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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「令和」という元号が“元凶”ではない証明を…


「そんなことを言ってはいけません」と、誰かに言われそうである。そうかもしれないが、もしかすると誰もが“うっすら”感じているかもしれないことなので、まあ、その代弁だと思ってもらいたい。「令和」という元号に変わってから、どうも「明るいニュースが少ない」という話だ。もちろん、これは「日本」に限ったことではなくて、世界的な現象でもある。だから「令和」に“それ”を持っていくのは、いささか“可哀想”なことではある。季節的に「冬至」が過ぎて「クリスマス」が過ぎると、もはや「来年」が気になる。誰でも「来年は“好い年”になってほしいなあ」と漠然とではあっても思う。どうして、今年と来年とでは“違う”と、思うのだろう。それは誰もが、本能的に“年ごとの違い”というものを感じているからだ。別に、占いなど信じていない人であっても、なんとなく“その年ごとの違い”というものは本能的に感じ取っている。そして、奇妙なことには、その区切りは、なんとなく“年末年始辺り”に置いている。どうして誰もがそう感じるのか、よく解からないが、とにかく“年末年始辺り”が区切りの時、変化の時節であることは、何となく感じてしまうものなのだ。実際、われわれの記憶は“あの年”という括り方をする。「あの年はとっても幸運だった」とか「あの年は災難ばかり起こった」とか「あの年に出逢っていなければ今日は有り得ない」とか「あの年からすべてが変わった」とか……だから、そういう意味で「日本国」の元号である「令和」は、日本人全体の運命を秘かに導いている…と思ったとして不思議はない。そういう意味で「令和」が“元凶ではない”証明を、来年に求めたくなるのは、私だけだろうか。何しろ「令和」に変わってから「我が日本国として、こんなに素晴らしいことはない」と思うような出来事が、今のところ、見当たらないのだ。前にも書いたことがあるが、昔の為政者は勝手に元号を変えた。不吉なことが続くと、“その元号”は縁起が悪いとして、新たな元号に変えたのだ。だから、ものすごく短い元号期間というものがある。別に、そうした方が良いと言っているわけではなくて、そうしたくならないように“幸運な出来事”“晴れやかなニュース”“明るい話題”が、次々と登場する“新年”となってほしいのだ。そうすれば誰もが「令和」に対して“良い記憶”を刻むことが出来る。例えば、日本の科学者が世界的な大発見をするとか、日本の楽曲が世界的に大ヒットするとか、日本近海で海底油田が発見されるとか……何でもイイから「日本」として“悦び溢れる”ような、そういう出来事がやって来てほしい。
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