肉眼観察可能な「古代の七惑星」に対する星神思想がもたらした「陰陽」「五行」という概念は、けれどもすぐに現代のような陰陽・五行理論に発展したわけではありません。

私の主張するように「陰・陽」=「太陰(月光)・太陽(陽光)」として捉えた場合、当然、自然界のあらゆるものが陰と陽とに分けられることになります。たとえば男女を陰陽に分類する場合、当然、その性器が「陰唇」とも呼ばれて、日蔭(ひかげ)に隠れる女性は「陰」となり、その性器が「陽根」とも呼ばれて、日向(ひなた)にさらされる男性は「陽」となります。

陰陽理論で注目すべきは「陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる」という転換作用の理論です。これは、そのまま「冬至」の陽光(日照時間)最短から、「夏至」の陽光(日照時間)最長へと切り替わっていく現象・変化を、そのまま言い表したものと捉えることが出来ます。もちろん、1日の内でも、真夜中12時は「陰」の極点であり、真昼の12時は「陽」の極点となります。

その結果、

  • 「木」(木星=歳星=蒼龍)は東方位、四季は「春季(2月4日~4月17日)」、黄経315度~27度。
  • 「火」(火星=螢惑=朱雀)は南方位、四季は「夏季(5月6日~7月19日)」、黄経45度~117度。
  • 「土」(土星=填星=麒麟)は主として南西方位、四季は「土用期間(1月18日~2月3日・4月18日~5月5日・7月20日~8月7日・10月20日~11月7日)」、四立前18度間×4=72度間。
  • 「金」(金星=太白=白虎)は西方位、四季「秋季(8月8日~10月19日)」、黄経135度~207度。
  • 「水」(水星=辰星=玄武)は北方位、四季「冬季(11月8日~1月17日)」、黄経225度~297度。

と、定められたのです。

五行それぞれの性質は、

  • 春に位置している「木」は、その代表的な季節現象として「草木の茂り」があり、それゆえ「樹木」と「草花」が、その実態として与えられます。
  • 夏に位置している「火」は、その代表的な季節現象として「燃えるような日輪」があり、それゆえ「太陽」と「灯火」が、その実態として与えられます。
  • 四季の土用に位置している「土」は、その代表的な季節現象として「田園や山並みの景観変化」があり、それゆえ「山岳」と「田園」が、その実態として当てはめられます。
  • 秋に位置している「金」は、その代表的な季節現象として「農作物の収穫」があり、その「収穫に用いる刃物」から、「刀剣」と「金物」が、その実態として与えられます。
  • 冬に位置している「水」は、その代表的な季節現象として「冷たい氷雪」があり、それゆえ「河海」と「雨露」が、その実態として当てはめられます。

これらを図表としてまとめると【1図】のようになります。

陰陽・五行と七惑星(図解1)

次に、それぞれホームグラウンドを持つ五惑星を、より「五つの行(めぐ)り」として、法則化する手段として、中国における戦国時代(今から約2800年前~2300年前)末期に登場したのが「五行相勝の理論」です。この文字を見て、中国占術に精通されている方は「五行相生」の間違いではないかと思われるかもしれませんが、そうではありません。実は、五行理論には「五行生成理論」と「五行相生理論」と「五行相剋理論」があるのです。そして、その「相剋理論」の初期の名称が「相勝理論」なのです。なぜ、この名称に拘るのかというと、この「相勝理論」は、元々「王朝交替理論」として登場しているからです。

これについて理解するためには、古代中国における「天人相関説」を把握していなければなりません。天人相関説とは、「天上星神世界」=「地上人間世界」(天空上の神々の世界で起こるもろもろの出来事は、そのまま地上の人間世界としての中国王朝世界に反映される)…という考え方です。したがって戦乱の世において、次の王朝を打ち立てるにふさわしい者は、自然界における次の「五行の徳」を備えた王者でなければならない―という説が唱えられたのです。

現代の日本人にはなかなか理解し難い「徳」という存在が、すべてに勝って「王」としての資質を定め、勝者を導く、という考え方です。そのための理論として登場したのが「五行相勝の理論」なのです。

具体的には、中国最古の王朝である「夏(か)王朝」を「木の王朝」として捉え、続く「商(しょう)王朝」(一般的名称では「殷(いん)王朝」)を「金の王朝」として捉え、それに続く「周(しゅう)王朝」を「火の王朝」として捉えていました。そして、その火の王朝を打破する王者は「水の徳を備えていなければならない」という理論なのです。

ここで初めて実態を伴った自然界における「五行相勝理論」が展開されるのです。

つまり、

  • 刀剣である金」は「樹木である木」を根元から切り倒して勝ち、
  • 炎上する火」は、その熱により「刀剣である金」を溶かして勝ち、
  • 大河である水」は「炎上する火」に浴びせれば消失させるので勝ち、
  • 土塀となる土」は「大河である水」を堰き止められるので勝ち、
  • 樹木である木」は「地中である土」を根として突き進むので勝ち、

それぞれが、強さと、弱さの中で、相勝していくのが自然界だ、というのです。秦の始皇帝(肖像画)

事実上、「火の王朝」である周王朝がすでに崩壊していた戦国時代にあって、次に王朝を打ち立てる者が誰になるのかは、予断を許さない状況下にあったのです。そういう中で登場した「五行相勝理論」に基づく大胆な仮説は、大衆の支持を集める説得力を持っていたようです。実際に次の覇権を握った秦の始皇帝は、自らを「水の徳を備えた王者」として位置付けているからです。

「水の王朝」となった「秦(しん)王朝」では、新たに「せんぎょく暦=秦暦」を採用しています。この暦の特徴は、「水」の支配期間である「立冬」を歳首(としはじめ)とする10月から1年をスタートさせていることです。ちなみに、10月を歳首としているのは、中国の長い歴史の中でも秦の始皇帝の時代のみです。肖像画に描かれた秦の始皇帝は、常に黒の衣裳を身に付けています。それは「黒」が「水」の色として、自らを「水の徳のある王」として描かせようとした表れのようです。