12月, 2022年

2023年1月の運勢

2022-12-31

「にっぽんの歌」が「紅白」を視聴率で抜く⁉

2022-12-30
12月31日に放送の「NHK紅白歌合戦」がテレビ東京系「年忘れにっぽんの歌」に、視聴率で抜かれる日がやって来るという話だ。もちろん、今年ではなくあと7年くらい先の話だ。ちなみに昨年は「紅白」の方が34%で「にっぽんの歌」の方は8%である。したがって、今年すぐの逆転など有り得ないが、徐々に猛追していくことは間違いがない。もしもNHKの視聴率が30%を下回ったなら「紅白歌合戦」という番組自体の“あり方”が問われることになるだろう。なんといっても今年は“紅白の人選”に対する前評判が良くない。若い視聴者たちに“媚び過ぎた人選”との受け止め方が多い。韓流のメンバーがあまりに多いこと、ジャニーズ系のメンバーも多いこと、一応“白組”とか“紅組”とか、分かれているが、その名前だけではどちらなのか、わからない歌手も多い。たとえば、BE・FIRSTとか、Aimerとか、Vaundyとか、JO1とか、IVEとか、緑黄色社会とか、どれが“白組”でどれが“紅組”なのか、あなたには解かるだろうか。それに、どういう歌を歌っているのか問われても、なかなか答えられない。もちろん、時代は常に流れているのだから、今年流行った歌、注目の楽曲や歌手を取り入れるのは当然のことなのだろう。だが、TV番組で“歌番組”というものが減ったせいもあり、歌手の顔に“馴染み”というものが無くなっている。一つには単独で歌う歌手があまりに少なくなったせいもある。昔「紅白」が好まれたのは、一つには“馴染みになった顔”が沢山出るからだった。TVに毎日のように出ていて、何となく“身近に感じられる歌手”が沢山、その年の終わりに出てきた。だから「今年は、こういう年だったな」との実感が持てた。けれども、見知らぬ人ばかりが多数出て来て、聴いたことのない歌を歌われても「ふ~ん」と思うだけである。そういう番組を長時間見せられても、家族全員でのんびり視聴できないのは考えてみれば解ることではないか。そこで高齢者たちを中心として「にっぽんの歌」に切り替える人々が多くなってきたのだ。もちろん、こっちはこっちで“問題”がないわけではない。若い歌手が全くいないのだ。もう少し“若いメンバー”も加えてやるべきだろうと私などは思う。出場メンバーには高齢者が多い。86歳の北島三郎、83歳の畠山みどり、77歳の梶光夫、77歳の三沢あけみ、76歳の美川憲一、75歳の千昌夫、74歳の瀬川瑛子……といった面々だ。逆に若いのは33歳の大江裕、38歳の丘みどり、39歳の山内惠介、44歳のDAIGOといったメンバーだ。なぜか、ロックのDAIGOが入っている。要するに高齢者たちに好かれる歌手ならOKということなのだろう。わたしは「紅白」にも「にっぽんの歌」にも出ていないフォークソングの歌手たちや和製ポップスやニューミュージックの歌手なども加えて行けば、文字通り「にっぽんの歌」として誰もが聴きやすい夜となるような気がするのだが……。

「人生」に“つまづくこと”は誰でもあるが……

2022-12-29
わたしは「運命」というものを扱う仕事をしているせいか、その「運命の成立ち」或いは「人生の仕組み」のようなものに人一倍関心が深い。埼玉県飯能市の住宅街で25日の早朝に殺人事件が起きた。69歳の米国籍の男性、そしてその妻である68歳の日本人女性、さらにはその二人の娘であり都内在住の32歳の女性の三人が、同じ地域で60メートルほど離れた場所に単身で暮らす40歳の斎藤淳容疑者によって殺害された。容疑者はその後、その住宅に火を点けたのだが、近隣からの通報が早かったので、すぐ逮捕されてしまった。斎藤淳はなぜか“この家族”に対して、以前から強い“恨み”を抱いているようだった。昨年の8月~12月にかけて6度も、門扉とか車両とかを損壊している。そのたび容疑者として浮上するのだが、そして3回逮捕されているのだが、供述を否み不起訴になっている。したがって、今回のような事件が起これば、仮に逃亡しても真っ先に疑われる。それを承知で殺害に及んだとしか思えない。もしかすると放火して家を全焼してしまえば、不審火で処理されるとでも思っていたのか。容疑者が、被害者家族の“どういう部分”に対して“恨み”を抱いていたかは明らかではない。ただ“おの”や“まさかり”のような鈍器で執拗に後頭部とか頸部とかを襲っているところをみると“逆恨み”かもしれないが“恨んでいた”のは間違いない。容疑者は30年以上前に、この地域に来ている。その時には一人ではなく、両親も居て、姉も居て、祖母も居たらしい。ところが、どういうわけか次々と、家族がこの家から出ていく。最終的に引き籠もりに近い彼だけが残った。中学時代から“引き籠もり”的な要素があったという証言もあるが、一応、芸術大学を卒業している。そして、その後は映画監督になるべく努力したようだ。ただ初制作した作品の最終段階でスタッフと衝突し、それ以降現場に出て来なかったようだ。したがって、彼の作品は一つだけ存在しているのだが、実質的には“未完”だったものを残りのスタッフで完成させた作品なのだ。要するに、才能はあったと思うのだが、人間関係を築くということが、根本的に出来ないというかヘタというか、社会への適合性に問題ある人物だったようだ。どのような仕事分野でも多少の“人間関係の構築”は必要で、それは才能とは別物である。仮に彼がどんなに優れた才能や素質を持っていたとしても、それだけでは世の中が認めてくれない。稀に“天才”の中には、それを無視して著名になる人物もいるが、結局、長続きできない。それだけでは生きていけないように出来ているのだ。人生上の“つまづき”はだれにでもある。問題は、それを肥やしとして再チャレンジできるかどうかなのだ。

「最新科学」も「神様」も、全米を救えない⁉

2022-12-28
いま日本国内でも「寒波」が来襲中だが、もっと強烈な寒波に襲われているのが全米である。文字通り“クリスマス”に天空からやって来た寒波で、アメリカを象徴するニューヨーク州で長時間のホワイトアウトなどによって27人が死亡している。「寒さ」で死ぬというのは辛い。一気にというより、徐々に“死が迫ってくる形”での「死亡」となるはずで、その意識が薄れていくまでの時間が長いだけに“拷問的な恐怖”であろうと思われる。そういう時、人は何を願うのだろうか。もちろん、具体的には救出隊がやって来ることかもしれないが、実質的に“嵐が収まらなければムリ”だと解っている場合、おそらく多くの人は「神に祈りをささげる」に違いない。人間というのは不思議なもので、普段、どんなに無神論者で「神などいない」と断言するような人でも、そういう時には神様に祈る。いないと思っているのだから、祈っても無駄なように思うのだが、人間の本能というのは、そういう風に出来ている。もちろん少数の人は「神」ではなく「科学の力」を信じようとする。ここはアメリカ最新科学の国なのだ。すべての問題、すべての悩みを“科学”で解決してきた国ではないか。ニューヨークはその象徴の場所ではないか。けれども、科学というのは、どういうものか「大自然の脅威」にはからきし弱い。他のことには敢然と立ち向かっていくのに、どういうものか「大自然の脅威」には手も足も出ない、というのが今のところの真実なのだ。だから、アメリカでは大自然の脅威にさらされての死者数が毎年、後を絶たない。結局、アメリカンドリームを求めて移住した人々は、こういう時に自らが求めた国には“儚い夢”しかなかったことに気付く。「理想郷」や「桃源郷」はどこまでも遠く「山のかなた」にしか存在しない。日本の詩人は「山のかなたになお遠く幸い住むと人の言う」という有名な詩を遺した。最新科学も、神様も、ちょっとずつ“人助け”はしているのだが、まだまだ生きながらえる人の命を片っ端から救って、すべての人たちを幸せにするまでの力は持っていないのだ。

「学習教員」と「生活教員」の“分別”が急務⁉

2022-12-27
文部科学省の調査で何らかの精神疾患で“休職している”教員の数が、過去最多の5897人に上っていることが公表された。小中学校が荒廃していた一時期に比べれば、教員たちの負担は減っているかに思っていたが、実態は決してそうではなかった。現代はSNSが普及しすぎたせいで、あらゆることが表に晒される。その結果、教員たちは或る意味で“息抜きの場”というものがない。ただ単に担当教科を教えていれば教員が務まった時代とはわけが違う。今は、その外貌、履歴、私生活、性格まで、生徒と父兄の両方からチェックされる。更に組織としての“教育委員会”と“先輩教職員”から大きなミスが出ないよう監視される。新任の教師たちにとって、これほど過酷な職場はない。「教える」ことだけが主な仕事であった時代であれば、帰宅後は自由にできたはずだが、今はそれ以降の時間さえも携帯電話とSNSでの包囲があるため、簡単に気を抜くことが出来ない。そういう仕事・職場に居れば、徐々に精神が病んでいくのも当然であろう。なぜ教育現場では、その改善を行おうとはしないのだろう。学校を“学問を教えるところ”に限定してしまえば良いのだ。それ以外の“生活”や“性格”や“健康”や“トラブル”に関しては、教員以外が扱うよう変えてしまえば良い。現在も“一部分”はそうなっているが、一部分ではなく、全体をそういう風にしてしまえば良い。子供だから「学習」も「生活」も重なり合っている……という捉え方は現代では無理がある。完全に分けてしまわないから、齢若くて社会経験も少ない教員が、さまざまな問題行動を起こす生徒やその父兄に翻弄されることになる。そうすると、本来、教育学習そのものは優れていたはずの教員が“精神的な病”を抱えることになりやすい。人生上の諸問題というのは、どうしても“経験知”というものが必要になる。昔は子供(生徒)だけ相手にしていればよかったから、それがなくても通用したのだが、今は“その父兄たち”の相手もしなければならない。無視すればSNS上で叩かれる。或いは、すぐ教育委員会の方に“問題提起”される。昔とは違うのだ。だから“一部分”だけではなくて、学習以外のすべての問題を「生活教員」が受け持つよう変えてしまった方が良い。そうすれば、生徒の方にも“救われる者”が出て来る。イジメとかセクハラとか引き籠もりとか、さまざまな事象に通常の教師をあてがうのは“職域”を超えている。上手く対応できなくて当然なのだ。早急に考えるべきは「生活教員」の補充である。

観相学的にも太鼓判「ベイビーおでこ」で強運

2022-12-26
われわれは無意識のうちに“幸運の芽”や“不運の芽”を紡いでいることがある。たとえば「美容整形」だ。通常、美容整形というのは「美しくなりたい」から行うもので、ユーチューバーてんちむの「整形企画」に動員された元タレント坂口杏里氏の場合も、もちろん“それ”が一番の目的だったと思う。坂口杏里氏と言えば、一応、現在は“一般人”だが、ほとんどの人からは“お騒がせタレント”のイメージが強く、芸能界を引退した後にも自らSNSでプライベートなど公開している。今回の“お世話がせ”は何かというと、美容整形を行ってのビフォーアフターだ。公表された画像を観ると、確かに「整形前」と「整形後」とでは明らかに違う。顔の数カ所を整形したらしいが、一番目立つのは“額の違い”であり、整形後の方が額が高く、ピカピカとして、特にその中央部分がこんもりと盛り上がっている。こういう額に整形することを「ベイビーおでこ整形」というらしく、わたしは初めて知った。男性でも女性でも額に凸凹の目立つ人がときどき居る。本来はそういう人向けの整形らしく、額全体を整え「見栄えの良い額」を作る。ただ「ベイビーおでこ」と名付けられる場合には、主として女性に向けて行う整形で、ただ単に額の凸凹を無くすだけでなく、額の中央付近を特に丸く高くして“幼児のような額”を作ることで「女性らしく可愛らしい顔貌」を作ることを目的としているらしい。実際には自らの脂肪を摂取して額に注入する方式と、ヒアルロン酸を注入する方式と二つの方式とがあるらしい。彼女の場合には、それ以外にも何カ所か直したらしいのだが、一番目立つのは“額の違い”であり、その結果、もじどおり幼児期に多い“こんもり盛り上がって美しい額”を手に入れた。これまでの凸凹の額では観相学的に仕事運&目上運が良くない。確かに仕事上のトラブルが多かった。目上に関しても反抗的で敵対することが多かった。本人は“可愛らしい顔”を目指したのかもしれないが、偶然にも今度の「ベビーおでこ」は、何よりも“目上との関係が良くなるオデコ”なのだ。仕事上でも目上の人たちからの恩恵を授けられるようになる。さらに、この額を持っている幼児たちが実際にそうであるように“生命力”が強まる。これまで体力的にも強いとは言えず、やや不健康な印象も強かった彼女だが、今後は健康・健全な生活に変わっていくだろう。ただ仕事運が強まるので、これまでのように恋愛・結婚などプライベートを重視する暮らし向きは合わない。もしかすると芸能界復帰もあり得るが、その代わりに“失うもの”が出て来るかもしれない。

結局「王子様」は18歳「肇(はじめ)」に変った

2022-12-25
自分自身の“なにか”に違和感を持つ人は意外なほど多い。その典型は「性」に対して違和感を持つ人たちで、その多くは人生の途中で“変えよう”と努力する。それとやや似た要素を持つものとして「姓名の違和感」がある。自分の名前なのに“自分の名前”のような気がしない。或いは“それ”が自分の姓名であること自体が“嫌”で仕方がない。それなら、いっそのこと変えてしまえば良い。「親から授かった名前だから、大切にしなければ…」という人もいるが、だれが観ても“違和感”を抱くような名前の場合は、変えた方が良い。その方は18歳まで「赤池王子様」として過ごした。けれども、そういう名前には違和感を持っていて、15歳以上であれば「親の同意なしに改名できる」という法律を知って、すぐに改名の手続きに入った。高校生18歳の時である。なかなか勇気ある行動だな、とわたしは思う。外部から「改名した方が良い」というのはたやすいが、実際に自分が18年間使い続けてきた名前を、だれにも相談せず、家庭裁判所に書類申請して変えていくのはとても勇気のある行動だ。そうして家庭裁判所からの許可が無事に降りて、その“変更手続き”を役所に届け出てから、彼は母親に事後報告した。名付けたのは母親だった。私が思うに、もしどうしても彼女がそういう名前を付けたかったなら「赤池王子」にしておくべきだった。これであれば、本人が18歳の時点で「変更しよう」とまでは思わなかったはずだ。「王子」という名前なら、仲良くなった友達・仲間などが呼びやすい。スポーツ競技なら応援しやすいではないか。社会人になった後の人との対応でも「王子」だけなら、さまざまな書き方があり、必ずしも相手側に“違和感”は生まない。けれども彼の母親の間違っていたところは「王子様」まで付けてしまったことだった。これでは公的な場などでは「王子様様」となって、ちょっと恥ずかしい。中には笑ってしまう失礼な人がいるかもしれない。父親にも相談せず、母親が独断で名付けたということで、事後報告として伝えた時には号泣されたという。彼が幼い頃、既に離婚している父親は、変更したことをすんなり受け入れたという。こうして彼は晴れて「赤池肇」となった。変更後3年経っての心境などを週刊誌がインタビューしている。彼自身は“将来を考えて”変更に踏み切ったということで、変えたのち“何か”が大きく変わったかというと、特別なものはないようだ。いや、たぶん一番大きいのは彼自身の“気持ち的な変化”ではないだろうか。もう“笑われなくて”も良い。もう自分の名前に“違和感”を持たなくて済む。「ふつうの人」として生きていけるのだ。

「外出禁止」サンタクロースと受験生“滑る”⁉

2022-12-24
「クリスマス寒波」で日本の西側半分の地域で雪が降っている。冬にはいつも雪が降る北海道とか青森とか新潟とかだけでなく、広島とか高知とか福岡とか……そういう所でも降っているらしい。それによる事故も頻発している。北海道の紋別市では13000世帯の電気が止まってしまったらしい。真冬の北海道で電気が二日以上ストップし続けると、まちがいなく死者が出る。それくらい真冬の北海道は“電気なし”では生きていけない場所なのだ。おとといの夜、久しぶりに外へ出たが、路面には“べちゃべちゃの雪”が薄く重なり合っていた。夜になって気温が下がると、べちゃべちゃなまま固まって氷と化す。これが危険なのだ。表面上は滑りそうに見えなくても、実際に歩くと滑る。私の靴は買ったばかりで“真冬用”なので、本来なら滑るはずはないのだが、それでも滑る。そこでわたしは思ったのだ。「クリスマス寒波」と言えば、日頃、勉強でお疲れになっている受験生が“つかの間の癒し”を求めて“その日”だけ外へと出る日ではないか。ん⁉ こんなに“滑る”のに出て良いのか。いや、出ても良いが“滑って”も良いのか。いや、彼らは人いちばい慎重に歩くので“滑る”はずがない。滑って転んで“骨を折る”など、とんでもない話だ。大昔、おふくろは大晦日の日に転倒して骨折し、どの病院も開けていなくて元旦も、二日も、三日も、煩悶し続けていた。今ならどうにかなりそうだが、それでも“受験生に滑る”はイメージとしても良くない。もうひとり、イメージとして良くない人に「サンタクロースさん」が居た。彼ももう“お年寄り”なのだし、外出は控えた方が良い。何も“寒波のやって来る”真夜中に出掛ける必要はないだろう。それに、大きな荷物を持って滑りながら歩くのは危険だ。トナカイたちもこんなべちゃべちゃな轍の多い雪道には慣れていないから、振り落とされるに決まっている。第一こんな日に無謀にも屋根に上るなんて考えてもみよ。落っこちでもしたら、それこそ目も当てられない。大体、多くの戸建ても今は「立派な煙突」を所有していない。だから煙突からは入れないし、仮に入ったとしても、北国は寒いのだ。ストーヴの火で焼かれて“丸焼き”として食卓行きに違いない。サンタクロースの袋は燃えやすいのだ。とにかく受験生とサンタクロースは“外出禁止”にした方が良い。

ワクチン接種後の死亡例「多数存在」の事実⁉

2022-12-23
ジャーナリストの山路徹氏が、自分の実兄の“突然の死”を「コロナワクチン接種2日後である」として、そこに「因果関係はないのか」と疑っている。実質的には心筋梗塞によっての急死であり、必ずしも“ワクチン接種との関係性”については明らかではない。だが“接種から2日後”であることを“偶然”だけで片付けるには、あまりにやりきれないのが身内・家族として当然の心境だろう。特別な疾患があったというのでもなく、年齢的にも63歳という年齢は現代においてまだまだ若い。それだけに“どこにも持って行きようのない悔しさ”があるのかもしれない。彼は奇妙な形で全国的に知名度の上がったジャーナリストだが、元々は“社会派”として知られる硬派の記者である。納得がいかないものを追求するのは天命と言える。実際、コロナワクチン接種による死亡例というのは意外なほど多い。ファイザー社製ワクチンで1707件、モデルナ社製ワクチンで209件が報告されている。いわずと知れた大手2社による事例で、実際の接種数からその比率を求めると「稀なるケース」となることは解かっている。しかも医薬品であるから、その程度の事例は“出て来て当然”と言えるのかもしれない。ただ実際にその「稀なるケース」が自分の身内に起こった場合「医薬品なのだから、そういうこともあるよね」で片付けられるものだろうか。もちろん、だから普段からアレルギー的な要素の強い人、特殊な先天的体質を持つ人など、不安な人の場合「接種しない」という選択肢もある。自分の体質は自分が一番わかっていることで、身体のことは最終的に“我が身は自分で守る”しかない。それは解っているのだが、それでも“何らかの因果関係のあるなし”だけでも知りたいというのは心情的に理解できる。私は以前、何かに「命のろうそく」のことを書いた。人にはそれぞれ先天的に“定められた命”があって、その命の長さだけの“ろうそく”が燭台に灯っている。ろうそくの長さは最初から決まっているが、時として、そのろうそくは“吹き消されてしまう”こともあれば、誰かのろうそくと“入れ替えられる”こともある。よく「命を貰った」という表現があるが、まさに、そういう現象も起こるのだ。「命」を貰うと、ろうそくは“入れ替えられる”ので、まるで何一つ病気などなかったかのように、その人は回復するのだ。

「奇跡の72歳」をCBSが来年春「世界に発信」

2022-12-22
たとえば「顔」だけが“奇跡的な若さ”を保っているとか、或いは「身体」だけが“奇跡的な若さ”を保っているとか、そういう人はたまにいる。けれども、その“顔”も“身体”も、ただ単に若いだけでなく「美しいまま保っていく」のは容易ではない。特に身体の方は、なによりも健康でなければ“保つ”ことが出来ない。だから、そういう意味では元々が「西野バレエ団」の優等生として、或いは「西野式呼吸法」の伝導者として昔から知られていた由美かおる氏は奇跡的な存在だった。その“奇跡的な存在”が海外メディアの眼に留まった。アメリカのCBSが彼女の“若さと美しさ”に着目し「奇跡の72歳」として来年の春に“世界発信の特番”を組む。1960年代後半~1970年代前半にかけ、西野バレエ団に所属する五人組がTVで活躍していた。金井克子、奈美悦子、由美かおる、原田糸子、江見早苗というメンバーだった。実は、このメンバーは、その後、さまざまな形で成功を収める。金井克子は『他人の関係』で大ヒットを飛ばし、奈美悦子はやがて通販番組などで知られるタレントになる。原田糸子は早くに引退したが陶芸家として成功している。江見早苗は作詞家として『人恋しくて』などのヒット曲を持つが、自宅内で36歳の時に惨殺された。そして由美かおるは「水戸黄門」の“入浴シーン”で女優としての人気を不動のものにした。中でも由美かおる氏は「西野バレエ団」の“顔”として、その独特な呼吸法の伝達者としても広く知られた。それぞれが“美しさ”を保ち、それぞれの分野で“才能”を発揮したが、或る意味で“西野呼吸法”の成果をもっとも体現した由美かおる氏が、その“奇跡の秘密”を世界に向けて発信することになる。「健康で美しさを保つ」というのは女性の場合、永遠の願いなのだと思う。それを72歳になって実現している長寿国の日本女性が世界に向け発信する。CBSとしての着眼点は、仮にそれが“偶然の選択”だったとしても、もっとも相応しい人物だったと言えるし、それがどのような反応を呼び起こすのか、大いに興味深い。

今度は一転「円高恐怖」の時代がやって来る⁉

2022-12-21
つい二か月ほど前まで世間は「円安」を“目の敵”のように怖れていた。本来、輸出企業の多い「日本」にとって「円安」は“悪いこと”ではなく、全体的にはプラスの事象が多い。にも拘らず、マスコミがあおったせいで世間は「円安」を“悪いこと”だと思い込んでしまった。悪いのは“急な円安”だったのだが、ほとんどの人は“すべての円安”と誤解してしまった。ところが、その“悪い円安”は「1ドル=150円」を頂点として急激に止まった。止まったどころではなく、急激に“逆方向”へと動き出したのだ。今度は“急な円高”だ。昨日~今日にかけ“ドル円”は一挙に6円も動いた。その結果、一時「1ドル=130円」となった。2か月前の150円から一気に130円だ。この結果、奇妙な現象が起こる。すべての原材料が値上がりしたとして、それを早くも価格に転換した“大手食品メーカー”には、素晴らしい反転劇となる。つまり、誰ひとりの反対もなく、世間にすんなりと受け入れられた価格改定。それは「1ドル=150円」だった時の価格改定なのだ。だから、もし、このまま“逆方向”である円高方向へと進んでくれれば、一挙に値上げした大手食品メーカーは“大儲け”をすることになる。逆に「1ドル=150円」の時に価格を決めた“製造品の輸出メーカー”は“大損”を食らうことになる。それでなくとも、原材料を輸入に頼っている企業が多いので、日本の製造品の多くは「見た目ほど儲けが出ていなかった」企業が多い。それでも円安が強まれば、多少の“値引き交渉”に応じざるを得ない。ところで、なぜ、急に“円”は一日で6円も急騰したのか。それは日銀が長期金利の変動幅を0.25~0.5に引き上げたからだ。つまり、わずか“長期金利だけ0.25”引き上げただけの話である。アメリカとか欧州とかは今年に入って何度も“0.75”も引き上げている。つまり、日本の“ほんのちょっとの利上げ”に対して過剰に反応しすぎているだけに過ぎない。誰も“引き上げる”と思っていなかったので、金融市場が過剰に反応しただけの話だ。ただ、こういう動きは連鎖しやすいし、予期せぬ現象を引き起こしやすい。もしも、このままどんどん円高方向へとブレたなら「悪い円安」どころの騒ぎじゃない“パニック的な日本売り”が一気に起きてくる可能性すらある。「悪い円高」にだけは絶対になって欲しくない“恐怖のシナリオ”なのだ。

過去は幻…そう言えば東国原という知事が居た

2022-12-20
人間はだれでも本能的に“生きていく途中”で自らの「運勢」というものを感じ取る。「運勢」とは文字通り「その時々の勢い」のことだ。「勢い」のあるとき、人は実力以上の力を発揮する。逆に「勢い」が失われてしまうと、本来持っていたはずの力を発揮できない。2007年、そういう意味で東国原英夫氏は「運勢」の勢いに乗っていた。「宮崎をどないかせんといかん‼」彼は久しぶりの地元で華やかな脚光を浴び、マスコミの後押しもあって宮城県知事となった。まったく政治経験を持たなかった彼が、いきなり県知事となったのだ。TVや新聞や雑誌が注目した。連日のように彼の一挙手一投足が報道された。彼は東京と宮崎とを行ったり来たりして“県産物”の宣伝に努めた。県知事というより、彼自身が「県の特産物」のようですらあった。彼はタレント時代よりも、県知事時代の方がはるかに有名であり、人気があった。ただ県知事の任期は4年間であり、その終わりころには“翳り”が視えて来ていた。ところが、彼は“最盛期の勢い”が自分に続いているものだと勘違いをした。都知事選に打って出たのだ。その後は「勢い」が消え、過去の有名人であるかのような“扱い”を受けるようになった。何とか昔の「勢い」と「輝き」を取り戻したい。2022年、比較的早くから今回の「宮崎県知事選出馬」を公言した。そして自民党からの“推薦”を取り付けようとしたが、なぜか県連は応援しなかった。こうしてキビシイ戦いが始まった。今回の知事選には現職で4選を目指す河野俊嗣氏も出馬している。そしてもうひとり「スーパークレイジー君」という“謎の人物”も出馬している。このスーパークレイジー君は異色の経歴の持ち主で、或る意味では“タレント候補”と言って良い。そういう意味では奇妙な形でのライバルが出現したのだ。現段階での調査では、現職が東国原氏をリードしている構図で、クレイジー君は苦しい選挙戦らしい。現職にとっても、必ずしも“良い運勢の時”ではないのだが、東国原氏にとっては占い上「傷官運」の運勢なのだ。こういう時には“地位・名誉・履歴”に傷がつきやすい。つまり当選できない。今年の運も「傷官」で今月の運も「傷官」で、ダブルで重なるのだから“二重に傷つく”のだ。そうして宮崎県の人々は「そう言えば大昔……東国原という知事がいたねえ」と、幼い日を想い出すかのような口調で語り合うのだ。 « Older Entries