8月, 2018年

旧暦「七夕」は、やっぱり“手書き”

2018-08-19

近年、中国は急速な勢いで“IT王国”に変わった。どこでもスマホ決済が当たり前になり、タクシーアプリを使うのが当然になりつつある。そんな中国で、意外に進んでいないのが“婚活事情”だ。もちろん、それは中国だけでなく、日本も韓国も同様なのだが、中国の場合には元々“一人っ子政策”で男女の比率が異なるだけに、より深刻と言える。そこで“親たち”の登場となる。旧暦の「七夕」に当たる昨日、北京では親たちによる“婚活”が行われた。広場に集まって、それぞれが“手書き”による「花嫁募集」「花婿募集」のアピール合戦だ。主催者側が用意した紙に“手書き”で自己紹介を書く。それを見て気に入った相手がいれば、その親に直接交渉するか、又は“連絡先”に電話やメールを入れるかなのだが、興味深いのは必ず“身長・体重・年齢・住所・職業”を記載してあることだ。まるで企業に応募するような記述なのだ。ところが、企業の展示会と違って、なかなか“交渉成立”している親たちは少ない。特に女性の場合には相手男性に対する“条件”が厳しく、なかなかそれに“見合う相手”を得られないのだそうだ。結局、親たちは立ち尽くしたまま時間を過ごし、すごすごと引き上げていくケースが多い。北京や上海のような都会に暮らす女性の場合、周りに“高収入”で外貌的にも教養的にも優れている男性を見慣れているせいで、男女比率では圧倒的に女性優位なのに、なかなか結婚相手を得られない場合が多い。そう“見慣れる”ということは、或る意味で危険なのだ。条件的に“良いもの”を見慣れてしまうと、ちょっとしたマイナスポイントでも見逃すことが出来なくなってしまう。「結婚」というのは“最良”を択ぶゲームではなくて、“適応”な相手を択ぶゲームなのだが、その点を勘違いしがちなのだ。こうして、本来からすれば“結婚できる条件”を備えながら、独身のまま経過していく男女が増えていく。日本でも“生涯未婚率”はどんどん高まっていて、2015年の統計だと男23.4%、女14.1%の数字が出ている。1970年には男1.7%、女3.3%だったというのが信じられない。何でも“最良”を求めすぎてはいけないのだ。

心を癒すのは「ペットロボット」&「3Dキャラクター」

2018-08-18

バーチャルシンガー「初音ミク」は一部で熱狂的人気を集める“2次元キャラクター”だが、その初音ミクと“結婚した”という30代の公務員が現れた。もちろん正式な「婚姻証明書」も所有している。IOTベンチャーのGateboxが開発した「俺の嫁召喚装置」によって、筒型容器の中に“3D投影されたキャラクター”を住まわせることが出来るのだ。実際に触れることは出来ないが、AI(人工知能)が備わっているので、そのキャラクターと或る程度までなら会話することも可能だ。だから、考えようによっては3D投影されているキャラクターと“一緒に暮らしているような感覚”を味わうことが出来る。指輪を購入し、結婚式も行った近藤氏は、初音ミクと添い遂げることを誓っている。その一方では、犬型ペットロボット「アイボ」と“ふたり暮らし”を愉しんでいるご老人もいる。今年になって発売された“新型アイボ”は細かな動きまで“犬”そのもののようであり、これまでに比べて“目の表情”が可愛らしいのだ。したがって、動物好きで“実際には飼うのが難しい”状況にある人達にとっては最良のペットと言えそうだ。初音ミクにしろ、アイボにしろ、もちろん安くはない。初音ミクの方が初期費用約30万円で、アイボの方が初期費用約35万円だ。けれども実際の人間やペットでも、そのくらいのお金はかかる? 考えようによっては“安い”初期費用だとも言えそうだ。何しろ人間たちは“裏切る”可能性があり、“老いていく”可能性もある。それに、いつでも“癒してくれる”とは限らない。その点、初音ミクやアイボは、いつでも優しく癒してくれるのだ。近藤氏は昔、同僚だった女性からイジメに近いものを味わったらしい。アイボと暮らすご老人は昔、実際に犬を飼っていたらしいが死んでしまった。人は“リアルな世界”の中で、深い悲しみを味わった時、二度と同じ哀しみを味わいたくないものだ。どこか虚しい気もするが、おそらく数十年先の“未来”では、3Dキャラクターや犬型ロボットとごく普通に暮らしている人たちが、大勢出て来ているに違いない。

「聖職者」が「性食者」に変わる時

2018-08-17

アメリカのペンシルバニア州の教会で70年間にわたり、カトリックの高位聖職者たちが、そこに通う子供たちに対して“性的虐待を行っていた”という驚くべき報告書が8月14日に公表された。この報告書は専門の調査委員会が2年がかりでまとめた“聞き取り調査”に由来するもので、1947年から2017年まで70年間に及ぶ期間を網羅した50万ページに達する膨大な資料だ。この報告書で加害者として登場するのは、司教とか、大司教とか、枢機卿とか呼ばれる高位の聖職者たち300名であり、被害者として登場するのは主として少年達であるという。その数、何と1000名にも達する。インドなどでは確かにヒンズー教聖職者が少女たちを犯すという犯罪が後を絶たない。けれども、今回の話は“ヒューマニズムの国・アメリカ”のカトリック聖職者たちだ。この報告書によれば、仮に“性的虐待”が発覚しても、聖職者たちは何ら罰せられることもなく、その教会から異動を命ぜられただけであるらしい。つまり、これはペンシルバニアの報告書なのだが、もしかすると他のところへ移っても、彼らは同様な“聖行為”を行っていた可能性があるのだ。そして、ここで注目したいのは、被害者の多くが少女ではなく、少年だったという事実だ。こんなことは考えたくないが、もしかすると元々“少年愛”の強い男性達がカトリック神父という職業を求めた可能性はないのか。仮に、そうだったとするなら、その“犠牲者”となった少年たちは、何年か教会に通って、その教えに従っていくうちに“同性愛こそが神の愛に通ずる”と錯覚した可能性はないのか。そして“その愛”を普及させようと努力し始めた可能性はないのか。或いは、神に幻滅を抱いて、その後には信仰を捨て去ってしまった可能性はないのか。人間不信に陥って、誰も信じられなくなってしまった可能性はないのか。さまざまな可能性を、聖職者たちは少年の人生に与えたのだ。

“富士子容疑者”は「殺人のプロ」なのか

2018-08-16

昨日、今年5月に三重県鈴鹿市で起きた“夫殺人”の容疑者・横山富士子(46歳)が再逮捕された。同時に、これまで除外されていた富士子の実母・愛子(69歳)も“新たに逮捕”された。つまり、21歳年下の夫を不倫相手の上山真生容疑者(29歳)と実母と三人がかりで“絞め殺していた”ことになる。これまで富士子容疑者は41歳の時、我が子の同級生であった横山麗輝氏(当時20歳)と結婚していたことが注目されてきた。女性の方が夫より21歳も年上で、しかも息子の同級生を夫としていたケースが稀だからである。けれども、富士子の結婚生活はそこで終わらなかった。“夫殺し”という形で、5回目の結婚を終わらせたのである。そう5回目だったのだ。しかも、死別した夫が他にもいるのだ。もちろん、今の段階では、あくまでも現夫である麗輝氏を殺害した容疑のみである。ただ、事件後のインタビューで彼女は“殺した犯人”を「難いですね。殺してやりたいですね」とまで言っている。自分自身が殺しながら、そう言うことを言える人間なのだ。しかも、通常なら“うちひしがれている時期”に横山氏の父親に対して“保険金の放棄”の手続きを促している。実は殺された麗輝氏は、最初自宅で義母と不倫男の二人に襲われた。それで必死に抵抗し、逃げ延びて、富士子容疑者が経営するスナック「モモ」に逃げ込んだのだ。ところが富士子容疑者は、そこで彼に対して睡眠薬を混ぜたアルコールを飲ませて、その後で絞殺したと推測されている。まるで「殺人集団」に捕まったドラマのような殺され方ではないか。しかも、富士子の店に逃げ込んだということは、彼女が“殺そうとしていた”ことなど全く考えていなかったことの証である。それが何とも哀しい。そして、このような富士子が、これまでの間に5回も結婚し、その中には“死別”も含まれていることを見過ごして良いのか。4回以上結婚する女性には、やはり何かがあるような…。

新ジャンボ1等賞金20億円、6等賞金10万円⁉

2018-08-15

総務省から昨日2017年度“宝くじ”の売上額が20年ぶりに8000億円を割り込んだことが報告された。近年の“宝くじ”は不振が続いていて、2005年度の1兆1047億円をピークに毎年減少している。昨年は、その落ち込みが大きかったようだ。その理由は判然としていて、売り上げの4割以上を占める“ジャンボ宝くじ”の不振が際立っているからだ。つまり「ジャンボだけは買うよ」という人たちが買わなくなったのだ。なぜ、買わないのか。“宝くじ”としての魅力が薄れているからだ。では“宝くじの魅力”とは何かといえば「夢のようなお金が得られるかも…」というのが本来だったはずだ。ところが、近年の“宝くじ”には“改良”がない。何の変化もなく、同じような形式や賞金額で販売している。近年の社会情勢からすれば、賞金5億とか7億とか言っても、それほど“夢のようなお金”という印象を受けない。特に海外の“賞金金額”と比べると、あまりにも“ちっぽけな金額”で、とても“夢の金額”などとは恥ずかしくて言えない。しかも、日本の賞金額には工夫がない。あくまでも平均的な賞金額を当選人数と共に割り振っていく。それこそ“公正・均等”を好む日本式のやり方だが、元々が“夢を買う”のであれば、思い切った賞金額にしなければ意味がない。私が思うに、現在の金銭価値から言って1等20億円くらいが妥当な金額であるように思う。これを1本だけの当たりにすれば良いのだ。大体、1等の当選者が多すぎる。だから少ない金額を“山分け”にしなければならない。1等から3等までは“当選人数”を減らして高額にすれば良い。つまり、1等が20億、2等が10億、3等が1億で、前後賞など無くした方が良い。そして4頭以下はぐっと低額にして、その代りに当選人数を増やせば良いのだ。例えば、4等が30万円、5等が20万円、6等が10万円とし、それ以外は“すべて外れ券”とする。つまり、7等300円など不要なのだ。こうやって、高額賞金は当選者を少なく、低額賞金は当選者を多くして、これまでの“当選者数”とあまり変わらないように変更すればよい。大体、“外れ券なし”というふうな日本人的“妙な平等観”からの籤では面白くない。もっと面白い“宝くじ”をいろいろ考案すれば、必ず“宝くじ”人気は復活する。

“アナリスト予想”が一致する時は要注意⁉

2018-08-14

ケンカ好きなトランプ大統領が今、相手をしているのはトルコのエルドアン大統領だ。それにしてもトランプ大統領は常に誰かとやり合っていないと気が済まないらしい。そのたび市場は混乱し、通貨や株価が変動し、大迷惑をこうむる。大体トランプ氏のような“ケンカ好きな社長”というのが、街中にはよく居る。その周辺の人達はいつも“はらはらし通し”というのが常だ。今、お相手をしているトルコのエルドアン大統領も、そういう意味では“ケンカ好き”である。映像を見ても負けん気が強そうだ。一見、二人だけの“ケンカ”のように見えるが、実際はそうではない。その背景として“キリスト教”と“イスラム教”の対立があるのだ。元々、トルコ国内でアメリカの牧師が“拘束”されたことに端を発している。ただ単なる輸出入の問題ではない。この牧師は、トランプ大統領の信仰する宗派の牧師で、同じキリスト教系でもトランプ氏にとっては“格が異なる重要な牧師”なのだ。それに対してトルコは、言わずと知れたイスラム教色の強い国家である。したがって、今回の問題は、周辺のイスラム諸国も状況によってはトルコに加担してくる可能性があるのだ。もし、本格的にそうなったなら大事になる。こういう“予測不可能な問題”が今年は次々と生じている。そのたびに市場は混乱し、為替が変動し、株価も大きく上下する。株価予想の専門家であるアナリストたちのほとんど全員が、昨年末、今年の株価に対して“楽観的”だった。珍しくアナリストたちの予想が“安定的に上昇する”で一致したのだ。ところが、実際には年初から問題続発であり、そのほとんどにトランプ大統領の“ケンカ”が絡んでいる。誰しもがトランプ氏の“けんかっ早さ”走っていても、それがそのまま市場に影響することはないだろうと楽観視していたのだ。実際、私にしても、トランプ氏の“ケンカ好き”が市場経済を混乱させるとは思っていなかった。やっぱり“ケンカ好きの社長”を大統領にするのは、問題があったのかもしれない。

「正直」「公正」が通用しない人達と…

2018-08-13

事実上、自民党の総裁選がスタートしているが、今一つ盛り上がらない。もう大勢が判明していることもあるが、現首相への対抗馬が石破氏ただ一人でちょっと寂しいこともある。野田聖子氏も未だ“出馬への意欲”は捨てていないようだが、推薦人があまりに乏しすぎる。それに、いろいろと噂される“配偶者への疑問”が消えていない。それ以外で“出馬”しようとする人物がいないのは長期的視点で見ると問題だ。人気だけなら小泉進次郎氏が“出馬”への意欲を語って良さそうなものであるが、党内の支持が集まらないのだろうか。そこで石破氏に戻る。この人の何がいけないか。何が盛り上がりに欠けるのか。私は今回のスローガンにあると思うのだ。彼は「正直」と「公正」を掲げている。自分が総理・総裁になったなら、正直で公正な政治を取り戻すと言っている。確かに、それが“理想”ではある。けれども、日本国の首相は諸外国とも渡り合わなければならない。そして残念なことにというべきか、日本を取り巻く国々は、そしてそれらの国のトップは必ずしも「正直」「公正」ではない。正直・公正に挑むとつぶしにかかってくる可能性もある国々なのだ。もし、我が国のトップが日本人だけを相手にするのであれば、正直で公正なのはとても良いことだし、理想的な政治でもある。けれども、世界の国々と“渡り合わなければならない”現実がある。正直や公正だけで交渉事が出来るものではない。特に近隣を支配している面々はなかなかの“つわものぞろい”である。例えば北朝鮮に対して「正直に答えてくださいよ」と言って「実はね…」と返してくれるだろうか。アメリカに対しても、中国に対しても、ロシアに対しても、韓国に対しても、一筋縄でいかない面々を相手にしなければならない。或る意味で、日本が「正直」「公正」に向き合いやすいのは、少し離れているイギリス、ドイツ、オーストラリア、カナダなどの国々だ。利害の絡む政治世界に「正直」「公正」を持ち出すのは、逆に“信頼できない”印象を与える。石破氏が、もっと普段から本音で話す人であれば、その言葉に真実味が出るのだが、どちらかと言えば状況を見てものをいうタイプの政治家だけに、その言葉の信頼度に「?」が付くのは仕方がないだろう。

「財布」と「風水」は“無関係”

2018-08-12

先日のTV「ダウンタウンDX」で、当日出席する芸能人が持っている“財布”に対して、風水師の李家幽竹氏が風水面からランキングしていくという趣旨の内容を放映していた。まずハッキリさせておきたいのは、本来、風水と財布は何の関係もない。日本では誰が言い出したのか知らないが、“風水”と“財布”は深く関わっているかのごとく喧伝されている。本来、風水というのは“自然と人間との共生”をテーマにした占いで、人間に適した居住環境や自然サイクルとは何かを見出していこうとする占いである。それが転じて住宅環境や家相・部屋相となり、墓相・地相・方位となった。したがって重要なのは、自然界といかに“調和”しながら“生きていくか”という部分なのだ。そういう発想のもとに組み立てられた占いであるから、家相や墓相や方位は“風水”に含まれるが、それ以外は厳密にいえば“風水”とは言えない。ただ“観相術”という占いでは、あらゆる“人の相”が含まれるので、そういう観点から“財布相”が存在するのは確かである。先日の放映分では、芸能人たちは“似たような財布”の持ち主が多かった。そして奇妙なことに全く同じタイプのルイ・ヴィトンの財布が“1位”と“最下位”になった。その違いは色であると述べていた。つまり、1位は濃いグレーの財布、最下位は濃いブルーの財布だったが、それが優劣を分けていると解説された。この風水師は何もわかっていないと私は思った。まず財布の色であるが、高級なブランド物の財布であればあるほど、財布の色はそれほど多くはなく、あまり“特殊な色”の財布を見掛けない。これは何を意味するのかというと、多くの金持ちは“特殊な色”の財布を持ち歩かない、ということを意味する。多分、そういうものを作っても“売れない”から作らないのだ。つまり、高級ブランド財布を使用する人達は、“特殊な色”や“特殊な形”の財布を購入したがらないのだ。これこそが“財布相”の真実である。つまり、どういう財布を持てば“金持ちになれるか”を知りたければ、実際に“金持ち”になっている人たちが、どういう財布を使用しているかを知ることである。彼らのほとんどはブランド品の財布を使用している。したがってデパートの財布売り場に行って、高級ブランド品にはどういう“素材”“形”“色”“デザイン”“特徴”の財布が多いか、調べてみれば良い。メーカーというのは“売れない”ものは、二度と作らない。したがって、“似たような財布”が多いのは、そういう財布が“金持ち”たちが買っていく財布だからだ。分厚い札束も入るしっかりとした革の財布がおススメである。あまりに“薄っぺらい財布”はおススメできない。“風水”の色や形など気にしすぎる必要はない。そういう点から言えば高級ブランド財布に“赤い財布”が多いこと、“二つ折り”財布が多いことは注目すべき事実なのだ。

「くまモン」と「クマ」は、こんなに違う

2018-08-11

一時期、熊本県のキャラクターとして一世を風靡した「くまモン」。子供達からの人気を得てグッズ商売も大繁盛。全国各地から引っ張りだこだった。ところが熊本地震が起こって以降、“愛想を振りまいて”全国行脚をすることが難しくなった。そう言えば「ふなっしー」など世界的な人気だったが、どういうわけか“ブームが去る”とTV局は、どこも申し合わせをしたかのように使わなくなった。北海道では最近、“くまモン”ならぬ“クマ”そのものが住宅街に出現して頭を抱えている。羅臼町では8月までの間にクマの目撃件数が220件にも達している。先月から今月にかけて頻繁に目撃され、住民の飼い犬や飼育するヤギを襲い、犬の死骸を何故か穴に埋めようとしているところを発見された。昔は人間を目撃すると逃げたのだが、最近のクマは逃げない。島牧町ではクマが住宅の裏山から毎夜のように出没し、人間がライトで照らし出しても動こうとしない。先日は札幌市内でも道路を横断していくクマが目撃された。完全なる住宅街なので待ったなしであり、早急な対策を必要としている。もはや人間とクマとの境界線など完全に失われてしまったようだ。動物のキャラクターは可愛いが、実際の動物は必ずしも可愛い行動ばかりではない。野性動物を放し飼いにするサファリパークなど時に子供が車から抜け出して襲われることもある。現代の子供たちの中には、可愛いぬいぐるみやキャラクターから動物を知っていく場合があり、猛獣でも怖がらずに近づいてしまったりする。“くまモン”と“クマ”を間違える子供はいないと思うが、“野生動物”と“ペット”の違いだけは幼少期にしっかり教えておかなければならない。

時代は「グルメ」から「物件」へと移行

2018-08-10

一時期、どのTV番組もがタレントを使った「グルメ」番組を放映していた。タレントたちが評判の店とか美味しいものを“食べに行く”番組である。俗にいう「食レポ」番組だ。ただ当然のことながら、こういう番組ばかりが増えると視聴者は飽きてくる。その代わりのように最近多くなったのが「物件探し」の番組だ。分譲物件の場合もあるし、賃貸物件の場合もあるが、タレントたちが何人かで本物の不動産屋さんと一緒に“家探し・部屋探し”を行う。実際に購入するとか、実際に暮らしてみる…という観点からの「住宅内覧」番組だ。時には、田舎から都会に出てくる女性のための“部屋探し”のケースもある。ほとんどの場合は都内や、その近郊に限られるが、最近は地方の放送局でも同じような番組が出てきて、この手の番組が“視聴者受けが良い”ことを物語っている。考えてみればTV局側とすれば“低予算”でのロケ番組ができることになり、実際の不動産屋さんが説明することでリアリティーもある。しかも、或る意味では不動産会社そのもの、或いは住宅物件そのものの宣伝にもなる。「グルメ」番組と共通する要素が多いのだ。実際、地方に暮らして居て、都会で生活しようかと考える若い方の場合、或いは、東京などの都心や郊外に投資用や別宅用として物件を購入したい方の場合、おおよその価格とか間取とか住環境とかを映像で知ることが出来るので大いに役立ちそうだ。大体が「家」というのは番地や図面だけではわからないことがいろいろとある。不動産屋さんと一緒に行っても、初めての場所だと環境面がよく解からない場合もある。そういう時にタレントがその地域的な雰囲気とか話題を示しながら雑談的に“借りる者”或いは“買う者”の目線からいろいろと質問してくれる。おそらく、しばらくは「グルメ」から「住宅内覧」番組への移行が続くだろう。

何故か「死を招く」“150度アスペクト”の不思議

2018-08-09

昨日、沖縄の翁長雄志知事が亡くなられた。実は今年に入って急速に顔貌が変化し痩せてきていて、おやっと思っていたのだが“すい臓がん”で4月に手術を行っていたらしい。いったんは回復したようだが、今月6日に緊急入院、昨夜亡くなった。“新基地建設反対”を最後まで貫いたが、それを表すかのような鼻脇の“法令線”が際立った顔貌だった。法令線が際立っている人は、自分が守っていかなければならない“領域”というものを常に意識している。“良い・悪い”は別として、そういう意味では“使命感”の強い人生を歩む。もう一つ、今回の“死亡”で私が改めて感じたのは、ホロスコープにおける“死の暗示”である。私は著名人が亡くなった場合、必ずと言ってよいほどホロスコープ(出生天球図)を作成し、“死の暗示”を探し出す。そうするようになって、もう何年にもなるが、ほとんどの場合にトランジットと呼ばれる現在進行中の“主要惑星”と、ネイタルと呼ばれる出生時点での惑星との間に“特異な惑星配置”が生じている。つまり、そういう惑星配置が生じることで“人生上の主要な出来事”が起こってくるのだ。その中でも、死亡時点で多いのが“トランジット惑星”と“ネイタル惑星”とが作り出す“150度アスペクト”である。翁長知事の場合にも、トランジットの冥王星が出生時の冥王星に対して150度、トランジットの海王星が出生時の海王星に対して150度、トランジットの天王星が出生時の火星に対して150度を形成した時点で命運が尽きている。なぜトランジットと出生時の“同一惑星同士”が150度となるときに“命運”が尽きやすいのか、なぜ180度ではなく150度なのか、なぜ“出生時・太陽”に対してではなく“同一惑星”に対しての時なのか、その理由はわからない。ただ圧倒的な比率で“同一惑星への150度の時”が危ないということだけはデータ的に自信を持って言えるのだ。

 

「1万円」が「13万8千円」に変わる通貨

2018-08-08

昔から“お金”と同じような扱いをされてきたものに“金貨”がある。その金貨が平成30周年記念式典に合わせて、来年2月「財務省」より「1万円金貨」として発行される。「ビットコイン」などの仮想通貨がネットの画面上で“金貨”として登場するが、実際に手にすることはできない。それに対して、この金貨の場合には実際に購入して“金貨を手にする”ことが出来る。これまでの調査からも、日本人は“電子マネー”よりも実物の“現金”が好きで、強制的にでも変えさせない限り、なかなか“現金信仰”が無くならないのではないかといわれている。そういう意味でも、この記念硬貨は人気が出そうだ。表に“羽ばたく鳳凰”が描かれ、裏に“菊の御紋”が描かれ、何となく“気品”も漂う。しかも、この金貨「1万円」硬貨なのに13万8000円もする。同じく発行される「500円銅貨」の方は、そのまま500円として販売するのに「1万円金貨」だけが13万8千円というのは、何となく納得いかないが、おそらく“仮想通貨”のように希少価値から価格が高騰し、あっという間に20万円とか30万とかで取引されるようになってしまうのではないだろうか。そうなると、実際には手に取ってみることが出来ない人たちが出てくる。だから、或る意味では実在する“仮想通貨”のようなものなのだ。そこで、もし、この1万円金貨を実際にお店などで使用したならどうなのだろう。多分、当たり前の話だが1万円として処理されるに違いない。例えば私の所へ来て「記念金貨でお支払いしてもよろしいでしょうか」と言われたなら「おつりは出ませんけど、それでもよろしければ…」ということで受け取るだろう。そうして、それをどうするか、悩んでしまいそうだ。もちろん所有し続けても良いのだが、1万円として受け取りながら、20万で“売り渡す”のは何となく気が引ける。かといって、それをすぐコンビニなどで使ってしまうのは、なぜかしらもったいなくて出来ない。こう考えてみると、ちょっと“厄介な金貨”のようにも思えてくる。通常の紙幣としての流通が難しいなら、最初から「金による切手」として発行した方が良かったのではないだろうか。

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