3月, 2019年

「防犯カメラ」は名探偵

2019-03-31

最近は刃物を使った殺人事件が多い。日本はアメリカなどのように「銃」は簡単に所持できないが、包丁などの刃物であれば誰でも所持できる。将来的に、刃物など使わなくても調理できるような時代が来れば、もう少し殺人事件は減るかもしれない。3月26日正午頃に東京の杉並区で発生した殺人事件、その容疑者と思われる人物が捕まった。被害者女性が勤める乳児院で働く30代の同僚男性であるらしい。犯人はベランダの窓ガラスを壊して室内へと入り、職場から戻って来る被害者を待ち伏せしていたらしい。被害者はコートを着たままの状態で犯人に気づき、ベランダに出て戸外に助けを求めた。大家さんがそれに気付いて警察に通報したが、到着した時にはすでに犯人の姿はなく、被害者は刃物が突き刺さった状態で倒れていた。けれども、警察への通報が早かったため、二つの証拠品が“早い段階”から特定できた。その一つは「防犯カメラ映像」であり、その一つは「足跡の特定」である。もし、これが数日後の発見であれば、この二つとも特定は困難だったことだろう。現代は戸外においては、そのほとんどの地域に「防犯カメラ」が設置されている。マンションなどでは棟内にも設置されている。被害者が住んでいたのは二階建てのアパートで「防犯カメラ」の設置はない。そういう意味でも早期発見が、容疑者逮捕につながったのだ。被害者女性は親戚の証言によれば「結婚」が決まっていたらしい。もしかすると、そのことと“殺害”が結び付いているかもしれない。少なくとも容疑者が被害者女性に対して複雑な感情を抱いていて、その自宅を知っていたのは間違いがない。そうでなければ、被害者の自宅内で“待ち伏せる”ことなどしない。ものだけ盗んで立ち去れば良いのだ。もしかしたら「愛情」が「怨恨」に変わっていった可能性もある。ただ最初から“殺害”の意図を持っての侵入だったのかは微妙である。それにしても、容疑者を特定できたのは「防犯画像」と「靴跡」である。昔の推理小説では、よく「名探偵」が登場した。いや、現代でも“そのたぐい”の小説は多い。けれども、近年の実際の殺人事件では「防犯カメラ」が活躍しているケースが多い。刑事たちよりも、防犯カメラの「眼」の方が事件の推理に役立つのだ。一部地域では、個人情報の過度な収集だとして防犯カメラを撤去する動きもあるらしいが、なぜ、そんな発想になるのかわからない。犯罪の抑制にもつながる「防犯カメラ」は、われわれ“庶民の味方”であり、事件の“名探偵”であり、探し物を見つけてくれる“無口な友達”なのだ。

「前向きな引きこもり」&「後ろ向きな引きこもり」

2019-03-30

内閣府の調査で40~64歳の「引きこもり」が61万3000人もいることがわかった。これまで調査してきた15~39歳の54万1000人よりも多い。いつの間にか中高年の「引きこもり」が急増しつつあるということだ。ただ私には疑問がある。どこからを「引きこもり」とみなしているかだ。例えば私なども4~5日くらい、家から一歩も外に出ないことはある。特にフリーで自宅内を仕事場としている場合、仕事が忙しい場合とか、悪天候が続く場合とか、体調がすぐれない場合とか、自ずと家から出ないで済まそうとするのは自然なことのように思う。もっとも、通常は“半年間”という期間が「引きこもり」の目安らしい。それならば、私と似たような環境で生活する場合でも、自ずと外出するわけだ。引きこもりの人達の一番の特徴は「社会参加をしたがらない」ということらしい。40代以降での引きこもりの“きっかけ”は「退職」「対人関係」「病気」がその多くを占めるようで、15~39歳までの“きっかけ”とは多少違っている。比率的には男性が¾を占めていて「退職」が“引き金”になっているケースが多いことを窺わせる。確かに、40代以上で「早期退職」とか「リストラ」とか「自主退職」した場合、その後に再就職するのは簡単ではない。余程のコネとか、特殊技能とか、貴重な履歴を持っている場合は別だが、取り立てて“活かせるもの”を持っていない場合、面接で“好印象”を与えられる人以外の再就職は難しい。もちろん、何十度でもチャレンジし続けるような根性の持ち主なら別だが、2~3度挑戦して意欲を失ってしまう気の弱い人だと、本人は引きこもりたくなくても、実質、引きこもりのような生活を強いられてしまうケースも多い。現代はインターネット通販というものがあるから、家から出なくても、生活必需品はことごとく揃えられる。「対人関係」でひどく傷ついた人などの場合、人に“逢う”こと自体が苦手になっていて、それが家から出たくない一番の原因だったりする。「社会参加をしたがらない」と定義されがちな引きこもりの人達が、果たして本当にそうなのか、そうであり続けるのかは大いに疑問がある。一時的には“社会”に背を向けても、やがて「もう一度、朝日を浴びながら出社したい」という気持ちに切り替わる可能性もある。失われた“対人関係”も「今なら大丈夫かもしれない」と感じることがあるかもしれない。病気の場合だって「毎日は無理でも週何日かは…」と意欲を取り戻すかもしれない。長い人生には「ひなた」よりも「ひかげ」の方が過ごしやすい時期もある。けれども、月日の流れは、もう一度「ひなた」の中で“懸命に生きたい”と思うこともあるはずなのだ。そういう時に、手を差し伸べてあげられる環境を整えることが「ひなた」を生きてきた周囲の役目なのだ。

「実人生」としての「波乱万丈」は嫌だ⁉

2019-03-29

歌手としても俳優としても一時代を築いた萩原健一氏が26日に亡くなっていたことが公表された。各メディアがいっせいに取り上げ、その波乱に満ちた人生を振返っている。「占い」でもそうなのだが、波乱万丈な人生を歩んだ人の方が興味深くて取り上げやすい。だから、第三者的に見る分には「最高にエンターテインメント」な生き方と言える。歌手としても、俳優としても、一時的には頂点を極めた。実質4度の結婚も、4度の逮捕も、そうそう経験できるものではない。そして、最期は“10万人に1人の難病”だった。小説やドラマにするなら、これだけの材料は中々そろわない。けれども、もし、これを自分の人生として与えられたなら、とても素直に受け入れられそうもない。特に逮捕は嫌だ。私が萩原健一氏を知ったのはザ・テンプターズの「エメラルドの伝説」を聴いた時からだった。素晴らしい楽曲で、特に、幻想的な詞の内容とボーカルだった彼の“掠れ気味の声”とが絶妙にマッチしていた。なんて素晴らしい歌なのだろうと思った。現代は、こういう“非日常の美しいイメージ”を掻き立てる歌というのが無くなってしまった。それから、しばらくたって、ショーケン(萩原健一氏)はTVドラマ「太陽にほえろ」の新米刑事役として再ブレークする。俳優としても光るものを持っていた。ところが、80年代に入って徐々に“ダーティー”なイメージが目立つようになる。83年には大麻で逮捕され、いしだあゆみ氏とも離婚し、その顔貌や雰囲気も徐々に変化していった。人間にはいろいろなタイプがあって、その人生の中で外貌や雰囲気まで大きく変わってしまう人と、あまり変わることなく一生を過ごしていく人とがいる。どちらが“良い”とか“悪い”とかは一概に言えない。変わらない人はどちらかと言えば“平坦な人生”を歩む場合が多く、特別大きな災難にも遭わない代わりに、特別派手な人生上のどんでん返しもない。ドラマの主人公として捉えれば“つまらない人生”かもしれない。その一方、次々と変化や出逢いが起こって、正に波乱万丈でドラマとして捉えれば最高でも、実際に生きていく立場からすれば“平穏な日々が懐かしい”と嘆くような人もいる。古代中国では、どちらかと言えば“平穏に暮らせる人生”を最良のものとしていた。日本で「四柱推命」と呼ばれる占いは中国で「子平」とも呼ぶのだが、それは「平らな人生」をどう“選択していくか”を教える占術だった。元々は、そういう運命観に基づいている。だから「子平」で選択される人生は穏やかかもしれないが、冒険的な人生観を持った人には「つまらない人生」の教えなのだ。

生活に余裕ある時「超能力」はやって来る

2019-03-28

私には未だに“忘れられない映像”がある。荒れ果てた荒野で生活している子供達が、日本の報道カメラに対して「僕たちには神様がいる」と瞳を輝かせたのだ。戦火の中で何時間もかけて“水汲み”を日課にしている子供達だった。その時、この子供達が逞しく生きていくためには「神様」が必要なのだと理解した。神様がいる…と信じることが必要なのだった。そうでなければ、とてもこんな“不毛な荒野”で明るくなど生きていられない。未来に希望など存在しなくなってしまう。だから、彼らには「神様」が必要なのだ。現代の日本のように、それなりの社会福祉構造が整って来ると、人は「神様」に頼らなくなってくる。神様よりは役所の方が役立つからだ。ところが多くの人の懐が豊かになり生活が潤うようになってくると、人は「オカルト」的なものに興味を持ち出すようになる。「超能力」「心霊」「UFO」「予言」「古代文明」などの分野だ。したがって日本で「オカルトブーム」が巻き起こったのは経済が右肩上がりで、生活に余裕が生まれてきた70年代である。そのブームの“火付け役”的な役割を演じた一人が「スプーン曲げ」で登場したユリ・ゲラー氏だった。あの時、日本中が“スプーン曲げ”に沸いた。あれから何十年もたって、もう誰もユリ・ゲラー氏を“すごい人”とは思わない。まあ「変なオジサン」がよいところであろう。それが「海外ニュース」の片隅に出る。「メイ首相の考えを超能力で阻止する」と真顔でいうのだ。それを英国メディアが取り上げたのは、そういう風なものに頼ってでも“阻止してほしい”と願う人々の気持ちを伝えたいからだ。「報道ステーション」という番組では、そういう海外メディアの報道を“懐かしい昔の映像”を組み込んで流した。それに噛みついたのが「オウム事件」で名をとどろかせた評論家・江川紹子氏だった。彼女に言わせると、ユリ・ゲラー氏と麻原彰晃(オウム真理教教祖)とは“同じ匂いのする人物”であり、若者たちを洗脳していった凶悪なる詐欺師と映るらしい。それ故にワイドショーでもない「報道ステーション」が“ユリ・ゲラー”のような人物を取り上げるのは、あまりに不謹慎であり、メディアとしての資質を疑うとお怒りになっている。もしかすると彼女は、世の中から「オカルト」に分類されるものを一掃したいのかもしれないが、オカルトの何もかもを「悪」と決めつけるのは少し違うと思うのだ。確かに「オカルト」の分野に“詐欺師的人物”が多いことは事実であろう。けれども、真摯な研究者も目立たないがいる。マスコミは目立ちやすい「悪」の方ばかりに光を当てがちである。今の日本は、生活の余裕が失われて「オカルト」的なものが隅に追いやられがちである。人々の生活が潤い出した時、再び「オカルト」は違った形でブームとなるに違いない。

「綾波レイ」と「窃盗」の“妖しい”接点

2019-03-27

時々、事件の内容とその人物とが上手く結びつかないことがある。例えば「綾波レイ」の姿になると「お金を盗んでしまう」という人物の場合などだ。ちなみに「綾波レイ」というのは人気アニメ「エヴァンゲリオン」に登場する美しい女性キャラクターだ。容疑者の藤澤鉄也(37歳)は、この綾波レイの姿となって窃盗を働いていた。どうやって変身するのかというと“綾波レイのコスプレ用スーツ”が販売されているのだ。全身がピッタリ包まれる伸縮型の衣裳だ。まず一番最初に女性用のタイツを履く。次に女性用のスクール水着を着る。その上から“全身網タイツ”を着る。最後に“綾波レイ”のスーツで全身を包む。完璧だ。これで藤澤鉄也は「綾波レイ」になる。ちなみに2009年6月には「スパイダーマン」になって捕まり、2016年7月には「バニーガール」になって捕まった。共に3年の実刑を食らったが、大したものは盗んでいない。今回も10件ほどの窃盗を繰り返して捕まったのだが、その合計金額は33172円だ。あまりに少ない。だから、本当に盗みたいのかどうか若干、疑問の余地がある。コスプレしてうろうろするから、すぐに通報される。捕まりやすいのだ。だが、綾波レイになると、どうしても「お金を盗んでしまう」のだ。多くの人は、この部分が解からないという。本人も「わからない」という。けれども接点はあるのだ。「綾波レイ(厳密には「エヴァンゲリオン」)」も「スパイダーマン」も「バニーガール(正式名称は不明)」も、みんなパチンコ台の機種として存在する。特に「綾波レイ」は、彼女が出現すると9割方「大当たり」となる。そうすると当然のことながら球が出てくる。それは、やがて“お金”に換金される。つまり、綾波レイは“お金を得られる姿”なのだ。本人は無意識かもしれないが、綾波レイの姿になると、お金が得られる幻想が浮かぶようになっている。もちろん、そういう息子を持って、母親は“息子を案じながら”旅立っていくだろう。現在、余命半年の命を医者から告げられている。「綾波レイ」になっても「バニーガール」になっても、息子は息子なのだ。叶姉妹だってコスプレ好きで、みんなに称えられている。息子は、誰が何と言おうと「綾波レイ」のように可愛いのだ。

「恥ずかしながら…」復活する“日の丸弁当”⁉

2019-03-26

懐かしい響きの言葉に「日の丸弁当」というのがある。この弁当を説明しなくても解かる人は、それなりの“お歳”かもしれない。お弁当箱を開けた時、真ん中に“丸い梅干し”だけが入っていると「日の丸」が誕生するのだ。もちろん五穀米などではなくて白米であること、他の色付けなどは一切ないことが条件だ。今でも「日の丸弁当」を出勤時にもっていく人はいるのだろうか。さすがに中学生で「日の丸」はないだろう。いや、いるのかも…。私は大昔、その「日の丸」さえもなくて、まっさらな弁当を小学校の時にもって行った記憶がある。おかずは煮豆だけ…急に恥ずかしくなって、いったん開けた蓋を基に戻した。そうして教室の隅に行って食べた。あの頃の私はなんて可愛かったんだろう。まあ、そんな話はどうでも良い。その懐かしき「日の丸弁当」が復活する可能性があるのだ。それも期間限定で今年の5月。どうしてなのかというと今年は元号が変わるからだ。つまり、日本国旗を連想させる「日の丸弁当」こそ、新たな元号や天皇の誕生を祝うのにふさわしいからだ。デパートでもきっと“10連休中”には「日の丸弁当」を並べるのに違いない。実際にどうなのかは知らない。本物の「日の丸」の方が“売れている”ことは事実だ。国旗というものは、本来そんなに“売れる”ものではないのだが、今年は2倍以上の売り上げを誇っているらしい。特に企業からの注文が多いらしい。確かに、今年の場合、10連休で長期の閉鎖になる。その間、国旗を掲げておけば誰一人出社していなくても許してもらえる。そういう点で都合が良いのだ。戸建て住宅用の国旗も好調らしい。新しい住居に新しい元号、その両方を祝して「日の丸」を掲げる。何となく気分が良いではないか。もちろんマンション用もある。サイズはちょっと小さめになる。価格は5000円程度だ。戸建て用は大きめで2万円程度する。とにかく新築さんに相応しいのが「日の丸」なのだ。今年の「日の丸」は一味違う。何んと、その横に「メッセージ欄」のある国旗もあるのだ。自由にメッセージを書き込めるようになっている。太字で書き込むと「インスタ映え」するし、記念にもなる。10連休で海外に行った人たちが、どこの国でも日本国旗を振りながら歩くって、やっぱり恥ずかしい。よくツアーガイドの人は恥ずかしくないものだな。ところが国立競技場とかで、日本人選手を応援する時などはまったく恥ずかしさを感じない。「日の丸」を握りしめながら「恥ずかしながら戻ってまいりました」といったのは誰だったろう。

ややこしい「X」という“第3の性”

2019-03-25

最近は「LGBT」という用語も頻繁に見かけるようになって、説明の必要がなくなりつつある。要するに“広義の同性愛的”生き方を求める人たちの総称である。ところが、ここにきて「もう一つの形」が加わりそうなのである。う~ん、ややこしい。LGBTの先進国(?)カナダから日本にやって来て啓もう活動を続けるジェンマ・ヒッキー氏(42歳)は、そのLGBTでもなくて「ノンバイナリー」だというのだ。「所属する性を持たない存在」らしい。う~ん、昔、宇宙人が“描写”された時、私はその外見を見て「男だろうか」「女だろうか」判断がつかなかった。そういう存在の人達のことなのだろうか…と何となく思った。けれども、その思いはジェンマ・ヒッキー氏の写真を見て、完全に吹き飛んでしまった。どう見たって「地球人のオッサン」にしか見えないのだ。時々いる“太ったゲイ”男性。これが「X」なのか。けれども、よくよく記事を読むと、このオッサンは元々が“女性”だった。確かに、幼い頃の写真は明らかに“女の子”である。そして、自らの性に悩んでいた時、祖母から言われた「男でも女でもないジェンマのままでいなさい」という言葉に救われたという。そして現在は、その“所属する性”を持たない「X」として生きているというわけだ。公的証明書にもカナダでは「X」と記載されるのだという。確かに、その方が色々揉めなくて済む場面はありそうだ。例えば会社に出社して「俺、今日からXになったから…」というのは便利かもしれない。そうすれば、男の“力仕事”からも、女の“お茶酌み”からも解放される。今どきそんな会社はないかもしれないが…。電車に乗る時も、女性車両にも、男性車両にも乗ることが出来る。温泉でも、男湯でも、女湯でも、入ることが出来る。全てがフリーパスなのだ。大丈夫かな。ただ正直なところ、オッサンはオッサンにしか見えない。美女は美女にしか見えない。どんなに国が「証明書」をくれたところで、幼い子供たちは“正直な反応”をする。「だって、あの人オジサンだよ」とか「とってもきれいな女の人だね」とか言うのだ。どんなに「違うのよ」とか教えても「だってヒゲ生えてるもん」とか「オッパイ、ママより大きいよ」とか言うのだ。つまり「性」というものは、本来は“見た目”で本能的に判断されるもので、その方が自然なのだ。そのうちAIが発達してくれば、自分の“理想形”に身体を変えることが出来て、ついでに“理想形”に心も変えることが出来て、何となく「心」と「身体」の“釣り合わない”人達が増えていくのに違いない。

「逆イールド」が日本株を急落させる⁉

2019-03-24

今年の1月5日、私は今年の「日本株」がドル円相場や原油価格が落ち着くまでは、完全な“上昇気流”に乗ることは難しくアップダウンの激しい相場展開になるだろうことを予告した。ドル円相場では1ドル113円台に戻るまで、原油価格では60~80ドルの間に戻るまで…というのが私の予測だった。そして3月下旬に差し掛かった現在まで、ドル円は一度112円台まで進んだが113円に届くことはなく、原油価格は当時からすれば大いに値上がりしたが、それでも60ドル手前で足踏みしている。そして、それらを象徴するように、日経平均も昨年夏の値には遠く及ばず、それでも徐々に値を戻して、昨年末と比べれば1600円ほど値上がりしている。ただアメリカのダウやナスダックに比べると、腰の重い上昇でアップダウンどころか“身動きの取れない動き”が続いている。ところが、ここにきて鮮やかに反転してきたアメリカ株の状況がおかしい。22日、ダウは一気に460ドルも下がった。ナスダックも109ポイント下げた。ヨーロッパ経済が低迷していることも材料視されたが、一番の材料はアメリカの長期金利が下落し、一部の短期金利を下回るという“逆転現象”が起きたからだ。これを「逆イールド」と呼ぶ。FRBが年内利上げの見送りを示唆したことと併せて「景気後退期に突入」したことの前兆とされる。もちろん、これらはドル円相場に大きく影響する。経済の不安定さは「円高」を呼ぶのだ。そうすると当然「日本株」も下落する。日本株が大きく下落すると、ますます円高になる。ということで、しばらくはニューヨークに引き摺られて日経平均が大きく下げ、それに引き摺られて世界の株価が下がり、ニューヨークが下がり、東京が下がる…という“下降トレンド”を形成する可能性がある。問題は、どこでストップがかかるかだ。3日くらいでストップがかかれば、再び上昇に転じる可能性はある。だが、それでも下がりきらないようだと、相当に深くまで落ちる。期間的にも長期間の低迷となる。現在の「日経平均」には“歯止め”になるラインが乏しいのだ。したがって、もしかすると一気に下がってしまうかもしれない。せっかく、何とか持ちこたえてきた日本の経済だが、米中貿易戦争をきっかけにおかしくなってしまった。アメリカや中国の“景気後退”は、或る程度、良い状態が続いて来て後だからまだ良いのだが、日本の場合は“もう少し”“もう少し”と待ち続けて“浮上せず”の状態を長く続けながらの結果だから、その反動ははるかに大きい。どうか、この予測が大きく外れて、景気後退入りしないことを祈るばかりだ。

「カジノ」で“勝つ”か“負ける”かの選挙戦

2019-03-23

北海道と大阪府の知事選で“勝つ”か“負ける”かの「鍵」を握っていそうなのが「カジノ」である。カジノというのは文字通り“勝ち・負け”を競うところだが、そのカジノ誘致が経済活性化の起爆剤と「噂」されているのが大阪府と北海道(苫小牧?)なのだ。この両地域の知事選はどちらが勝利するか全くわからない。大阪府知事は長く松井一郎氏だったのだが辞職し、前大阪市長・吉村洋文氏が入れ替わる形で立候補している。その対抗馬として小西禎一氏が担ぎ出された。奇妙なことに全国で唯一、自民党も共産党も肩を並べて小西候補の方を推す。“維新の会”と“それ以外の党”との全面対決の格好である。一方、北海道知事の方は12年間も務めた高橋はるみ氏が辞職し、自民・公明が推す前夕張市長・鈴木直道氏が立候補している。その対抗馬として石川知裕氏が担ぎ出された。こちらは全国で唯一“全野党”が推す知事候補で、“与党”と“野党”の全面対決である。つまり、大阪府も北海道も“前市長”だった人物が、その職を辞して“若き知事候補”として名乗り出ていて、それを阻止しようとする“結集部隊”に担ぎ出された対抗馬がいるという構図なのだ。そして、その“前知事”はというと、大阪府の方は“市長”に鞍替えしようとし、北海道の方は“国会議員”に鞍替えしようとしている。どちらの“若き知事候補”も、私が観るところ「理想家」である。そして二人とも政治家としては少し線が細い。吉村氏の顔貌は眉が“一の字型”の典型で、やや“三白眼”に近い。つまり「情熱一直線」といったタイプで、政治家に必要な“清濁併せ呑む”という雰囲気はない。こういう人は“弱点”を握られると弱い。一方の鈴木氏の顔貌は眉の終盤部分が欠落していて“金運”が弱い。鼻の穴も正面から見え、これも収入より支出が多くなりやすい相である。それ以外の部分は大変に良い。また、大阪府の吉村氏を四柱命式やホロスコープから見ると、TV番組などメディアに多数登場すれば人気や支持を上昇させやすい。ただ足元をすくわれやすい弱点がある。北海道の鈴木氏の方は慎重さと大胆さを兼ね備えているが、頑固で孤立しやすい弱点がある。ただ知事候補としての“器量”という点では、やや北海道の方に分がある。もちろん、対抗馬として出ている小西氏も石川氏もそれなりの基礎票を持っている。特に、小西氏の方は“副知事”の経験者で、そういう意味では一応“任せて安心”の下地がある。また石川氏の方は“小沢一郎氏の秘蔵っ子”で「北海道独立宣言」という「大阪都構想」と似たようなスローガンを掲げている。さて、問題の「カジノ」は吉村&鈴木の“若き知事候補”たちが導入に前向きである。さて“勝つ”か、“負ける”か、カジノで活性化できるのはどちらだろう。

不可思議なもの「親の血を引く兄弟」

2019-03-22

昔、北島三郎氏は「♪親の血を引く兄弟よりも…」と歌った。実際、世の中には“実の兄弟”よりもはるかに“兄弟的な関係”となる友人・仲間・同僚を持つ人達もいる。特に20代から50代くらいまでの間、血縁者たちから距離を置き、“血をひかない人達”との関係が濃密になっていくケースが往々にしてある。ところが、何かのきっかけから晩年になって再び親・兄弟との仲が深まる…そういうケースが意外なほど多い。つまり人生において、産れてから十代後半くらいまでは親・兄弟との関係が深く、それから徐々に“疎遠”となって、友人・仲間・同僚との関係が濃密となり、やがて人生の晩年に入って再び親・兄弟との関係が深まる…そういう運命を歩む人たちが少なくないのだ。しかも、その多くが意図的にではなくて、何らかの“偶然”が絡んでいる。謂わば“引き寄せられて”そうなっていくのだ。或るTV番組を通じて元貴乃花の花田光司氏が、“絶縁状態”になっている母親の藤田紀子氏や実兄の花田虎上氏との関係を修復したい気持ちを持っていることを語った。かつては「理想の兄弟」などとマスコミから持ち上げられ、仲の良いことを公言していた兄弟だったが、いつからか憎しみまで露わにする“絶縁関係”となった。けれども、相撲界から身を引き、配偶者や息子とも離れて、実質・天涯孤独の状態に変わって、心境の変化が現れだしたということだろう。誰でも、最後は“血縁者”なのだ。この発言を受けて、昨日、実兄である花田虎上氏がブログ上で心境を述べた。当惑しているが、いつか心かわす状態となれることを心待ちにしている、という“大人の反応”だった。親子とか兄弟とかいうものは、どんなに“長い空白”の時期があっても、一瞬でその空白を埋められる唯一無二のものである。これを勘違いしている人が多い。他人と同じように、空白期間が長くなってしまうと、もう戻れないのではないか、もう環境が違いすぎると感じがちなのだ。けれども、それは杞憂なのである。「親の血を引く兄弟」に言葉など不要だし、空白期間など問題ではないのだ。黙って、抱き合うだけで「幼い頃が重なる」それが兄弟なのだ。

「未来」には“さまざまな選択肢”がある

2019-03-21

人は思いつめると「もう、これしかない」という結論に陥りがちなものである。さまざまな事件とか、犯行とかは、そういう時に起こる。世の中には、最初から“犯罪者的素質”を持って生まれている人もいることはいるが、比率的にはきわめて少ない。多くの場合には、日頃は“善良な市民”なのだ。何かのはずみで人生が狂い、冷静な判断が出来なくなって、やがて取り返しのつかない事件や犯行を引き起こす。おそらく、彼の場合も“そのパターン”が当てはまることだろう。昨日、千代田区の家庭裁判所で、自分の妻を刺して“殺人未遂”の現行犯で捕まったスティーブ・ウィルソン(米国籍・32歳)のことだ。彼は妻との間で“離婚調停中”だった。現在、別居中の妻は別れたがっていた。彼自身の方は「どうしても別れるというなら死を択ぶ」と宣言していた。その「死」とは、妻を殺して自分も死ぬということだった。そのためには手段を択ばない。このようなことを言い出したのは昨年の夏頃からだった。だから、妻は怖くなって、警察に相談もし、子供を連れて、身を潜めた。埼玉の実家、もしくは実家近くに逃れたのだ。元々スティーブは繊細なタイプだった。だからアメリカよりも日本の方が生活しやすいだろうと思っていた。けれども実際には、繊細な人はどこでも繊細なので、日本での生活が必ずしも快適なものになるとは限らない。最初のうち、妻であるウィルソン香子氏は日本の生活に馴染もうとする彼のために心を砕いた。けれども、子供が生まれて後、夫への気遣いは少し薄れてしまった。やがて夫は精神を病み、通院するようになった。夫が精神的に不安定となって、香子氏が一番に考えたのは、子供に危害が及んではいけないということだった。それには、正式に離婚するしかない。夫の前から姿を隠し、正式離婚へと持っていくことが正しい選択だと思った。弁護士までつけて調停へと臨んだ。昨日は、その最終確認で、家庭裁判所へと向かった。夫の方も弁護士を付けていた。主に、その人との話し合いになるはずだった。裁判所の玄関を入り、金属探知機のゲートの前で立ち止まる。その時、真横から飛び出してきた人物に気付いた。別居中の夫だった。目と目が合った瞬間、咽元に凶器が刺さった。血があふれ、意識が遠のいていった。夫は、3本のナイフとガソリンの入ったペットボトルを隠していた。殺したなら自分も死ぬ。最初から、その予定だったのだ。彼は「もう、これしかない」と自暴自棄になっていた。もし、彼がアメリカに戻って、もう一度「新たな人生」を歩み出せば、新たな妻に出遭うチャンスがあったことを、彼は知らなかった。

「怖い女たち」を彩ったトプカプの至宝

2019-03-20

今日3月20日から六本木の「国立新美術館」でオスマン帝国の栄華を誇った時代の「トルコ至宝展」が開かれている。15世紀から18世紀の時代に使われていたトプカプ宮殿秘蔵の品々が展示されているのだ。どうしてこんな宣伝をわざわざするのかというと、私が今もっとも気に入っているTVドラマ「オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム~」の舞台となっているのが16世紀のトプカプ宮殿だからだ。昔から「ハレム」という言葉には妙に妖しい雰囲気があって興味を持っていたが、その「ハレム」というものを真正面から扱った作品がこのTVドラマだ。とにかく“実在の歴史物語”なのに、ハラハラドキドキのエンターテインメントとして話が進んでいくのが最高jに素晴らしい。時代としては第10代皇帝スレイマンの時代を扱ったドラマで「オスマン帝国」そのものの変遷や覇権も描いてはいるのだが、日本で言えば徳川将軍の「大奥」に匹敵する「ハレム(後宮)」の女性達の方が主体として描かれている。オスマン帝国の中でも、もっとも“栄華”を誇った時代だけに、このドラマに登場する女性達の衣裳や装身具なども中々に豪華絢爛である。だから、そういう“美しい女性達”を眺めるだけでも「ハレム」にさ迷い込んだような錯覚を覚える。この時代、ハレムに入って皇帝の側女となったのは最盛期には1000名を越したとも言われる。日本の「大奥」よりもはるかに多いのだ。しかも、世界各国から“貢物”的な意味合いも込めて側女が贈られてきたらしい。そういう文字通り「愛と欲望のハレム」の中での女性達が描かれているから、俗にいう“女の怖さ”がこれでもかこれでもかと執拗に描写される。日本のように“意地悪を働く”というような生半可なものではなくて、正に“殺し合い”一歩手前の段階まで争い合うのが何ともすさまじい。どこまで歴史に忠実で、どこからフィクションなのかわからないが、とにかく“美しく着飾った”女性達はかくも残忍なのだということを教えてくれる素晴らしいドラマなのだ。

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