇気”には感心してしまう。世の中に“離婚を経験している男性”はたくさんいると思うが、一応、私自身もその経験者である。それほど“修羅場”を経験したわけではないが、そういう私でも、元妻と“TV”とか“雑誌”とか公共的な要素のある場面で対峙しようとは思わない。感情的になったなら、どんな話が飛び出すかわからないからである。これが完全プライベートで“ひっそり逢う”なら、話は別である。十年間連れ添った元妻には、それなりの“情”もある。子供のことについても訊きたいことはある。したがって、プライベートというなら石田氏の気持ちも解からないではない。けれども、公共の場で、ワイドショー的好奇心が剝き出しのTV番組内で“顔を合わせる”というのは、どう見ても男性側に不利である。良い話など出るはずがない。それを承知でOKする勇気は中々なものである。この人は或る意味「ハダカの王様」で、大衆の多くが“そのプライベートを知っている”という数少ない著名人の一人だ。う~ん、でも、ちょっと恥ずかしい。私なら、これ以上“裸を見せるのは…”と思うが、ふと、そうではないのかもしれない、という気がしてきた。意外と、この人、それを“楽しんでいる”のかも…。ヌード女優が、最期まで“自分のハダカ”を見せつけるように、プライベートを多くの方達と共有しながら、笑って死んでいきたいのかもしれない。
スイスの高級時計・宝飾ブランドが今年4月~8月まで5か月間の売り上げ速報で、大きく落ち込んでいることが速報された。大きく落ち込んでいるといっても、実際には14%減程度の落ち込みで一般企業としてみれば大した落ち込みではない。それなのに、ここに取り上げたのは日本での落ち込みが25%で群を抜いていたからだ。どうして日本が大きく落ち込んでいるかというと、日本人の消費行動とは無関係で、旅行者である中国人による「爆買い」が無くなってしまったからである。それだけの話なのだ。中国人がどうして「爆買い」を止めたのかというと、理由は二つあって、その一つは日本に行かなくても日本に行ったのと同じような商品が安価で手に入る「ネット通販」が始まったからである。「爆買い」のためだけなら、日本に行くことが無意味になったのだ。もう一つは関税の問題で、海外からの購入品に対しては重く課税するシステムが成立したからだ。これによって、高級品のお土産は現地で購入しても“安くならない”品となった。この二つで、世界中で爆買いを続けていた中国人たちの購買意欲が一気にしぼんだのだ。だから、その恩恵を最も受けていた高級時計・宝飾ブランド企業がその影響をもろに受けた。当然、日本の百貨店にもその影響はあって、高島屋では同時期の純利益が23%減となっている。日本だけでなく、中国人旅行者の多い香港、台湾、シンガポール、フランスはいずれも大幅減で、これまで“成金趣味”の象徴ともいうべき高級時計や宝飾品を世界中で買いあさっていた中国人旅行者の動きが“ピタリと止まった”というのが正しい見方だろう。つまり、中国の経済成長そのものに「赤信号」が点滅し始めたということである。私が暮らす札幌のデパートや家電量販店では、今年に入って「爆買い」用に店舗を改装し、中華系店員等を補強していたが、時すでに遅し…で、閑散としている。
いつの頃からか「世界保健機関(WHO)」というところが、いろいろ有益な情報や提言を発信するようになった。その「WHO」から11日に発信された提言では、肥満や糖尿病を減らすため砂糖が入った飲料水に対して課税を進めるよう各国に対して呼びかけた。何しろ、2014年の統計では、世界の18歳以上の実に39%が“過体重”なのだそうだ。つまり10人のうち4人までが“太りすぎ”だということだ。確かにアメリカなど海外の映像を見ると、この数字は理解できる。ただ日本は、先進国の中では“肥満率”が低い。飲料水は街中にあふれているが、日本の飲料水はそれほど糖分量が多くはない。それに日本の飲料水の容器は総じて小さめである。この部分が実は大きいのだと私は思っている。海外はどこでも、容器の大きな飲料水しか置かれていないケースが多い。しかも、甘すぎる。日本人の味覚からすると、明らかに甘すぎるものが多い。緑茶にさえ、砂糖が混入されている。また、ポテトチップスなどの袋入り食品も、大きい袋物が多い。しかも味も濃い。つまり、飲料水とポテトチップスのサイズが問題なのだ。デカくすればよいというものではない。日本のポテトチップスには、近年、少し“小さすぎるかな”と思えるようなサイズのものも出てきた。実際に食べてみると、一回分としてちょっとだけ物足りない気もするが、この一袋で止めておけば太らずに済むのだろうと思う。つまり、日本では「WHO」が指摘するまでもなく、すでに自主規制されていて、だから“酒樽体型”の人物は少ない。肉体的には「WHO」からの提言はとても良いことで、このまま進めてもらいたいが、それと同時に“精神面でのWHO”も必要で、しかも“待ったなし”の状態である。ところが、そっちの方はどこが担当しているのか判然としていない。“精神面の肥満”に対する早急な対策が必要で、現代人の“慢性的なうつ状態”を何とかしなければならない。
人は時々「予期せぬ出来事」に見舞われるものです。その多くは何の前触れもなく不意にやってきて、“平和な日常”を根こそぎ奪ってしまうような状況を作り出すものです。人は、そういうとき「なぜ自分が…」とうろたえ「どうすればよいのか」と煩悶するものです。もし、世の中に「神」とか「仏」とか眼には見えない“崇高な存在”があるのなら、まるで“選ばれし者”のような試練が与えられているその時期は、神・仏からのメッセージがもっとも届けられやすい時と言えます。日頃、それほど信仰心が強くない者でも、予期せぬ出来事で平和な日常が乱され、苦悩や煩悶を繰り返しているときには“崇高な存在”からのメッセージを受け入れやすい状態にあります。もちろん神・仏は、直接“姿”を現して本人に言葉など伝えません。あくまでも誰かの姿を借りて、時には自分自身の“頭の片隅”で、さりげない形で暗示的にメッセージを届けるだけです。だから、ほとんどの人は、それが“神・仏からのメッセージである”とは気付かないのです。それで良いのです。あくまで「運命」としての経緯を見守っていて、本人がどうすることもできなくなった時そっと陰から“手を貸す”のが、その役割だからです。果たすべき“使命が大きい”人ほど、“試練もまた大きい”ものです。けれども「予期せぬ出来事」としてやってきた“試練”は、底なし沼のような状態の中でも、神・仏を呪うとか、運命を呪うとか、救われることを放棄してしまうとか、後ろ向きにならず、あきらめることなく最後の最後まで努力を続けていれば、必ず“救い”が用意されているものです。ちょっとだけ“神・仏はイジワル”なので、すぐに助けになど来てくれないのです。けれども、人はそういう体験を経て、人間として“一回り”も“二回り”も大きくなって、現世における“魂の解脱”をしていくことができるのです。
海外に旅立つ時、いつも思うのだが、もう少し早く飛べる旅客機は実現しないのだろうか…と。人間、齢を取ってくると長時間同じ姿勢で座っていることに苦痛を覚える。何かの調査で新幹線でも四時間以上の乗車になると、あまり快適さを感じないらしい。多分、人間の身体はそういう風にできているのだ。だから、70代とか80代とかで海外に行くのも、頻繁に国内を飛び回るのも、苦痛に感じない人たちを見ると、それだけで尊敬してしまう。ふと見つけた記事に、NY―東京間を53分で飛ぶ“夢のような旅客機”の構想が進んでいるらしい。この速さというのはコンコルドの6倍だそうだ。もちろん、75人くらいまで搭乗可能な旅客機で普通に座席に座っていれば良い。ところで現在だと直行便で13時間弱かかるのだが、それが1時間となれば“日帰りもできる”ようになって、欧米とのビジネスを行っている方たちにとっては夢の実現が待たれるところと言えそうだ。実現には開発費用等いくつかの問題あって、実際には“数十年先の話”となるらしい。乗れないじゃないか。外国が近づく話は日本とロシア間にもあって、実は二国間を密かに海底トンネルでつなぐ計画があるらしい。この場合の起点は稚内でロシアのサハリン鉄道を延長して、北海道とロシアの行き来を可能とし、将来的にはヨーロッパまでの輸送を実現するという中々スケールの大きな構想なのだ。これが実現すると、札幌を起点とした新幹線で“陸路によるロシア旅行”が実現する。でも、こちらの方も数十年先の話で、実際に乗車するのは不可能だろう。それでも、こういう風にして“島国・日本”も、世界とつながっていかないと、取り残されてしまう時代が近づいて来ているのかと思うと、“純日本人”として“純日本島”で生きて来たわれわれは“良い時代”を生きた人達、と語られるようになるのかもしれない。
日本在住の韓国人記者が書いたレポートを読んだ。最近、訪日韓国人に対して露骨な“嫌がらせ”や“差別”が頻繁に起こっているという。例えば、すし店でわざとわさびを多くして、その辛さに涙を流しながら食べる韓国人を見て、すし職人が笑っているとか、観光バスのチケットに「チョン」という差別用語が印字されてあったりするのだという。それにも関わらず、日本を訪れる韓国人は年々増えていて、2012年には204万人、2013年には245万人、2014年には275万人、2015年には400万人、今年は500万人に達する可能性すらあるらしい。それに対して、韓国を訪れる日本人は年々減っていて、2012年には351万人、2013年には274万人、2014年には228万人、2015年には183万人と激減している。彼に言わせると、このように韓国人は日本に沢山来て、日本を理解しようとし、日本経済に寄与しているのに、嫌がらせをするとか、明らかな差別行為をするのはどうしてなのか。韓国人は、過去に日本が犯した誤りを認めて謝罪してほしいだけなのに、それがどうしてできないのだろう…と嘆いていた。う~ん、何かが違う。彼は「半日」と「嫌韓」とを天秤にのせて語っているのだが、そこには根本的な違いがある。まず「半日」というのは“歴史認識と価値観の教育”から来ていて、既に“政治決着のついた問題”を蒸し返して“世界の倫理”に訴えるキャンペーンを行っているもので、誤った政治政策であり、歴史教育なのだ。確かに、日本人が犯した“過去の過ち”はあるが、それを70年以上も引き摺って子孫たちに対して「謝れ」「謝れ」を繰り返している。ヨーロッパの歴史を見れば解かるが、彼らはずっと争い続けた歴史を持ってはいるが、憎しみや恨みを国民として引き摺ってはいない。昔、戦った者同士が、隣国の仲間として認め合って現在のEUを形成している。大統領自ら、日本の首相の握手に応じない画像を見せつけられた日本人に、自分達には“嫌がらせをするな”というのは、少し虫が良すぎるのではないだろうか。世界に「慰安婦像」を増やしていこうとする暴挙も、日本人に対する“嫌がらせ”以外の何物でもない。そういう国に「遊びに来てください」と言われても、行きにくいよ。もちろん、訪日韓国人に対して“嫌がらせ”や“差別”を行う行為は絶対にいけないが…。
化粧品メーカー資生堂が9月21日の発売の新商品に合わせて流した“ストーリー仕立ての動画CM”が、一部女性たちからの批判を受けて急きょ撤回された。「女性差別」「セクハラ」「昭和の価値観」といった女性ユーザーからの猛抗議である。どういう部分が問題視されたのかというと、25歳の誕生日を迎えた女性に対して「今日からあんたは女の子じゃない」「もうチヤホヤされないし、ほめてもくれない」「カワイイという武器は、もはやこの手にはない」といった言葉が浴びせられる場面である。CMストーリーとしては、これらの言葉に刺激され新商品に興味を抱く…というような内容である。このCMが10月7日に急きょ放映を終了した。化粧品メーカーとしては、ユーザーからの批判は“新商品の命取り”になりかねないので早々に幕引を計った、というのが本音であろう。近年、この手の「批判」→「撤回」が多い。あらゆる分野の“芸術作品”において「セクハラ」「パワハラ」「差別」の指摘を受けそうな表現は徹底的に排除される。25歳の女性は「女の子」じゃないのは当然で、チヤホヤされなくなるのも事実であり、武器としての「カワイイ」が通じなくなるのも本当である。本来なら批判を受けるような発言は一つもない。これらを「セクハラ」などと捉えるのは“自意識過剰”以外の何物でもない。「女性差別」というのもおかしなことで、意識するとしないとを問わず男性と女性とでは“見た目”が違っている。これはどうしようもない事実だ。したがって、そこに“女の子らしさ”を感じるとか、“可愛らしさ”を感じるのは自然なことで、それが年齢とともに徐々に乏しくなっていくのは自然なことである。その“自然な印象”や“自然な対応”を「差別」として受け止める方が、感受性として“歪んでいる”。明らかに不自然な感受性の元に暮らしているのだ。だから、批判されなければならないのは、むしろそういう“歪んだ感性”の女性たちであって、そういう人たちの楽園は“中性人”ばかりが生きている世界、ということになる。
私がとても興味深く感じている文字がある。「教える」という文字だ。実は、このことに気付いたのは十年以上も前になる。古代エジプトでは、ご存知のように「ヒエログリフ(聖刻文字)」という文字から王朝文明がスタートした。古代中国・殷(商)王朝では「甲骨文字」という原初漢字文字から王朝文明がスタートした。この東西の古代文明圏で発明された「教える」という文字には共通性があったのだ。それは両方ともに“子供に鞭をふるう形”として「教える」の文字が成立していることだ。つまり両文明とも、王朝の子孫たちには文字通り“力ずくで”知識を教え込んでいた、ということである。それは同時に、将来の王朝を担う子供たちに知識を教えるということが、鞭を使ってでも憶え込ませる必要性があったことを、われわれに気付かせてくれている。そう、幼い子供たちには文字通り“知識を叩き込ませる”ことも必要なのだ。ところが、最近は“逆現象”が起きてしまっている。茨城県の中学校で、女子中学生が教職員二人を殴って傷害容疑で逮捕された。全治二週間の怪我を負わせた児童は男子中学生ではなく、女子中学生であった。しかも、暴力を振るわれた一人は30歳の男性講師である。この“構図”をどう見れば良いのか。一番の理由は、子供たちが“学ぶ立場”から“お客様の立場”へと変貌していることである。つまり、外野であるはずの“父兄たち”がうるさすぎて、実際のところ“知識を叩き込ませる”ことなど出来なくなっている、ということだ。たとえ児童から“ムチ”を振るわれても、教師の側からは“ムチ”を振るうな、と指導させている。つまり完全に教師から“ムチ”が奪われているのだ。これは古代文明が指摘している「教育」の在り方ではない。幼い子供たちには“ムチ”を持って指導するのが何千年も繁栄が続いた王朝の“教師の在り方”なのだ。
このところ膠着感の強かった“ドル円相場”が動き始めている。ドル円は、春先に私が指摘したように「日銀」の“様子見姿勢”が手玉に取られて“円高方向”へと一気に加速し、120円前後だったのが100円まで上昇した。その結果、日本株は低迷し、景気減速へと拍車をかけた。“ドル円相場”は、そのまま“日本株相場”に直結し、株価下落は日本経済の“先行き”に“赤信号”を点滅させる。そういう意味で“ドル円相場”は、一般の人が思う以上に“日本経済の先行き”を左右しているのだ。このところ、ドル円は100円~101円を前後していて、或る意味、膠着状態が続いていた。ところが、ここ何日かで1ドル=103円まで静かに下落した。この“静かに下落”というのが重要で、つまりニュースなどに大きく取り上げられることなく“動き始めた”ことに意義がある。これは特別な政策変更などがないのに、つまり“目立った材料”がないのに動き始めていくことで、こういう形で動く時が“転換期”となりやすいのだ。どうして動き始めたのかというと、投機筋がしびれを切らして“方針転換”し始めたからである。どうしても100円付近で膠着してしまうなら、今度は一気に“円安方向”へポジションを転換しようとしているのだ。こういう場合、ヘッジファンドは“先を行く”。その方が大きく儲けられるからだ。今はまだ103円前後だがヘッジファンドが見据えているのは110円前後だと思う。それも年末あたりを意識しての数字だ。これまで日銀は、日銀なりの方法で“円安誘導”を何度もトライした。けれどもトレンドは変えられず、円高が進むばかりだった。今度は特別努力しなくても、じわじわと“円安方向”へと動き始めることだろう。日本経済にとって、これほどうれしいことはない。こうして年末あたりに1ドル=110円前後まで達していたなら、アベノミクスのもたらした成果だとか、日銀の努力の結果だとか、的外れの評価をする人たちが、必ず出てくるに違いない。
一国を率いるリーダーには、それなりの“品格”が求められる。もちろん、そういう法律や規約があるわけではない。ただ多くの人達が暗黙の中で、そう認識している。フィリピンの現大統領ドゥテルテ氏とアメリカの現大統領候補トランプ氏は、そういう意味で誰しもが首をかしげる。特にドゥテルテ氏は、現アメリカ大統領オバマ氏に対し「地獄に落ちろ」とまで発言している。ちょっとひどくないか。過激さは日々増していて「ヒトラーは300万人のユダヤ人を殺害した。フィリピンには300万人の麻薬中毒者がいる。私も喜んで殺したい」に至っては、唖然とするばかりである。実際、彼が大統領になって以降、既に麻薬がらみで3000人が殺害されている。もちろん、そのあまりの強硬さは米国だけでなくEUからも批判を浴びているが「地獄はすでに満杯だが、EUを恐れる理由などない」と切り返す。この人、大丈夫なんだろうか。一方、この大統領に比べれば、まだ“可愛いもの”と言えるのがトランプ氏だ。先ごろ、18年間にわたって“正当(?)な税金逃れ”をしていたことが発覚、それを「優れた実業家の証」であると自己弁護する。アメリカの戦没者遺族への批判。中絶した女性に罰を与えよという主張。自らポルノ動画に出ていた過去。中米移民への侮辱発言。自ら経営する会社で女性の容姿で解雇を言い渡したなど…なんとも「世界の看板・アメリカ」のリーダーとして、あまりに“品格”がなさすぎるというのが誰しも感じるところだ。そのトランプ氏だが、最近はどうも旗色が良くない。やっぱり“品がない”のが祟ってきたのか。それとも、少しだけ“過激さ”を控えたので、その分支持が低下しているのか、トランプ氏も解らないが、アメリカ国民が熱狂する“ヒーロー像”というのも、今一つ日本人には理解しがたい。
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