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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


十代半ばの「頂点」は、二十代半ばで「試練」


スキー女子ジャンプの高梨沙羅選手が「スーツ違反」で失格となり、その後も実力を発揮できないまま競技を終えた。今大会は最初から本来の実力を発揮できていない。彼女が世間の注目を浴びたのは、まだ中学生の15歳の時である。世界のひのき舞台であるW杯で初優勝したからだ。無心にジャンプしていたら、世界の頂点に立ったのだ。あれから、もう十年も経っている。アスリートや芸術家には、彼女と同じように十代半ばから“天才的才能”を発揮する人たちが多い。時には十代前半から活躍する人たちもいる。もちろん多くの場合、幼い頃から“その分野”に打ち込んでいて、いつの間にか“抜きん出ていた人達”だ。「天才」という言葉は、そういう人達に向けられる。彼ら、彼女らの多くは、だから“過保護”ともいえる環境や待遇を与えられる。メンタル面に弱点があるのは、或る意味で当然なのだ。けれども、世間というのは“十代半ば”と“二十代半ば”とでは微妙に、その評価が変わってくる。つまり、好結果や高得点を出して当たり前、出せなければ時にバッシングを浴びる。ここが「天才」の辛いところだ。世間が勝手に「天才」と認めた者は、いつまでも「天才」で居なければならない。あとから駆け上がって来る後輩たちに“追い抜かれてしまう”ことは許されない。それは「努力を怠っている」からとみなされてしまう。十代半ばで、ただ楽しく無心で、なんのプレッシャーも与えられずに競技出来ていた頃とは何かが違う。いつの間にか自分の周りで“巨額の金”が動いていることを、大人になって知る。そうすると、ただ単に“楽しく競技出来ていた”頃とは、あらゆるものが違って見える。思い通りに“動けた身体”が、年齢のせいなのか、気分のせいなのか動かなくなっている。それでも勝つためには、ひたすら練習するしかない。昔は、そんなに練習などしなくても「勝てる」という自信は、今はない。何かが狂い始めていく。食事も喉を通らないから、痩せてしまった。「スーツ違反」となったのは、そのせいなのだ。試練の中で「天才少女」はいつの間にか「天才」も「少女」も、失ってしまっていた……
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