20年ぶりの“新作コント番組”「キングオブコントの会」(6月12に放送分)の視聴率について、スポーツ新聞やネットニュースなどが報じた内容に対して、芸人・松本人志氏が3度にわたって“反論ツイート”している。要約すれば、いまや“世帯視聴率”は何の価値もない。番組制作サイドが重視しているのは「コア視聴率」だけで、それが良かったので“作り手側”として、今回の放送は大成功なのだ、という趣旨の反論である。そのこと自体は一理あるので問題ないのだが、問題は彼が《これぞ勉強不足のバカライター》と記事の執筆者や報道機関をこき下ろしたことにある。いったい、いつから、この人は、そんなに“偉く”なったのだろう。報道の側は、報道する立場として、今回の番組は視聴率が6.8%だったと真実を報道している。それが「世帯視聴率」と呼ばれるもので、制作サイドが重視する“年齢”“性別”“職業”などを加味しない“家族全体の視聴率”であったとしても、他の「ドラマ」「歌番組」「ニュース」「ワイドショー」なども同じく、そういう視聴率で報道しているのだから、それに基づいての感想を記すのは当然のことなのだ。時代的なものが加味されたとしても、6.8%の視聴率は「大成功」などと言えるような数字ではない。もちろん現代は“録画”で視る場合も多く、実際の視聴率と同じではない。確かに番組スポンサーの側も、CM効果を「コア視聴率」を基に考えるようになっているのは事実だろう。けれども、10%にも満たない視聴率で、文字通り“王様”になったような言葉を吐かれても困る。彼は「笑いの世界」で生きて来た人間のはずだからだ。これが最初からコメンテーターとして活躍していた人物なら、反論は正しいが、彼は“芸人”なのだ。それとも、本人の中では、もう“芸人”との意識はなくなってしまったのだろうか。人を“笑わせる”力を失って、人を“怒る”ことで“権威”をちらつかせ始めたら、もう、その芸人は終わっている。
世の中にはさまざまな病気がある。病院に行って、簡単に治る病気もあるが、なかなか治せない病気もある。彼女の場合、病気は脳下垂体に出来た腫瘍にあった。その腫瘍自体は“良性”だったので「命」に別状はなかった。ただ、その腫瘍が原因で成長ホルモンが過剰に分泌される「巨人症」という病気に掛かっていたのだ。その結果、その原因が判明した時には既に身長2mを超えていた。結果的に彼女の成長は207㎝まで続いた。もっと早くに原因が判明していれば、途中で成長を止めることが出来たかもしれない。けれども、両親はその治療費などを捻出できなかった。「巨人症」が判明したのも、テレビ局が“番組出演”と引き換えに、“検査費用を全額持つ”という条件に応じたからだった。それまでずっと身体の“骨の痛み”や“頭部の痛み”が続いていた。テレビ番組に出演することで、これらの“痛み”や“将来への不安”から解放されたかった。実際、適切な治療を受けたことで“痛み”は消えていった。こうして、ブラジルに住むエリザーネ・シルバ氏(当時16歳)は肉体的“苦痛”からは解放されたが、学校での“イジメ”は、その後もずっとついてまわった。とうとう17歳の時には“心の病”を発症し、引き籠りのようになってしまった。ところが、奇妙なことが起こった。或る日、未来の夫となるフランシナルド・カルヴァーリョ氏に出逢った時、なぜか彼女は瞬時で恋に落ちたのだ。そして、自分の方から積極的に行動した。カルヴァーリョ氏は男性としてはむしろ“小男”だった。163㎝しかない。その差は44㎝もある。それなのに“瞬時の恋”は彼女を積極的にした。最初うろたえていたカルヴァーリョ氏だったが、身長差そのものには違和感を抱かなかった。こうして彼女の“想い”は通じて4年後の2015年には結婚できたのだ。その後に子供まで生まれている。彼女はいま、高身長を活かしてモデルとして活躍している。いったんは完全に“心を閉じた”彼女が「恋の病」によって“人生の挑戦者”に変わったのだ。
いちばん最初に「NHKから国民を守る党」という名称を観た時には、正直、首を傾げた。どういう意味なのか分からなかったし、誰が起こしたのかもわからなかった。やがて、私だけでなく、多くの人が立花孝志氏という“個性的な人物”を知ることになる。確かにNHKの受信料金は高い。視ていないのに集金されるシステムも理解しがたい。だから、立花氏を応援しようとする人物が多数いたのも理解できる。ただ立花氏という人物は、途中から“お騒がせ”的な部分が多くなった。一つには、あれこれと簡単に変えすぎることだ。いつの間にか党名も「NHKから国民を守る党」から「古い政党から国民を守る党」に変わっていた。私は最初から「N党」だと、“それだけの党”と思われるから「長期的に考えると失敗だな」と思っていた。案の定、それだけでは政党として“のびしろ”がない。焦った党首・立花氏は「古い政党から国民を守る党」に名称変更した。けれども、これが大失敗なのだ。選挙の時、放送とか新聞とかでは“略称”が示されることが多い。例えば正式名称「自由民主党」は通常「自民党」と呼ばれる。同じように「古い政党から国民を守る党」という長ったらしい政党名はほとんどの場合「古い党」と呼ばれ、記される。本来は“古い政党”の“しがらみ政治”から国民を守る党という意味であったはずだが、そんなことは記憶のかなたに追いやられる。「古い党」と何回も呼ばれている内に、だんだん、その党内に居る本人たちも“古い政治家たち”のように見えてくる。けっして“新しい政党”には見えなくなってしまうのだ。このところ立花氏は公私とも“善い事”がない。NHKの受信料の集金担当者に付き纏いながら撮影し、動画投稿していたのは「業務妨害だ」として、党や党首などに1100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が昨日、東京地裁で下された。結果は業務妨害が一部認められ、330万円の罰金刑となった。まあ当然のことで、或る種のストーカー行為で標的となった集金担当員が可哀想である。このような動画投稿では反発をくらうだけだと、どうして気付かないのだろう。もし、行うならNHKの幹部に“質問回答を迫る”ような動画とすべきだ。それなら、少しは賛同票が得られる。「古い党」が新しく生まれ変わるためには、根本的な戦略の“見直し”が必要なようである。
ときどき人は自分以外のことで“運命の十字架”を背負わなければならないことがある。1998年7月に起きた「和歌山カレー事件」で“犯人”と疑われ逮捕された林眞須美の長女は、両親が逮捕された時から「犯人(⁉)の娘」という“重い十字架”を背負わなければならなくなった。両親とも逮捕されたことで、その子供たち3人は児童養護施設へと預けられた。しっかり者の長女は、その日から“下のふたり”に対し“母親代わり”の役を演じなければならなかった。逮捕される直前、母親と長女とは、大切な会話を交わしている。マスコミが騒ぐので、長女自身も「もしかしたら…」という疑いをほんの少し抱いていたのだ。母親は「逮捕されるかもわからん」と長女に告げた。「ほんまだったん⁉」本当に犯人なのか、と母に問うたのだ。「お前はバカか、やっとるわけないやろ、すぐ帰ってくる」それが、母親との“最後の会話”になった。その日から、母親は帰らず、自分達も施設暮らしとなった。永い月日が経って、母親は「死刑囚」となり、そういう事情を知った上で、それでも良い、という夫と巡り合い結婚をした。そうして子供も生まれて、見知らぬ人が見れば「幸せそうな家族」にも見えた。けれども「犯人の娘」というレッテルは、常についてまわった。“似たような事件”が起こるたび「和歌山カレー事件」が引き合いに出された。その日「幸せそうだった家族」から、一人が抜け落ちた。また母親の「再審請求」が出されて受理されたが、もうどうでもよかった。やっぱり、幸せになどなれない。「幸せそうだった…」だけなのだ。4歳の“我が児”を道ずれにして「関空橋」から飛び降りた。これで、すべてが終わる。「ごめんね」と我が子に言った。その日6月9日のニュースには「関空橋転落死」として、短く母娘が“転落死”しているのが見つかった、とだけ伝えていた。
人には誰でも「潜在意識」というものがある。そして、その潜在意識は“未来”と繋がっている。したがって潜在意識から発せられた“予感”は、AIによる“予測”よりもはるかに信じられる場合が多い。イギリスのバーミンガムに住むケイデン・バレット氏は、その事件が起こる前夜に妹の「予感」を受け止めながら、聞き流してしまったことを深く後悔している。その晩、妹のキーラは兄のケイデンに向かって「グッチに噛まれるような気がして怖いの」と怯えながら言ったのだ。一瞬、兄には妹の言っていることの意味が解らなかった。グッチというのは、彼が妹のため4カ月ほど前にプレゼントした保護犬だった。とても大人しく、兄妹に良くなついていた。妹のキーラが怯えながら話した時、そのグッチは暖炉の近くですやすやと眠っていた。これまでにも兄妹を襲って来るようなことはなかった。どうしてそんなことを突然言い出したのか、兄には解からなかった。元々、妹には情緒不安定なところがあった。医学的には「パーソナリティ障害」という診断が下っていた。そういう点もあって、情緒の安定に役立つという保護犬をプレゼントしたのだ。そのせいか、最近は比較的情緒も安定していた。もしかして…と、兄は「薬は飲んだの」と妹に訊いた。案の定、妹は最近調子が良いから飲んでいないわ、と不安気に答えた。「きっと、そのせいで、変なこと思うんだよ、薬を飲んで寝た方が良い」妹のキーラ自身も、そうよね、と自分に言い聞かすような感じで、その話を終えた。翌日、兄が仕事に出かけた時、妹はまだ寝室に居た。だから、声を掛けなかった。そして、帰宅してみると、妹のキーラは血塗れになって横たわっていたのだ。部屋の隅には、うずくまるような感じの保護犬グッチが居た。こうして、妹の予感は見事に当たって、グッチに噛まれて死亡してしまった。警察による調べでも、何が原因だったかは謎のままであった。「癒し」を与えられるはずと信じてプレゼントした犬だったが、前日まで仲良く暮らしてきたブルテリア犬だったが、妹の予見は理由もわからぬまま的中してしまったのだ。
私は普段あまり読まないが、ヤフーなどの“ネット記事”には、その記事に対して読者からのコメントが掲載されている。私が驚いたのは「アントニオ猪木」の現在の病状を掲載した記事に対しての読者コメントだ。元々、現在の猪木氏はYouTube動画で自分の闘病中の姿を投稿している。それが現在の使命でもあるかのように、包み隠さずリハビリ中の姿などを投稿している。かつての猪木氏からは想像できない“弱々しい姿”からの投稿が多い。ところが、そういう猪木氏の姿に対して、なぜかネット民は優しいのだ。読者コメントを読んでいくと、ほとんどの人が彼を称え、彼の“生き方”にエールを送っている。かつては彼のパフォーマンス的な行動に批判的だったような人ですらも、やせ衰えた猪木氏には優しい。その全盛期には“無敵”を誇った猪木氏も、病魔には勝てず、ここ数年はあちこちに故障を抱えているようで、完全に体力を奪われてしまった。或る意味で“痛々しい姿”とも言えるのだが、その姿を世間に“さらす”ことに対して“批判コメント”を見掛けないのは、やはり、かつての「雄姿」が鮮明に読者の脳裏に刻み付けられているからだろう。今ならコンプライアンスで問題になる「闘魂ビンタ」と呼ばれた彼の“平手打ち”も、彼だけには許され、山のように志願者があふれていた。あれは、いったい何だったのか。数週間前、たまたまBSで再放映されていた“異種格闘技戦”を録画で観たが、現代のレスラーたちとは何かが違うのだ。それは「日本人みんなの魂を背負っている」とでもいうか、大昔の武将を感じさせるオーラが立ち上っていた。日本の高度成長期には“彼”が必要だったのだ。いまは、或いはこれからは、誰が“みんなの魂”を背負っていけるのだろう。
平井デジタル改革相の受注業者に対する「恫喝」ともとれる“発言”が問題となっている。これは実際には役所の担当部下に対しての発言で、直接、彼自身が受注業者に対して恫喝をしたわけではない。けれども、その言い方は、ヤクザが一般人を恐喝・恫喝するのと“同様の手口”であり、とても大臣の言葉として通用するものではない。ただ単に部下に対して「舐められるなよ」と示唆したものとは受け止め難い。実は平井卓也大臣の四柱推命式では“興味深い徴”が見てとれる。その干支構成で、月干の部分のみ「劫財」が表出している。この月干のみ「劫財」が表出する人達は、例外なく“事件トラブル”に巻き込まれやすい。その第一は“金銭面のトラブル”で、その第二は“恋愛面のトラブル”である。今回の“恫喝発言”も、要するに「お金」の問題である。彼自身が、街の“成り上がり社長”ではなく、自分が“国の大臣”であることを自覚していたなら、あのような発言にはならなかったであろう。ただ、もちろん大臣の“恫喝発言”も大問題なのだが、同時に私は、それを録音してマスコミに流した“役所幹部”の方にも、大いに疑問を感じるのだ。確かに、恫喝を行えと部下に命ずるような大臣は問題がある。けれども、だからと言って、その“指示の内容”を録音して、マスコミに流すという行為は、国の関係機関に関わるものとして許されるものではない。おそらく、役所の担当者数人しか居ない場所での会話録音なのだ。大臣と役所幹部の会話というのは、時として“国家機密”に関わる場合もある。そういう会話を“問題”だからと言って、すぐにマスコミに持ち込むのは、役所勤めとして、どうなのだろう。そういう人は“役所”には向いていないのだ。大臣に代わって民間業者と交渉にあたるのが“担当幹部”なのだから、ちくいち大臣の言葉を伝える必要はなく、あくまでも“大臣の意志”を踏まえながら交渉事を行えば良い。元々「お役人」という仕事は“そういう仕事”なのだから、それが嫌なら、そうそうに役所を辞め“政治評論家”とか“野党側からの政治家”とかを目指した方が良い。実際に、そうやって活躍されている人物が多数いるではないか。少なくとも、“現役の役人”である限りは、秘密保持と大臣絶対主義は貫かなければならないのだ。
中米にある小さな国がエルサルバドルだ。この国の国民の多く(7割以上)は「銀行口座」というものを持っていない。したがって日常生活では“困る事態”に遭遇することも多い。そこで、何とかその悩みに応えるべく、2年前に誕生した若き大統領は、議会を通じて“新しい法案”を通過させた。その法案とは「暗号資産(仮想通貨)」であるビットコインを“法定通貨”として採用する議案で、このほど賛成多数で議会を通過させた。したがって今後はドルと共に法定通貨として、つまり国が認めた“お金”としてビットコインは流通される。早い話が、現金を持っていなくてもビットコインをスマホに入れておけば暮らしていけます、ということになった。私はそれより国民すべてに「銀行口座」を持たせた方が早いような気もするが、この国には、この国の“やりかた”があるらしい。ただ現実問題として、ビットコインが暮らしの中で使用されると問題点もいろいろと出てくる。とにかく、この通貨は価格変動が激しい。ドル円換算のように“落ち着いて”いないのだ。例えば3カ月前の円換算と現在の円換算とでは“半分くらい”の値しかない。仮に3カ月前まで1ビットコイン=70万円だったとすれば、今ではその半分の35万円くらいにしかならないようなものである。元々が“仮想通貨”なので、暮らしに使われる通貨と違って値動きが激しい。したがって、日常の飲食や買い物などで用いるのは、かなり難しいのが実情なのだ。一部では“法定通貨”に定めても、実質的には定着しないのではないか、と言われている。しかしブケレ大統領としては、これを普及させることで、税金の支払いや各種サービスなども受けやすくなると主張している。もっとも、この先ビットコインが急騰するなら、国民の暮らしは一気に豊かになっていく……に違いない⁉
タレントの壇蜜氏とフリーアナの加藤綾子氏の二人に対して“心配の声”が出ている。壇蜜氏に関しては“聖火リレーランナー”として出場したが、あまりに“痩せすぎ”ていて、心身に支障をきたしているのではないか、という心配の声だ。一方の加藤綾子氏に関しては“電撃結婚”で注目の的となったが、そのお相手が判明し、ご主人が再婚だったこと、数年前にTBS女性アナウンサーと“路上キス”を展開し、その場面を写真誌に掲載されている過去があったことなどが明らかとなった。もちろん、過去の話で“似たような相手”を好きになるケースはよくあることで、必ずしも、それが“浮気の伏線になる”と決めつけることは出来ない。けれども「大丈夫か」という心配の声が上がることも、自然な成り行きではある。むしろ加藤氏の場合、最初から相手を「年商2000億円の事業経営者」と公開しておいた方が、あら捜しをされることもなかったような気はする。もちろん、結婚直後に“お相手の問題”が発覚したのは彼女が最初ではない。先に離婚が判明した小川彩佳氏もそうであるし、結婚生活を継続している菊川怜氏もそうである。特に、菊川氏の方は“お相手の状況”などが、加藤氏に似ていなくもない。したがって加藤氏も早めに“母親”になってしまえば、とやかく言われることはなくなるかもしれない。一方の壇蜜氏の方であるが、こちらは最初から「別居婚」という形で結婚し、その形のままで継続している。特別、双方とも“不倫”等の噂はない。少なくとも報道されてはいない。双方とも合意の上で始めた「別居婚=週末婚⁉」の詳細は解からないが、壇蜜氏が爬虫類など多数の動物を自宅で購入していることが、通常の“結婚形態”の妨げになっているようだ。したがって“別居”自体に問題があるのではなく、それ以外で“何らかの問題”が生じてきている可能性がある。単に“痩せた”というだけでなく、なんとなく“辛そうな雰囲気”が壇蜜氏から窺われるからだ。彼女自身は、ラジオの中で、こういった噂を強く否定している。元々痩せているので、特別ではない、というのだ。だが、私は同じような否定の仕方を、かつて川島なお美氏が行っていたことを想い出す。そういう意味からは、早い段階で、何らかの手立てが必要かもしれない。加藤綾子氏も、壇蜜氏も、共に生れ日が四柱推命の“神殺”で「魁罡」日にあたる。これは、決して悪い星ではなく、“北極星”のように「人々が指針とする人物」になり得ることを暗示している。加藤氏の場合は、月干支も「魁罡」干支で、より“そういう役割”を持っていることを意味する。それだけに、今後、どういう選択を択ぶか、注目すべき時期に来ている、と言えそうだ。
人生にはときどき“予期せぬ出来事”が起こる。その“予期せぬ出来事”で、人生は大きく変わる。そこから逃げ出したくても、逃げ出せない場合がある。プロレスラー高山善廣氏の妻・奈津子氏の場合がそうである。夫と出逢った頃には「腹筋はバキバキに割れ、仮面ライダーのようだった…」と回想する。彼女はいま「夫」のリハビリ状況を、高山善廣氏に代わって、時折ブログの中で報告している。夫は、かつて「帝王・高山」と呼ばれるほどのトップレスラーだった。日本人には珍しいほどの長身で、初期の頃はやせていたが徐々に肉が付き、押しも押されもしない豪快なファイトで人気を集めた。タレント性もあったので、TVのバラエティにも出演することが多くなった。ただ所属団体はしばしば変わり、主戦場も変化していった。2017年5月にはDDTプロレスの豊中大会に出ていた。そこで試合中に怪我をして救急搬送されたのだが、首から下が動かなくなり、頸髄完全損傷と診断された。一時的には“身動き一つ出来ない身体”となってしまうのではないか、と懸念されたが、懸命のリハビリで、少しくらいは動くところまで完全されてきた。その途中経過を、随時ファンに報告し続けているのが妻の奈津子氏なのだ。私の記憶が確かなら、正式に結婚して間もない段階で長期入院リハビリ生活になったのだと思うが、それでも、夫にずっと寄り添って、逐一リハビリの途中経過についてブログの中で報告し続けている。通常なら、このような状態であれば、少なくとも“現状報告”に関しては投げ出してしまいそうなものだが、夫人はこの5年間、ずっとファンに向けて現状を報告し続けている。最悪期は脱したと言うものの依然、身動きできる範囲は乏しく、実質的には首から下は動かないままのようだ。それでも「一進一退だけど、地味に、地味に、ちょっとずつ、ちょっとずつ、良くなっている…」まるで、自分自身に呪文を掛けるように彼女は書く。その文章からは、昔、腹筋がバキバキに割れていた頃の、文字通り「帝王」として活躍していた頃の“想い”が詰まっているに違いない。そして、そのことで、なぜか十分な気がする。
昨日、京都市上京区にある立本寺の敷地内にある「お堂」から“仏像が盗まれた”と通報があった。6月7日早朝、いつも立本寺へとお参りにやってくる信心深い人物が「お堂」から無くなっている「仏像=月天子」に気付いたのだ。その仏像は50㎝くらいの大きさで仏像としては小さめだが、制作時の着色が今でも残っている美しいものだ。1700年代には既に存在していたが、誰が彫像したのかはわからない。したがって、どれほどの貨幣価値がある作品なのかもわかっていない。「月天子」と呼ばれるだけあって、正確には“仏像”というより“月の化身”で、月珠(ウサギが描かれた満月)を手にする形象となっている。実は「月天子」というのは“画像”として描かれることはあるが、彫像として立像化されているものは大変に珍しく、その意味でも貴重な作品なのだ。ただ元々“月の化身”なので、月の光が届くよう敷地内の「お堂」に安置してあったと思われる。けれども一応“仏像”でもあるので、眉間中央上部には“ホクロ”ではない「白毫(びゃくごう=光を放つ毛)」が突き出ている。一体、誰が、深夜にこの仏像を盗み出したのだろう。まず、この仏像は多くの人に知られた存在ではない。このお寺自体も特別有名と言えるほどの寺ではない。しかも、敷地内とはいえ、外に安置してあったということは、珍しい彫像ではあっても、特別価値ある彫像だったわけではない。関係者によると「お宝」としての金額もつけようがないらしい。そのようなものを、わざわざ“盗み出す”ということは、余程、この彫像そのものに対しての“愛着”や“想い入れ”がなければ行わないのではないだろうか。夜に来て、持っていったということは、以前に来たことがあり、実際に視て“持ち帰りたい”願望が強まったからではないだろうか。少なくとも“壊す”とか“売り渡す”とかの心配はないような気がする。もしかすると、これまで「月天子」を熱心に信仰してきた人物の“異常愛”が招いた犯行なのかも…。
自らのラジオ番組内でTBS社長と“面接対談”を行うことを明かし、その内容に関しても“明らかにする”と述べていた安住紳一郎アナだったが、なぜか6月6日の放送では、その詳細に関しては明らかにしなかった。もちろんTBSの“看板”である安住氏は、この秋からTBSの社運を賭けた“TBS系列のワイドショー”「朝の顔」として登場することが決まっている。有吉弘行氏との結婚で芸能界を引退する夏目三久氏の“後番組”だが、視聴率が低迷し続けているだけに“社会派”の一面と、“ユーモア派”の一面と、“人情派”の一面と、巧みに使い分けられる安住氏は「朝の顔」としては申し分がない。おそらく視聴率の点でも、どちらかと言えば“早朝型会社員”や“年齢層の高い人たち”が視聴しやすい時間帯だけに、会社員の気持を理解し、高齢者受けが好い安住氏にとって有利であると思われる。占星学的な観点からも、時期として彼自身の“能力を発揮しやすい時期”にスタートできるので、成功するのではないかと思われる。ただ私には一つ気になることがある。彼が独身であることだ。“早朝番組”は家を出るのが早く、夜は早めに就寝しなければならない。生活を完全な“早朝型”のリズムに切り替えなければならない。奥様が居た方が、形を整えやすい。もし番組が何年も続いた場合、途中から結婚生活に切り替えるのは相当な努力がいる。それに“早朝型”の彼と、新たに恋愛から結婚に至るのはなかなかに難しい。そのような点を考えれば、既に相手がいる場合、早急に結婚してしまうのが本当は良い。実は彼の結婚の時期として、もっともふさわしいのは今年の年末頃なのだ。おそらく、新番組にも慣れた年末になって、“まとまった休み”を得られるその時期になっての“結婚”が、彼の惑星配置から観ると理想的なのだ。そして、もし、この時期を逃すと仕事は順調でも、プライベートはなかなか思うようにならない状況が続くのではないだろうか。
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