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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


一般人が「芸能人」を甘やかしすぎていないか


毎日のように多くの女性タレントや歌手や女優やモデルが自らのSNSを使ってコメントを発する。その7割から8割は“他愛もない日常”のひとコマだ。けれども、そのうちのいくつかは“ネットニュース”に取り上げられる。いったい、このコメントや写真の“どこ”がニュースなのだろうと不思議に思う。例えば、昨日のニュースには「目のやり場に困る素敵なドレス」というコメントがニュースとして取り上げられている。今年9月にSKE48を卒業することが決まっている須田亜香里氏によるInstagram投稿につけられたコメントが、そのままニュースとして掲載されたのだ。いつものことと放っておけば済む話だが、好奇心の塊である私は“そういうタイトル”をみると、どうしても視て読んでしまう。要するに彼女が自分が着てみたドレスを評したものなのだが、そこに載っているのは“ごく普通の黒いワンピース姿”の彼女が横向きに写る全身像だ。この写真の“どこ”がいったい「目のやり場に困る」なのだろう。肢も出ていないし、胸も出ていない。このドレス(ワンピース)の“どこ”に、それを感じ取れば良いのか、私にはまったくわからない。これがもし“黒いシースルーのドレス”とかであれば、そのようなコメントも理解できる。けれどもシースルーではない。深いスリットが入っているわけでもなく、胸の谷間が大きく露出しているわけでもない。もしかしたら、本人は「こういうコメントにすればネットニュースで取り上げてくれるか」という読みでもあったのか。ところが、もっとわからないのは、その写真に対しての読者コメントだ。「セクシーです」とか「ほんとうに眼のやり場に困ります」とか、わけがわからない。誤解されると困るので、私はこれらの投稿が悪いと言っているのではない。最近、この種の投稿やファンコメントが、そのままニュースとして流されることが“多すぎる”事実を指摘したいのだ。本当に「眼のやり場に困る」ような写真を掲載しているのならば、ニュースとして取り上げる価値がある。けれども、あきらかに“表現のみが過激”な個人投稿を、わざわざニュースとして取り上げる必要があるだろうか。そして、ファンたちも、あきらかに逸脱している本人のコメントに対しては「一体、どこが“目のやり場に困る”んですか」と問い掛けるくらいのことはして欲しい。彼女が「裸の王様」とならないよう声を掛けるのも、ファンの役割ではないだろうか。あまりにも、芸能人“追従型”のコメントが多すぎる。
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