10月, 2021年

予告通り一気に急落した「日本株」反騰する⁉

2021-10-07

私が《再び「世界同時株安」日本(中略)ピンチ》と書いたのは9月21日のことである。その後、予告通りに「世界同時株安」はやって来て、なんと半月ほどの間に「日経平均」は3000円以上も急落した。9月に入って半月足らずで3万円まで一気に駆け上がった日経平均だったが、あっという間に元の位置まで戻った。正確にいえば、元居た位置以下まで引き摺り下ろされた。なんだってそうだが、一気に“引き摺り下ろされる”のは気持ちの良いものではない。たいていの場合、恥ずかしい。“世界の株価”急落の元凶は“中国の不動産融資危機”に由来しているのだが、そればかりではなくアメリカの方にも問題はあって、世界経済を握っている“米・中”の経済見通しが、共に“怪しくなり始めている”ことが背景にある。「日本」は、何でも“とばっちりを受ける”ように出来ているので、しかも、問題発祥の国より“大きな影響を受ける”よう出来ているので、今回の場合でも「アメリカ株」に引き摺られているのだが、アメリカ株よりも“下げ幅”は大きい。さて、昨日のニューヨークは“揉み合い”の末に「ダウ」「ナスダック」とも少しく上がった。私には“何となく”ここから、日本株が地味にじわじわ反騰し始めるのではないか、という気がしている。丁度、約半月で3000円“急騰”し、そのあと3000円以上“急落”したのだから、そろそろ持ち直してくれないと困るという、“願い”のようなものも含まれている。このようなことを書くと「そんなもの金融市場に通用するか」と思う人が居るかもしれないが、そうとも言えないのだ。元々“株価”というのは「景気」に作用されるように出来ている。景気の“気”は、気持ちの“気”であって、実体がないのもなのだ。何となくの投資家たちの“想い”のようなものが根底にある。しかも、それが“実体経済”にも大きな影響を与える。それも、半年後から一年半先くらいまでの“未来の実体経済”を先取りしているのだ。この「奇妙な事実」は、もしかしたら“われわれ個人の運勢”も、何となくの“気持ち”というものが、案外、半年先以上の“運勢に先行”している可能性があるのだ。

3000人の「聖職者」が「虐待」を繰り返した⁉

2021-10-06

世の中「信じがたいこと」というのは、ある。けれども、この調査をどう受け止めればよいのだろう。何しろ、“普通の人たち”や“犯罪者”の中から選んだ3000人ではなくて、或る意味では「聖なるエリート集団」ともいうべき、キリスト教内における「聖職者集団」の中から出て来た3000人という数値なのだ。もちろん、1950年以降の調査ということなので、70年間に及ぶ“永き間”での3000人で、いま現在の人数ではない。そうはいうものの日本人の感覚からすると“仰天の人数”であることは間違いがない。フランスの独立調査委員会という機関が2年半にわたって調べた教会や裁判所の記録、さまざまな“聴き取り”等の調査に基づくカトリック教会内での未成年者らに対する「性的虐待問題」に関与していた聖職者の人数である。なにしろ“聴き取り調査”が多かったのでそういうことになったのだろうが、2500頁にもわたる「報告書」である。その中で過去の3000人の聖職者たちが「性的虐待を行っていた」ことが詳細に暴かれているのだ。そして、その被害者の数は21万6000人と報告されている。驚くべき数である。こういうことは考えたくないが、もしかしたら、“そのこと”が目的で「聖職者」の道を択んだ者がいるのではないか、と疑いたくなるような数字である。確か「懺悔の部屋」は聖職者のためではなく、一般人のための部屋だったはずである。彼らは性的虐待を行った後で“悔い改め”の祈りを捧げていたのか。前にインドのヒンズー寺院で「集団レイプが行われていた」ことを記したことがあった。あの時にも「聖なる寺院」が汚されていたわけだが、このような数値を見せられると、海外の美しい教会で“聖なるフレスコ画”等を視ても感動できなくなる。イスラム教の「聖戦」として異教徒を徹底的に殺略するのも許せないが、キリスト教の教会で“無垢なる信徒たち”を虐待するのも許せない。「神」の名のもとに行われる行為を“十代の信徒たち”は拒絶できなかったはずだからだ。教会内で「性的虐待」にあった信徒たちは、それでも「神」を信じたのだろうか。それとも「神」を呪って生きていったのだろうか。

「実名投稿」を「無記名投稿」に“優先”すべし

2021-10-05

最近、Yahoo!ニュースの“コメント投稿欄”では、過度な誹謗・中傷コメントに対して「排除していく方針」を明確に記載し始めた。10月1日のコメント投稿数が急増し、その多くが誹謗・中傷に属するものであったが故の措置らしい。何に対しての投稿だったか明らかにしていないが、多分「眞子さまの結婚」に対する投稿だったに違いない。確かに、私もその一部を読んだが、あきらかに“行き過ぎ”の内容が多かった。この件に限らず、最近の“コメント投稿”は、或る種の“怨念”にも似た誹謗・中傷を記したものが多い。この措置以降「もっと早くに改善すべきこと」とか「コメント欄そのものを無くすべき」とかいう意見もあるようだが、一応の“改善策”としては評価すべきかもしれない。投稿コメントの中には、同一人物がほぼ同じ内容を何回も記しているものや、ニュース内容とは直接関係がないことを記しているケースも多い。Yahoo!によると、AIによる“内容チェック”は行ってきたようだが完全に精査しきれないということで、改めて監視体制を強め「排除していく方針」を打ち出したようだ。ただアマゾンの“書評コメント”などでもそうだが最初から“誹謗・中傷”を目的としているかのような投稿も多い。例えば私の本に対して「まだ、ちょっとしか読んでいませんが…」というのがあった。どうして、ちゃんと読む前に書評を投稿するのか。そういう不可思議な投稿も含めて、私は以前から「名前を明らかにして投稿すべき」と主張してきた。自分の名前を出さないで書く場合には、さまざまな“不正”や“意図”が生じやすいからだ。けれども、よくよく考えると、そうしない方が良いケースもあることに気付いた。そこで「実名投稿」と「仮名&無記名投稿」とを、同じスペース上に同一基準で表出させるから問題が生じやすいので、コメント欄を最初から分け“それぞれのスペース”に載せるようにした方が良いのではないか。そして実名投稿を優先すべきではないか。そうすれば実名投稿のみを参考にする人、無記名投稿に共感を求める人とが出て来て、双方ともそれなりの役割を果たすことが出来るのではないだろうか。そして、実名投稿の場合「姓名・年齢・職業」をセットで記入する形にしてもらうのが良い。いや、無記名であっても、ほんとうは「年齢」と「簡単な職業領域」は記してあった方が良い。世代的な“考え方”や“感じ方”の違いはあるし、また個々の携わっている職業によっても“意見の分かれる部分”というのはある。そういうものを踏まえて投稿を読めば、もしかしたら共感・共鳴は出来なくても、納得は出来るかもしれないからだ。

ネルビオン川に“浮き沈み”する「美女の顔」

2021-10-04

現代アートにはときどき“意味の解かりずらい”作品が登場する。昔ながらの芸術は美術館に展示されるが、現代アートの場合は“美術館で視る”とは限らない。ということで、スペイン北部にビルバオという大きな街がある。この街には世界最古の運搬橋が掛かっているネルビオン川とグッケンハイム美術館があることで知られている。けれども「ビハール(バスク語で「明日」)」という作品は、この美術館の中にはない。運搬橋で有名なネルビオン川の方にある。メキシコの芸術家ルーベン・オロスコ氏の作品なのだが、120㌔のグラスファイバー製で2.5mもある「美女の顔」は、やや斜めに“浮き上がる”ような角度で水面上に浮かぶ。もし、これが“普通の大きさ”だったら、間違いなく「美女の水死顔面」と勘違いしてしまうだろう。しかも、この顔面だが、常に“浮き上がっている”わけではない。潮の満ち引きによって、水面上に浮き出たり、ほぼ沈んだりする。或る意味では、アートというより科学実験製品のような趣もある。しかも、その“浮き出る時間”“沈んでいく時間”が図表で公開されている。どうして、こんな作品を作ったのか。実はこの作品は、地元銀行の“キャンペーン”として依頼されたもので「ビハール(明日)」という作品名には深い意味がある。つまり、このまま急速に“地球温暖化”が進めば、海面が上昇してきて、ビルバオという街自体も沈んでいくかもしれない。「私たちの行動によって、私たちが水中に沈んでいくか、水面に顔を上げて生きられるか、試されている時代である」ということを表現したかったそうである。もちろん、そのこと自体は十分に理解できるのだが、私は別な意味から、この作品を捉えてしまった。つまり、われわれの「運勢」というのも、最終的には自分自身の“生き方”や“在り方”によって、将来的に“浮上”していくことが出来るか、或いは“沈んでしまう”のかが、無意識のうちに選択している部分があるような気がするのだ。

ホンモノ「自国通貨」が“100万分の1”になる⁉

2021-10-03

「ハイパーインフレ」と呼ばれる現象がある。物価がとてつもなく急上昇していく現象だ。どうして急上昇するのかと言えば、なかなか“手に入らなくなる”からだ。誰だって必要なものは、手に入れたい。けれども、その品物の数が乏しければ高騰していく。南米のベネズエラという国は、あまり日本には馴染みがない。十数年前までは天然資源に恵まれ比較的“豊かな国”であった。ところが、ここ何年かで急速に“貧困化”が進んだ。特に“世界的なコロナの影響”で輸出入がストップし、街中のスーパーから“物資が消えつつある”のだ。その結果、当然のこととして物価が急騰してハイパーインフレに突入した。日本の場合にはモノがあふれて値段が下がる“緩やかなデフレ”なので、それほど生活に支障はないが、デフレだって一気に進めば生活に混乱が生じる。ベネズエラの場合、そのインフレ率は2019年が9500%、2020年が3000%、2021年が1600%という具合である。つまり、数字的には徐々に改善しているのだが、それでも極端なインフレ状態からは逃れられていない。そこで政府のとった対策は「通貨の切り下げ」である。それも大胆な“切り下げ”である。中央銀行は10月1日から、旧通貨である「ボリバル・ソベラノ」からゼロを六つ減らした「ボリバル・デジタル」に切り替えた。まあ、100万円札が1円札になるようなものである。実際の商店では“新しい紙幣”も使われるが、“ドル紙幣”の方が一般的なようである。旧紙幣なら、山のような紙幣を持ち歩かなければならない。当然のことながら、政府は“最低賃金”もこれまでの3倍に引き上げているのだが、とても物価の上昇に追いつける額ではない。国全体が急速に“貧困化”しているのが実態なのだ。国民の4人に3人が“飢えている状態”なのだ。このようにハイパーインフレは国民を苦しめるが、インフレも“適度な上昇”であれば、国が豊かになっていく特徴で悪いことではない。日本だって、もし“ちょっとだけインフレ”に変われば、もっとみんなの収入が増えて、もっとみんなの消費が増えて、もっと国の税収入が増えて「日本国」全体が潤っていくのだ。

「心霊界」から「現世界」に戻った小林麻耶氏

2021-10-02

彼女には同情すべき部分も多い。何しろ“最愛の妹”を「がん」で喪ったのだ。その後は、その子供たちの“母親役”を必死に演じたのだ。そういう中で“スピリチュアルな数秘世界”に傾倒し始めたのは、ある意味仕方がない、と言えるかもしれない。そんな中で“謎の整体師”國光吟氏と出逢い、交際ゼロ日で結婚した。その後、彼の影響を強く受けて“タレント活動”に支障が出るようになる。一時的にはYouTuberを目指したりもした。結局“目覚めた”かのように、國光氏のもとを去った。現在は「離婚協議中」とも伝えられるが、どうなったのかは判っていない。そういう中で7月13日以来のインスタグラムの更新を行った。そこにはプリンスホテル内で“自撮り”した写真が添えられている。一時期からは何となく“印象が変わった”姿が、そこにある。白いブラウスに、黒いロングスカート、そして長い黒髪。笑顔の彼女は一時期よりも若々しい。それに健康そうな印象を与える。10月1日の更新内容は“乳がん”への理解を深めてもらうため「ピンクリボンセンター」で講演を行ったことを伝えている。元々がアナウンサーなのだから“講演”は、よどみがないのだ。それを終え、責任を果たしてスッキリとした気持ちからだろうか、自然な笑顔が神々しい。もしかすると、“最愛の妹”が亡くなって後、彼女は片脚を“心霊界”に突っ込んだまま過ごしていたのかもしれない。それが、國光氏との離婚協議に辿り着き、その片脚も“現世界”に戻ったようである。むしろ「現世界」に戻ったことで、清潔で神々しい光を宿したように見える。私は芸能人などの著名人が「占い師」として活動することを悪いとは思わないが、一つだけ注意しなければならないのは、元々のファンを持っていたり、簡単にTVに出られたり、マスコミが宣伝してくれたり、特典が多いだけに“過信しやすい環境にある”ということである。“ゼロ”から信頼を得ていった占い師とは根本的に異なる。その点を自らがわきまえていないと、必ず、煩悶していく時期が来る。だから、占い師になるのはかまわないが、通常の占い師の倍くらい研鑽しなければ“その壁”を突破できない。彼女の場合は、ラジオや教育系TV番組のキャスターなどの方が向いている気がしてならない。

2021年10月の運勢

2021-10-01

「家系・血統」と「本人の運命」の微妙な関係

2021-10-01

さまざまな方の“人生”を視ていると、“家系・血統”というものがその人の“職業”や“運命”に大きな影響を与えていく人と、ほとんど影響を受けていないように見える人とがいることに気が付く。もっとも、その影響を受けそうなのは“職業・仕事”の分野がいちばんで、特に代々の家業・商売のようなものを受継いでいる家系に生まれている場合、それが顕著になる。今は昔と違って「家業」だから受け継がなければならないとか、先祖から伝わる「土地・家屋・財産」だから持続させなければならない、とかいうものでもない。けれども、政治家・芸能人・スポーツ選手・皇族などの人生を見ていると、やはり“血の継承”というものは、どこかにあるような気もしないでもない。普通の会社員だって、その性質、外貌、体質、才能などは、どうみても“親子”として、また“兄弟”として、時に“先祖”として「同じ血が流れている」と感じる部分も多い。ただ、厄介なのは、こと「運命」に関しては、必ずしも“親子だから”或いは“兄弟だから”共通しているとは言えない、ということである。考えてみれば、その性質だって、外貌だって、体質や才能だって、共通の要素もあるが、まったく違う部分もある。しかも、例えば“家系的な遺伝”と言っても、実際には父方からの遺伝なのか、母方からの遺伝なのか、双方を合わせたものなのか、よく解からない部分もある。私の母方の家系には“教師”と“医師”が多い。けれども、母親自身は“教師免許”は持っていたがいちども教壇に立ったことはない。私の父方の家系は“農業”である。父親の話によると、父親の祖父は「家相で財産をつぶした人」だったらしい。だから、なおのこと、私が“占いの道”に進むことを嫌った。母親は私が仕事に就けず、アルバイトで“家庭教師”を始めた時、とても嬉しそうだった。もっとも私は、その“家庭教師”にも失敗したのだが…。ただ今になって思うと、私は実占としての“鑑定”も好きだが、二十代半ばで“占い稼業”を始めた時、鑑定家としては全く商売にならなかったが、“占い教授”の方は最初から“習う人”が出て来た。実占のお客さんとしても、もっとも多かったのは“医療関係者”である。そのようなことから考えると、先祖・親戚に多い“教師”や“医師”というのは偶然ではないかもしれない。TVでの依頼ももっとも多かったのは「風水(家相)」に関しての出演だった。もしかすると、先祖・家系というのは、微妙な形で子孫たちを見守っているのかもしれない。

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