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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


奇妙なセクハラ⁉「世界でもっとも美しい顔」


毎年、年末になると「世界でもっとも美しい顔ベスト100」なるものが公表される。誰が、どんな基準で選んでいるのか知らないが、正直、こういうものを公表することに意味があるのだろうか。いつも疑問に思うし、どういう基準からなのか、さっぱりわからない。あくまでも「女性の顔」だけが対象であるらしい。もしも、こういうことを例えば会社内とかで公表したとすれば“セクハラの一種”として批難されるのではないだろうか。セクハラでなくても“女性差別”や“女性蔑視”としての批難は受けるだろう。「世界」という形に変えれば、許されるのだろうか。しかも「世界で…」ということになっているが、妙に偏りが多い。例えば韓国女性が異様なほど多い。韓国はいわずと知れた“整形大国”である。したがって、ここに掲載されている女性たちが、整形していないという保証はない。それでも“美しさ”は順位をつけて競うべきことであろうか。しかも、この“美の基準”が、何度も言うように判然としていない。昔から、人種や民族や国や地域によって、また時代によっても“美の基準”は異なってきた。日本だけで言っても、平安期の「美人」と江戸期の「美人」と大正期の「美人」と昭和期の「美人」そして、いま令和期の「美人」では明らかに異なる。同一人種の同一民族であっても、時代によって“美の基準”は次々と移行している。平安時代は“しもぶくれ顔”が美人とされたし、江戸時代は“細眼うりざね顔”が美人とされた。大正時代は西洋と東洋がミックスした感じの“細面”が美人とされ、昭和時代は“目鼻立ちクッキリ”が美人の代表的顔立ちだった。正直、令和の美人顔はよく解からないが、それぞれの好みが違っていて当然ともいえる。大体、年齢によっても“美の置きどころ”が違ってくるわけで、もし“世界基準”というものがあるのであれば、まず、それをきちんと示して、現代らしくデータ化でもして、一般の人たちを納得させるものが必要だろう。もっとも、最初から、そういう意図などなくて、単なる“話題作り”的な意味合いが強いのであれば、その年の代表的“映画作品”や“舞台作品”や“写真集”など示して、載せていった方が良いと思うのだが……。
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