4月, 2022年

「遺伝的才能」と「遺伝的環境」の“活かし方”

2022-04-06
「芸能の世界」「政治の世界」「スポーツの世界」……そのほか、さまざまな世界で“遺伝的才能”というものを感じることがある。特に、両親とも“芸能人”とか“政治家”とか“アスリート”のような「血」を承けて生れている場合、嫌でも本人はその“重い十字架”を背負って生きることになる。写真家の篠山紀信氏と歌手の南沙織氏を両親として生まれた篠山輝信氏が「月刊シナリオ」の今年度シナリオコンクールで『島』によりグランプリを受賞したという。日本を代表する写真家の1人である篠山紀信氏と、むかし懐かしいアイドルの代表で歌唱力も素晴らしかった南沙織氏の「血」を受継いで生まれ育った輝信氏にとって“二世タレント”という職業は、落ち着かない場所であったに違いない。子供の頃の回想として「すぐにカメラを頼まれたり、歌わされたりするのが嫌だった」と何かの番組で振り返っていた。そのまま大人になって、それでも“二世タレント”としては好感度が高く、タレントとしては一応は知られていても、本人の中では鬱積したものがあったに違いない。そういう意味では、今回の受賞は「写真」部門でも「歌謡」部門でもなく、それらどちらとも大きく異なる「シナリオ(文学)」の部門での受賞であったことが、何よりも嬉しいに違いない。もちろん、だからといって「血」の作用を受けていないかと言えば、そうではない。「映画」は写真を“連続動画”としたものであるし、彼が描いた作品の『島』は母親である沙織氏の“故郷「沖縄」の島”を題材としている。したがって、そういう意味では、文字通り“両方の血”を受継ぐ故の作品と言えないこともない。けれども、それがかえって或る種のリアリティーを作品の中に生み出したに違いない。ところで、私の娘は、伝え聞くところでは「占い師」はしていない。うん、良かった。出来れば、そのまま「占い師」等ならずに生きていく人生を歩んでもらいたい。こういう仕事は“二世”として上手くいくような仕事ではないし、或る種、運命として「導かれるようになっていく仕事」だと、私は思っている。だから、むしろ“普通の仕事”の中で、或る種の“霊感的素質”を発揮するのが良い。そうして「あなたは勘が良いのね」と言われたときに「ヘンなとこだけ親に似ちゃったのよ」と、笑い飛ばすくらいが丁度良い。

普通の会話が出来ない「ハラ」「ハラ」時代⁉

2022-04-05
一体だれなんだろう。いちばん最初に「ハラスメント攻撃」をしだしたのは…。そう思ってしまいたくなるような時代がやって来た。全企業に対して、今年から「パワハラ防止法」が適用されることになったらしい。思えば、私は“いい時代”に会社勤めをしていたものだ。会社の中で“何を言っても許される”そういう時代だった。私の場合は、同僚とか部下に対してというより、もっぱら上司に対して「元に戻してくれって、どういうことだよ、向こうの言うとおり直したんじゃないか」とか「こんな面倒な仕事、もっと納期を取ってくれないと無理だよ」とか「向こうの間違いなのに、どうして突っぱねないの」とか、いま思うと“逆パワハラ”とでも言われそうなことを上司に対して平気で言っていた。そんな時、上司や社長は「まあ、そう言わずに、頼むよ」と、私をなだめていた。なんと素晴らしい上司たちであることか。当時、20代で血気盛んだったとはいえ、ほんとうに私は“怖いもの知らず”というか“バカ”というか、会社員としては“使いにくい社員”だったに違いない。ほんとうに“あの頃”で良かった。ところで、最近は「パワハラ」とか「セクハラ」とか「モラハラ」とかの、わかりやすいハラスメントだけでなく、さまざまな形のハラスメントが出て来ているらしい。例えば「リモハラ」「テクハラ」「ゼクハラ」「エンハラ」「スイハラ」……さて、あなたは、このうちのいくつが解かっただろう。「リモハラ」というのはリモート会議などをすることが多くなった関係で、その室内に関して“あれこれ”干渉するようなことを言ってはいけないらしい。例えば「可愛らしいインテリアだね」というような言葉さえも「リモハラ」にあたるというのだ。「テクハラ」は「テクノロジーハラスメント」で、「ゼクハラ」は「ゼクシーハラスメント」で「そろそろ結婚を考えてもいいんじゃない」とか言おうものなら、即アウト。「エンハラ」というのは「エンジョイハラスメント」で“下ネタ的な発言”や“ユーモア”を強要する感じの発言はアウト。「スイハラ」は「スイーツハラスメント」……どう考えても、私は現代の会社には“不適合な人物”のようで……。

「日本に亀裂」企業も人も「完全なる二極化」

2022-04-04
ロシア通貨「ルーブル」の価値が急落したことは誰でも知っている。ところが、その“ルーブルの価値”が、徐々に持ち直しつつある。これは何を意味するのかというと、そんなに簡単にロシアは崩壊していかない、ということを市場が先読みしていることを暗示している。ところが、その持ち直しつつある「ルーブル」にも増して下落している通貨がある。我が国の「円」だ。ドルに対してだけでなく、ルーブルに対しても、やや下落した格好になっているのだ。つまり、それだけ世界市場で「円」が急速に売られていることを意味する。昔は、戦争が起こると「円」が買われて「円高」となったのだが、今回は逆に急速に「円安」が進む。しかも、その傾向は今後ますます拡大していく可能性が強い。以前にも書いたように、本来「円安」は日本にとって悪いことではない。輸出企業の多い日本では為替の関係で「円安」が進んだ方が企業収益が大きい。けれども、それはあくまで“相対的に観れば”の話で、国内での製造販売企業の場合は、原材料や運賃が値上げになるので物価高騰の原因となる。特に“緩やかな円安”は良いのだが、“急速な円安”は暮らしに直結したエネルギー価格の上昇と食品価格の上昇を招くので、それでなくても停滞している「日本」の景気を下降させる。アメリカのように多少インフレが進んでも、所得も同じように上昇して行けば問題ないのだが、日本の場合は“その兆し”がない。だから“急速な円安”は好ましくない。とはいっても、世界市場に“日本の事情”など通用しない。いったん呼び戻しがあったが、円は再び125円を目指す。今年の初めころ、私は「円安」が進んで年末に125円くらいまで進むかもしれないと書いたが、年末どころかまだ年の前半である。この分では間違いなく5月中にも130円台となる。そうなると、どうなるか。企業が二分されるのだ。輸出で“大儲け”となる企業と、逆に輸入で“大打撃”を被る企業と、完全に二分される。当然、個人においても為替を利用して“大儲け”出来る人達と、それでなくてもコロナで収入源となっていた人達は、物価高騰のあおりを受けて四苦八苦するようになる。つまり日本国内の“経済格差”が、起業においても、人においても出て来ることになる。日本人は“まとまりのある民族”だが、果たしてこのような事態でも“亀裂”を持たずに居られるのか、不安要素がいっぱいの「春」が来た。

「新球場」に「新庄は居ない」という悲劇も⁉

2022-04-03
「BIGBOSS新庄剛志」に“暗雲”が漂い始めている。開幕五連敗からスタートして、ようやく勝利し、これからが“本領発揮”となるかと思ったが、いま一つ“その後”も良くない。私はオープン戦当初から、これを心配していた。あまりにも監督ばかりが目立ち過ぎていたからだ。マスコミの取材も、選手ではなく監督の方に集中する。本来、プロスポーツチームは監督ばかりが目立ちすぎるのは好結果を生まない。これは監督の問題よりも“マスコミ取材”の在り方に問題があるよう私には思われた。新庄氏にしてみれば、自分が目立つことで世間に注目され、客足を戻すことが出来ればいい、という考えが根底にあるよう思われる。実際、日ハム首脳も低迷してきた「人気」を呼び戻すことが、第一の主眼のように思われた。そして「その人気に乗っかる形で“強くなっていく”チームになれれば良い」という考え方だ。そういう意味では首脳陣と監督との目論見に“違い”はなかった。ただ違っているのは新庄氏の胸のうちである。彼は「勝つチームよりも楽しく勢いのあるチーム」を信条としている。選手全員がそう思っているかどうかはともかく、なんとなく監督に“引っ張られる形”で、そういう方向に向かいつつある。もし、これが結果として“勝ったり負けたりのチーム”になれれば、監督・選手とも「その成果が出た」ということになる。つまり、1位に居なくて良いから“真ん中くらい”の位置に居ることが、このチームの目標なのだ。ところが、極端に“負け”が目立って「5強1弱」的な状態になってしまうと、もう、そういう“悠長なこと”入って居られなくなる。やっぱりスポーツは「勝ち負けのゲーム」なのだ。どん尻に居るのは誰だって気持ち良くない。世間の眼も、だんだん違ってくる。もし「1弱」状態が長く続けば、批判にさらされる。実は新庄氏は「長期契約」を結んでいない。もし、今年の成績が極端に悪いとか、人気がもっと低迷してしまうとかしたなら、辞める覚悟でいるのだ。つまり、せっかく札幌ドームから来年の春に“北広島市の新球場”に移転し、そこで“大活躍”が日ハム首脳陣の目論見なのだが、そこにBIGBOSSが居なければ、つまり今シーズン限りでユニフォームを脱いでしまえば、札幌からの集客が出来なくなれば「さみしい新球場」となる。ここ一週間に日ハムの今後の存亡が掛かっている。

2022年4月の運勢

2022-04-02

「値上げ」ラッシュに「新たな税金」続々誕生

2022-04-02
そりゃそうだろうな、と妙に納得してしまう現象が秘かに起こっている。各地方自治体で独自に導入されつつある「新しいユニーク税金」の流行だ。なぜ、そんなものが秘かに流行り始めているかと言えば、各自治体とも“コロナ禍”が長く続き、今また“ウクライナ侵攻”で電気、ガソリン、灯油、ガス、小麦粉、各種食品類などの値上げラッシュが続いていて地方産業が振るわず「財政難」でアップアップしているからだ。そうはいっても、これまでの税収率を一気に高めて負担分を補うような愚策では、地方議会の承認を有られない。そこで考え出されたのが、そこに居住する人たちからではなく、居住していない人たちに「税」を頂いて、自分たちの街の環境保護と地域整備に充てようじゃないか、という発想である。例えば京都市でこのほど承認された「空き家税(正確には非居住住宅利活用促進税)」なるものの導入だ。もちろん、これは京都市のみが新設した「税」で他の自治体では徴収されない。こういう“法定外新税”の場合には、国から受ける補助金の対象外で、たとえ税収が増えても“補助金”が減らされることはない。だから秘かにブームとなる。実は「空き家税」に関しては各自治体も検討しているらしいのだが「空き家」としての“境界線”の引き方や、徴収方法が難しいらしく、行ないたくても行えないでいる自治体が多いらしい。京都の場合、ここ十年で地価が1.6倍と言われ、居住実態のない“投資用マンション”や“別荘”や“古民家”が多くなっている。だから住民票の有無に関わらず、居住実態のないものは「すべて課税対象」とするらしい。京都以外でも、観光地では世界各地でも取り入れられている「宿泊税」を取り入れるところが多くなった。それほどの額ではないので、観光客にも抵抗がないらしい。そのほか登山客に対しての「環境保存税」特別な島に入った人に対しての「島訪問税」特産の飲料水に対しての「ミネラルウォーター税」有名神社の駐車場に入った車に対しての「駐車場税」保養地などの「別荘税」などさまざまだ。地元民からではない形だと、誰も傷つかず、その地方の環境整備などに使われるのは、財政難の地方自治体にとって起死回生の秘策として、今後もどんどん生まれて来そうなのだ。

「天才」と「発達障害」とは“紙一重”の違い⁉

2022-04-01
この十数年で急速に増えたものの一つに小中学生「発達障害児」の数がある。2006年には全国で7000人余りだったが、2019年の調査ではその十倍の70000人に増えていたというのだ。そういえば確かに、昔はほとんど聞かなかった病名であり、最近はときどき耳にすることが多い。一応、脳機能の発達に「偏りがある」場合の症状とされている。実質的には、学習そのものには支障の少ない発達障害と、学習そのものに支障の大きい発達障害とがある。行動面や情緒面に極端な偏りがあって、学校生活不適応なタイプと、日頃から注意さえしていれば学校生活可能なタイプがいるようだ。その両方を含めて提出しているのが、文科省などによる調査だ。ところが、その調査方法は担任教師へのアンケート方式で、精神科医でも小児科医でもない担任教師が、“何となくの日頃の観察”から記入していく方式となっている。その記入項目には「妙に大人びて見える」「自分だけの知識世界を持つ」「独特な眼付きを持つ」「注意事項を忘れっぽい」などの項目が含まれる。これらは別に“発達障害児”でなくても、普通に存在する個性や特徴のようにも思えるが、判断基準の一つになっている。私には正直なところなんとなくスッキリしないというか、納得がゆかない。何かもっとハッキリとした測定法やテストなどはないものであろうか。“独特な眼付き”なんて誰でもすることがあり、“忘れっぽい”のも生活的な弱点だが、学校生活が困難になるほどのこととも思えない。“大人っぽい”のや“自分だけの知識世界”なんて「天才児」と呼ばれる子供にもありがちな特徴ではないか。私の占いのお客さんでも、自分の子供が「発達障害」で入学前に悩んでおられた方がいた。けれども、その四柱命式やホロスコープからは優秀な頭脳が感じられた。そこで学校生活も、最初は多少問題があっても、慣れてしまえば問題はなく、将来的には優秀な成績を収めて優れた科学者になっていくのに違いない旨、判断をした。それから5年ほど経って別な問題で相談に来られた時「先生のおかげで普通の学校に入れて本当に良かったです」とお礼を述べられた。学校側が、あまりに早期に「発達障害児」と決めつけ“普通枠”から外してしまうことは、大いに問題を含むよう思われてならない。 Newer Entries »