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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「山尾」or「菅野」“志桜里”に幸運なのは⁉


元衆院議員の山尾志桜里氏が「菅野志桜里」に名前を変更した。正確にいうと、変更したというより“正しい名”を世間に公表した、と言った方が良い。元々が菅野志桜里で、結婚して山尾志桜里に変わり、離婚後は“通称名”として山尾志桜里を使い続けてきた、ということのようだ。そういうケースは一般にも多い。仕事の関係とか子供の関係とかから、離婚後も“前の姓”を使い続けている人達だ。もちろん今は離婚しても“婚姻時の姓”を使い続けることは法律的にも可能だ。ところが、離婚して“姓”を“婚姻前の姓”に書類上は戻したのに、諸事情から継続してしまうようなケースが意外なほど多い。例えば山尾氏じゃなかった菅野氏の場合、政治家というのは“名前が重要”で、広く知れ渡っている名前の方が投票されやすい。したがって結婚後や離婚後も“世間的に通りの良い名”を継続するようなことになりがちである。芸能人だってそうだ。どうしても、その名前にイメージが付随している。子供の頃、私は時代劇の映画が好きで、特に中村錦之助が主演する映画は必ず見た。ところが、そのうち「中村錦之助」という俳優はいなくなり「萬屋錦之助」に変わっていた。「名前が変わったんだ」とは理解できたが、どういうわけか、それ以降彼の映画を観たいとは思わなくなった。そうしているうちに、人気絶頂だった中村錦之助は「萬屋錦之助」となって以降、いろいろと問題やトラブルが続くように変わった。これは別に姓名学の“画数”の問題を言っているのではなく、あくまでも“名前が世間に与えるイメージ”として、姓名は「それぞれの生命」を持っていると思うのだ。だから、名前が極端に変わると、本人のイメージが大きく変化していってしまう。例えば「山尾志桜里」と「菅野志桜里」と、どっちが「志桜里」に“合う”かと言われれば「山尾」の姓の方である。それは「山裾を彩る山桜の里」をイメージさせる。それに対して「菅野」の姓は、別に悪いわけではないが「平野志桜里」とか「野村志桜里」とかの方が印象に残りやすい。姓名学的な面から言うと「山尾志桜里」は“人格14格”“総格34格”で「家庭運の良くない姓名」となる。したがって離婚は仕方がなかったのかもしれない。一方「菅野志桜里」の方は“人格18格”“総格46格”でこちらは人格の方は良いが、総格の方は良くない。したがって社会的にはそれほど変わらないが、対人面で言えば戸籍名の方が良い。戸籍名に変えたことによって、新たな交流が生まれるとか、新たな支持者が出現する可能性はある。但し、世間的なイメージは必ずしも良いと言えないので、良い雰囲気の“姓名”の相手と再婚するのが幸運を得る秘訣なのだが…。
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