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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


益若氏の発見「普通の大切さ」に改めて気付く


アメリカ旅行中に階段から落ちて腰の骨である「仙骨」を骨折し、そのままアメリカで療養中のモデル益若つばさ氏のインスタグラム上の発言が興味深い。彼女にとっては“初めての大怪我”だったらしく、異国における現在の療養生活が心身とも大いに応えて居るらしい。それでも4日に一度のお風呂にも慣れたとか、寝起きの髪型が“粗品氏”にようだとか、やっと180メートルくらい歩けるようになったとか、念願の外食ラーメンを食べられたとか、しゃがめるというのは素晴らしいことだと知ったとか……さまざまな想いを正直に綴っている。益若氏の場合、十代前半から人気を集めて、あっという間に“時代の寵児”となった。いわゆる“苦労”というものをあまり経験せずに、名声や人気や財力を得てしまった。そういう人達には共通して、或る種の「おごり」が生まれる。必ずしも本人の責任ではないが、どうしても“普通の人達”の“普通の暮らし”をやや軽んじるような部分が生まれがちなのだ。ところが、こういう「予期せぬ出来事」に出遭って、はからずも“不自由な暮らし”を体験する。それによって、今まで気付かなかった「普通であること」の大切さに改めて気付く。普通に動いたり、普通に外に出たり、行きたいところへ出掛けられたり、自分で洋服を着替えられたり、風呂に毎日入れたり、食べたいものが食べられたり……そういう「普通の暮らし方」が、いかに“幸せなことであるか”に気付く。多くの人は、さまざまな人生上の出来事によって、そういうことを“ひとから学ぶ”のではなく、自分自身の“体験の中で学ぶ”ように出来ている。それこそ、神がその人に与えた“学びの部屋”としての一時期であるかのようだ。そして、そういう部分が誰にでも組み込まれているから、人は或る意味では「平等かもしれない」と思うのだ。こうして、益若氏も“神からの試練”かもしれない体験を得た。今後の彼女は、おそらく、これまでとはいろいろな意味で違ってくるに違いない。仕事そのものも違ってくるかもしれないし、同じ仕事をするにしても、心からの感謝を持って仕事に挑めるに違いない。そうなることによって、今度は別な形で再び“時代の寵児”として、輝かしい脚光を浴びる日がやって来るかも知れないのだ。
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