6月, 2021年

貯金はゼロ「90歳までミニスカートで…」社長

2021-06-24

世の中にはいろいろな人が居る。「社長」と呼ばれる人にも、いろいろな人が居る。私は、その人の顔を見る時、無意識に“人相学的な角度”から観てしまうことがある。そういう意味では、ほんとうに素晴らしい“顔立ちの社長”が、アパホテル社長の元谷芙美子氏である。彼女は“美智子さま”や“瀬戸内寂聴氏”と同じく、極端に眼と眉の間「田宅(でんたく)」部位の広い顔をしている。これは観相学上、心が広く大らかで“人徳”を持っている人の相であるとともに、運命的には広大な土地や不動産を与えられる人の相でもある。文字通り、元谷氏の場合、勢いのある不動産会社の社長であるから、黙っていても土地や不動産は増えていく。たまたま彼女に対しての“インタビュー記事”を読んだ。そして初めて彼女自身は、お嫁さんや社員にプレゼントをするのが好きで、自らは“貯金ゼロ”だと楽しそうに話しているのを知った。もちろん会長が夫であるから、個人的な貯金など必要ないと思うが、それでも「プレゼントするのが大好き」という雰囲気は伝わって来て、女社長には“少数派”かもしれないと思った。そして、そういう部分が、もしかしたら“先祖たち”から好かれているのかもしれない。実は「田宅」部位というのは“先祖”とも関係があって、先祖たちから好意を寄せられると、徐々にではあるが“この部位”が広くなっていく。だから、若い時には“狭かった”のに、或る時期から“広くなっていく”ケースは稀ではない。ここに名前を挙げた三人も、若い頃から極端に広かったわけではない。元谷氏の場合、その一方で53歳の時に大学受験をし、ほとんど受験勉強せずに合格し、入学後は一日も休まず通って卒業し、さらにその後、早稲田大学大学院を受験し、それも合格し、53歳から64歳までの11年間「社長」と「学生」の“二つの顔”で暮らしていたのだ。もちろん頭脳優秀ということもあると思うが、心身とも“若い”と思うのは「90歳までミニスカート姿で現役を務めたい」という部分にも表れている。今回の“コロナ騒動”でも「アパホテル」を“患者受け入れホテル”として政府に即刻提供した。おそらく、多くのホテル業者と同じく、二年間は“キャンセルの嵐”に見舞われていたと思うが、そんな窮状はおくびにも出さない。“先祖たちが惚れ込んでしまう”のも、当然「人徳者」なのだ。

「人間とは何か」を追求し続けた「知の巨人」

2021-06-23

精力的に問題作を問い続けて来た「知の巨人」立花隆氏が逝った。81歳の高齢であるから驚かないが、最近まで仕事をされていたようなので、あっという間の最期であった。けれども、或る意味では、もう追求すべき分野が無くなったのではないかと思うほど、この人の“追求した世界”は幅広く、文字通り“百科事典的”な役割を世の中に果たしてきた。この人の名が世の中に広まったのは『田中角栄研究』によってであるが、私はその当時、政治には興味が無かったので読んでいない。むしろ、あまり政治評論家らしくない風貌の人物が“政治家”を語っていることが興味深かった。その後も『日本共産党の研究』など“政治色”の強いジャンルでの執筆が多かった。私がこの人物の書いたものを本格的に読んだのは『宇宙からの帰還』からだった。そこには宇宙飛行士たちの興味深い「その後」の生活や「大いなる変化」などが書かれてあって、それまで漠然と抱いてきた“宇宙”とか“宇宙飛行士”とかのイメージとは、ぜんぜん別個な一面を知ることが出来た。例えば、帰還後に宣教師となって「神を語りだした元飛行士」のこととか、帰還後に精神の異常をきたしていった人物とか、これまで知ることのなかった“影の部分”が語られていて、それがなにより興味深かった。私は、宇宙飛行士というものを、もっと“超科学的な人物”というイメージで捉えていたので、そういう“不可思議な変化”を真正面から記録したことに立花隆氏への“驚き”があった。その後も『臨死体験』によって、多くの臨死体験を持つ人達のことを、感情や先入観に走ることなく真正面から追及した作品に尊敬を覚えた。「政治」や「お金」や「宇宙」や「死後」を扱おうとするとき、どこに視点を置くかは大変に難しい。その意味で、真正面から、それでいて感情を極力加えず、事実のみ記録していくことは簡単なようで簡単ではない。文字通り「知の巨人」だから出来たのだ。

9年後に「二刀流」が実現したが、注意点も…

2021-06-22

私が初めて大谷翔平投手を公的に占ったのは、2012年暮れの「北海道新聞」紙上でだった。その年、彼は日ハムから1位指名を受けてプロとなったが、まだプロ野球のユニフォームに袖を通していなかった。その時点で私は、彼は日本でもアメリカでも“トップにたてる”こと、そして“二刀流で活躍できる”ことを断言した。あれから早いもので9年近くも経っている。実は、その少し前、私はたまたまTVの報道番組で初めて大谷投手の“練習している映像”を見た。もちろん高校生時代の映像だ。その時、初めて見たのだが、そこに彼の“将来”を見た。実際には“感じた”と書くのが正しい。だから、たまたまその年の暮れに新聞社からの依頼で彼を占うことになったが、実はその時に“二刀流”だということを初めて知ったのだが、投打にわたって活躍するだろうと思ったので、上記のような判断となった。現在、彼は大リーグで“投・打”で活躍しているが、今年の場合には「打」の方で注目されている。7月13日に行われる「オールスター戦」のファン投票で“断トツ”トップを走っているので、間違いなく出場するだろう。文字通り「二刀流」として、日本でも活躍し、アメリカでも活躍する存在となった。私の感じた“将来の映像”は間違ってはいなかったのだ。けれども私は、彼に対して、もう一度占っている。その時は日ハム時代で、それも投打でいちばん活躍して輝いていた年だ。私はTV局の依頼で“珍しい占い”で占うことを要求されたので「墨色判断」という占法を使った。そして、彼自身に文字を書いてもらって判断した。そうして翌年の“足の故障”を見事に言い当てた。さて、私は別に自慢がしたいわけではない。彼の“今後”を語る上で必要だから、いまの話を加えたのだ。実は、今年は大活躍で終わると思うのだが、今後に対しては“不安材料”もある。まず投げる方では“細かなコントロール”が失われてきているということ。打つ方では“空振り”が多くなってきているということ。この二つは、好調な時は目立たないが、不調になると必ず“問題”となる。一気に崩れさせていく危険性を持つ。彼は、“大リーグ型”に自分の身体を変えていった。その結果、文字通り、ボールのスピードは速くなり、打撃の飛距離は伸びた。けれども“微細な技術”が失われつつある。その点を修正していかないと、ムリをして身体を壊すことになりやすい。特に、足と肘は今後も“要注意”の箇所なのだ。

「純文学」から「犯罪小説」に変えて覚醒⁉

2021-06-21

近年、小説というものを読まなくなった。年齢のせいか一冊の小説を読み続ける持続力が失われているのだ。ましてや題名を観て“意味不明”な小説は読まない。だから、多分、書店で見つけたとしても手に取ることはなかっただろう。けれども、最初に“インタビュー記事”を読んだので、その中で私の“予感能力”にピンとくるものがあった。つまり、この作家は大成していくな…という予感だ。それが「佐藤究」という犯罪小説家だった。この5月に山本周五郎賞を得て、7月に決まる直木賞のノミネート作品でもある『テスカトリポカ』という“意味不明”な題名の注目作品が最新作だ。この意味不明な作品名は“アステカ神話の神の名”なのだそうだ。あまりメジャーな神ではない。実は、この作家はこれまでにも様々な文学賞を得ているのだが、いま一つ記憶に残らない。その理由の一つは、すべての作品の題名が解かりにくいからだ。純文学の賞を得た『サージウスの死神』、江戸川乱歩賞を得た『QJKJQ』、大藪春彦賞を得た『Ank:』など、その題名からは作品イメージが掴みにくい。したがって余程さまざまなジャンルの小説を雑多に読む人か、何かで彼の作品に触れたことがある人以外は、手に取りにくい。彼の方は“その解かりにくい題名”も個性と考えているのかもしれないが、エンターテイメントとしては少し不利な気がする。もっとも、最近はそういう題名も多くなったから、そういう“時代”なのかもしれないが…。ただ純文学と違って、エンターテイメントというのは“理解しやすいこと”も重要で、せっかく“面白く書く力”を持っているのだから、誰もが「話題にしやすいタイトル」を心掛けた方が良い。最近は日常に留まって、小説らしい小説が少なくなってきているよう感じるので、そういう意味では、久々に出現したスケールの大きな作家だけに、コンプライアンス等で崩れてしまわないことを願うばかりだ。

「クマ」「シカ」「全裸男」が出現する札幌⁉

2021-06-20

どうも最近、私が住む札幌は“危ない地域”になってきているようで、6月18日には東区の住宅街にクマが出現、次々と4人が襲われた。この日は同時に「全裸男」も出現、なぜなのか全裸なのに“マスク”だけは着用、さらには「刃物男」まで出現。極めて“危ない一日”となった。続いて昨日は西区の方に三頭のシカが出現、こちらの方は人を襲う気配がないところから“見守り”だけが行われたようだ。そういう感じで、札幌周辺にはこのところ“危険物”が多い。最初のクマに限って言えば、明らかに住宅街に“迷い込んで来た”もので、出逢った人間を反射的に襲い続けたので、半日くらい経って猟友会の銃弾によって駆除された。実は札幌では近年、クマの出現が多くなっていて、それも住宅街への出現が多い。2019年の一年間だけで131件の目撃例がある。南区の山裾付近の住宅街に出現した時には、9日間もの間、その周辺で目撃され続けた。南区の場合には、背後に山を控えているので住宅点在地域に出没するのも解からないではないが、東区の場合は完全なる住宅街で、街中と言ってもいい場所なので、知らず家を出た人が襲われる出来事が続いてしまった。一時期、北海道はクマの生息が乏しくなって、野生動物を“保護し”“野放し”するような時期が続いた。その結果、現在はクマなどが増えて山里の住宅街まで出没するようになってしまった。よく“動物愛護”の意識が強い人たちが「駆除してはいけない」などと言うが、その結果として札幌のような都会の住宅街にまで“足を踏み入れる”野生動物が出てきている以上、何も手を打たないで、放っておくのは行政として問題がある。「全裸男」や「刃物男」も取り締まらなければいけないが、言葉が通じる男たちは一般人でも何とかなるが、言葉の通じない野生動物たちには、何らかの形で“人間領域”への侵入を防がなければならない。一時期、カラスに襲われる事件も頻発したが、最近は減ったような気がする。行政が動くことで、道民や市民を“不安”かた守っていくのも、“コロナ対策”と同じように重要な課題なのだ。

「正義」ではなく「幸福」を選択した周庭氏

2021-06-19

昨年6月、香港では「香港国家安全維持法」が制定された。その結果、反発する多くの人達が香港警察によって逮捕されていったが、その中に民主活動家として早くから知られる周庭氏(24歳)も含まれていた。香港市民に影響力の強い彼女を逮捕することで、事態を鎮静化させ、力による“抑え込み”を計ったものと思われる。その意図はある程度成功し、あれだけ“暴徒化”していた香港の街中から、しだいにデモや集会が遠のいていった。それを見届けたように、香港警察は7か月間収監していた周庭氏を6月12日釈放に踏み切った。多くの報道陣が彼女を取り巻いたが、周庭氏は無言のまま用意された車へと乗り込んでいった。そして「疲れた」という表現と共に“真っ黒い画像”だけを投稿した。その後、彼女からの動静を伝える報道はない。私は、彼女は“新たな道”を歩み始めると思う。収監している間、香港警察は、というよりも正しくは「中国」は、彼女に対して“どちらを選択するか”迫ったに違いないのだ。つまり、このまま「正義」を貫こうとして何度も獄中に繋がれるか、それとも「普通の市民としての幸福」を求めるか、二者択一すべきであると迫ったのだ。十代半ばから、“自由な香港”を勝ち取ろうと努力してきた彼女だが、そうすればするほど、香港は“本土化”していった。もはや“昔の香港”“自由だった香港”を呼び戻すことは不可能に思えた。あれだけ「みんなのために…」と願って闘った過去も、色あせて見えてきた。彼女の中に「普通の…幸福」を求める気持ちが芽生えたとして、誰がそれを責められるだろう。私は、ここで遠藤周作の実話小説『沈黙』に出てくる宣教師の一人を想い出す。名前は忘れたが、彼は“キリスト教”を広めるため、長崎に上陸した何人かの宣教師の一人だ。けれども、捕まって激しい“拷問”を受け続ける。そして条件を提示される。「もしも仏教徒に改宗するなら、その後の暮らしは幕府が保証する」やがて、彼は堕ちてしまう。そして実際に仏教徒となり、妻をめとり、安楽に暮らして日本で亡くなった……

「権威」を振りかざす“笑い”は“笑い”ではない

2021-06-18

20年ぶりの“新作コント番組”「キングオブコントの会」(6月12に放送分)の視聴率について、スポーツ新聞やネットニュースなどが報じた内容に対して、芸人・松本人志氏が3度にわたって“反論ツイート”している。要約すれば、いまや“世帯視聴率”は何の価値もない。番組制作サイドが重視しているのは「コア視聴率」だけで、それが良かったので“作り手側”として、今回の放送は大成功なのだ、という趣旨の反論である。そのこと自体は一理あるので問題ないのだが、問題は彼が《これぞ勉強不足のバカライター》と記事の執筆者や報道機関をこき下ろしたことにある。いったい、いつから、この人は、そんなに“偉く”なったのだろう。報道の側は、報道する立場として、今回の番組は視聴率が6.8%だったと真実を報道している。それが「世帯視聴率」と呼ばれるもので、制作サイドが重視する“年齢”“性別”“職業”などを加味しない“家族全体の視聴率”であったとしても、他の「ドラマ」「歌番組」「ニュース」「ワイドショー」なども同じく、そういう視聴率で報道しているのだから、それに基づいての感想を記すのは当然のことなのだ。時代的なものが加味されたとしても、6.8%の視聴率は「大成功」などと言えるような数字ではない。もちろん現代は“録画”で視る場合も多く、実際の視聴率と同じではない。確かに番組スポンサーの側も、CM効果を「コア視聴率」を基に考えるようになっているのは事実だろう。けれども、10%にも満たない視聴率で、文字通り“王様”になったような言葉を吐かれても困る。彼は「笑いの世界」で生きて来た人間のはずだからだ。これが最初からコメンテーターとして活躍していた人物なら、反論は正しいが、彼は“芸人”なのだ。それとも、本人の中では、もう“芸人”との意識はなくなってしまったのだろうか。人を“笑わせる”力を失って、人を“怒る”ことで“権威”をちらつかせ始めたら、もう、その芸人は終わっている。

どんな薬より宗教より「瞬時の恋」が救う⁉

2021-06-17

世の中にはさまざまな病気がある。病院に行って、簡単に治る病気もあるが、なかなか治せない病気もある。彼女の場合、病気は脳下垂体に出来た腫瘍にあった。その腫瘍自体は“良性”だったので「命」に別状はなかった。ただ、その腫瘍が原因で成長ホルモンが過剰に分泌される「巨人症」という病気に掛かっていたのだ。その結果、その原因が判明した時には既に身長2mを超えていた。結果的に彼女の成長は207㎝まで続いた。もっと早くに原因が判明していれば、途中で成長を止めることが出来たかもしれない。けれども、両親はその治療費などを捻出できなかった。「巨人症」が判明したのも、テレビ局が“番組出演”と引き換えに、“検査費用を全額持つ”という条件に応じたからだった。それまでずっと身体の“骨の痛み”や“頭部の痛み”が続いていた。テレビ番組に出演することで、これらの“痛み”や“将来への不安”から解放されたかった。実際、適切な治療を受けたことで“痛み”は消えていった。こうして、ブラジルに住むエリザーネ・シルバ氏(当時16歳)は肉体的“苦痛”からは解放されたが、学校での“イジメ”は、その後もずっとついてまわった。とうとう17歳の時には“心の病”を発症し、引き籠りのようになってしまった。ところが、奇妙なことが起こった。或る日、未来の夫となるフランシナルド・カルヴァーリョ氏に出逢った時、なぜか彼女は瞬時で恋に落ちたのだ。そして、自分の方から積極的に行動した。カルヴァーリョ氏は男性としてはむしろ“小男”だった。163㎝しかない。その差は44㎝もある。それなのに“瞬時の恋”は彼女を積極的にした。最初うろたえていたカルヴァーリョ氏だったが、身長差そのものには違和感を抱かなかった。こうして彼女の“想い”は通じて4年後の2015年には結婚できたのだ。その後に子供まで生まれている。彼女はいま、高身長を活かしてモデルとして活躍している。いったんは完全に“心を閉じた”彼女が「恋の病」によって“人生の挑戦者”に変わったのだ。

迷走する「N党」、新しい「古い党」も失敗⁉

2021-06-16

いちばん最初に「NHKから国民を守る党」という名称を観た時には、正直、首を傾げた。どういう意味なのか分からなかったし、誰が起こしたのかもわからなかった。やがて、私だけでなく、多くの人が立花孝志氏という“個性的な人物”を知ることになる。確かにNHKの受信料金は高い。視ていないのに集金されるシステムも理解しがたい。だから、立花氏を応援しようとする人物が多数いたのも理解できる。ただ立花氏という人物は、途中から“お騒がせ”的な部分が多くなった。一つには、あれこれと簡単に変えすぎることだ。いつの間にか党名も「NHKから国民を守る党」から「古い政党から国民を守る党」に変わっていた。私は最初から「N党」だと、“それだけの党”と思われるから「長期的に考えると失敗だな」と思っていた。案の定、それだけでは政党として“のびしろ”がない。焦った党首・立花氏は「古い政党から国民を守る党」に名称変更した。けれども、これが大失敗なのだ。選挙の時、放送とか新聞とかでは“略称”が示されることが多い。例えば正式名称「自由民主党」は通常「自民党」と呼ばれる。同じように「古い政党から国民を守る党」という長ったらしい政党名はほとんどの場合「古い党」と呼ばれ、記される。本来は“古い政党”の“しがらみ政治”から国民を守る党という意味であったはずだが、そんなことは記憶のかなたに追いやられる。「古い党」と何回も呼ばれている内に、だんだん、その党内に居る本人たちも“古い政治家たち”のように見えてくる。けっして“新しい政党”には見えなくなってしまうのだ。このところ立花氏は公私とも“善い事”がない。NHKの受信料の集金担当者に付き纏いながら撮影し、動画投稿していたのは「業務妨害だ」として、党や党首などに1100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が昨日、東京地裁で下された。結果は業務妨害が一部認められ、330万円の罰金刑となった。まあ当然のことで、或る種のストーカー行為で標的となった集金担当員が可哀想である。このような動画投稿では反発をくらうだけだと、どうして気付かないのだろう。もし、行うならNHKの幹部に“質問回答を迫る”ような動画とすべきだ。それなら、少しは賛同票が得られる。「古い党」が新しく生まれ変わるためには、根本的な戦略の“見直し”が必要なようである。

林眞須美の「長女の自殺」が“警告”するもの

2021-06-15

ときどき人は自分以外のことで“運命の十字架”を背負わなければならないことがある。1998年7月に起きた「和歌山カレー事件」で“犯人”と疑われ逮捕された林眞須美の長女は、両親が逮捕された時から「犯人(⁉)の娘」という“重い十字架”を背負わなければならなくなった。両親とも逮捕されたことで、その子供たち3人は児童養護施設へと預けられた。しっかり者の長女は、その日から“下のふたり”に対し“母親代わり”の役を演じなければならなかった。逮捕される直前、母親と長女とは、大切な会話を交わしている。マスコミが騒ぐので、長女自身も「もしかしたら…」という疑いをほんの少し抱いていたのだ。母親は「逮捕されるかもわからん」と長女に告げた。「ほんまだったん⁉」本当に犯人なのか、と母に問うたのだ。「お前はバカか、やっとるわけないやろ、すぐ帰ってくる」それが、母親との“最後の会話”になった。その日から、母親は帰らず、自分達も施設暮らしとなった。永い月日が経って、母親は「死刑囚」となり、そういう事情を知った上で、それでも良い、という夫と巡り合い結婚をした。そうして子供も生まれて、見知らぬ人が見れば「幸せそうな家族」にも見えた。けれども「犯人の娘」というレッテルは、常についてまわった。“似たような事件”が起こるたび「和歌山カレー事件」が引き合いに出された。その日「幸せそうだった家族」から、一人が抜け落ちた。また母親の「再審請求」が出されて受理されたが、もうどうでもよかった。やっぱり、幸せになどなれない。「幸せそうだった…」だけなのだ。4歳の“我が児”を道ずれにして「関空橋」から飛び降りた。これで、すべてが終わる。「ごめんね」と我が子に言った。その日6月9日のニュースには「関空橋転落死」として、短く母娘が“転落死”しているのが見つかった、とだけ伝えていた。

理由なき「恐怖の予感」を無視してはならない

2021-06-14

人には誰でも「潜在意識」というものがある。そして、その潜在意識は“未来”と繋がっている。したがって潜在意識から発せられた“予感”は、AIによる“予測”よりもはるかに信じられる場合が多い。イギリスのバーミンガムに住むケイデン・バレット氏は、その事件が起こる前夜に妹の「予感」を受け止めながら、聞き流してしまったことを深く後悔している。その晩、妹のキーラは兄のケイデンに向かって「グッチに噛まれるような気がして怖いの」と怯えながら言ったのだ。一瞬、兄には妹の言っていることの意味が解らなかった。グッチというのは、彼が妹のため4カ月ほど前にプレゼントした保護犬だった。とても大人しく、兄妹に良くなついていた。妹のキーラが怯えながら話した時、そのグッチは暖炉の近くですやすやと眠っていた。これまでにも兄妹を襲って来るようなことはなかった。どうしてそんなことを突然言い出したのか、兄には解からなかった。元々、妹には情緒不安定なところがあった。医学的には「パーソナリティ障害」という診断が下っていた。そういう点もあって、情緒の安定に役立つという保護犬をプレゼントしたのだ。そのせいか、最近は比較的情緒も安定していた。もしかして…と、兄は「薬は飲んだの」と妹に訊いた。案の定、妹は最近調子が良いから飲んでいないわ、と不安気に答えた。「きっと、そのせいで、変なこと思うんだよ、薬を飲んで寝た方が良い」妹のキーラ自身も、そうよね、と自分に言い聞かすような感じで、その話を終えた。翌日、兄が仕事に出かけた時、妹はまだ寝室に居た。だから、声を掛けなかった。そして、帰宅してみると、妹のキーラは血塗れになって横たわっていたのだ。部屋の隅には、うずくまるような感じの保護犬グッチが居た。こうして、妹の予感は見事に当たって、グッチに噛まれて死亡してしまった。警察による調べでも、何が原因だったかは謎のままであった。「癒し」を与えられるはずと信じてプレゼントした犬だったが、前日まで仲良く暮らしてきたブルテリア犬だったが、妹の予見は理由もわからぬまま的中してしまったのだ。

なぜか「やせ衰えた猪木」にはみんな優しい

2021-06-13

私は普段あまり読まないが、ヤフーなどの“ネット記事”には、その記事に対して読者からのコメントが掲載されている。私が驚いたのは「アントニオ猪木」の現在の病状を掲載した記事に対しての読者コメントだ。元々、現在の猪木氏はYouTube動画で自分の闘病中の姿を投稿している。それが現在の使命でもあるかのように、包み隠さずリハビリ中の姿などを投稿している。かつての猪木氏からは想像できない“弱々しい姿”からの投稿が多い。ところが、そういう猪木氏の姿に対して、なぜかネット民は優しいのだ。読者コメントを読んでいくと、ほとんどの人が彼を称え、彼の“生き方”にエールを送っている。かつては彼のパフォーマンス的な行動に批判的だったような人ですらも、やせ衰えた猪木氏には優しい。その全盛期には“無敵”を誇った猪木氏も、病魔には勝てず、ここ数年はあちこちに故障を抱えているようで、完全に体力を奪われてしまった。或る意味で“痛々しい姿”とも言えるのだが、その姿を世間に“さらす”ことに対して“批判コメント”を見掛けないのは、やはり、かつての「雄姿」が鮮明に読者の脳裏に刻み付けられているからだろう。今ならコンプライアンスで問題になる「闘魂ビンタ」と呼ばれた彼の“平手打ち”も、彼だけには許され、山のように志願者があふれていた。あれは、いったい何だったのか。数週間前、たまたまBSで再放映されていた“異種格闘技戦”を録画で観たが、現代のレスラーたちとは何かが違うのだ。それは「日本人みんなの魂を背負っている」とでもいうか、大昔の武将を感じさせるオーラが立ち上っていた。日本の高度成長期には“彼”が必要だったのだ。いまは、或いはこれからは、誰が“みんなの魂”を背負っていけるのだろう。

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