1月, 2023年

2023年2月の運勢

2023-01-31

「デヴィ夫人」VS.「鈴木宗男」の“老害”論争⁉

2023-01-31
どちらも情熱家である。そして行動力もある。自分の主張を曲げることはない。その“お二人”が「老害」論争で火花を散らす。見どころ満載で注目すべき一戦だ。いつ「決戦の日」が行われるのか知らないが、きっと“どこかのマスコミ”が、その場を提供してくれるに違いない。デヴィ夫人(82歳)は“渡航が禁止されているはず”のウクライナに単独で向かった。かつてのアントニオ猪木氏を想い出す。戦地キーウへ“防寒具”等の支援物資を届けてきた。それに対して批判的だった森喜朗元首相(85歳)や鈴木宗男氏(74歳)に対してSNS上に名指しで「老害だ‼」と猛抗議。その批判に対してマスコミ取材を受けた鈴木宗男氏は「あなたこそ老害以外の何物でもない‼」と挑発。この二人、元々が“熱いもの”を持っているので、このままでは終わりそうもない。いつかリング上で“決着”をつけなければならないだろう。鈴木氏にとって、かつて「ムネオハウス」まで建てたロシア(⁉)は“肩入れしたくなる国”なのに違いない。鈴木宗男氏は“不思議な人物”で、元々は“総裁候補”といわれていた中川一郎氏が全幅の信頼を傾けた秘書であった。ところが、その中川一郎氏の地元から、やがて自らが反対を振り切って立候補をすることになる。さらには自民党を飛び出し「新党大地」を創設して、自民党とも対決することになる。さらには娘を“政治家”に育て上げた。にも拘らず、現在の娘は「自民党」に在籍している。そして自らは「維新の党」の議員なのだ。なんとも変遷の激しい人物なのである。一方のデヴィ夫人も負けてはいない。元々は貧民街の“貧しい少女”だった。それがシンデレラ物語そのまま“インドネシア大統領の妻”になる。当時、女性週刊誌誌上に掲載された記事によれば大統領は彼女に対して「一呼吸ごとに君のことを想っている」という熱いラブレターを送っている。熱烈な求愛から「妻」となったが、夫の政権は長続きしなかった。やがてデヴィ夫人は“国を追われて”フランスに亡命する。そこでシングルマザーとして娘を育てた。けれども、その娘との交流はどうしたのか。いまは「ウクライナの母」として“愛を捧げようとしている”ように視える。結局、情熱的な二人だが、どちらも“負けん気”が強いので「引き分け」になりそうな予感がする。

「妖しさ」と「怪しさ」が入り混じった世界⁉

2023-01-30
日本の初期ミステリー文学の巨匠として誰もが知っている「江戸川乱歩」その彼の資料館として知られていた場所の一つが2021年10月に火災に遭って休館となっている「江戸川乱歩館~鳥羽みなとまち文学館~」だ。今年4月の再開を目指して、現在は再建が進められているが、新たに見つかった書簡資料などが加わると伝えられた。地方の文学館で、全国的にそれほど有名とも思えないのだが、なんと2019年には5000人もの人たちが同館を見学に訪れている。それだけ「江戸川乱歩」その人に興味を抱く人たちが多いということかもしれない。鳥羽市には乱歩本人は一年余りほどしか滞在していなかったらしいが、そこで妻と出逢い、生涯の友となる岩田準一氏とも出逢っている。その岩田氏の邸宅だった所を改造したのが、この文学館なのだ。したがってプライベート的な書簡も多い。江戸川乱歩の作品は『少年探偵団』とか『怪人二十面相』という形で全国の学校や図書館に今も並んでいる。子供の頃に読んだ本の記憶として残されている場合が多い。だからこそ年間5000人もの人が訪れていたのだ。私自身はどちらかというと大人になってから興味を持った作家だった。それも短編の“妖しい小説”の方が記憶に残っている。彼の作品には“妖しい部分”と“怪しい部分”の両方が混在していて、それが或る種のドキドキ感をもたらす。私が惹きつけられたのは『屋根裏の散歩者』や『人間椅子』や『芋虫』などの作品だ。文字通り、屋根裏の散歩者とは“覗き魔”のことで、屋根裏の“木の節穴”から下の部屋に暮らす住人を覗き見る……という“危ない”小説なのだ。『人間椅子』も、椅子職人が実際にソファの中に入り込んで、座り込む人物を受け止める……という“危ない”小説だ。『芋虫』も、戦争で両手足を失った人物が、文字通り“芋虫”のような状態になり、妻から“介護”と“虐待”の中間のような状態で世話されながら“芋虫的な愛”を貫く物語で、この作品に関しては“発禁”になったともいわれている。とにかく、江戸川乱歩という人は、人間心理の追及を“妖しさ”と共に小説化していく手法に優れていた。人間がロボットよりも魅力的なのは、公明正大な部分だけでなく、どっちに転ぶかわからないような刹那的な心情を備えている部分にある。

ワニは「救助隊」か⁉それとも「容疑者」か⁉

2023-01-29
インドネシアのボルネオ島といえば何となく“野生動物”等がたくさん生息しているような印象を与える。あくまでもなんとなくだが“手付かずの自然遺産”のような所があちこちに点在していそうな気がする。そのボルネオ島のムハカム川付近で暮らしていたムハンマド・ウィジャヤ君(4歳)は1月18日突如居なくなった。行方不明となったのだ。ひとりでどこかに遊びに行ったか、或いは川の水流に溺れてしまったか、どちらかであると思われた。捜索隊があちこち捜し回ったが見つけることは出来なかった。ところが、その二日後、話は妙な光景を生み出す。ムハカム川に生息しているワニが、4歳のウィジャヤ君を銜えるような形で住宅近くまで泳いで来たのだ。そうして、捜索隊のボート近くで辺りを確かめるような警戒感を示した後、口で銜えていたその遺体を放り出して去って行ったのだ。まるで、自分も“捜索隊員の一員”であるかのような行動だった。ワニは4歳児の遺体を口に銜えてきたので、その胴体部分は多少、噛まれたかのようあ跡があったが、それ以外の部分には損傷がなく、幼児を襲って身体にくらいついた感じではなかった。だが、この一連の行動に対して、地元民は懐疑的である。つまり、ワニには“遺体を届ける”などという習性はなく、たまたまお腹が空いていなかっただけではないかという解釈や、自らが捕まえた“獲物”の隠し場所として、相応しいところを探していただけではないか、という観方をする人もいる。もしかしたら、そのワニは川に“幼児を引きずり込んだ張本人”であった可能性すらある。というのは、ワニが獲物を捕獲するとき、いったん水の中に引っ張り込んで“相手を窒息死”させた後、安全な場所へと移動させて丸飲み込みするのが普通であるからだ。もしかすると4歳の児童の骨格は意外にも大きく、通常の丸飲みが難しそうだったから、あえて人間たちに引き渡した可能性もある。或いは、お腹が空くまでの間の“保管場所”として川岸付近を探していただけなのかもしれない。どちらにしても、むごたらしく損傷した遺体とはならず、無事に葬ることが出来たことを遺族は感謝している。

1年で「100万円」値上がりした「結婚・出産」

2023-01-28
20代の男女1000名を対象とした最新の調査で、昨年の同じに金融機関が行った調査よりも“金銭感覚”が大きく上昇している傾向が読み取れると記されていた。つまり20代の人たちが、実感として“結婚を可能にする世帯収入”を、昨年では「500万円あれば可能→52%」と考えていたのに、今年は500万円では50%まで届かず「600万円あれば可能→61%」と変わっていたからだ。もちろん、世帯収入だから“夫婦合わせての収入”ということになるが、なかなか単身での年収600万円はハードルが高い。したがって、当然、双方の収入を合わせての金額ということになり、そうすると、結婚してすぐ“妊娠・出産・子育て”という形でいわゆる“専業主婦的な形”を取ることは難しい、ということになる。現在は「育休」を認めている企業も多いが、大企業に勤めている場合はともかく、中小で人数の限られた企業・部署に勤めている場合、なかなか長期の育休は取りにくい。そうすると結局、少子化対策として多少の支援金を貰っても、元々が或る程度の高収入を得ていなければ“結婚→出産”に意識が向かわない、ということになる。ちなみに同じ調査で「出産・子育てが可能」と思える世帯収入は「700万円→57%」で、これも昨年の調査よりも100万円アップしている。最近はあらゆるものが急速に“値上がり”してきているので、どうしても感覚的に“年収アップ”がなければ「結婚・出産は出来ない」と考えるのも当然で、それでなくとも“結婚・出産”に対して“後ろ向き”の男女が多くなっている現状では、金銭感覚の変化が致命傷を与えかねない。その“年収アップ”も実質的には難しいのが現状で、円安で“潤った輸出企業”のみが可能と言える状態だ。そう、だから「円安」を“ワルモノ”のように報道するのは問題なのだ。もちろん「円安」になど頼らなくても消費動向が改善して、企業収益も改善して、年収アップにつながれば問題はないのだが、日本全体としてみれば、そうなっていく可能性は限りなく低い。さらに、仮に年収がどんなに多くなっても「結婚したいと思わない」という20代男女は18%もいる。もはや「♬金襴緞子の帯締めながら、花嫁御寮はなぜ泣くのでしょう」などというような“幻影”を夢見てはいけないのかもしれない。ちなみに、これは戦争時の歌で、結婚を約束した相手が外地で亡くなり、その代わりの見合い相手に嫁ぐ哀しみをうたったものだとの解釈があったが、ほんとうなのだろうか。

結局「マスク」の着用義務は「何だった」のか

2023-01-27
どうやら「マスク」の着用義務は“個人の判断”として撤廃されるようだ。その方が良い。正直、私は「マスク」が嫌いだった。だから、いつになったら撤廃されるのかと心待ちにしていた。まあ、今は寒いので、外出時はマスクをしている方が暖かくて良いのだが、春が来たなら、なるべく早く外してしまいたい。欧米では、既に“外している国々”が多い。というか、個人の判断に任せている国々が多い。「日本」の場合は、どうしても“国家の判断”を求めたがる国民性があるので、個人の判断で外していても“批難の眼”で見られるケースが多い。特に飲食店などで、食事の時以外には“マスク着用”を押し付けてくるようなところが、どうも苦手だ。感染していない“親しい者同士”が会話するのに、どうしてマスクが必要なのか、わけがわからなかった。だから、そういう感じの店には極力行かなかった。大体、マスクの着用によって、どれだけ感染が防げるのか、疑問のケースが多い。感染者たちの多くが“着用義務”をきちんと守っている人だったりする。結局、風邪と同じようなものとしての“扱い”となれば、ようやく個人の判断で“する・しない”が分かれることになり、その方が“自己責任”ということになって、気分が良い。人生上の判断でもそうだが、選択の余地がない、と言うのは個人的にどうも好きではない。だから私は自分で占って“そっちはダメ”だと解っても、行きたければそっちに行くし、それで結果的に失敗すれば“占い実験”としても大きな成果を得られる。実際、若い時には、そういう意味で“さまざまな実験”をした。いちばんやりきれないのは占い上では「絶対に幸運」な方位や日時を択んで旅行に出掛けて失敗するケースだ。そういう経験を何回もしたから、わたしは“一般的な方位学(気学・奇門遁甲)”をあまり信じない。もちろん“時には当たる”が、その確率が低い。ただ“方位”とか“運気”とかには、通常の占いでは“的中”しなかったとしても、或る種の“規則性”というか“循環性”というか“外せない法則”のようなものはあって、だから、そういう意味では“未完成の部分”が大きいのだ、とわたしは思っている。一番いけないのは、どの占いでもそうだが“完成された学術”として実占に挑むことだ。感染症にしても、専門家たちはあまり“既成概念”にとらわれ過ぎず、さまざまなケースや症例を見ながら“総合的な対策を施す”という姿勢で挑むのが良いのではないだろうか。

「ガーシー包囲網」が着々と進んでいる日本⁉

2023-01-26
日頃は“意見の一致”を見ない自民党と立憲民主党だが、1月24日の会談では珍しく意見が一致したとされている。昨年の参議院選でNHK党から立候補し初当選した「ガーシー参議院議員への懲罰」に対する会談だ。初当選はしたのだが、ガーシー氏は“海外居住中”を理由として、一度も国会に出席していない。まあ例えていうなら“新入社員”なのに、一度も出社せず、リモート出席もせず、給料だけもらい続けているようなものだ。これでは「懲罰を課す方向」で意見が一致するのも当然と言える。本人によれば3月には帰国するというのだが、それは日本の警察から「出頭命令」が出ているからで、事情聴取に応じるのが一番の目的らしい。彼に掛けられた容疑は“著名人への中傷・脅迫”で、多数の人たちから“相談”や“告発”があったらしい。したがって一応“事情聴取”ということになってはいるが、そのまま“逮捕状が出る”可能性も大いにある。というか、それを前提としての本人聴取ではないかと思われる。但し、警察の方では、そればかりではなく“もっと大きい事件”の確信を握っているのではないか、という報道もある。つまり彼が知り得ている“組織的な金融犯罪の情報”があって、それを訊き出すことが第一の目的だともいわれる。どちらにしても、かなり厳戒態勢を敷いての事情聴取になっていくような気がする。つまり、彼に対しては実は暴力団など“怪しい組織”から「命」を狙われる可能性もあって、3月帰国時にはさまざまなところからの「ガーシー包囲網」が待っていそうなのだ。本人は現在、海外に居ることもあって強気な発言を繰り返しているが、じわじわと“その包囲網”は狭められている。いっそのこと逮捕されてしまった方が、身の安全は確保できる。組織的な犯罪組織は、必ずしも、その時には襲わなくても執拗に狙いを定めて追跡してくる。或る意味では、国会議員というような“公的仕事”は危険なのだ。彼はNHK党だが、党首の立花孝志氏も今や“持て余し気味”の部分がありそうな気がする。もしかすると国会の“懲罰動議”によって議員辞職となった方が、肩の荷が下りるような部分もあるのかもしれない。

“口コミ”装った「ステマ手法」次々摘発すべき

2023-01-25
わたし自身は“他人の評価”というものをあまり信用していないので「口コミ」というものをほとんど見ないが、世の中の多くの人は「口コミ」を異様なほど信用したがる。したがって、そういう人間の心理を巧みに突いた商法というものが、世の中には存在している。そういう“口コミを使った宣伝手法”のことを「ステマ」と呼ぶらしい。特に女性は、この種の宣伝手法に引っ掛かりやすい。しかも、この“ステマ手法”が効果を発揮しやすいのは、あまり“表立って言えない”ような悩み事とか望み事の場合、特に効果を発する。昨日、その“ステマ手法”を使って「豊胸効果」をうたって「ジュエルアップ」や「モテアンジュ」などの商品を通販していた健康食品販売会社のアシスト、及びその親会社のアクガレージに対して、消費者庁が1億1716万円の課徴金納付を命じた。消費者庁からの調査に対して両社は「豊胸効果の根拠」を示せなかったからだ。つまりサプリメントとしては何の効果もない商品を4年間以上ものあいだ販売していたことになる。逆に言うと、4年間もの間、その効果のなさに気付かず「大きくなるはず」と信じて飲み続けていた女性たちが居ることになる。この種のサプリメントは昔からたくさんある。というか、無くなっては現れ、無くなっては現れ……しているような気がする。雇われている女性たちが何度も「バストアップ」「豊胸」などのハッシュタグをつけSNSに投稿している。今回もこれで同名商品は無くなるだろうが、また“新たな商品名”のサプリメントが登場してくるに違いない。結局、女性たちはなぜか科学的な根拠より“一般女性たちの口コミ”という、謎の宣伝文をどういうわけか信じ込みやすい。こういうことは言いたくないが、ハッキリ言って“嘘”であっても「口コミ」には投稿できる。それを何十人もの女性たちがあちこちに投稿すれば、あっという間に“人気商品化”していく。短期間で、あれよあれよという間に“人気商品化”していくものには、そういう商品も多い。特に「豊胸効果」とか「バストアップ」とかは、判然とするまで時間が掛かるし、見せて証明を求められるものでもない。だから「じぶんには効果があった」と言えば、それほどの罪悪感もなく、ハッシュタグを付けられるのだ。医薬関係のサプリメントやコンプレックスを抱きがちな部分へのサプリメントには効果的と言える。だが当然のことながら“一種の詐欺商法”なのだから“ステマ手法”自体を違法として、もっと摘発すべきではないだろうか。

74歳で4回目の結婚『じんせいいちどだろ』⁉

2023-01-24
大昔『花はおそかった』で人気の頂点にあったアイドル歌手が居た。「かおるちゃん……おそくなってゴメンね」で始まるストーリー性のある歌詞と、ドラマチックな曲の旋律が若者たちを熱狂させたのだ。本人がインタビューで語っているように、60代になっても、70代になっても、確かに“それ”一発で何とか稼ぐことは出来たのかもしれない。けれども、それは何となく虚しい。そこで美樹克彦氏は「アイドル」を棄て“作曲家”に転身しようとする。なかなかに潔い生き方と言える。そして小林幸子とのデュエット曲『もしかしてPARTⅡ』で歌手・作曲家として再浮上した。私はあまり知らなかったが、私生活では昨年9月に“4度目の結婚”をしていた。それも37歳差の歌手・作詞家の小暮美紀氏とだ。そして歌手としても昔からの知り合いである清水アキラ氏やアリスの矢沢透氏などと組んで「ジイズ」というグループを結成『じんせいいちどだろ』をリリースしたらしい。いかにも芸能人らしい浮き沈みの多い人生だ。さらに3年前には心臓の血管が詰まって6回もの手術を経験したという。その時に世話してくれたのが現夫人らしい。若者を熱狂させた『花はおそかった』ではないが、文字通りのドラマチックな人生を歩んでいる。私は最近、若い人たちの多くが、なるべく“紆余曲折のない人生”を歩もうとしているように思えることがある。もちろん誰だって苦労をしたり煩悶するのは嫌だが、あまりにも若いうちから“堅実な人生”ばかりに目を向けるのを良いとは思わない。昔の言葉に「若い時の苦労は買ってでもしろ‼」というのがあるが、いろいろな経験をした方が人間としての“深み”と“理解力”が生まれることだけは確かだ。特に“理解力”というのは、比較的順調に人生を歩んできた人は身に着けにくい能力で、頭が良いから“身に着く”というものではない。さまざまな経験、人生上の悲哀というものを味わって磨かれていく。したがって、もし、そういうものを必要としていないなら、むしろ“身に付かないまま”亡くなられた方が倖せともいえる。それこそ『じんせいいちどだろ』で、好き勝手に生きることが許されている人は、死ぬまで“好き勝手”に生きていった方が、無難な生き方をして“慎重だが何もない”人生より、紆余曲折で辛いことも多いが、はるかに幸福な“生き方”と言えるのではないだろうか。

知らなかった「13歳」から「SEXがOK」の日本

2023-01-23
われわれは法律家でもない限り、あまり詳しく“日本の法律”を知らない。だから時々法務省が“刑法改正”等を行っても、ふーん、そうなんだ、程度で終わってしまう。その時はナルホドなどと思っても、1年も経てば忘れてしまっている。さて、このほど法制審議会が116年前に出来た「性的同意年齢」なるものを引き上げる“試案”が公表された。ただ「刑法」の文章はほんとうに難しい。まあ、簡単に言えば「性的同意年齢」を13歳から16歳にするという話だ。そして、その刑罰も“3年以上”から“5年以上”に引き上げるという話だ。そこまではナルホドと誰もが思う。確かに13歳で「OK」と言われて、だから“やっちゃった”というのは危うすぎる。だから、その「OK」を“正式な本人の合意”とみなすのは“16歳から”にしようという動きは当然かもしれない。ところが、この試案では条件が付いている。刑罰に問われるのは、その相手が“5歳以上年上の場合”となっているのだ。つまり、同じくらいの年齢同士であれば、お互いが「OK」なら「本人同士が良いなら良いんじゃないの」という解釈らしいのだ。私の何となくの解釈では、16歳の中学生くらいまでとの“SEX行為”は「処罰されるんじゃなかったっけ⁉」という認識だったのだ。ところが、どうもそうではないらしい。処罰されるのは、あくまでも二人の間に“5歳以上の年齢差”があった場合で、年齢が近い者同士であれば、お互いが“合意”していれば、問題はなかったらしい。そういえば昔、わたしのところにも「中学生の娘が妊娠してしまった」と駆け込んできた母親が居た。隠れて交際していた高校生の男子が妊娠させてしまった、と言うのだ。その母親は、仕事の相談で何度も私のところを訪れていた女性で、たまたま娘さんのことを訊かれたときに「受験勉強に関しては問題ありませんが、男女交際に関しては注意が必要です」と判断した。すると母親は笑って「先生、そういう子じゃないので、その辺は心配いらないです」と自信を持っていたのだ。だから、その嘆きたるや尋常ではなかった。そして、困ったことに、その後は来なくなってしまった。とにかく、そういうわけで「我が日本」はこれまで「お互いが同意していれば…」13歳から“SEXがOK”の国だったのだ。そして、これからも、もしかすると“年齢差がない合意なら13歳からOK”の「ただし……」条項は残りそうな気配なのだが……。

「少子化」の根源は「価値観の変化」にある

2023-01-22
なぜか今になって急に「少子化」の問題がクローズアップされてきた。日本人の出生数が一年間に“80万人割れ”となって、ここ30年間で“三分の二”まで減ってしまって、その減り方がどんどん加速していることがデータ上で示され「国」や「行政機関」が急に慌てだした……という感じがする。ただ、その根本原因が解かっていない。“経済的な問題”を指摘する人が多いが、確かにそれも原因の一つではあるが、昔から「貧乏人の子沢山」ということわざもある。必ずしも、経済力と出生数は比例していない。“子育て環境の問題”を指摘する人も多いが、それは勘違いだ。なぜなら、戦争中の日本は“国策”も手伝って出生数が多くなっていた。戦争中が“子育ての環境”として相応しいわけがない。それでも、子供を産んでいたのだ。「強国日本」を作るためだった。ところが実際には戦争中であるから、多くの子供が幼くして亡くなっていった。それなのに、子供を産み育てようとする人は多かった。実は、ここに「少子化」のヒントが隠されているのだ。つまり、子供を産むことが“将来的な幸福につながる”と考えれば、人は子供をつくろうとする。ところが、近年、この根本的な発想が失われつつある。子供を産むことで“将来的な負担が大きくなる”と考える人が増えてきたのだ。だから「産もうとしない」人が増えているのだ。いちばんの原因は“そこ”にある。要するに価値観が変わってきている。昔の日本では、子供が沢山いる方が「老後が安心」と誰もが思った。子供達が成長していけば、必ず、その子たちが「親を養ってくれる」ことになっていたからだ。それは“暗黙の約束事”だった。だから、結婚をして“子供が産まれない”ことは“不幸なこと”とされていた。「老後の面倒を誰がみてくれるんだ」という発想になったからだ。けれども、現代はどうか。だれも「子供たちがいるから老後は安心」などと言わない。むしろ「子供の将来が心配で死ぬに死ねない」というような人達が多くなった。子供が自分の収入だけで生活が成り立たないケースも増えてきている。つまり、昔は老後の面倒を子供たちが観ていたが、今は子供たちの面倒を“老後になっても観なければならない”状況に変わりつつある。もちろん、それは「日本」の経済成長が止まっているからだ。ここ30年ほどの間に「日本」の経済力は、各国に追い抜かれ始めた。その30年間で少子化がどんどん進んだのだ。ただ“急速に進んだ”のいは、ここ6~7年のことである点は重視すべき事実だ。この6~7年の間に日本では「多様性」ということが強く言われるようになった。つまり、結婚して、家庭を持って、子供をつくって……という、これまでの“オーソドックスな価値観”をやんわりと“否定するような考え方”を政府もマスコミもこぞって喧伝しだした。もちろん、世の中が“そういう方向”に向かって徐々に流れているのは否めない。ただ行政やマスコミが“それ”を強く後押しし始めると、多くの人の価値観が変わる。結婚をしない選択。子供を産まない選択。その方が“多様性”につながるからだ。いったん変わっていった価値観を、元に戻すのは容易ではない。「日本」は、そういう意味で崖っぷちなのだ。

父親への愛情と信じたい「殺すのか」の包丁⁉

2023-01-21
人はときどき衝動的な行動に出る。それが行き過ぎると“逮捕される”ようなことにもなる。昨日、神戸市内の救急隊員が出刃包丁で脅迫を受け、その場で容疑者が取り押さえられる事件が起こった。その日、119番通報を受けて一台の救急車が要請先に向かった。その家では、このところ2~3日食欲がなくなり衰弱している90代の父親が居た。それを心配した67歳の息子からの通報だった。だが衰弱しているとはいえ、緊急を要するほどの症状ではなかった。到着した30代の救急隊員は、横たわっている老人にいくつか問診をしながら、相応しい受け入れ先の病院を探していた。もちろん、その症状に相応しい受け入れ先が決まらなければ、病人を運び出せない。ところが、通報してきた息子は何故か焦っていた。「なにをしているんだ」と言ってきたが、かまわず病院との電話のやりとりをしていた。もう一度言って来たので「大丈夫です、もう少し待ってください、いま受け入れ先を見つけ出しますので…」と説明した。いったん、その説明に納得したように思えた息子は台所へと消えた。そこで再び、病院との電話を進めていると、戻ってきた息子の手には出刃包丁が握られていた。「お前ら、衰弱している親父を殺すのか」反射的に立ち上がった救急隊員は息子の手首を掴んで取り押さえた。そして別な隊員に、警察へと電話するよう頼んだのだ。こうして、だれも負傷することなく事件は解決した。救急車到着から“出刃包丁の脅迫”まで、わずか4分ほどの出来事だった。その後、父親の方は無事に“受け入れ先”へと搬送された。このニュースを知った時、私は最初、なんと“父親想いの息子だろう”と思った。父親への愛情の強さから、ついカッとなって出刃包丁を取り出したに違いない。まあ、出刃包丁で脅すなど論外だが、それでも“父親への愛情”として半分許せるか、と思ったのだ。けれども、もし、ほんとうに愛情深いなら、自らが背負ってでも近くの病院へと運ぶのではないか、と考え直した。この息子は無職で67歳だった。もしかしたら、二人暮らしだったのではないか。そうして父親の年金で暮らしていたのではないか。そうだとすれば、父親が衰弱していっては困る……ということになる。親子の愛情というよりも、自分の生活が掛かっているから「生きながらえてくれなければ困る」ということだったのではないか。そうではなく、あくまで“父親への愛情の深さ”が巻き起こした珍事件であると信じたい。 « Older Entries