7月, 2022年

“よそ事”ではない「国家破産」&「30人辞任」

2022-07-07
「崖っぷち」という言葉は“探偵ドラマ”だけにあるのではない。いまの世界各国は徐々に“その坂道”を登り始めているようで、何とも不気味だ。スリランカが「非常事態宣言」に続いて「破産」宣言を出した。名も知れぬ小国ではなく、インドの端っこにくっつきそうな位置にあるスリランカは紅茶で有名な国だ。あまりの物価高に“国家”がギブアップした格好だ。これはただごとではない。実はスリランカだけではない。さまざまな国が“「破産国家」予備軍”として崖っぷちにある。いちばんの直撃を受けているのは欧州だ。イギリスは“経済混乱”の責任を取って、閣僚が次々辞任する異常事態となっている。既にジョンソン大統領の側近と呼ばれるような人達が総勢30名も辞任しているのだ。政府の機能が果たされなくなりつつある。ドイツだってガス代急騰で経済的窮地に追い込まれている。イタリアも同様で、こちらは物価高が深刻で政府の対応に批判が集中している。さらにアメリカだ。アメリカの場合、住宅価格の高騰が一番に来る。もちろん食品類なども異様に値上がりしていて、アメリカや欧州と比較すると日本の“物価高”などまだまだ可愛いものに思えてくる。そういうわけで、ロシアを「敵」に回した国のことごとくが窮地に追い込まれ始めている。アメリカなど株価急落で、これまで暮らしに余裕のあった人々まで将来を不安視するようになっている。だから私は言ったのだ。そんなにロシアを敵対視して良いのかと……。あの頃、ロシアは間もなく「経済破綻する」「必ず戦争に負ける」と言っていたのは、どこのどいつだ。結局「将来」というものを的確に読めない人々は道を誤るのだ。誰だって、平和が欲しいし、軍事侵攻は良くない。それは判っているが、だからといって「二国間の戦争」にとどめておけば世界経済に打撃は少なかったものを、欧米が加担したことで、世界全体がおかしくなってしまった。スリランカなど完全にとばっちりを受けた形で、経済が破綻した。日本だって、まだまだ判らない。これから欧米の高騰が日本のエネルギーや食卓にも影響してくる。何もかも一気に値上がりし始めたように視える日本だが、実はこれからが本番なのだ。そういう意味では“早め”“早め”に手を打っておかないと、取り返しのつかない状況になる。

「メロンブックス」に敗れた⁉「とらのあな」

2022-07-06
一時期は全国で15店舗以上も展開していた同人誌ショップ「とらのあな」が、女性誌中心の池袋店のみ残し、8月いっぱいですべて撤退するという。コロナ禍となって極端に客足が減ったのが一番の理由であるらしい。コミック・アニメ・グッズの同人専門書店として1994年に誕生した「とらのあな」だが、残念ながら評判はあまりよろしくない。ほぼ同じ形態の「メロンブックス」に比べて、細やかな配慮やサービス、丁寧な応対が乏しいという。また小規模のサークルなどは相手にしていないことも、客足を遠ざけた一番の理由であるようだ。こういう“趣味の延長のような店舗形態”というのは難しい。元々そういう方面に理解のある人が経営すれば良いのだが、店舗が増えて来ると、どうしても何かの商売の片手間的に始める人が出てきたりする。だから、一時的なブームに乗ってどんどん店舗を増やすのは危険なのだ。何年か経ってブームが去ると、必ず、窮地に追い込まれてしまったりする。運命学や精神世界関係の古書店でもそうだが、有名・無名に関わらず、全般的に幅広く公平に扱っているところは信用できるが、一部の書籍だけを看板にしているようなところは信頼度が落ちる。特殊な世界とかマニアックな分野というのは、或る種の“隙間産業”なのだから、無名・小規模なものを意図的に遠ざけると、商売的には一時的に効果が上がっても、長い目で見ると“客離れ”“ファン離れ”“信頼度の低下”を引き起こしやすい。「みんなで一緒に頑張っていきましょう」という姿勢がないと、長く続けて繫栄していくことにはならない。最初は地味で、なんのためにやっているのか疑うような店であっても、一人一人に対して丁寧に接し、マニアックな人たちの信頼度を増していけば、必ず、ひとは帰ってくる。「人を呪わば穴2つ」というが、もしかすると「とらのあな」は、ブームに乗っていた時、小規模・零細な同人誌を“排除”という行為によって、自らの“墓穴”を掘る方向へと歩んでいってしまったのかもしれない。

過激な「ダイエット」や「節電」が死を招く⁉

2022-07-05
アルプスの氷が溶けだし雪崩となって登山客を襲い、少なくとも6名が死亡したと外伝が伝えている。気楽そうに思える夏山の方が危険なのだ。アルプスの山々の氷が溶けだすくらいだから、温暖化は間違いなく進んでいる。そして日本だ。名古屋の集合住宅で暮らしていた80代の老夫婦が死亡した。まだ正式には原因不明だが、冷房を切った部屋で“熱中症”に掛かっての死亡と推測されている。息子が両親に連絡を取ったが、応答がないので心配して訪れたら既に死亡していたのだ。前回の連絡が6月15日というから、半月ほど前までは元気だったようだ。それから暑くなり、締め切った部屋の中で、蒸し上がってしまったのかもしれない。時にお年寄りは、過度な節電をする。必要な時には冷房を入れていないと身体が弱ってくる。同じことはダイエットにも言えて、過度なダイエットは“死”を招く。元カリスマキャバ嬢として有名な「エンリケ」こと小川えり氏が、糖質や炭水化物を取らない過激なダイエットに挑み、シャンパンを飲んだら意識を失って救急搬送されたことを伝えている。“糖質抜きダイエット”や“炭水化物抜きダイエット”は日常生活に必要な最低限の栄養素までも急激に止めたりする。確かに痩せるかもしれないが、それと同時に身体にも異変が起こる。10代半ばから20代半ばくらいまでは、多少、過激なダイエットをしても、身体が変化しやすく適応しやすい時期なので、何とかなったりする。けれども、その年齢を過ぎての過激なダイエットは、身体そのものがもう出来上がっているので、ムリな制限に身体の方が悲鳴を上げるのだ。特に、糖質や水分を抜いてしまうと気絶してしまうような事態が生じやすい。そばに誰かがいれば助かるが、だれもいない場合は致命的な状態さえ招きかねない。タレントなどでも過激なダイエットや病的なダイエットは視聴者に気付かれやすい。われわれは普段、無意識のうちに“健康な痩せ方”と“病的な痩せ方”との違いを日常の暮らしの中で観察している。だから医者でもないのに、本能的に感じるのだ。これは運勢でもそうなのだが、日常的な観察力というのは、普段の何気ない暮らしの中で少しずつ培われていくものなのだ。だから、多くの人が「危険」と思うような痩せ方には必ず何かが潜んでいるのだ。

「自販機」で“ソース”“かるた”“ジンジャエール”

2022-07-04
日本は自販機の多い国として知られる。実際、海外で自販機を見掛けることは少ない。日本の自販機では今やさまざまなものが手に入る。昨年、東京北区の王子駅前にある複合ビル「サンスクエア」に設置された「北区の自販機」がユニークさではいちばんかもしれない。何しろ、一つの自販機で“ソース”も売っていれば、“箱ティッシュ”も売っているし、“うどん”も売っているし、“そーめん”も売っているし、“スケッチブック”も売っているし、“すごろく”も売っているし、“かるた”も売っているし、“ジンジャエール”も売っている。一見、滅茶苦茶な組み合わせで自販機が作動しているのだ。そして、その横に“商品説明の看板”が設置されている。考えてみれば、そういう形で商品説明をしている自販機も観たことがない。実は、この自販機は「北区」が地元に本拠を置く各企業や学校に働きかけ、商品を用意させたもので、地元密着型の自販機なのだ。だからコンビニでもないのに、箱ティッシュやたわしやソースが買えるのだ。ここで売っているジンジャエールは地元高校生発案の「はちみつジンジャエール」だし、ソースも地元企業による「生ソース」なのだ。すごろくだって、ただのすごろくではない。晩年をここで暮らしたという「渋沢栄一すごろく」なのだ。それぞれが、手作り感が満載の品物ばかりだ。だから徐々に浸透していって、いまでは遠くから、わざわざソース1本、ジンジャエール1本のため買いに来る人達まで出て来ている。この自販機そのもののデザインも「都電荒川線」の電車車体のイメージで緑色になっている。確かに遠くから見ると“車体のような雰囲気”はある。こういう地元密着型の自販機というのも、特に観光地とか何かの特産物が有名な地域でなら、大いに自販機が活躍してくれる可能性がある。この地域で始めたのも「地元企業や学校のイメージアップ」が大きかったらしい。昔、自販機にはアダルト雑誌専門の自販機があった。素晴らしいアイディアだと思ったが、子供が自販機で購入する、という問題が起こって消えていってしまった。現代なら「子供」かどうか見分けられると思うので、ぜひ、またユニークな大人の愉しみを詰めた“素晴らしい自販機”を開発してほしいものだ。

「人間はいつからだって変わることが出来る」

2022-07-03
格闘技の「RIZIN」ラウンドガールとして33歳で“4児の母”である“あきぴ氏”のインタビュー記事が載っていて、私の眼をとめた。ラウンドガールと言えば“ぴちぴちした健康美”が売りだが、彼女の場合、身長160㎝で67㌔~39㌔を上下する摂食障害の日々であったらしい。それが今では週6日ジムに通ってムキムキの身体を作り上げ“大変身”を遂げた。今度は“格闘家”としてリングに上りたい希望を持っているそうだ。年齢がもう33歳であるから、実際には今からでは難しいかもしれないが、ラウンドガールも30歳を過ぎて4児の母親となってから13㌔の減量に成功して合格を得た。彼女自身の口から「人間はいつからだって変わることが出来るって、私と同じような人たちに知って欲しい」と飛び出した。この言葉は素晴らしい。私も昔から「人生に、もう遅いという時期はない」と言い続けてきた。いつからだって、やり直しは利くし、いつからだって再出発が可能だ。ひとは誰でも弱いので「もうダメだ」と自分で思い込んでしまうと、実際にダメになってしまう。それは多分に“自己暗示を掛けている”ようなものだからだ。逆に“変わることが出来る”と自己暗示し続けていれば、そして、それにふさわしい行動が伴っていれば、いくらでも人は“大きく変われる”ものなのだ。いくら言葉で言っても、行動が伴わなければ変身は出来ない。途中まで努力しても、試練にぶつかると急に弱気になって“投げ出してしまう”人が多く「もう少し」というところで崩れ落ちる。それから自分を“客観視する眼”を持つことはとても重要で、自分を客観視してみることで、自分の行動が“目的に相応しているか”知ることが出来る。よく「努力が報われない」と嘆く人が居るが、そういう人は、もしかすると正しいと信じている“行動”そのものの中に「逆効果」を産むものが混じっている場合がある。それに気付かなければ「こんなに努力しているのに…」と嘆くことになる。もちろん、もう一つ「運」というものもあって、物事が上手くゆかない時期にスタートしてしまうと、これまた努力が無駄になる。だから、努力はあくまでも冷静にタイミングを見計らいながら開始することが“望むように変わっていく”第一の秘訣なのだ。

一般人が「芸能人」を甘やかしすぎていないか

2022-07-02
毎日のように多くの女性タレントや歌手や女優やモデルが自らのSNSを使ってコメントを発する。その7割から8割は“他愛もない日常”のひとコマだ。けれども、そのうちのいくつかは“ネットニュース”に取り上げられる。いったい、このコメントや写真の“どこ”がニュースなのだろうと不思議に思う。例えば、昨日のニュースには「目のやり場に困る素敵なドレス」というコメントがニュースとして取り上げられている。今年9月にSKE48を卒業することが決まっている須田亜香里氏によるInstagram投稿につけられたコメントが、そのままニュースとして掲載されたのだ。いつものことと放っておけば済む話だが、好奇心の塊である私は“そういうタイトル”をみると、どうしても視て読んでしまう。要するに彼女が自分が着てみたドレスを評したものなのだが、そこに載っているのは“ごく普通の黒いワンピース姿”の彼女が横向きに写る全身像だ。この写真の“どこ”がいったい「目のやり場に困る」なのだろう。肢も出ていないし、胸も出ていない。このドレス(ワンピース)の“どこ”に、それを感じ取れば良いのか、私にはまったくわからない。これがもし“黒いシースルーのドレス”とかであれば、そのようなコメントも理解できる。けれどもシースルーではない。深いスリットが入っているわけでもなく、胸の谷間が大きく露出しているわけでもない。もしかしたら、本人は「こういうコメントにすればネットニュースで取り上げてくれるか」という読みでもあったのか。ところが、もっとわからないのは、その写真に対しての読者コメントだ。「セクシーです」とか「ほんとうに眼のやり場に困ります」とか、わけがわからない。誤解されると困るので、私はこれらの投稿が悪いと言っているのではない。最近、この種の投稿やファンコメントが、そのままニュースとして流されることが“多すぎる”事実を指摘したいのだ。本当に「眼のやり場に困る」ような写真を掲載しているのならば、ニュースとして取り上げる価値がある。けれども、あきらかに“表現のみが過激”な個人投稿を、わざわざニュースとして取り上げる必要があるだろうか。そして、ファンたちも、あきらかに逸脱している本人のコメントに対しては「一体、どこが“目のやり場に困る”んですか」と問い掛けるくらいのことはして欲しい。彼女が「裸の王様」とならないよう声を掛けるのも、ファンの役割ではないだろうか。あまりにも、芸能人“追従型”のコメントが多すぎる。

2022年7月の運勢

2022-07-01

ドイツで「進み過ぎた⁉性別変更」年内成立⁉

2022-07-01
近年「LGBT」つまり“一般的でない性自認”に関しての法律的な問題や出来事などが報道されやすい。日本の場合は、それほど過激なデモなどにはならないが、欧米諸国では制度改正などを求める過激アピールも多くなっている。その一方で、世界には“その種の性自認”を全く認めていない国もある。特にイスラム国家や共産国家では“その種のこと”を議論することさえも禁じられている。それに対してドイツ政府は、6月30日トランスジェンダーの方達が性別変更を行うとか、ファーストネームを変える法律上の手続きについて、これまでの在り方は「時代にそぐわない」として制度改正する検討をしていると表明した。つまりこれまでの制度は「時代遅れだ」と認めたのだ。そうして「自らが決めた人生を送る権利はすべての人にとって基本的なものだ」との宣言を下した。実質的には、もし彼らが「性別を変えたい」とか「ファーストネームを変えたい」と思った場合、地元の役所に行って“変更手続き”をすれば、そのまま認める方向で検討している。これまでは心理療法士など専門家2名による報告書を裁判所に提出する手続きを必要としたが、それすらも“不要”だという。成人の場合、本人の意志があれば、14歳以上の場合は保護者の許可があれば、他には何もいらない、ということらしい。本人の意志を尊重することは大切だが、あまりにも簡単に“性別変更できる”ことは、それなりの問題を含んでいるよう私には思われる。ちなみに、日本の場合はどうなっているかと言えば、まず条件として“20歳以上であること”“非婚者であること”“実子がいないこと”“生殖機能を持たないこと”“外見的に近似すること”加えて“医師2名による診断書が必要”となっていて、かなり厳しい。だから日本の場合なら「時代遅れ」の指摘も判るのだが、ドイツの場合は、現行の制度でも特別“遅れている”とか“屈辱的”とかいうようなものではないと私は思う。やはり心理的、医学的な“歯止め”はある方が事件やトラブルが生じないような気がするからだ。気まぐれで「男」になったり「女」になったりされると、周囲が振り回される。日本の場合はもっと簡素化が必要だが、ドイツのように“本人の意志だけ”で自由になるのは、犯罪などにも使われる危険性も含めて、もう少し慎重さが求められるような気がするのだが……。 Newer Entries »