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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「不慮の災難」を“回避できる人生”は「幸運」


東日本大震災から今日で11年目を迎える。いまだ批難状態が続いている人達が38000人もいるという。大自然による地震・津波・台風など不測の災害や、戦争・事件・事故・感染症などの不可抗力災害によって、人は思わぬ形で平穏な人生が大きく“狂わされ”ていく。だから「運命」は、自分の力だけで“何とかなる”ようなものではないのだ。よく人生のすべてを“本人の努力”とか“能力”とか“人間性”とかだけで片付けようとする人がいるが、地震や津波や戦争や事故など、不慮の災難というものに遭ったことのない人の発言である。そういう理不尽としか言いようのない出来事に巻き込まれて、人は初めて「運命」というものの厳粛さに気付く。或る意味では、だから、そういう「不慮の災難」というものを一度も受けることなく、時代や地域に恵まれて人生を歩めた人は“幸運な人”ということになる。決して神様は、人間に対して“平等な人生”など与えていない。近年は「平等」ということをことさら声高に叫ぶ団体があるが、もともと人間には「平等」などないのだ。時には、これでもか、これでもか、という如く、その人だけに集中して「不運」や「哀しい出来事」を与えていく。その一方では、或る種の偶然が予期せぬ「人気」や「お金」を降らせる人生もある。これらの“矛盾”や“不可思議さ”が、私を「運命の研究」にのめり込ませたのだ。私の場合「占い」を研究したかったというよりは「運命の不思議」を解きたかったのだ。偶然が作用することの多い個々の人生の“微妙な違い”、運命としか言いようのない“不可思議な出逢い”、神懸かりとしか言いようのない“幸運の連続”、悪魔が取り付いたかのような“絶望的な窮地”……そういう「謎」の根本的な“仕組み”を、私は解き明かしたかったのだ。残念ながら「占い」そのものの“謎の部分”に関しては解き明かした部分もあるが、「運命」や「人生」の“仕組みの因果”に関しては正直、お手上げ状態から抜け出してはいない。或る意味で「神の領域」として、われわれ凡人が立ち入ってはいけない部分なのかもしれない。それでも私はおろかにも果敢にぶつかっていく。私はムリでも、やがて出現するであろう“謎を解き明かす”天才のために、少なくとも“何らかの手掛かり”になることを遺しておきたいからだ。
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