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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「必死に行う」より「軽ーく行う」が幸運得る


わたしの友達に毎日「健康のためだ」「老後のためだ」と言って歩き続けていた人がいた。また、わたしのお客さんの中にも「健康のためだ」「老後のためだ」と言って、さまざまなサプリなどを取り寄せては、あれこれと試している人がいた。けれども、その人達は意外にも早く健康を損ねた。元々は健康体だったのに、なぜか老境になって病気がちになった。あまりにも早くから健康を意識しすぎ、老後を意識し過ぎていたせいではないかと思う。そういう人達を身近で視ていると、あまり「健康のためだ」とか「老後のためだ」とか、日頃から意識しすぎるのはプラスにならないと、わたしは思う。本来、人は、それぞれの年齢の中で、本能的に“自分に必要なこと”や“自分に必要なもの”を嗅ぎ分ける能力を持っている。あまり前もって準備しすぎるとか、それに備えて行動しすぎるのは「運命」に反している。少なくとも、わたしはそう思うのだ。それぞれの事柄が起こって来たなら、それに応じて用意するとか対処するとかしていけば十分で、あまりに早くから準備しすぎると、ろくなことがない。なぜなら「健康」を意識しすぎるということは、同時に何らかの“病気・疾患”を怖れているからだ。そういうものを怖れていなければ、ふつうに生活しているはずだからだ。ときどきは「健康のために…」と言って身体を動かし、運動を行い、身体に良いものを食することなどあっても、それらはあくまでも“その気になった時”であって常にではない。常に気にするのは、何らかの不安があるからなのだ。或いは誰よりも「長寿でいたい」とか「人の世話になりたくない」とかの心理が働いている場合が多い。人は誰でも死ぬ。そして、死ぬときには、必ず誰かの世話になる。「世話になりたくない」とか言ったって、死んだ後まで動き回れないから、葬式とか火葬とか埋葬とか法事とか……死後には必ず身内の世話になる。身内が居なければ、誰かしらの世話になる。死後は動けないのだ。だから、そういう風に考えれば「世話になりたくない」ということ自体が、傲慢なのだ。最初から身内にも、施設関係者にも、医療関係者にも、葬儀関係者にも「よろしく、お願いします」という気持ちで居た方が、どれだけ楽なことか。「老後のため」などという発想は、何の役にも立たないのだ。
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