6月, 2021年

「自分独りの子供」を「独身女性」が得る権利

2021-06-30

当然のことだが、われわれは法律の下に暮らしていかなければならない。したがって法律が変われば、時には「運命」を大きく変えることができる。例えば独身女性の場合、自分がどんなに子供好きで、子供を育てていくことに自信があっても、日本の法律の下では“相手男性”なしに“妊娠”“出産”をすることは出来ない。通常の場合は、結婚してのち、妊娠をするのが“正常な姿”とされる。仮に、結婚の予定なく妊娠・出産した場合であっても、少なくとも、その妊娠時の相手だけは絶対に必要なのだ。ところが、今回、フランスで可決された法律では、その“妊娠時の相手”さえも必要としていない。どうしてかというと「自分の子供が欲しい」と熱望した場合、“生殖補助医療”を受けられる法案が正式に通ったからだ。たとえば自分には“適当な相手”が居なかったとしても、それは医療現場が手配してくれる。本人は“卵子”を提供するだけで良い。体外受精によって、子供を作ってくれるからだ。もちろん“精子提供者”は居るのだが、それは“偶然の精子”で医療現場が決める。つまり、その女性にとっては、実感として「自分だけの子供」が独身のまま得られるのだ。恋愛とか結婚とかの“煩わしい部分⁉”が完全に排除されている。そういう法案が、フランスでは賛成326、反対115、棄権42で可決成立した。しかも、フランスだけではなかった。欧州では既に十数か国が、それらを認めていた。ただ、私には“少し不公平”に思える。それらの権利はあくまで“独身女性”或いは“レズカップル”に限定されていて、“独身男性”や“ゲイカップル”の方には与えられていないのだ。男性の場合には「代理出産」というものが“仲介”をするので、その点で女性と同列に語ることは出来ないのだそうだ。う~ん、解かったような解からない話。同時に「卵子凍結の権利」も“30代女性”には与えられた。これで女性は50代になっても、60代になっても、体外受精での妊娠・出産が可能になるのか。というわけで「子供が欲しい」独身女性は、フランスに暮らした方が有利なのかも…。

 

 

 

「ポケモン切手」で「手書きブーム」が再来⁉

2021-06-29

来月の7月7日に全国の郵便局で「ポケモン切手」が発売されるという。どうして今頃「ポケモン」なのか理解に苦しむが、その人気は不動のままだ。通常、こういう切手は“84円タイプ”か“63円タイプ”か、どちらかに限定されるものだが、今回の場合には両方それぞれにあって、84円のほうは四季折々の季節減少に引っ掛けたデザインで「桜の中でかくれんぼ」とか「もみじでドッキリ」とか、大人が使用しても“違和感”が出ないよう工夫されている。私は「ポケモン」というと20年以上前のドイツ旅行を思い出す。観光にも少し飽きて住宅街を歩いていた時、遠くから“手をつないだ母子”がやってきた。その4歳くらいの男の子の腕には“大きなポケモン人形”が抱えられていたのだ。もちろん、ドイツ人らしい親子の姿で、とても大事そうに抱えているのが印象的だった。海外で、しかも欧州で既に“ポケモン”は子供たちに大人気だったのだ。総じて“漫画”や“アニメ”は国境を超える。現在の「鬼滅の刃」にしても、ブームに火が付いたのはスペインの方が早かった。何より“ポケモン”の場合はわかりやすく、その外貌的にも世界的に親しみやすい。郵政省では8月25日には“変形カード”や“カードゲーム”もセットになった「切手ボックス」も発売するらしい。近年、手紙やハガキを「手書きする」ということが減ってきている。特に、若い人たちの間でそれが著しい。けれども“手書き”には“手書き”の良さというものがある。特に“漢字”と“ひらがな”と“カタカナ”の三種を組み合わせて書く“手書き文字”には、時として芸術品のような味わいもある。そういう意味でも“手書き文字”は、幼い子供たちに引き継いでいってもらわなければ困るのだ。“可愛らしい切手”を貼って出す…ということが、若い人や幼い子供たちにブームとなれば、黙っていても“手書き文化”は継承されることになる。こういうものは強制的に“書かせられる形”には拒絶反応を示すが、“インスタ映え”するブームとして定着すれば、ごく自然に継承されていくようになる。最近の日本は「コスパ」ばかりを言いすぎる。心を豊かさを失っていっては「大和魂」が泣く。

 

 

一瞬の判断、不意の予感が「生・死」を分ける

2021-06-28

現地時間の24日午前1時半ころ、そのマンションの崩壊は突然に起こった。アメリカのフロリダ州マイアミ近郊に位置するリゾートマンション12階建てだが、中央部分が左右の棟を引き連れたような構造をしている。そのせいか先に崩壊したのは中央部分の棟で、それに引きずられるような感じで少し間をおいてから東側の棟も崩れた。その結果、西側の棟だけが断ち切られる形状でからくも難を逃れた。このマンションには136戸入っていて、そのうち55戸が崩壊したと公表されているが、動画の状況からだと半分以上は崩壊しているはずで、その辺はやや疑問が残る。とにかく海岸近く1981年に建てられた築40年の12階建てマンションが、轟音とともに頂上部から崩壊していったのだ。それも、東側や西側の棟ではなくて、中央部の広い棟から崩れ落ちている。実はこのマンションに関しては、3年前に調査が入っていて、コンクリート各所に亀裂があって危険であることが指摘されていた。さらに、現在も各所を点検中であったとか、屋根の改修中であったとか、プール床面に穴があるとか、地盤の陥没が指摘されていたとか、さまざまな「噂」が飛び交っている。つまり、住人にとって決して安全な“居住空間”ではなくなってきているとの認識はあったはずなのだ。コンクリートの劣化に関しては、このマンションの建つ位置が海岸沿いで、潮風にあたって海水の塩分を吸収しやすく、通常以上に“劣化が早かった”ことは間違いがない。日本にも、築40年以上のマンションは多数存在しているが、同じマンションでも潮風が当たるリゾート系マンションは、劣化が早い。住人が夏場だけ利用するなど“空き家になる期間”が長いことも劣化を早める。したがって、同じ築年数でも街中の“空室”がないマンションと、海岸が近い“空室だらけ”のマンションとでは劣化の速度が異なるのだ。崩壊したマンションは“リゾート用”として所有している人もいれば、中南米からの移民家族も多くいたようで、その点でも一律ではなかったようだ。いずれにしても「予兆」は聴き知っていたはずで、特に東側の棟は崩壊までに時間があった。もし、轟音で瞬時に行動を起こしていれば、逃れられたかもしれないのだ。

 

 

 

郵便局長が差し出す「本物の証書」で12億円⁉

2021-06-27

私のような「面倒くさがり屋」は、多分、郵便局長から「金利の良い特別な貯金がある」と誘われても「面倒だから、そのままにしておいて…」というかもしれないが、もしもそれが親戚のおじさんなら「じゃ、おじさんの方でそっちに変えておいて」と言って任せきるかもしれない。まさか、それが“偽の金融商品”であるとは、普通、疑わないだろう。ましてや、そのおじさんが後から“本物の証書”まで手渡してくれたのであれば…。こうして、長崎の住吉郵便局長であった上田純一は、次々と自分の親戚とか知人とかを“特別な貯金”へと誘導した。通常、こういう“新たな金融商品”に入るのは、別に“不審”には思っていなくても、少しためらうことが多い。それは、新たな金融商品にお金を預けるほどの“余分なお金”を持ち合わせていないからだ。けれども、彼の場合には、新たなお金を預けてもらうのではなく、あくまでも「現在所有の預金」から「定期預金」の場合には解約して乗り換え「普通預金」の場合には一部を引き出して「それを預けてもらう」という方式だった。したがって、勧誘された方からしてみれば、“新たなお金”を出す必要がないのであれば、金利の高い方に「半分」とか「3分の1」とか回すのならかまわない、と考える。このご時世に「そんな高い金利の商品あったっけ⁉」と誰もが思うが、何しろ、相手は郵便局長なのだ。間違うはずがない。こうして、彼の親戚とか、知人とか、53名が次々と“新たなる預金”へと切り替えた。奇妙なことに、彼の“不正”は24年間も発覚しなかった。一番の理由は郵便局長から直接の“おすすめ商品”であったということ。他の職員は気付いていなかったということ。その商品には“本物の証書”が存在したということ。但し、その“本物の証書”は1993年に「廃止された商品」ではあったのだが…。つまり、本来なら既に“破棄されているはずの証書”を、彼は秘匿し続けていたのだ。したがって、手渡された証書を疑う者はなく、24年間も見過ごされてきたのだ。ただ、私は不思議で仕方がない。自分の親戚とか知人に対して“存在しない証書”を手渡していたなら、いつかは必ず、事件が発覚する。もしかすると彼は「自分の死後になってから、みんなは気付く」とでも思っていたのだろうか。さらに解からないのは、彼がそれらのお金で、家を4軒も所有したり、車を21台も所有したりしていることだ。それらの維持費だけでもバカにならないはずで、使用しないものに金をつぎ込む感覚がどうにも理解しがたい。本来であれば、普通に元郵便局長として“裕福な老後”を送れたに違いないのだが…。

12000人の「住居」が、2年半先まで待って⁉

2021-06-26

かつて「東京のどまんなか」というキャッチフレーズで売り出された23棟の高層マンションは、場所によっては“71倍の確率”というほど応募が殺到した人気マンションだった。どうしてかというと「2020年東京五輪の選手村にもなる」という“いわくつきの場所”だったからである。もちろん、マンションが売り出される時点では“コロナ”も“延期”も想定外である。したがって、最初は「世界各国の選手や関係者が使用する」ということは承知のうえで、それを改修したのち引き渡されるマンションに、早くから“正式契約”をした方がたくさんいたのだ。23棟もあるので当然なのかもしれないが、多数の不動産会社が“共同で扱っている”マンションで、或る意味で“契約問題”は一律とは言えないような部分もある。ただ重要なことは、既に購入した方達は本来の「引き渡し日」となるはずだった2023年3月には入居することが出来ない。改修が間に合わないからだ。大体、コロナの問題が起こって、五輪延期の状態となって、建設工事そのものが予定通りには行かなかった。当然マンションの販売も、途中で「ストップ」が掛かった。そして昨日ようやく11月中旬から再び「販売を再開する」との発表があった。もっとも、その竣工時期は2年半も遅れて、2025年9月にずれ込むということも伝えられた。「それでは約束が違う」というのが既にマンションを購入している人たちの言い分だ。確かに、住居というのは「その時期に入居できる」という条件のもとに契約をする。既に購入者たちの間で「損害賠償請求」の訴訟が用意されているらしい。一方、不動産会社の方も、今回の案件は“予測不可能”で、自分たちに責任はない、という姿勢のようである。第一、既に“売り切ったマンション”は良いのだが、これから“販売するマンション”に関しては、果たして当初通りの価格帯で勝負できるのか、大いに疑問がある。本来であれば“価値を高めてくれる”はずだった「東京五輪の選手村」に“感染者多数”が出てしまえば、何んとも“不健康なイメージ”と“トラブルのイメージ”で彩られることになる。外観的にも、正直、あまり見栄えの良い高層マンションとは言えないような気がする。もちろん「選手村」を兼ねていたので“平等・一律”な感じで建てられている。それは丁度、昔の公営団地の高層版に視える。それぞれのマンションの個性が感じられないのだ。さて、今回の販売合戦は上手くいくのだろうか⁉

消えた高齢者214人は「どこ」へ行ったのか

2021-06-25

認知症による“行方不明者”が年々増えていっているという。昨年は1万7千人もの高齢者の“捜索願”が出されたらしい。推計によると、2025年には75歳以上の高齢者の5人に1人は「認知症になる」可能性があるらしい。遠い話ではない。四年後の話だ。私なども、こと記憶力に関しては間違いなく“認知症の一歩手前”にある。なにしろ、人の名前、ものの名前、置いたものの場所、自分で書いたことの記憶……それらことごとくが、次々と消えていく。したがって“他人事”ではなくて「認知症」は確実に向こうからやってきている。まあ私の場合、記憶力は昔から、それほど良い方ではない。鑑定に来て下さる方も、片っ端から忘れていく。ましてや、その内容なんか、憶えているわけがない。ところが、鑑定に来て下さっている方の多くは、前回はこれこれを話したから、きっと憶えていてくれるのだろうと誤解されている。そこで、どうしても前回の続きから話されたりする。これが困るのだ。何の話やら、さっぱり分からない。わからないからキョトンとしている。察しの良い方はここで気付いて、前回と同様なところから話し始めてくれる。きわめて特徴のある方の話や、特異な問題とかだと、最初は解からなくても、徐々に記憶がよみがえってくる。表情には出さないが、ホッと胸をなでおろす。ところで高齢者の“行方不明”だが、届け出はあっても、大抵は数日中に近隣や隣町辺りから発見される。けれども、家族や関係者が探し続けても、手掛かりの掴めないケースもある。それが昨年の場合には214人もいたのだ。情報網の発達した現代でも、どこに消えたのかわからない高齢者がいる。214人もいるのだ。一体、どうやって暮らしているのだろう。警察に保護されたなら、届け出は出ているので、すぐ分かるはずである。もっとも、本人が自分の姓名とか、住所とか、生年月日とか、家族の名前とか、それらすべてを忘れている場合は“届け出”が出ていても判明しにくいかもしれない。認知症になったら、GPS機能を身体に埋め込むことが可能になれば、214人の“所在不明者”は出て来ないはずだ。スマホにどれほど機能を詰め込んだところで、それを持って出なければ、何の役にも立たない。家族にとっても、本人にとっても、安心な“科学の進化”だけは早く到来してほしい。

貯金はゼロ「90歳までミニスカートで…」社長

2021-06-24

世の中にはいろいろな人が居る。「社長」と呼ばれる人にも、いろいろな人が居る。私は、その人の顔を見る時、無意識に“人相学的な角度”から観てしまうことがある。そういう意味では、ほんとうに素晴らしい“顔立ちの社長”が、アパホテル社長の元谷芙美子氏である。彼女は“美智子さま”や“瀬戸内寂聴氏”と同じく、極端に眼と眉の間「田宅(でんたく)」部位の広い顔をしている。これは観相学上、心が広く大らかで“人徳”を持っている人の相であるとともに、運命的には広大な土地や不動産を与えられる人の相でもある。文字通り、元谷氏の場合、勢いのある不動産会社の社長であるから、黙っていても土地や不動産は増えていく。たまたま彼女に対しての“インタビュー記事”を読んだ。そして初めて彼女自身は、お嫁さんや社員にプレゼントをするのが好きで、自らは“貯金ゼロ”だと楽しそうに話しているのを知った。もちろん会長が夫であるから、個人的な貯金など必要ないと思うが、それでも「プレゼントするのが大好き」という雰囲気は伝わって来て、女社長には“少数派”かもしれないと思った。そして、そういう部分が、もしかしたら“先祖たち”から好かれているのかもしれない。実は「田宅」部位というのは“先祖”とも関係があって、先祖たちから好意を寄せられると、徐々にではあるが“この部位”が広くなっていく。だから、若い時には“狭かった”のに、或る時期から“広くなっていく”ケースは稀ではない。ここに名前を挙げた三人も、若い頃から極端に広かったわけではない。元谷氏の場合、その一方で53歳の時に大学受験をし、ほとんど受験勉強せずに合格し、入学後は一日も休まず通って卒業し、さらにその後、早稲田大学大学院を受験し、それも合格し、53歳から64歳までの11年間「社長」と「学生」の“二つの顔”で暮らしていたのだ。もちろん頭脳優秀ということもあると思うが、心身とも“若い”と思うのは「90歳までミニスカート姿で現役を務めたい」という部分にも表れている。今回の“コロナ騒動”でも「アパホテル」を“患者受け入れホテル”として政府に即刻提供した。おそらく、多くのホテル業者と同じく、二年間は“キャンセルの嵐”に見舞われていたと思うが、そんな窮状はおくびにも出さない。“先祖たちが惚れ込んでしまう”のも、当然「人徳者」なのだ。

「人間とは何か」を追求し続けた「知の巨人」

2021-06-23

精力的に問題作を問い続けて来た「知の巨人」立花隆氏が逝った。81歳の高齢であるから驚かないが、最近まで仕事をされていたようなので、あっという間の最期であった。けれども、或る意味では、もう追求すべき分野が無くなったのではないかと思うほど、この人の“追求した世界”は幅広く、文字通り“百科事典的”な役割を世の中に果たしてきた。この人の名が世の中に広まったのは『田中角栄研究』によってであるが、私はその当時、政治には興味が無かったので読んでいない。むしろ、あまり政治評論家らしくない風貌の人物が“政治家”を語っていることが興味深かった。その後も『日本共産党の研究』など“政治色”の強いジャンルでの執筆が多かった。私がこの人物の書いたものを本格的に読んだのは『宇宙からの帰還』からだった。そこには宇宙飛行士たちの興味深い「その後」の生活や「大いなる変化」などが書かれてあって、それまで漠然と抱いてきた“宇宙”とか“宇宙飛行士”とかのイメージとは、ぜんぜん別個な一面を知ることが出来た。例えば、帰還後に宣教師となって「神を語りだした元飛行士」のこととか、帰還後に精神の異常をきたしていった人物とか、これまで知ることのなかった“影の部分”が語られていて、それがなにより興味深かった。私は、宇宙飛行士というものを、もっと“超科学的な人物”というイメージで捉えていたので、そういう“不可思議な変化”を真正面から記録したことに立花隆氏への“驚き”があった。その後も『臨死体験』によって、多くの臨死体験を持つ人達のことを、感情や先入観に走ることなく真正面から追及した作品に尊敬を覚えた。「政治」や「お金」や「宇宙」や「死後」を扱おうとするとき、どこに視点を置くかは大変に難しい。その意味で、真正面から、それでいて感情を極力加えず、事実のみ記録していくことは簡単なようで簡単ではない。文字通り「知の巨人」だから出来たのだ。

9年後に「二刀流」が実現したが、注意点も…

2021-06-22

私が初めて大谷翔平投手を公的に占ったのは、2012年暮れの「北海道新聞」紙上でだった。その年、彼は日ハムから1位指名を受けてプロとなったが、まだプロ野球のユニフォームに袖を通していなかった。その時点で私は、彼は日本でもアメリカでも“トップにたてる”こと、そして“二刀流で活躍できる”ことを断言した。あれから早いもので9年近くも経っている。実は、その少し前、私はたまたまTVの報道番組で初めて大谷投手の“練習している映像”を見た。もちろん高校生時代の映像だ。その時、初めて見たのだが、そこに彼の“将来”を見た。実際には“感じた”と書くのが正しい。だから、たまたまその年の暮れに新聞社からの依頼で彼を占うことになったが、実はその時に“二刀流”だということを初めて知ったのだが、投打にわたって活躍するだろうと思ったので、上記のような判断となった。現在、彼は大リーグで“投・打”で活躍しているが、今年の場合には「打」の方で注目されている。7月13日に行われる「オールスター戦」のファン投票で“断トツ”トップを走っているので、間違いなく出場するだろう。文字通り「二刀流」として、日本でも活躍し、アメリカでも活躍する存在となった。私の感じた“将来の映像”は間違ってはいなかったのだ。けれども私は、彼に対して、もう一度占っている。その時は日ハム時代で、それも投打でいちばん活躍して輝いていた年だ。私はTV局の依頼で“珍しい占い”で占うことを要求されたので「墨色判断」という占法を使った。そして、彼自身に文字を書いてもらって判断した。そうして翌年の“足の故障”を見事に言い当てた。さて、私は別に自慢がしたいわけではない。彼の“今後”を語る上で必要だから、いまの話を加えたのだ。実は、今年は大活躍で終わると思うのだが、今後に対しては“不安材料”もある。まず投げる方では“細かなコントロール”が失われてきているということ。打つ方では“空振り”が多くなってきているということ。この二つは、好調な時は目立たないが、不調になると必ず“問題”となる。一気に崩れさせていく危険性を持つ。彼は、“大リーグ型”に自分の身体を変えていった。その結果、文字通り、ボールのスピードは速くなり、打撃の飛距離は伸びた。けれども“微細な技術”が失われつつある。その点を修正していかないと、ムリをして身体を壊すことになりやすい。特に、足と肘は今後も“要注意”の箇所なのだ。

「純文学」から「犯罪小説」に変えて覚醒⁉

2021-06-21

近年、小説というものを読まなくなった。年齢のせいか一冊の小説を読み続ける持続力が失われているのだ。ましてや題名を観て“意味不明”な小説は読まない。だから、多分、書店で見つけたとしても手に取ることはなかっただろう。けれども、最初に“インタビュー記事”を読んだので、その中で私の“予感能力”にピンとくるものがあった。つまり、この作家は大成していくな…という予感だ。それが「佐藤究」という犯罪小説家だった。この5月に山本周五郎賞を得て、7月に決まる直木賞のノミネート作品でもある『テスカトリポカ』という“意味不明”な題名の注目作品が最新作だ。この意味不明な作品名は“アステカ神話の神の名”なのだそうだ。あまりメジャーな神ではない。実は、この作家はこれまでにも様々な文学賞を得ているのだが、いま一つ記憶に残らない。その理由の一つは、すべての作品の題名が解かりにくいからだ。純文学の賞を得た『サージウスの死神』、江戸川乱歩賞を得た『QJKJQ』、大藪春彦賞を得た『Ank:』など、その題名からは作品イメージが掴みにくい。したがって余程さまざまなジャンルの小説を雑多に読む人か、何かで彼の作品に触れたことがある人以外は、手に取りにくい。彼の方は“その解かりにくい題名”も個性と考えているのかもしれないが、エンターテイメントとしては少し不利な気がする。もっとも、最近はそういう題名も多くなったから、そういう“時代”なのかもしれないが…。ただ純文学と違って、エンターテイメントというのは“理解しやすいこと”も重要で、せっかく“面白く書く力”を持っているのだから、誰もが「話題にしやすいタイトル」を心掛けた方が良い。最近は日常に留まって、小説らしい小説が少なくなってきているよう感じるので、そういう意味では、久々に出現したスケールの大きな作家だけに、コンプライアンス等で崩れてしまわないことを願うばかりだ。

「クマ」「シカ」「全裸男」が出現する札幌⁉

2021-06-20

どうも最近、私が住む札幌は“危ない地域”になってきているようで、6月18日には東区の住宅街にクマが出現、次々と4人が襲われた。この日は同時に「全裸男」も出現、なぜなのか全裸なのに“マスク”だけは着用、さらには「刃物男」まで出現。極めて“危ない一日”となった。続いて昨日は西区の方に三頭のシカが出現、こちらの方は人を襲う気配がないところから“見守り”だけが行われたようだ。そういう感じで、札幌周辺にはこのところ“危険物”が多い。最初のクマに限って言えば、明らかに住宅街に“迷い込んで来た”もので、出逢った人間を反射的に襲い続けたので、半日くらい経って猟友会の銃弾によって駆除された。実は札幌では近年、クマの出現が多くなっていて、それも住宅街への出現が多い。2019年の一年間だけで131件の目撃例がある。南区の山裾付近の住宅街に出現した時には、9日間もの間、その周辺で目撃され続けた。南区の場合には、背後に山を控えているので住宅点在地域に出没するのも解からないではないが、東区の場合は完全なる住宅街で、街中と言ってもいい場所なので、知らず家を出た人が襲われる出来事が続いてしまった。一時期、北海道はクマの生息が乏しくなって、野生動物を“保護し”“野放し”するような時期が続いた。その結果、現在はクマなどが増えて山里の住宅街まで出没するようになってしまった。よく“動物愛護”の意識が強い人たちが「駆除してはいけない」などと言うが、その結果として札幌のような都会の住宅街にまで“足を踏み入れる”野生動物が出てきている以上、何も手を打たないで、放っておくのは行政として問題がある。「全裸男」や「刃物男」も取り締まらなければいけないが、言葉が通じる男たちは一般人でも何とかなるが、言葉の通じない野生動物たちには、何らかの形で“人間領域”への侵入を防がなければならない。一時期、カラスに襲われる事件も頻発したが、最近は減ったような気がする。行政が動くことで、道民や市民を“不安”かた守っていくのも、“コロナ対策”と同じように重要な課題なのだ。

「正義」ではなく「幸福」を選択した周庭氏

2021-06-19

昨年6月、香港では「香港国家安全維持法」が制定された。その結果、反発する多くの人達が香港警察によって逮捕されていったが、その中に民主活動家として早くから知られる周庭氏(24歳)も含まれていた。香港市民に影響力の強い彼女を逮捕することで、事態を鎮静化させ、力による“抑え込み”を計ったものと思われる。その意図はある程度成功し、あれだけ“暴徒化”していた香港の街中から、しだいにデモや集会が遠のいていった。それを見届けたように、香港警察は7か月間収監していた周庭氏を6月12日釈放に踏み切った。多くの報道陣が彼女を取り巻いたが、周庭氏は無言のまま用意された車へと乗り込んでいった。そして「疲れた」という表現と共に“真っ黒い画像”だけを投稿した。その後、彼女からの動静を伝える報道はない。私は、彼女は“新たな道”を歩み始めると思う。収監している間、香港警察は、というよりも正しくは「中国」は、彼女に対して“どちらを選択するか”迫ったに違いないのだ。つまり、このまま「正義」を貫こうとして何度も獄中に繋がれるか、それとも「普通の市民としての幸福」を求めるか、二者択一すべきであると迫ったのだ。十代半ばから、“自由な香港”を勝ち取ろうと努力してきた彼女だが、そうすればするほど、香港は“本土化”していった。もはや“昔の香港”“自由だった香港”を呼び戻すことは不可能に思えた。あれだけ「みんなのために…」と願って闘った過去も、色あせて見えてきた。彼女の中に「普通の…幸福」を求める気持ちが芽生えたとして、誰がそれを責められるだろう。私は、ここで遠藤周作の実話小説『沈黙』に出てくる宣教師の一人を想い出す。名前は忘れたが、彼は“キリスト教”を広めるため、長崎に上陸した何人かの宣教師の一人だ。けれども、捕まって激しい“拷問”を受け続ける。そして条件を提示される。「もしも仏教徒に改宗するなら、その後の暮らしは幕府が保証する」やがて、彼は堕ちてしまう。そして実際に仏教徒となり、妻をめとり、安楽に暮らして日本で亡くなった……

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