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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「生命力」という「所有物」が寿命の切り札⁉


大きな震災などが起こると、いつも感じることがある。それは「生命力」という謎の生き物が“われわれの寿命を支配している”という事実だ。けっして「健康」とか「体力」とか「体格」とかではない。こと“寿命”に関してだけは、日頃の体力とも異なる「生命力」という謎の生き物が存在している。そして、それが“すべて”のような気がする。われわれが生まれた時から所有している「生命力」はそれぞれに違っている。だから瓦礫の中からでも“80代の男性”や“90代の女性”が何日も経ってから救出されたりする。しかも、それはわれわれの人生の中で“もっとも運命的”な感じがしてならない。つまり「備わっている」とか「与えられている」とか表現せずにはいられない“終わり方”をする。ほかの物はいくら“運命的”とか言っても、意外にあっさりと“変えられていく可能性”を持っている。ところが、こと「生命力」というか「寿命」というか、これだけは神様だけに“その支配権”が与えられてでもいるかのように、気紛れな要素が強い。なんども「死ぬ」「死ぬ」というような状態に至りながら、その後は再び元気となって何事も無かったかのような日々を送っている人がいる一方で、日頃から元気いっぱいだった人があっという間に亡くなってしまう。通常ドラマではありえないような“あっけない幕切れ”となったりする。もし、神様から「与えられている」ものであれば、或いは先天的に「備わっている」ものであれば、それは「命のろうそく」のようなものなので、だれかと“交換”でもしない限りは「受け入れるしかない」ということになる。ろうそくには当然、短いモノもあれば、長いモノもある。太いモノもあれば、細くて弱々しいモノもある。それでも、一見、弱々しくて“今にも消えてしまいそうな炎”でも、意外なほど消えそうで消えないまま続いていくこともある。まるで出生の時に“神様から手渡されて”出生してきたような「生命力」だが、その明日は謎に包まれていて、謎に包まれているから元気にしていられるような場合もあり、さてさて一体わたしはだれと「命のろうそく」を交換しようか……果たして“それ”は可能なことなのだろうか。
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