10月, 2020年
2020-10-07
多分、十年後か二十年後か知らないが「みずほ」の“今回の決定”を「あれが転機となって日本は変わったよね」と言われる時代が来るに違いない。それくらい、今回の“決定・発表”の意義は大きい。日本人は「働き過ぎだ」と言われてきているが、それは一つには「制度的にそうなっている」からで、好き好んで“働き過ぎ”なわけではない。だから、いくら政府が「働き方改革」などと叫んでも、根本的な“社内制度”そのものが変わらない限り、会社員は“働きづめ”にならざるを得なかったのだ。「みずほファイナンシャルグループ」は、これまで大量の“人員削減”を行い続けてきた。けれども、それでも会社側が望むような“大きな改革”には至っていなかった。ここに来て、素晴らしい“アイディア”を得たようだ。正社員を対象として、現在6社ある“みずほ”の全従業員を対象として「週休3日制」「週休4日制」の導入に踏み切ったのだ。しかも、今年12月から実行するらしい。日本を代表する一流企業が、こういう風に政府も後押しする「働き方改革」の一つの形として“週休3日制”“週休4日制”を社内制度として謳ってくれれば、なんの後ろめたさもなく、その制度を利用・活用して“正社員のまま”で居ることが出来る。さまざまな家庭の事情や副業・趣味の事情(⁉)などから、週のうちの三日間なら働ける、或いは四日間なら働ける、というケースは多い。けれども、今までは、そうなると“正社員”からは外れてしまうので、仕方なく“有給・欠勤”で続けてきた人も多いと思う。現在は“副業”も盛んなので、こういう形にしてくれると、思う存分「サイドビジネス」に“力を注げる”とか、趣味の時間が持てる、という人も多いような気がする。このような制度が、一流企業が“先駆け”たことで、それに続く企業が続々と生まれて来るようになれば、ほんとうの意味での「働き方改革」が達成されることになる。ちなみに“週休三日”は“従来の80%”、“週休四日”は“従来の60%”の給与だそうで、妥当な額なのではないだろうか。
2020-10-06
近年、人間の暮らす領域に動物がやって来て畑など荒らされるケースが多い。そこで、どうしても「有害鳥獣捕獲」というものが必要になる。早い話が人間の生活に“危害を及ぼしそうな動物”は捕獲し、駆除しなければならない。そこで“プロ”ともいうべき捕獲人が「罠」を仕掛けることになる。こうして愛知県新城市の山中に、市からの依頼された捕獲人の男性(70歳)は、本来はイノシシの捕獲目的で「くくり罠」を設置しておいた。ところが、その「罠」に掛かったのは、イノシシではなく天然記念物のニホンカモシカだった。そこで誤って「罠」に嵌まってもがいていたニホンカモシカを捕獲人が助けようとした。ところが、どうもカモシカの方は「捕まえられる」と錯覚したらしい。近寄った捕獲人男性の太腿を、思い切り刺したのだ。カモシカによる角の“一突き”は想像以上に強烈だった。彼は関係者にすぐ救助され、病院へと運ばれたのだが、死亡してしまった。われわれはどうしても「シカ」という動物を甘く見がちだが、その防御本能は驚くほど強い。こうして、ニホンカモシカにとって「恩人」となるはずだった男性は、命を失ってしまった。近年は、動物愛護の意識が強まって、有害な動物でも簡単に殺せなくなった。北海道では、クマが出没して来るのが解かっていながら、或いは実際に見掛けたとしても、役所の許可が下りないのでハンターたちが“銃で駆除する”こと自体が難しくなっている。クマを見たからと言って、簡単には銃口を向けられないのだ。そういう時、警察はどうなのかというと、当然のように住民には“批難”と“警戒”を呼びかけるが、警察官たちも獣たちに銃口は向けない。獣たちが襲ってきたときには銃口を向けて良いのだが、“西部のガンマン”とは違って日頃から銃を抜きなれていない警察官は、ピストルを構える前に襲われてしまいそうである。クマでもイノシシでもカモシカでも、標的を決めた時には一瞬で襲ってくる。銃を抜きなれていない警察官では、やはり心もとないのだ。
2020-10-05
大昔「フランシーヌの場合」という歌があった。ちょっと、もの悲しい歌なのだが大ヒットした。実話に基づいた歌で、パリの路上で“戦争や飢餓”に抗議する目的で焼身自殺した若い女性フランシーヌ・ルコント氏を弔うかのような歌だ。国連事務総長に手紙を送ったりしたようだが、相手にされなかったらしい。当時十代だった私は、歌詞の内容的なものはよく解からず、何んとなく“物悲しい旋律”が気に入ってレコードを購入した。先日10月2日にロシアで地方のインターネットメディア「コザ」の編集長をしている若い女性イリーナ・スラビナ氏が、治安当局が入る庁舎前の路上で焼身自殺をした。その直前にSNS上に「私の死についてはロシアを責めて欲しい」という“謎の言葉”を記している。その前日、彼女の自宅に治安当局から捜索が入った。治安当局側からの発表によれば、彼女に国外の反体制派支持団体からのパンフレット提出を求めていたという。ところが、彼女が応じなかったので家宅捜索に踏み切ったという。あくまで「その証人」として提出を求めたもので、容疑者ではないという。したがって治安当局側に言わせると、焼身自殺も、SNS上の言葉も、理解に苦しむものでしかない。フランシーヌの場合と同じように、焼身自殺で“抗議”すべき事柄ではなく、あの歌にも出てきたように《あまりにも哀しく》そして《おばかさん》なのかもしれない。若い時の“感受性”や“正義感”には、時として“思いつめ過ぎ”“思い込みすぎ”な場合もある。年齢がいってくると、多少、柔軟性を持って受け止められることでも、若い時の情熱というのはストレートで、後先を考えない場合も多い。けれども或る意味では、それこそが“若さ”であり、“純粋な情熱”であり、“一途な行動”でもある。年齢が教えてくれる“世の中”を、知ってしまったことに対しての或る種“うしろめたさ”のようなものはいったい何なのだろう。
2020-10-04
フランスという国は「芸術」への“保護意識”が強い。そのことが多分、このような事態を公認しているのだと思う。ただ「タトゥ」を、誰もが“芸術”として受け入れられるかどうかは微妙なところだ。もちろん日本だったら100%公的には受け入れられない。だから温泉の大浴場でも「タトゥ入場拒否」を明示しているホテルが多い。ましてや公務員として、それも小学校教師として、“全身タトゥ”が通用するとはとても思えない。なにしろフランスのシルバン・エレーヌ氏(35歳)は、実は「フランスでもっともタトゥの多い男」としてマスコミに知られている存在なのだ。とにかく全身に“隙間”がない。あらゆる部分をタトゥで埋め尽くしている。腕とか背中に一つだけタトゥがある、というのとはわけが違うのだ。実はフランスでは禁止されている“眼球へのタトゥ”も、スイスまで出掛けて施してきた。だから、文字通り“全身”なのだ。彼いわく、生徒も父兄も必ず最初はぎょっとするそうだ。当然な反応だろう。それでも、慣れてしまえばみんな解かってくれると言う。しかも、彼は「これも教育の一環だ」と言い切る。日本でもし、こんなことを言ったら“袋叩き”にされかねない。ところが、さすがというべきか、フランスの子どもたちも父兄も中々に寛容なのだ。子供たちの中には「エレーヌを観た目で判断してはいけない」と言ってくれる者までいる。なんて優しいんだ。「眼だけは怖いけど、彼は優しいよ」と言ってくれる生徒もいる。素晴らしい教育(⁉)ではないか。彼は自分を観て育つことで、生徒たちは“外見的な偏見”を無くし、人種差別や障害者差別をしなくなる、と言っている。それにしても、学校側や教育委員会側が、よくスルーしてくれているものだ。そういう点はほんとうに寛容な国だと思う。ただ“新型コロナ”で国全体が神経質になった時、中国人だけでなく、日本人も含めて、アジア人全体に対して“あからさまな差別や拒否”を行ったのも“この国”である。だから、どこまで“ほんとうに寛容”なのかは微妙なのだ。もしかすると「タトゥ=芸術」という意識で寛容なだけかもしれないのだ。私が大昔、フランスで道を尋ねた時にも、まったく相手にしてくれなかったのがフランスなのだ。
2020-10-03
歌手の浜崎あゆみ氏が自らの公式サイトで“第2子妊娠”を公表した。彼女は既に昨年11月に“第1子”を出産していたことを今年1月になって公表し、世間を驚かせた。そして今年の春には、彼女の自伝的ドラマ「M」も放映された。その中で彼女は、当時のプロデューサーであった松浦勝人氏(現エイベックス会長)と“深い関係”であったことも公表している。そういう中に在って、今回、公式サイトで“第2子の妊娠”を公表したことは深い意味を持つ。つまり、もう「結婚という形はとらない」という無言の宣言。確かに彼女にとって「結婚」は“苦い想い出”しかないはずなのだ。次に、昨年の“第1子”と今年の“第2子”とは、“同様の形”で産むことになる“同じ父親の子”であることを無言のうちに宣言している。そうでなければ、とても妊娠した“初期の段階”から“悦びの公表”は出来ない。さらに、初期の段階から公表したということは、相手の父親が、それを認めているということ、つまり「世間に公表して良い」とOKを出されているということでもある。なぜなら、既に「世間公認の仲」としてドラマ化されているから…ということではないかと思われる。数年前まで、公表はタブーだった。それは松浦氏には「妻」がいたからだが、正式離婚した現在は誰に臆することもない。したがって彼女の言葉には“後ろ暗い部分”がない。これまで、多くの女性達が経験した「未婚の母」「入籍なき妊娠」の“後ろ暗さ”がない。むしろ平成の時代を“寵児”として駆け抜けた女性が、今度は「新しい母の形」を示さんとするかのようである。それが日本ですんなりと「受け入れられるかどうか」は微妙だが、とりあえず“先駆者たらん”とする意識だけは十分に窺われる。考えてみれば、“結婚以外の妊娠や出産”が祝福されない方がおかしいのだ。近年、日本でも高収入の女性はたくさん出てきた。そういう女性達が、自らの“選択肢”として「結婚なしの母親」を望むことは少しも不自然ではない。そういう意味では、今後増えてくる可能性を予感させる「新しい母」の形なのだ。
2020-10-02
「東京証券取引所」というのは、一応今も“世界三大証券所”の一角を担っている。一日で「兆」のお金が動いている“恐ろしいところ”なのだ。その“恐ろしいところ”の機械に昨日の朝トラブルが生じた。その結果、東証は終日「1円」の取引も出来なくなってしまった。まあ、われわれがパソコンが壊れて仕事が出来なくなってしまうのと、ほぼ同様な感じとなったのだ。「東証」というところは、日本人だけを相手に商売をしているわけではない。何んと、その客の6割は外国人なのだ。外国人たちがいるから日本の金融の“屋台骨”である「東証」は何とかやっていけているのである。丁度、高級観光ホテルが訪日客がやって来なければ商売が成り立たないようなものである。“新型コロナ”は、その外国人観光客をストップさせているが、今回の場合はもちろんコロナでもなく、外国人ハッカーの仕業でもない。日本を代表するIT企業の富士通が作成した“株式売買システム”の故障である。しかも、そのシステムは定期的に新たなものに改良・交換していて、昨年11月に変えたばかりなのだ。つまり、古くて故障したのではない。昨日、東証には“新たに上場した企業”もあるが、結局、新規上場したのに「1円」の値もつかなかった。何んとも出だしが悪いというか、先行きが心配となる“船出”なのだ。先行きが心配と言えば「菅政権」に変わって初めて起こった国としての“財政に関わる事件”である。もちろん、総理自身には何の関係もない。けれども「日本政府」としては関係のない出来事ではない。なにしろ外国が絡んで「兆」の金が動く管轄領域なのだ。日本の株価は、日本経済の“先行指標”となる。わかりやすく言うと「菅政権の金運」に直結する。話を解かりやすくするためにトランプ大統領を出す。彼は元々「不動産王」だった。つまり“大金持ち”だ。だからなのかは微妙だが、彼が就任後にアメリカの株価は急上昇し始める。いまも上昇し続けている。つまり、アメリカはその政治手法が良いとは思わないが、こと金運に関しては、金持ち的な強引手法で上昇させた。日本の菅総理はもちろん“大金持ち”でもなく“不動産王”でもなく“苦労人”である。但し、苦労人だから「金運」が悪いかと言えばそうとは言えない。田中角栄氏のように“苦労人”だが“大金持ち”となり、首相となっても“日本の金運”は上昇させたが、“日本の名誉”は失墜させてしまった人物もいる。だから、解からないのだ。ただ「菅政権」の金運が、どっちに転ぶかわからないが、ストップしてしまうことだけは避けて欲しい。
2020-10-01
2020-10-01
ときどき単純な私には「謎」に思える出来事が報じられる。本来「疫病から守ってくれる神」として存在している奈良市の「御霊神社(ごりょうじんじゃ)」が、今年は“コロナの影響”を考えて、通常10月の12日13日に行われる“例大祭の渡御式”を中止すると決めたそうである。これは祭神八柱の分霊を載せた神輿が街中を巡り歩くもので、それにより街の住人達を疫病から守ってくれると信じられていた。“新型コロナ”は間違いなく現代の「疫病」である。それなのに、守ってもらえるはずの“祭り”を中止してどうする。その代りとして、今年は10月1日~13日迄「ならまちの氏神さん!御霊神社例大祭の魅力」として“特別展示会”を市内の三か所で開くそうだ。この神社は1220年前の創建だが、主祭神は井上内親王である。その井上内親王は「天皇を呪詛した」疑いをかけられて、幽閉された。その幽閉先で“非業の死”を遂げられた御霊が祀られているのだ。実は、私も知らなかったが「非業の死」を遂げた怨霊は、丁重に祀ってやることによって「疫病から人々を守ってくれる」神霊に昇華するらしい。それが古来からの伝承としてあって、それ故に桓武天皇はこの神社を創建したのだ。何とも奇妙な話だが、その“祭り”は1220年間途切れることなく続けられてきた。それを現代の疫病=新型コロナで中止というのが、どうも納得できない。ただ、その当時の衣裳のまま天狗の面をつけた姿で椅子に座っている様子の展示は、一種異様で迫力がある。それにしても呪詛した疑いで幽閉しておいて、亡くなったら神社を創建するというのは、たとえ「疫病から守ってくれる」という民間伝承があったにしろ、自分で幽閉しておいてなだけに理解に苦しむ。しかも、その伝承そのまま今日まで、信じ続けられてきたというのは、そして疫病の今年は中止だというのは、単純な私にはどうしても理解しがたい。
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