2月, 2022年

アメリカで「自動車離れ」が急ピッチで進む⁉

2022-02-04
いつの間にか日本では、若者たちの「自動車離れ」が進んでいた。一番の理由は“経済的なもの”だが、そればかりでなく現代の若者にとって自動車は、スマホのような“必需品”ではなくなったことにある。日本のことは何となく周りを見ていれば誰でも気付くことだが、それが“我が日本”だけではなく、アメリカにおいても同様になりつつあるのをご存じだろうか。狭い国土の日本と違って、アメリカや中国では“車は必需品”だろうと私は思っていた。ところが、少なくともアメリカにおいては、そうではなくなりつつある。昔、アメリカ人にとって自家用車は「自由と自立の象徴」だった。車は“利用するもの”ではなく、“所有するもの”だった。それが一種のステータスでもあった。そのピークは1980年代前半で、実にアメリカ人の20歳~24歳の若者の92%が車の免許を取得していた。ところが、その頃をピークとして“免許の取得率”が下がり始めている。4年ほど前の統計では80%以下まで下がってきている。ガソリン価格の上昇や“脱酸素の意識”で環境への影響に敏感なアメリカの若者は、ますます“車を所有すること”に消極的になっている。あの広い国土で大丈夫なのかと心配になるが、新たな産業である“自動宅配”や“送迎サービス”や“通販”の普及が、暮らしを変えつつある。実はあまり重要と思われていないが、結婚相手の「求め方が変わった」ことも、その理由として大きいのだ。つまり現代は足を使わず、オンラインを使って“出逢い”を求めるとか、“デートアプリ”を使って無駄のない恋愛をするとかの工夫がされている。昔、アメリカの男性たちは車の中で「プロポーズする」というのも、一つの流行だったようだが、いまはそれも無くなった。つまり、実質的な必要性が薄れてきているのだ。それに、アメリカは日本以上に奨学金を使って大学に進学する若者が多い。経済的な理由以前に“自立している証”として、親の援助を受けまいとするのだ。したがって、そういう制度は発達しているが、それは同時に学生時代に“借金を背負う”ことでもある。そんな状態で就職してすぐに“車を買う”というのは実質的にも難しい。車には余計な維持費もかかり、実質的な価値が乏しくなったら、購入しなくなるのは必然でもある。世界をリードするアメリカの若者たちが急速に“車離れ”をしていったとき、中国やインドがそれに続けば、もはや日本の“お家芸”である自動車産業自体も危うくなっていく……。

産まれる前から「未婚の母」を名乗れる時代

2022-02-03
時代が進んで“悪くなった”と感じることも多いが、その一方で“良くなった”と感じることも多い。どっちの方が多いかは微妙だが、少なくとも“未婚女性”にとってはプラスの部分が多くなった気がする。その一つが「未婚の母」だ。大昔から「未婚の母」は居たが、それこそ昔風な言い方をすれば“日陰の身”で、産まれた子供は“必ず不幸”と相場が決まっていた。それが現代は「未婚の母」は珍しくなくなったし、そういう形で産まれたからといって「不幸になる」とも決めつけられない。また未婚の母親自身も“不幸”などと決めつけられない。それが一つの“選択”という形となった。文字通り、そういう形で「未婚の母親になる選択をしました」と公表したタレント兼社長が居る。昔「恋のから騒ぎ」という番組から芸能界に入り、レースクイーン等となって活躍、その後に自信が芸能事務所を設立して社長となった一色亜莉沙氏(33歳)である。彼女は自ら4月上旬に“未婚のまま”男児を出産することを選択したと公表した。これまで何回か相手男性との話し合いを持った結果としての“選択である”ことを明かしている。“多様性”を受け入れる現代という風潮が、自らそれを語らせたのだろう。そこには昔のような“日陰者”風なイメージがまったくない。むしろ、最初から公的に宣言することで「変な詮索をされなくて済む」という気持ちがあるのかもしれない。或いは社長として、自らの“生き方”を示すことで、自分に続く女性たちを“タレントとして育てていきたい”という気持ちがあるのかもしれない。確かに自らが昔出て来た「恋のから騒ぎ」は、男女間の“さまざまな恋愛事情”をあからさまに語ることで注目を集めた番組だった。タレント予備軍ともいうべき20歳前後の女子大生とかOLとかフリーターとかが赤裸々に“自らの私生活”をぶっちゃけることで「新しい時代の女性たち」を視ているものに感じさせたものだった。実際、あの番組から芸能界に入り、スターとなっていったタレントも何人かいる。そういう意味では、彼女が自ら社長となって現代のレースクイーンたちを輩出しているのは“自然な流れ”だったと言えるのかもしれない。ただ産まれて来る男児が、やがて女性を“妊娠させて去っていく”形とならないか、ちょっと心配なのだが…。

「旧正月1日」を「春節」と呼ぶのは“間違い”

2022-02-02
今年はわれわれが普通に用いている「太陽暦」での2月1日が、中華圏で使用されている「太陰太陽暦」では“1月1日”に符合している。そこで、中華圏に属する人たちにとっては“ほんとうの正月”が来たということになる。日本でも近年は、それを「旧正月=春節」として報道する。ところが、この表記・表現は間違いなのだ。誰も指摘しないので、一応、中国系の運命学にも関わる私から訂正しておく。まず、少し専門的になるが「暦」について解説したい。われわれ日本人は欧米諸国などと同じく「太陽暦」を基準として生活している。中国でも公的には「太陽暦」を使用しているが、同時に「農暦」と呼ぶものも併用している。この中国で言う「農暦」が「太陰暦」なのだ。つまり農業などでは「月の変化」に主軸を置いた暦の方が“暮らしの助けになる”ので、これを“民間暦”として併用し続けている。中国だけでなく、台湾とか、香港とか、シンガポールとか、タイやベトナムでも多く用いられている。日本はなぜ使っていないのかと言えば、明治6年に“欧米式に切り替えた”からである。それまでは日本でも中華圏と同じく「太陰暦=農暦=旧暦」を、公式に用いていた。その後も、昭和前半くらいまでは中華圏と同じように“併用”されていた。ところが日本では昭和後半くらいから、実用性に欠ける「旧暦併記のカレンダー」が徐々に使用されなくなった。もちろん、今でも“併記されている”カレンダーはあるが少ない。一つには各商店が“縁起物としてのカレンダー”を配らなくなったせいだと思う。さて、問題の「春節」であるが、文字通り「春の《節》の開始・区切り」を意味する言葉だ。本来は「春節」だけでなく「夏節・秋節・冬節」もある。春の開始・区切りは「立春」であり、夏が「立夏」秋が「立秋」冬が「立冬」である。いわゆる「二十四節気」と呼ばれる区切りで、この区切りは「太陰暦」に対して与えられたものではなく「太陽暦」に対して与えられた区切りなのだ。より正確にいうと“十二の節”と“十二の気”とがあって、合わせて「二十四節気」となる。それでは中国では、なぜ間違って使用しているのかというと、元々中国では「太陰太陽暦」を殷王朝の時代から使っていて、その当時は太陰暦上の「1月1日=春節」としていたからである。その後、前漢王朝の時代に太陽暦としての観点から「立春」ほか“二十四節気”が定められたのだが、太陰暦上に併記しているため一般の人たちは「太陰暦上の産物」であるかのよう誤解しやすい。そして、ほとんどの場合「立春」は「太陰暦=農暦=旧暦」の“1月1日の数日前後に来る”のだ。だから、その数日前後ではなく「1月1日」を“仮の春節”として祝う、ということなのだ。そういう意味では、今年の場合は“3日ズレている”わけだが、慣習としては「春が来た」ということになる。

2022年2月の運勢

2022-02-01

「青谷弥生人」の人相と「現代人」の違いは⁉

2022-02-01
鳥取県は昨日、昨年の11月~12月の間、全国的に募集してきた「青谷弥生人(あおややよいじん)の“そっくり”さん」の審査通過者たち10名を発表した。これまでに全国から215人が応募し、そのうちAI審査で“似ている”と判定された20名の中から、企画関係者たちの審査員3名によって“入賞10名”を択び出した。最初にAI審査を通過した20名から、更に“人間の眼”で10名を絞り込んだところが面白い。択ばれた10名の顔は、確かに「似ている…と言われれば似ている」ような気がする。われわれは「弥生人」というと、ものすごく遠い祖先でもあるかのような気がするが、必ずしもそうではない。中国なら「三国志」の時代であるし、欧州ならクレオパトラやシーザーの時代なのだ。したがって、現代の日本人が「似ている」のは、むしろ当然のことだと言える。鳥取県の上寺から出土した1800年前の頭蓋骨から採取したDNAを基に“復元された顔”が、これも一般公募で命名した「青谷上寺朗(あおやかみじろう)」という人物の顔だ。特に目立つほどの特徴があるわけではない。やや発達した眉骨や高い頬骨やガッチリした下頤などが特徴と言えるが、特別というほどではないので、現代人でもサッカー選手とか漁師とか腕のいい大工さんとかに居そうな風貌だ。特に髪を伸ばしたサッカー選手には、この種の風貌が多いような気がする。ちなみに眉骨が発達するのは“闘争本能の強さ”を表すもので、同時に“自然と共存しやすい体質”を持っている。頬骨の上部が高いのは“積極性がある”証で、時として暴力的になりやすい弱点を持っている。ガッチリした下頤は“耐久力がある”ことを表すもので、長時間労働とか、野外生活とかにも対応できるのが特徴だ。但し、先にも述べたように、ほんとうの古代人に比べると「とくに発達している」というほどでもない。したがって。そういう点から弥生人を観るならば、比較的早くに或る程度の“文化的水準”に達していた可能性もある。全国から選ばれた10人の入賞者たちは、5月に予定されている「青谷弥生人大集合ツアー」というイベントで最終審査でグランプリを決定することになっているらしい。もし、それが鳥取周辺の人物になるなら、文字通り“子孫である可能性”もあり、ぜひDNA検査もしてもらいたいものだ。 Newer Entries »