7月, 2019年

「ガイロク」は“人生とは何か”を教えてくれる

2019-07-19

人には誰でも「人生最大のピンチ」と言えるような時期がある。それを街角インタビューの中から“抜粋していく”のが、あまり目立たないTV番組「ガイロク(街録)」だ。近年は、普通の人達に街角でインタビューする番組が多くなった。一見、幸せそうな人たちが、意外なほどの悩みや問題を抱えていたり、見掛けからは想像できない過去を持っていたりする。他の似たような番組と多少違いがあるのは、その「人生最大のピンチ」を、あなたはどうやって乗り越えて来たのか、その部分も訊いていて、百人百様の「ピンチの乗りきり方」を教えてくれる点にある。もちろん、教えてくれるとはいっても“上から目線”で教えるのではない。あくまでも「自分の場合にはこうだった」「今思えば、こういう風にしていたことで救われた」という形で教えてくれる。それらは個々の人達が実際の人生の中で、どうしようもないような“悩み”や“苦しみ”のなかで、それでも生きていくために必死でしがみついた方法なのだ。よく「ワラをもつかむ」という表現があるが、何にでも飛びつく。何にでも縋りつく。その中で、かすかな「希望」を見出していく。そうやって生きていくように出来ている。「希望」は“生きる勇気”を与えてくれるのだ。人間というのは“絶体絶命”のような時、最初の内は嘆き悲しむのだが、徐々に冷静となり、このピンチから抜け出す方法はないか、日頃、神仏など信じない人でも、必死に祈ったりする。この番組を見ていると、多くの人が世の中の“不条理”を味わっている。客観的にみれば「そんなこと」と思えるような言葉や行動や出来事に救われている。決して神様の言葉でも、偉人たちのような行動ではない。家族の一言やちょっとした思い遣り、ささやかな発見、そういう中で“救い”を得ていくのだ。そして、そういう「ピンチ」が“今に繋がっている”という人達も多い。その後の仕事に繋がっているとか、趣味に繋がっているとか、交友関係に繋がっているとか、人生上のマイナスではなく、プラスに繋がっているケースが多いのだ。嫌なニュースが多い今日、過去と向き合う時間を取り戻させてくれる“素晴らしい番組”なのだ。

技術・研究者なら飛躍できる水星&土星《0度》の危険

2019-07-18

誰でも疲れている時とか、あまりにも神経過敏となっている時に「幻影」を見るとか「幻聴」を聴くとかすることは稀にある。けれども、それが日常生活となったら、もはやそれは“病気”一歩手前か、本格的な“心霊現象”のどちらかであろう。元AKB48で現在女優の岩田華怜氏が自らのツイッターの中で「幻覚・幻聴」が続き苦しんでいることを告白した。ただ、その内容があまりに本格的過ぎて、通常の「幻覚」や「幻聴」の域を通り越している。ファンや関係者も心配しているようだ。もし、それが「金縛りで眠れない」程度であれば、比較的よくあることなので問題ないが「匂いまでする」ということになると、ファンたちが心配するのも無理はない。人にはそれぞれ“感受性の強弱”というものがあって、同じ現象に出遭っても“深く”傷ついてしまう人と、月日が経てば“消え失せて”しまう人とがいる。彼女の場合、おそらく元々神経は繊細なのだろうが、過去にファンからのストーカーに出遭っていて、その事件は一応解決はしたのだが、それによって過度に神経過敏になってしまった形跡がみられる。さらにホロスコープの上からは彼女の場合、水星と土星が“0度一体化”している点が私には気になった。水星と土星が組み合わさると、どうしても物事を深く考えてしまう傾向がみられる。どのアスペクトでもそういう傾向はあるが、特に0度と90度の場合にその傾向が顕著である。この惑星配置は、何かの専門的な技術者とか研究者とかであれば、探究心が強く、正確な数字を把握し、精密に理論を組み立てる等、他者の追従を許さない能力を発揮することもあるのだが、一般社会においては何事も考えすぎて“うつ的症状”に襲われるケースが多い。したがって、彼女のような“ステージ”や“舞台”に立つ仕事は本来は相応しいとは言えない。どうしても、仕事以外のことにも注意を向けがちだからである。こういう場合、ではどうすれば良いのかというと、今の仕事は仕事として行いながら、自分で興味のある“専門分野”をみつけて、その方面の技術とか資格習得を目指して学び出せば良いのだ。そうすると意識がそこに集中するので、あまり考えすぎたり、悩みすぎたりしなくなる。そういうものがないと、どうしても余計なことを深刻に考えすぎる。それは良くないと自分でも解かっているのだが、止められない。ホロスコープなどの占いで示される“惑星現象”は、それと“同等な何か”を行うことでクリアされるよう出来ている。自分の弱点を見出したなら、何に置き換えられるか考えるのも、賢い「運命の消化法」と言えるだろう。

「007」が“黒人女優”に変わる時代

2019-07-17

映画「007」シリーズと言えば、私が「男はつらいよ」と同じくらい十代の頃から好んで見た映画だ。それにしても長い、もう「寅さん」は終わったというのに「007」の方は主人公ジェームズボンド役をさまざまな男優に入れ替えながら60年以上も続いている。いかに「007」好みの映画ファンが多いかを物語っている。ただ最近は昔ほどの“おもしろみ”がない。それにはいくつかの理由がある。一番は「007」も「男はつらいよ」も、時代背景というものを取り入れながらストーリーを組み立てているのだが、その“時代背景”というか“世界情勢”というか、そういうものが昔ほど“単純明快”ではなくなってきているからだ。初期の頃の「007」は“西側”と“東側”の対立という構図の中で、スパイが活躍する物語だった。それも“陰湿なスパイ”ではなくて、どちらかと言えば“華やかなスパイ”であり、美女との絡みが娯楽性を際立たせていた。その点では「男はつらいよ」もまったく同様で、毎回登場するマドンナが“世知辛い世の中”を明るく変えていた。世の中にしろ、恋愛にしろ、解かりやすく単純だったのだ。だから、両方共、主人公は住所不定で問題児、女好きで正義感は強いという“共通性”が支持を得ていた。さて。現代は、そうはいかない。まず、世の中が“単純”ではない。昨日の敵は今日の味方で、敵と味方が入り乱れている。世の中全体がそうなってしまっている。そういう意味では、もう「車寅次郎」の時代ではないのかもしれない。だが、おいちゃんは、ああいう時代が好きなんだけどなあ。「007」と言えば“スパイのナンバー”なのだが、その「007」が主役のジェームズボンドから「黒人女性」に“引き継がれる”らしい。要するに、現在のボンド役ダニエル・クレイグは25作までで、新たな女優ラシャ―ナ・リンチが「007」に就任するというわけだ。まあ、元々スパイが主人公の映画なのだから、女性が演じても何ら問題がないといえばないのだが、何かが違う。まず、女性主人公の場合、そのアクションに限界が出るだろう。特にアクションという点では、これまでの(6代目ボンド)ダニエル・クレイグはスタントマンを使わず、取り組んでいて中々に見ごたえがあった。もっとも、世相を反映するという点から言えば、本来、あんなに派手なアクションはおかしいのであって、コンピューターの世界で完結しているのが“現代のスパイ”かもしれない。これからは「ボンドガール」という用語も禁止で「ボンドウーマン」に変更するらしい。これも時代なのか。「ボンドガール」は「ボンドガール」で良いじゃないか。豊満ボディで男性を誘惑する…というお決まりのパターンが反感を買っているのかもしれないが、すべての生物界がそういう風に出来ているのだから、そういう“自然の摂理”を無理に壊すのはどうなのだろう。「車寅次郎」でなくても、おいちゃんにはわかんないなあ。

なぜ今頃「人肉事件」の映画なのか

2019-07-16

「おいしそうだったから食べたかった」という言葉はよく聞く。けれども、それが「人肉」に向けられたものだったとしたら、思わず絶句する。それが通常の感覚だろう。けれども、世の中には“そうではない人達”がいるという話は何かで読んだことがある。この事件は今から38年前のフランスで起きた。パリの大学院に留学していた日本人男性が、同じく留学中のオランダ人女性を自宅内で殺害し、その人肉を食べたというのだ。しかも、それを行ったのは「おいしそうだった…」かららしい。う~ん、牛じゃないんだから…。しかし、彼の“人肉志向”はその幼少期に芽生えていたというから、なかなかに重症ではある。この事件はフランス国内で裁かれ、結局、加害者・佐川一政は精神病院送りとなった。その後、日本に帰国、日本で裁こうとしたのだが、フランスから“待った”が掛かり、結局、実質的な量刑を受けることなく、彼は作家・文化人として雑誌などを主に活躍したりもした。ところが、それで“人肉志向”が無くなったのかと言えばそうでもなく、白人女性を「食したい」という欲望は消えなかったらしい。今年7月、彼の“狂気”を追ったドキュメンタリー映画「カニバ/パリ人肉事件38年目の真実」が公開された。彼はまだ現存しているが、実の弟の介護を受けながら生活しているらしい。私が彼を注目するのは、その生年月日による「運命図」からである。四柱推命の方からは出生日の五行「火」から“生じる五行”「土」の干支で構成された俗に「棄命従児格」と呼ばれる干支配合の典型で、本来なら“子供命として”生きていく人の命で、そのためには自らを犠牲としてもかまわない、という生き方が“お似合い”なのだ。この場合の“子供”には、実際の自分の子供ばかりではなく、“自分の教え子”とか“自分のペット”とか“自分の作品”とか、さまざまな同種のものが含まれる。彼にとっての“子供”が実子でないことは明らかで、通常はいくつかの“小説作品”くらいしか考えにくいが、もしかすると彼の場合は「食べたい女性」がそうだったのかもしれない。なぜなら推命学上では「食神」と呼ばれる星が極端に強いからだ。「棄命従児格」中には、文字通り“飲食業”で成功している人たちも多い。その場合は必ず店舗を次々と増やしていくのが特徴だ。ペットが次々と増えていき、自分たちの生活費よりペットの生活費に追われる人もいる。もちろん、いくら彼が自らを犠牲にしたとしても「次々と白人女性を食べていく」など出来ない。結局、彼は実の弟の“世話を受ける”という晩年になっている。そういう中、今回の映画はなぜか今頃“新たなる作品”として世に出ることになった。ホロスコープの方では、丁度トランジットの天王星が、彼の出生時の太陽と金星に0度一体化している期間だ。こういう時、運命はその人に「予期せぬスポットライト」を浴びせる。もちろん、病床の彼は「食べたい女性」を追いかけることなど出来ないが…。

「新たなピラミッド」が発見されるか⁉

2019-07-15

エジプトのダハシュールと言えば、ギザのピラミッドで有名なクフ王の父親スネフェル王による「赤いピラミッド」と「屈折ピラミッド」が建てられていることで有名である。そのダハシュールで新たに複数の棺やミイラが発見されている。その場所は第12王朝時代のピラミッドの南方らしいので、おそらく同じ時代のピラミッドが存在していたものと考えられる。60メートルに及ぶ外壁の遺構も発見されている。古代エジプトの石棺や木棺はたくさん発見されているので珍しくもないが、もしかすると「新たなピラミッドの入り口」がその付近にあるかもしれず、そういう意味では今後の発見が待たれる。一般に古代エジプトのピラミッドは「もう発見し尽くされた」と言われているが、実は「ツタンカーメンの王墓」が発見される前にも同じようなことがいわれていた。「ツタンカーメン王墓」を発見したカーター氏は、出資者から「5回も失敗したのだからもうダメだ」と言われたのに「今回で最後にするから頼む」と泣きついて発掘費用を出してもらった。もし、あの時「もうダメですよね」と諦めていたら、ツタンカーメン像は未だ地下に埋もれていたのだ。そういう意味では“お宝探し”というのは大変である。何しろ、金が掛かるのだ。一時期、日本の家具メーカー「ニトリ」が吉村教授に懇願され出資していたが、新たなる発見は期待できそうにないと手を引いた。エジプトも一時期の情勢不安から観光客の足が遠のいている。そこで、ハリド・アナニ考古相は1965年以来50数年ぶりでダハシュールにある「屈折ピラミッド」の“一般公開”を決断した。このピラミッドは途中から角度が変更しているピラミッドなので「屈折ピラミッド」の名称がある。一般的には建設途中から変更したという仮説がまかり通っているが、それはおかしい。なぜなら、このピラミッドには入り口も二つ、通路も二つ、埋葬室も二つで、明らかに「二重ピラミッド」の構造をしているのだ。最初から「二つのピラミッドを一つとして出現させる」という意図のもと取り組んだことは間違いがない。そして、このピラミッドがギザの「大ピラミッド」を建造した息子の父親が“最後に取り組んだピラミッド”であることは注目される。このピラミッドの後、息子クフ王はギザで「もっとも複雑なピラミッド」を建造するのだ。そういうわけで、大変に興味深いピラミッドが「屈折ピラミッド」なのだ。私は同じ地域にある「赤いピラミッド」の方は中に入った。けれども、正直、このピラミッドからは“複雑な構造”や“精緻な設計”を感じなかった。やはり「大ピラミッド」の内部構造は「屈折ピラミッド」にヒントを得て、彼の息子が英知の粋を集め出現させた「最高峰のピラミッド」なのだ。

習近平&トランプ「暴露本」で、勝つのはどっち⁉

2019-07-14

アメリカと中国の貿易戦争が“休戦中”の今、にわかに注目され出したのが「習近平氏の暴露本が出る」という話題だ。もちろん、中国ではなくてアメリカで出る。元々は2015年に香港の銅羅湾書店というところから出版予定だった本なのだが出版直前に“発禁本”となり、その関係者たち5人が中国本土に“拉致される”という事件にまで発展した。現在、香港でもめにもめている“引き渡し条例”への反発は、元々“この事件”が発端になっている。その“いわくつきの本”がアメリカで出版されるというのだ。ロサンゼルスに住む中華系アメリカ人社長が経営する出版社が版権を買い取り、改めて著者とも出版契約を結び直して、ようやく出版にまでこぎつけたというわけだ。その本のタイトルは『習近平と彼の愛人たち』というもので、どちらかというとプライベートな面での暴露本である。これが、もし、国家としてのアメリカやトランプ大統領に対して、習近平氏本人やその政権中枢がどう考え、どう話し、どう行動しているかなど“政治的暴露話”が含まれているなら、もっと価値が高まったかもしれない。もっとも、そういう内容なら、中国では“発禁本”どころか処刑される可能性だってある。うかつには書けないのだ。ただ、この暴露本では習近平氏が関わって来た十数名の女性達について記述されていて、地元高校生当時に付き合っていた女性から、最近になって交際している大物女優まで網羅してあって、彼の人となりを知る上では貴重な本かも知れない。もっとも、こと女性関係ならトランプ大統領だって負けていないことは誰もが感じる。しかも、彼の場合には女性とのトラブルも多い。色々な女性がトランプ大統領を訴えたりしているが、それで人物評が変わることもない。彼のような“解かりやすい人物”は或る意味でスキャンダルには強い。人間というのはおかしなもので、その人物が“いかにも行いそうなこと”に対しては、あまり反応を示さない。だから、本来そういうことをしそうもないような人が「不倫」や「闇営業」をすると大きく報道される。日頃から“そういう雰囲気”を持っている人の場合はマスコミもあっさり通過してしまう。その人が与えているイメージというのはなかなか覆せないのだ。そのイメージが何から形成されるのかというと、一番は“見た目の印象”である。世間というのは観相術を学んでもいないのに、そういう時だけ「占い師」となって、その人の“見た目”で判断しようとする。そういう点から言えば“わかりやすい”とランプ大統領に対して、何を考えているのか“わかりにくい”習近平氏はちょっと損かも知れない。日本に対しても、親しくしようとしているのか、何かしら“悪だくみ”で近づいてきているのか、本当にわかりづらい。今の世の中、解かりやすいのが良いようで…。

眼が“斜め型”女性の「危険なアルバイト」

2019-07-13

一般的な日本人にとって「爬虫類」は“怖い生き物”、或いは“気味の悪い生き物”の印象が強い。私は爬虫類でなくても動物は苦手だが、そういう“生き物”を怖がらない人たちもいる。彼女の場合も、おそらくそうであったに違いない。そして、それは彼女が沖縄の石垣島で育っていることが関係しているかもしれなかった。多分、子供の頃にさまざまな“生き物”を見て育っていて、爬虫類に対しても免疫性があるのだ。だから、そのアルバイトを知った時にも、別に“怖がる”とか“気味悪がる”とかの反応がなかったに違いない。彼女にとって、生き物は身近だったから、それを運ぶことにも、さして抵抗感がなかったのだ。しかも高額な報酬が得られる。都会の喧騒を離れ、大好きな自然と触れ合うことができ、お金のかからない一人旅ができ、ちょっぴり探検家の気分も味わうことができ、世界各地を旅してまわれる。こんな“おいしいアルバイト”はないと思っていたことだろう。実際、彼女には「罪」の意識が少なかったから、SNSを使って自分と同じような“アルバイト女性”を求めてもいた。とはいっても、本当にそれが「犯罪」だと知らなかったのかというと、そうは言えない。彼女の中では「その国では禁止だが日本では犯罪ではない」という捉え方をしていたに違いない。実際、日本の国内法では「罪」には問えない。だから、その国から出国するまでが問題で、出国してしまえば自分はもう「運び屋」ではなく、単なる海外旅行者なのだ。けれども、今年4月23日のメルボルン空港で出国直前、彼女は国際的な野生動物密輸組織の一員として逮捕された。彼女が空港に預けたスーツケースからは現地で生息するトカゲが19匹が窮屈そうに生息していた。もし、彼女が現地の刑務所に入りたくなければ日本円で1600万円を支払わなければならない。報酬も高額だが、リスクも高額なのだ。現地報道は何よりも動物愛護の観点から「日本女性の冷血さ」という書き方になっている。彼女・知花茜容疑者は国際組織の一員「運び屋」とのレッテルが貼られたので、もはや普通に海外に旅行すること自体も難しくなった。“おいしいアルバイト”は、彼女を“罪を背負う人生”に変えたのだ。彼女は「罪」の意識が少なかったので、堂々と名前を出し、海外旅行好き女性としてSNSを行っていた。その画像を見ると、一つだけ私の注意を引く部分があった。彼女の「眼」は目頭から眼尻に向けて“大きく吊り上がって”いる。謂わば“斜め型の眼”をしているのだ。そして、こういう女性は性格的には勝気で負けず嫌いで努力家なのだが、動物好き、特に“爬虫類を好む”女性に多く見られる眼でもある。彼女が昔から“こういう眼”だったのか、それとも“こういう仕事”を始めて眼が変わっていったのか、何とも言えない。現地報道は「冷血女性」のように記したが、彼女自身は自分と一緒に「オーストラリアから日本に旅行しようね」という“仲間意識”でしかなかったのかもしれない。

男性社員たちの「奇妙な追悼」の違和感

2019-07-12

ときどき私には「理解不能」としか言いようのない出来事が“芸能界”では起こる。例えば過日亡くなった芸能事務所社長・ジャニー喜多川氏に対して、その所属していたタレントたち、要するに男性社員たちなのだが、その男性社員たちの奇妙なまでの“追悼メッセージ”の数々だ。確かに、社長の「死」は突然であったかもしれない。確かに、社長一代で今日の“芸能王国”を築き上げたのかもしれない。その功績は誰もが認める。但し、彼はもう87歳であり、普通ならもう“第一線”から退いても良い年齢である。けれども、彼は倒れる直前まで仕事をし続けていた。もちろん、それは立派なことではあるが、同時にそれは“脆弱な企業組織”であることの証明でもある。一企業としてみた場合、創業から現在まで、一人の人物だけに頼ったことは組織としてあまり褒められたことではない。ここ数年、社長自身がそれを意識したかのように“後継組織作り”を進めていたようにも思えるが、まだ完成していなかった。おそらく当面の後継者は藤島ジュリー氏なのだろうが、女性で“男性社員ばかりの組織”を上手く束ねられるか疑問の余地もある。ただ、そういうことを除けば、社長個人として、こんなに社員たちから熱烈に支持されてきたことは幸福なことでもある。但し、男性社員の誰もが、まるで予期せぬ事故で逝ってしまった恋人に当てたような“追悼メッセージ”を載せるのは、いかがなものだろう。例えば40歳となる堂本剛氏は《この世の中にある すべての言葉と想いで綴っても 僕の胸の中は伝えることが出来ないよ あなたが命尽きるまでの 最後の最期まで (中略) いつまでも抱きしめて生きていくよ (中略) 愛しているよ ありがとう 宇宙一大好きだよ》う~む、追悼のメッセージって、こんなに熱烈なものだったっけ。もちろん、87歳の社長は尊敬すべき人だったのだろう。それは理解できるのだが、普通、40歳の男性社員が亡くなった87歳の社長に向かって「宇宙一大好きだよ」とか、言うかな。百歩譲って仮にそう思っていたとしても、それを公共の「追悼メッセージ」として載せるだろうか。どうも、その辺のところが私には理解不能なのだ。もしかするとこれは、所属している男性社員たちの誰よりも、自分と社長とは“愛し愛された関係”にあったという同僚たちへの強烈なアピールではないのか。

「優秀な外人」と「粗悪な外人」に挟まれながら…

2019-07-11

昨日、今後の日本を考える上で貴重なデータが公表された。十年連続で人口減となったが、その比率は徐々に拡大している。つまり「少子化問題」は待ったなしなのだ。そこでというわけでもないのだろうが、外国人の比率が増えてきた。特に今回の調査で注目すべきは全都道府県すべてで外国人が増えたというデータだ。都市ばかりではなく、地方や田舎でも確実に外国人の居住生活者が増えてきている。これを、どう受け止めるかは難しい問題である。単純に言えば、どこに行っても外国人に出くわす「日本」になった。その日本に来ている外国人を大きく分ければ「優秀な外国人」と「粗悪な外国人」とに分けられる。もちろん、その両方に属さない「普通の外国人」もいる。けれども、その割合は少ない。ここが重要なのだ。日本は“陸続きの国”ではないので、他の国のように「普通の外国人」は多くはならない。最初から日本語を話せるとか、日本の文化・風習を理解して入国してくる外国人は、多くは「頭脳優秀な外国人」である。若い人たちの場合、母国の中で“日本のアニメ”を見て育っているケースも多い。そういう人達は自然と「日本」というものを理解し、日本に親しみを抱いて入国してきているので、日本の慣習にも違和感が少ない。それに対して、さまざまな事情から「労働者」として“特定の期間”だけ働くことを目的として入国している外国人は、もともと日本に永住しようという気持ちが乏しい。あくまで「出稼ぎ労働者」の意識しかない。したがって、日本に“溶け込もう”という意識は少ない。とりあえず日本で生活するため“不慣れな場所”で居住しているのだ。だから、どうしても日本国にも、日本人にも、本当のところ親しみは感じない。大昔、集団就職で田舎から東京に出ていく若者が急増した時代がある。あの時にも、田舎から都会にやってきた若者たちは、不慣れな都内生活の中で田舎を恋しがった。同じような感覚が日本に“出稼ぎ”として入ってくる外人たちにも生じているに違いない。ところが期待したほど“高賃金”ではなく、労働そのものも長時間で休みが乏しいとなれば、不満が募って来るのは当然である。だから「粗悪な外国人」を増やしてしまうか、それとも「普通の外国人」に変えていけるかは、実は日本の今後の“賃金体系”や“労働環境”に掛かっているのだ。昔は日本とアジアの間には「差」があった。けれども、その「差」は急速に縮み、今や抜かれようとさえしている。「粗悪な外国人」が増え、犯罪が横行するか、それとも「普通の外国人」と共存共栄が出来る「大人の日本国」になれるかは今後の日本に掛かっているのだ。

「アイドル」で“失ったもの”は、もう戻らない

2019-07-10

「或る朝、眼が覚めると、僕は有名になっていた」とは詩人バイロンの言葉だが、似たような雰囲気で日本のアイドル達も誕生していく。それは或る意味で、夢見る少女たちにとって“シンデレラ物語”のように魅惑的である。つい昨日まで無名の中学生とか高校生とかが、あっという間に日本を代表するようなアイドルに変わっていくのだ。確かに、そういう人達がいるのは事実だ。けれども実際には、その確率は極めて低い。毎日、何人ものアイドル達がデビューしているが、その多くは何年後かにひっそりと消えていく。実際、冨田真由氏も2011年7月、まだ15歳の時にアイドルユニット「シークレットガールズ」の一人としてデビューを果たしていた。けれども、そのメンバーとしての活動期間は2年に至らなかった。その後、彼女は「シンガーソングライター・冨田真由」として再スタートを切る。いつの間にか大学生になっていた。小さな芸能事務所。小さなライブ会場。それでも彼女には“熱心なファンたち”がいた。小さな事務所に所属するアイドルの場合、自らSNSで宣伝活動をすることは必然である。そうすることで一人でも多くの人が自分の存在に気付き、自分の歌を聴きに来てくれるかもしれないのだ。けれども、ファンというのは必ずしも“良識”があるとは限らない。歌手とかアイドルとして好きになってくれるのではなく、時には個人的な恋愛感情から好きになってしまう場合もある。そういうファンの一人に岩崎友宏受刑者がいた。彼はかなり熱烈なファンとして接近してきた。必ず、ライブ会場には足を運んだ。そして、贈り物などを送ってくるようになった。彼が贈って来たものの中に腕時計があった。高額なものを受け取るのは何となく怖かった。そこで冨田氏は、その時計を送り返したのだ。これが、間違いだった。本当のアイドルはどんな高額品も喜んで受け取り、嬉しそうな写真を載せると良い。そうすると贈った方は満足するのだ。そういうファン心理を冨田氏は知らなかった。もっとも大手事務所と違って、身辺警護の無いアイドルにとってストーカー的な要素を感じるファンに警戒心を持つのは当然でもあった。時計を贈って来た岩崎が、送り返されたことで“悪魔”に変わった。執拗に罵倒し、彼女を追い回すように変わったのだ。「死ね」という文字が散見されるようになる。冨田氏は警察に相談する。一度だけではない。ライブの2日前にも相談に行ったのだ。けれども警察は深刻なものとしては取り合わなかった。ライブ会場付近にも警察官を手配しなかった。その結果、彼女はライブ会場の手前でめった刺しにされた。34箇所も刺されたのだ。意識不明の重体で緊急搬送された。その後、かろうじて命はとりとめた。犯人は懲役14年6月の懲役刑を受け、現在も服役中である。彼女の方は未だに心身とも癒えてはいない。歌うことも食べることもマヒが残っていて十分にできない。視力も低下し、脳梗塞となり、人にぶつかって歩く。PTSDを発症していて、怖くて公共の乗り物さえ一人では乗れない。そういう状態の中で、母親と本人とで警視庁管轄の東京都、加害者、芸能事務所の三者を相手取り、総計7600万円の提訴を行う。提訴の結果がどうあれ、それで身心が癒えるものではない。失った代償はあまりに大きく「アイドル稼業」は“大きな危険”と隣り合わせであることを、改めて感じさせる。

「本場」に売り込めてこそ“本物の占い”

2019-07-09

何でもそうだが「本場」と呼ばれるところの“壁”は厚い。けれども、その本場に挑んでいくことは、その道のプロとして自信があれば“必然”かもしれない。ということで、日本を代表する「カレーハウスCoCo壱番屋」が“カレーの本場”インドに進出することが発表された。既にニューデリーに三井物産子会社と共同で合弁会社を立ち上げ、早ければ2020年にも“1号店”をオープンさせる予定らしい。10年後には30店展開を目指しているらしい。果たして、日本のカレーは「本場」インドで受け入れてもらえるのだろうか。ただ既にアジア圏を中心にして、12の国と地域に180点もの店を出しているらしいので、そういう意味では一応“勝算あり”なのだろう。もし30年後にインド国内で500店舗を達成できていたなら、大成功だと言える。今や日本の“食文化”は、世界に通用することが証明されている。最近は「日本酒」も“世界ブランド”に変わりつつある。今から50年前、誰が日本の「カレー」がインドに進出し、日本の「日本酒」が欧米に進出すると思ったことだろう。“本場”はいつまでも“本場”ではない。最近では日本の「盆栽」とか「錦鯉」とか「忍術」とかも、世界から“熱い視線”が向けられている。そして、いつの間にか日本人ではなくて、外国人が“指導する側”に回っていることもある。そのうち、日本人よりも外国人の方が“日本文化の師匠”として多くなってしまうのかもしれない。そういう中で、取り残されている“分野”の一つに「占い」がある。日本人は、どういうものか、こと占いに関しては“本場もの”を高く評価し、時に“妄信”している。だから日本古来からの占い、日本特有の発展をした占い、或いは日本人が“創始した占い”というものを総じて認めない。いや、認めたとしても“海外産”よりも評価が低い。未だに“欧米の翻訳もの”、或いは“中国の古典的教科書”を崇拝する。その翻訳者が、まるで“その占術の創始者”であるかのような扱い方をする。単なる翻訳者でしかないのに…。そして、わが日本から“本場”に売り込んでいこうとする“占い”を見出していないような気がするのだ。もっとも、売り込むためには“それなりの土壌”を持っていなければならない。日本で受け入れられるというか、マスコミがこぞって取り上げるような占いには、残念ながら“土壌”もへったくれもない。要するに“子供だましの占い”しか取り上げないから、そして芸能人が同じプロダクションの占い師を後押しするという“奇妙な構図”で成り立っているから、世界に“打って出れるような占い”が育たないのだ。近年、台湾や香港では「紫微斗数」の“本場もの出版”が盛んである。けれども、ほとんどの日本人は、その実情を知らない。ありがたがって、どの本であれ信じ切って読んでいる“検証能力乏しき”研究者ばかりなのだ。

“偽古代人”は「沖縄」まで辿り着けるか

2019-07-08

約3万年前、大陸から日本人の祖先が沖縄へと渡ってきた。確定はしていないが、一応そういうことになっている。最初に日本列島へ渡ったとみられる古代人のルートは三つあって、おそらくは沖縄と対馬と北海道。そのうち、もっとも難しいとされているのが「沖縄・与那国島」へのルートだ。7月7日の午後2時38分、台湾南東部の海岸から一艘の丸木舟が出港した。それは3万年前を再現した丸木舟だ。そこに乗り込んでいるのは男性4人、女性1人の合わせて5名。国立科学博物館が選抜したメンバーだ。彼らは太古にわれわれ日本人の祖先が、どうやって沖縄に到達したか、本当に可能だったのか、同じ条件で検証してみようとしている。言ってみれば、彼らは“ニセ古代人”なので、古代の人々が本当にそのルートで来たのか、来れたのか、定かではない。けれども再現する以上は“手漕ぎ”で実証するしかない。3万年前なので“羅針盤”などはない。おそらく途中止まることなく漕ぎつづけて30~40時間かかると見積もられている。一応、危険を伴うので、伴走船がつく。もしかしたら途中ギブアップになるかも知れない。ピラミッド建設でも感じるように、古代人の英知と体力はただものではない。だから、もしかしたら、単なる丸木舟のように見えても、それなりの秘密兵器が備わっていたかもしれない。或いは超人的な方向感覚とか耐久力とか視力とか、何かが決定的に違っているかもしれない。とにかく、無事に与那国島へと辿り着けることを祈りたい。最初に沖縄に渡った人々は海洋民族だったようで、海産物を主食源にしていたとみられる。間違いなく呪術を行っていたが、どういう呪術だったかは明確ではない。それに対して大陸から対馬に渡った古代人は、明らかに亀卜の呪術・占術を行っていた。対馬には古代から伝えられた亀卜の資料が存在していたからだ。北海道に渡って来たのはアイヌ民族の祖先で、同じ大陸でも北方系とみられる。どちらかというと素朴な生活形態がずっと維持され続けた。アイヌ民族にも独特の呪術・占術が存在するが、文字で書き残すことをしていなかったため、現在まできちんと伝承されてきていない。その点は何んとも惜しい。私は、昔から、古代の呪術・占術を研究するのが好きだった。そういう点で、メソポタミアで行われていた「肝臓占い」、ヌビアで行われた「コーヒー占い」、ギリシャで行われた「水盤占い」、トルコで行われた「鉛占い」など、まだまだ習得してみたい占いは山ほどある。それらを正しく教えられる占い師や秘伝書が見つかればの話なのだが…。

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