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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「多様性の時代」と口では言っておきながら…


今月1日に起きた札幌ススキノのラブホテルにおける“首狩り殺人”は、謎が謎呼ぶ殺人事件で、ここ数日以内に容疑者逮捕に至らなければ「迷宮入り」に変わっていく可能性が強くなってきた。容疑者に関しての謎は深まるが、その一方で“被害者”に関しては、さまざまな点が明らかになりつつある。特に興味を引くのは、殺害される直前まで「女装していた」ことが確認されている。それも、イベント会場でのファッションとホテル入室時のファッションとでは明らかに異なるなど“女装のベテラン”だった可能性が浮上している。ところが、そのことが判明するとネット上では、彼のプライベートを公表することに対して疑問を呈する意見が多くみられる。普段、会社員として真面目に勤務し、ふつうに結婚され、ふつうに子供もいる家庭を持っている彼が“女装していた”ことは、語るべきではないというのだ。それはおかしい。現代は「多様性の時代」として国も認めているではないか。そういう事柄を「公表すべきではない」という意見や考えの人たちは“女装”を「悪」とでも考えているのだろうか。ふつうに結婚をし、ふつうに子供もいて、その一方で“女装の世界”を持っていることは、許されないことなのだろうか。もしも、ほんとうに「多様性の時代」を謳うのであれば、そういう“趣味世界”を持っていたとしても「まあ多様性の時代だからね」で済むことではないだろうか。おそらく、それを公表すべきではないと考える人たちは、どこかに“多様性を否定している”のだ。表面上は「多様性の時代ですから…」などといいながらも、どこかで“それ”は特殊な人たちのやることで、ふつうの人は行っていない、という前提があるのではないだろうか。そうでなければ、仮に“女装世界のベテラン”であったとしても、それはそれで“現代人らしい”として受け入れられるのではないだろうか。もっとも、いくら「多様性の時代」とはいっても“首狩り族”はふつうではない。入室後まもなくの段階で殺害していることは“首狩り族”に何の躊躇もなかったことを表している。もしも二人の間に、過去の関係性がなかったのなら、入室後すぐに被害者がSMプレイとして目隠しをされ、後ろ手に縛られ、浴室に連れていかれたのなら、何の抵抗もなく殺害されることも有り得たかもしれない……。
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