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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


年中「物忘れの季節」になっていくことの恐怖


一つのことを忘れないよう憶えると、もう一つのことをコロリと忘れる。朝の食事前には「食事後にアレをしなければ……」と思っていても、いざ、食事中にもう一つの“やるべきこと”に気付いて、そのことについての考えを巡らし食事後に新聞など読んでしまうと、もう“アレ”のことなど頭には無い。我ながら、なんと物忘れが多くなり、記憶力が乏しくなったことか。若い頃は、あんなにも優秀な頭脳を誇っていたのに……ということで、人は年齢には勝てない。どんなに頑張ったって年齢には勝てない。だから、どんなに傲慢な人でも、或る程度の年齢になると“謙虚な部分”が出てくる。それは実際には「謙虚になった」というよりも、自分の記憶力低下に嫌でも気付くからなのだ。ただ、わたしの場合は“記憶力低下”だけで、それ以外の“低下”がそんなに顕著ではない。この程度なら、まあまあ人として許せる。わたしは昔から、あまり自分のことを嫌いになったことがない。自分のことを自分自身が嫌いになってしまうと、もう誰も好きにはなってくれないような気がして、運気の悪い時とか、自分の欠点が目立つときとか、周りから批判される時とか、そういう時にはなおのこと、自分のことを抱きしめてやりたくなるほど、自分が“愛おしく”想えた。だから、あまり自分を卑下したことがない。表面上というか、世間的に華やかで怏々しく生きている人ほど、或る程度の年齢になって、自分の“脆さ”とか“弱さ”とか“ダメ加減”とかに気付いた時、どうしようもない“自己嫌悪”に陥るのではないか、という気がする。幸いというか、わたしは若い頃から、そんなに華やかな時期もなかったし、怏々しくもなかったので、その分、落ち込まずに、ひょうひょうと生き続けて行くことが出来る。まあ、だからといって決して“泥まみれの人生”でもなかったし、虐げられた時期が長かったわけでもない。どちらかと言えば、好き勝手に生きて来た割には「恵まれた方なのかな」と思う。人との関係だって、特別、憎む相手がいるわけでもなく、忌み嫌う相手がいるわけでもなく、まあまあ適度な対人関係や交際関係を保っていて、そういう点では、ごくごく“凡庸な人生”でもあり、かといって“下積みの人生”でも“その他大勢”という人生でもなく、一応は、それなりの役割を果たし、今後も“ちょっとだけだが”果たせるかもしれず、そういう意味ではなんと“慎ましくも穏やかな老境”を過ごさせてもらっていることだろう。ちなみに今日の朝食前の“アレ”は、コラムを書くことだった。
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