8月, 2023年

「ふたつの子宮&一つの腎臓」で女児を出産

2023-08-19
神様だって時々は間違える。そんな風に思わせる“先天性の疾患”がある。重複子宮症……つまり二つの子宮や膣を持つ女性が存在することだ。おまけにアデル・ヴァルガ氏(29歳)の場合、本来二つあるべき腎臓は一つしかなかった。一つの方の子宮が閉鎖していたため、そこに経血が溜まり生理が来るたび激しい痛みが生じる。なかなか原因が掴めなかったが、さまざまな検査によって生まれつき“ふたつの子宮や膣”を持っていることが判明した。さらに妊娠した後になって分かったのは通常二つあるべき腎臓が一つしかなかったことだ。つまり、神様は一つの腎臓の代わりに二つの子宮を与えてしまったのだ。実は“二つの子宮”の人はアメリカにもいる。こちらの方は既に妊娠も出産も経験していた。それも、二つの子宮の二つともで妊娠して極端な早産により出産していた。片方は12日後に生まれたのだが、その後の児の方が無事に子供として成長している。もう一人は亡くなってしまった。さてハンガリーのアデル氏の場合、二つの子宮により妊娠・出産が難しいと知って最初の恋人とは破局してしまった。ところがすぐに別な男性が現れ、正直に話した後でも愛は変わらず、その彼と結婚をした。そうして、結婚をしてみると、ふたりとも妙に子供が欲しくなった。そこで彼とは話し合いの結果、極めて難しいと言われた“体外受精”にチャレンジしてみることにした。そうして、ふつうの女性でも簡単ではない最初の移植で見事に妊娠して今年7月に早産で帝王切開の形になったが、無事出産に成功した。神様は間違えて子宮を一つ多くし、腎臓を一つ少なくして誕生させた女性に、その失敗を取り戻すかのように、帝王切開による女児は無事に誕生させたのだ。片側のお腹だけが大きく膨らんでいく妊娠は奇妙で不安だったに違いない。神様というのは、ときどき間違いを犯す。そう神様だからって完全ではないのだ。けれども、その失敗を取り戻すかのように、幸運を告げてくれることもある。完全無欠ではないことが、神様の魅力の一つなのだ。

都内マンション「1億3千万円」&中国は金塊⁉

2023-08-18
マンション価格の高騰が続いている。23区内の新築マンションの平均価格が1億円を突破し、7月の平均価格は1億3340万円となり、前年同月比85%の値上がりとなった。東京だけでなく、近隣を含む首都圏で観ても9940万円となっていて、もはや1億円は目の前だ。つまり東京で新築分譲マンションに暮らそうと思えば1億円が必要な時代に突入したということである。もっとも、世界的にみるとニューヨークやロンドンなど高いところがたくさん出て来ているので、85%upしても特別高い地域なわけではない。ただ円安で建築資材などが高騰し、建設労働者の賃金もアップし、地価自体も上がっているので、ここ数年で考えると、23区のマンション価格が下落することは考えられない。そこで最近は東京に暮らしていない人たちが投資目的で購入するケースも多いようだ。実際、同じような形で“不動産ブーム”を巻き起こしていたのが、十年ほど前の中国だった。もともと中国人というのは射幸心が強い。一発当てようという人たちが多い。だから、あっという間に投資目的の不動産ブームが巻き起こり、その結果として中国経済は右肩上がりとなった。ところが、ここにきて事態は一転している。ブームが去ったのだ。その結果どうなったかというと、中国では至る所で建設途中で“投げ出されたままのマンション”が建っている。中断しているのではなく、完全にストップしたままなのだ。もちろん、既に購入した人たちは居て、ローンを組んだのに未完成のままで年月を経ている。日本だと考えられないが、117階建てのマンションが7割方完成した状態のままで放置されているのだ。出来上がりのメドはない。そうなると、当然のことながら“不払い運動”が起こる。こうして中国全土にそれが波及しつつあり、その結果いかんでは中国の先行き自体が危うくなってきている。さて、わが日本では“そういう心配”はいまのところない。何しろ金利が据え置かれている。ただ、もし欧米並みにそれが急に跳ね上がった時、一気に日本の不動産市場は大混乱に陥る。もしかすると、その前兆としての85%upかもしれないのだ。中国はいま急速に分譲マンションが売れなくなったので、オマケつきが当たり前になりつつある。一軒買うともう一軒とか、一軒買うと金塊付きとか、日本でもぜひマネして欲しいような“オマケ付き”が当たり前に変わりつつある。日本は果たして何年後に“オマケ付き”マンションが出て来るのだろうか。

日本は「神の国」なのか⁉「仏の国」なのか⁉

2023-08-17
日本の暦日は良く出来ていて“8月15日に終戦記念日”があり、翌日“16日に盆の開け”が来る。つまり、宗教的な観点から言えば15日に「神の国」として終戦を迎え、翌16日に「仏の国」として“お盆”が終わる。戦前の日本は文字通り「神の国」として勢力を拡大していた。今では「神の国」を称えるような行事は基本的に行わない。靖国神社への政府首脳の礼拝も「神の国」として受け止められ近隣国から指弾を受けたりする。つまり、もはや「神の国」ではなくなったような……。それでありながら、正月になると国民の多くは神社参拝を欠かさない。あれ、やっぱり「神の国」であるような……。その一方で「お盆」という「仏の国」としての行事も、毎年行われる。こちらは仏教国であることの徴として“読経”して先祖様たちを供養する。亡くなった方達は伝統的に“お盆”になるとやって来るらしい。不思議なことに、日本では「仏の国」として“お盆”になると血縁者達が集まって手を合わせ、「神の国」として“お正月”になると血縁者達が集まって神社に行って手を合わせる。どちらも血縁者達が集まって“手を合わせる”点では共通している。一方は“仏壇”に向かって、或いは“お墓”に向かって手を合わせ、一方は“神棚”に向かって、或いは“神社”に向かって手を合わせる。だから、われわれ日本人はひょっとすると“神様”と“仏様”のハーフとして生まれて来たのかもしれないのだ。そういわれてみると、何となくハーフっぽい顔立ちをしているではないか。そこで問題は、亡くなった時に「神の国」に行くのか、それとも「仏の国」に行くのか、迷ってしまいそうな点だ。神の国では天照大神が「ハダカで踊ってくれる」というし、仏の国では「天茶酒を飲ませてくれる」というし、どっちも行きたくて迷っているうちに「地獄に突き落とされる」という話をよく聞くけど、とりあえず「神仏咬合でお願いします」って予約を入れて置くのが良いような……。どうして“笑って許して”くれないの。そんなに、わたし、おかしいことは言っていないと思うんだけど……。

匿名だからエスカレートのSNS「コメント欄」

2023-08-16
俳優の玉木宏氏が自らのSNSにおける「コメント欄」を閉鎖すると報告している。理由は“暴言・誹謗中傷・ストーカー行為予告”などが散見されるからであるという。「わたしや家族の安全が脅かされている」からだそうで、相当あくどい内容の書き込みが続いていたようだ。以前、コメント欄に誹謗中傷を書き込み続けたということで犯人特定に至った堀ちえみ氏のSNSにも、再び前回同様の書き込みが視られるということで事務所側からの“注意喚起”が出ている。昔から、いろいろと“あらぬ噂”が立てられるのは「有名である証拠」だという説がある。確かに、有名人でなければ“公然とした誹謗中傷”は起こらないのが普通で、そういう意味では我慢すべき部分もあるかもしれない。ただ玉木氏のように“安全が脅かされる”ような内容の場合には、何らかの対処が必要で、そのままにしておいて傷害事件となったケースもある。わたしは昔から“匿名での書き込み”に根本的な問題があると思っていて、悪いことという自覚を持ちながら問題を起こす人には「自分と特定されなければ…」という意識の人たちが多い。時としては日頃の“ストレスの捌け口”として書き込みを行っている人さえいる。そういう意味では“明らかな誹謗中傷”とか“度を超えた暴言”とか“ストーカー予告”とか“殺傷予告”などは、もっと処罰を重くする必要があるが、それよりも“自らを名乗って書き込む”方式に改めた方が一気に無くなる可能性が高い。名を名乗って書き込む場合には、それなりの覚悟というか、意志を持っているわけで、その内容が妥当かどうかはともかく、真正面から来ていることで対峙している本気度が窺われる。昔の日本では、そういう形で相手との“対決”が行われた。時代劇で使われる「名を名乗れ‼」という方式の対決方法だ。そういう形でなら、SNS上で“受けて立つ”ということもできる。けれども、相手が陰からの攻撃ばかりで、名を名乗らない場合には、アンフェア―であるから戦うことが出来ない。わたしなどでも、よく「波木流の占い方などといっているが、独りよがりな説じゃないか」と陰で言っているのを耳にする。ほんとうにそう思うのなら真正面から、そう言って来ればよいのだ。真正面から言われていないのに、反論するのもおかしいので黙っているが、卑怯な人物としか言いようがない。

「何でもアリ」に変って来たか「コミケの夏」

2023-08-15
毎年、夏に行われてきたサブカルチャーの祭典「コミケ(コミックマーケット)」が今年も東京で行われた。コロナの影響で抑え気味だった昨年までと異なり、今年は2日間で26万人もの来場者を集めた。出展したサークルも2万1000サークルと途方もない数だ。来場者もいまや世界61か国とまさに“世界の祭典”となっている。もちろん、これだけの人数が集まると、たくさんの企業がこれに協賛する。したがってますます盛り上がって来る。本来は漫画やアニメや“その周辺”の展示即売会なのだが、もはやそれらだけではなくなっている。要するに“その周辺”に属するものであればなんでもOKだからだ。ぬいぐるみであるとか、食器類であるとか、カードゲームであるとか、武器や刃物であるとか、コスプレ衣裳であるとか、オシャレ用品であるとか……マニアックなものとしては木製のゴム銃であるとか、ピザカッターであるとか、素数を刺繡したバッグであるとか……漫画や雑誌の即売会だった大昔とは完全に別物のようである。この即売会によって生計を立てているものも昔はいたが、現在のように本格化してしまうと、かえって“選別が厳しくなって”商売としては旨味がなくなってしまったのではないだろうか。漫画やアニメの良いところは、事実上“言葉は不要”であることだ。だからこそ日本の漫画文化は世界に浸透していった。みれば解るものは浸透しやすい。その結果、日本の漫画やアニメを見て育った若者たちが大勢日本にやって来るようになった。インバウンド人口が増えたのは、円安のせいでもあるが、漫画によって“日本文化”そのものを子供の時から馴染んでいったせいでもある。そして、そういう人たちには優秀な人物が多い。昔はあんなに「日本語は難しい」と言われていたのに、今や日本語を話せる外国人は“特別な存在”ではなくなった。子供の時から親しむということが“日本語習得”を可能にしたのだ。日本にたくさんの優秀な外国人たちがやって来て、違和感を抱かず暮らす形になって、日本人と結婚して“優秀な子孫”を生みだす。世界中からやって来る「コミケ」がその足掛かりや出逢いの場となって、新たなる日本の“ハーフ世代”を誕生させていくような気がする。

中途半端で成功できるか疑問「喫茶二十世紀」

2023-08-14
何となく多くの人たちが感じていることがある。昭和を代表する憩いの場だった“レトロな感じの喫茶店”が無くなってしまうのは寂しいということ。それでも、時代は徐々にそういう“懐かしい感じの店”を失いつつある。同じような想いは多くの人たちが感じているらしく、このほど20th Century 坂本昌行、長野博、井ノ原快彦の3人が昭和を意識したレトロな喫茶店「喫茶二十世紀」を11月1日渋谷・神宮前にオープンさせることが予告された。その内装やインテリアやメニューや流れる音楽など、すべて昭和の“レトロな雰囲気”を意識したという。メニューには、懐かしいナポリタンや、たまごサンド、ソーダなどが並ぶ予定だ。オリジナルのステンドグラスを用意したり、ビンテージのスピーカーをカスタムしたり、2年前から準備してきたという。その店の画像が出ていたので拝見させていただいた。たしかに“レトロな雰囲気”は感じられる。ただ私には今ひとつ“癒される感じ”がしなかった。椅子とかテーブルとかインテリアとかが、妙に中途半端なのだ。たしかに今風な感じはしないが、だからと言って“レトロな落ち着き”や“癒される居心地良さ”は正直あまり感じられない。こんなことを言っては怒られるかもしれないが、リサイクルショップへ行って“適当に択んできた”ような印象を私は受けたのだ。ほんとうに昭和の半ばくらいの時期に誕生していった“センスのある喫茶店”には、或る種の情緒や雰囲気が店全体に存在していた。だから内装もインテリアもカップなどの食器類も音楽も“何となくの統一性”があったのだ。その店特有の“趣き”のようなものが感じられたのだ。残念ながら「喫茶二十世紀」には“それ”が感じられない。いろいろなところから、ちょっとずつ“借りて来た”感じのものがちりばめられている感じがして統一性がない。もちろん、まだオープン前であるから、実際の店内は“イメージ画像”とは大きく違っているのかもしれない。きっと宣伝も行き届いていてオープン当初は大いに流行るのだろう。その最初の波が引いた時、ほんとうに居心地が良くて「もう一度行きたい」と思う人たちがどれだけいるのか、ぜひ成功してほしいだけに誰かがアドバイスしてやった方が良いような……。

風水を知らなかったか⁉「中国一の金持ち村」

2023-08-13
中国東部・江蘇省にある華西村と言えば、いまから十数年前には「中国一の金持ち村」として報道されていた。どういう番組だったか忘れたが、日本の報道番組が取材し、その繁栄ぶりに驚きを隠せなかった。かつては“貧しい農村”だったのが、呉仁宝という強力なリーダーが出現したことで、あれよあれよという間に大発展を遂げたのだ。村は“集団経済”という方法によって賄われ、そのため村人たちの間に格差は少ない。多くの村人たちがヨーロッパ風の豪華な一軒家を持ち、貧しい農村時代とは一変した暮らしぶりであった。ところが……その「金持ち村」を作った呉氏が亡くなって十年。なんと今年になって日本円で8兆円もの負債を抱え、華西村は財政破綻したのだ。もっとも繁栄を極めていた時、村の中心部には地上72階建てのビルが建てられた。主としてホテルとして使用される予定だった建物には1トンもの金塊を使った牛の像が鎮座していた。その72階建てのビルが、今は財政破綻したこの村の象徴のようにさえ見える。もちろん、このようになったのにはさまざまな要因はあると思うが、その一つに“風水的な観方”を私は述べておきたい。古代中国で生まれた「風水」の本質を、この村の人たちは知らなかったのだろうか。風水上で最も重視しなければならないのは“自然との調和”ということなのだ。この“自然”には外部環境としての自然の風景という意味合いだけでなく、その周辺建物との調和という意味も含まれている。たとえばわれわれは、72階建てのビルを想像する時、どういう風景を同時に描くか。ニューヨークでもドバイでも深圳でも、その周囲には同じようなビル群が林立している。そういう中に建つから72階建てでも“違和感”がないのだ。ところが華西村の場合、そのほとんどをヨーロッパ風の一軒家が並んでいる。そういう中にあって、忽然とその中心部に72階建てのビルが建ったなら、それは“場違いな印象”しか与えない。そういう場合、その周辺も含めて徐々に崩壊していく。“場違いな情景”のままの繁栄を大自然は許さないのだ。72階建てのビルは、あくまでも大都会の中でこそ機能するのだ。この逆も言えて、大都会のど真ん中で広い敷地に“古民家風の家”を建てても、何の商売であれ、自宅であれ、その建物に継続性はない。周りから「孤立して見える建物」は、その観た目のままの運勢が待ち構えているのだ。

「過去最多のアメリカ」を超えている「日本」

2023-08-12
アメリカ人というのは、日本人に比べて“陽気な人種”というのが、われわれが感じる何となくの印象だ。あまり細かなことに対して“悩むことは少ない”ように思われる。そのアメリカで、2022年の自殺者数が過去最多になったことが公表された。49449人だったらしい。5万人弱ということだ。この数字は10万人の人口に当てはめると14.9人が自殺している計算になる。同じことを日本に当てはめると、17.5人となって、日本の方が深刻なのだ。だから、当然のことながら“他人事”ではない。アメリカの場合、これまでと比べて「45歳以上の自殺者が増えている」ことが特徴で、近年のインフレ加速などによって“追い詰められている人達”が多くなっている現状を物語る。アメリカの場合、賃貸の家賃は“遠慮なく値上げされる”のが特徴だ。日本のように、ずっと同じ家賃で来ているのに“急に値上げする”というのもどうか……など、借りている人達の事情など、お構いなしなのだ。分譲住宅でも同様で、長期金利が上昇中なのだから、毎月のローン返済額が“どっと増えること”など珍しくない。もちろん食材や生活用品など、あらゆるものが上昇中だ。わが日本だって、ここにきてヘンなところで“世界に遅れまい”と、あらゆるものが値上げし始めている。だから、そういう意味では元々が“楽観的なアメリカ人”の自殺者が増えているのだから、元々が“悲観的になりやすい日本人”の自殺者が増えていくのは目に見えている。それに、元々の自殺比率が、自慢できることではないが日本の方が高いのだ。ただ日本で一つだけ“良い”と思うのは銃規制があることだ。なぜならアメリカでは“それ”がない。だから、銃によっての自殺者が半数近くを占めているのだ。銃を所有していると、たとえば衝動的に「死にたくなった時」それを可能にするものが手元にあれば即実行しやすい。日本では“それ”がないから、衝動的に思ったとしても、少しだけ考える時間が与えられる。銃に比べると「日本刀によるハラキリ」は武士でもなければ難しい。それでも、17.5人が亡くなっている。日本人は未来を“深刻に”“悲観的に”捉えがちで、歌詞などでは「願いは叶う」などと歌うが、実際には少しも信じてなどいないのだ。

「温暖化」ではなく「気候変動」が解決の鍵

2023-08-11
ハワイのマウイ島で山火事が起こり、かつての王都であったラハイナが壊滅的な被害を受けた。通常、山火事というと森林火災で「住宅地までは及ばない」というのが通常だが、今回はまたたく間に重要な史跡や観光地まで一気に燃え広がっていった。いちばんの原因は島全体が「干ばつ状態にあった」からだ。そして、もう一つはハリケーンのような強風が吹き荒れていたからだ。火災において、あってはならないことが重なったのだから燃え広がるのは想像以上に早かった。その結果、現在までに36人の死亡が確認されている。山火事をあなどるなかれ…といったところか。これは“ハワイの出来事”と簡単には片付けられない。なぜなら、日本にも大いに関係があるからだ。それは“山火事”がではなくて“自然と住宅との距離間”においてだ。ハワイにおいて海岸線や山裾ギリギリまで住宅やビルが建っていたのは、それだけ本来は穏やかな気象条件の下で暮らしてきたことの表れなのだ。わが日本だって、気象条件の穏やかなところは、同じように海岸線とか、山裾近くとか、市街地や住宅地域が広がりつつある。その方が眺望的にも優れているし、土地代としても若干抑えられる。そういうことで、じわじわと自然景観ギリギリのところまで住宅地が広がっていく。ただ背後が削り取られた山の斜面だったりする場合、一瞬だれもが「この斜面が土砂崩れを起こしたら怖いな」と思う。ただ、それが一瞬なのは、通常の気象状態ではそういうことが起こりそうもないからだ。人間というのは誰でも自然界を無視しているのではなく、自然界と共存しながら生きていく本能を持っている。だから、何となく“その周辺の気象状態”などを考えたうえで建物を建てる。だから、本来から言えば「土砂崩れで住宅が飲み込まれる」というのは、ありえないことなのだ。にも拘らず、毎年のようにそういう災害が起こるのは「日本」が地震や津波や台風などの自然災害が起こりやすい国だからだ。そして近年、特に気象状況が“昔の日本”ではなくなってきたからだ。昔の日本であれば、起こり得ない気象災害が多発するようになった。スコールと呼んで良いような豪雨に、山や樹木や川が耐えきれなくなっている。「地球温暖化」というよりも「気候大変動」が各地域の“暮らし方”に対して、昔のような暮らし方に対して警告を発している。もはや「日本」の気象は昔とは違うのだ。だから住宅を建てる位置なども警戒しなければならない。マウイ島の火災も「おだやかな気象」だったころを想定しての史跡や住宅地域になっていたに違いない。だからハリケーンのような強風によって、あっという間に街中まで燃え広がってしまったのだ。

「日本のオイシイ」が「世界」を制する日⁉

2023-08-10
たまたま視ていたTV番組で、日本に来ていた外国人たちの何組かが“日本の食べ物”だけを目当てに“2泊3日”とか“3泊4日”とかしている…ということを語っていた。そういうカップルとか、グループとかが、東南アジアからも、欧州からも来ていた。それも別に「有名な店に行く」とか言うのではなくて、何となく歩いていて“美味しそう”と感じたなら、すぐそこに入って註文するというスタイルだった。要するに“ふらっと立ち寄る感覚”で、自分たちの何となくの勘と好みで店や飲食物を択んでいる。わたしたちが普通に街中をぶらぶら歩いていて行うやり方だ。確かに自分の場合も海外で、そういうやり方で食事した経験は何度もある。かえってガイドブックに載っていた店などより、ふつうに街中にあって長年続いているらしい店の方が“安くて美味しいもの”を食べられたりする。だから、そういう意味では不思議はないのだが、注目すべきは「そのためだけにやって来ている」という部分だった。われわれ日本人は通常そういうことはしない。島国のせいでもあるが、旅費や宿泊費をかけてまで“食べ歩き”に海外まで行こうとはしない。だが、考えてみれば、観光など一度観てしまえば、それで“お終い”の部分はある。よほど感動したものでもない限り、何度もそこに立ち寄りたいとは思わない。そう考えれば、ぶらぶら歩きの中で“興味あるもの”を次々食べ歩くのは、何回でも行える。一つには“円安”が寄与しているのだ。海外の人々からみると、いまの日本は驚くほど物価が安い。飲食物は特にそうなのだ。しかも、日本はどこでも衛生的で親切でぼったくられる心配もない。最近も、あるタレントがシンガポール旅行でラーメン一杯で1万円も取られたと仰天していた。通常の店は、そこまで行かないかもしれないが4000円~5000円が珍しくない。したがって、海外からやってきた場合には日本のレストランなどは“異様に安く”思えるのだ。しかも、日本の飲食店の場合には極端な当たり外れがない。そういう点から考えると、近隣の国からすれば、いまの日本は観光もさることながら“食べ歩き大国”として見逃せない国になって来ているのだ。もし、このまま円安が続けば、いつの間にかそれが定着して「日本のオイシイ」を求めて世界の人たちが飲食だけにやってくる日が遠からず訪れるようになるに違いない。

銀行に「40%の追加課税」で欧州対立が鮮明

2023-08-09
奇妙な戦いが始まりそうな雲行きとなっている。欧州においてだ。どうもイタリアという国は欧州連盟の中では“独自路線”を歩み始めたようで、危うい連立政権であるメローニ政権は、7日に欧州銀行の利上げによって金利収入が膨らんでいるイタリアの銀行に対して「40%の追加課税を課す」との決議を通過させた。それを受けて8日の株式市場はイタリアの銀行株だけではなく、欧州各国の株価が全体的に大きく下落している。それでなくても、最近の欧州株は下落気味なのだが、この日はイタリア政府の決定が欧州全体に波及した形となった。もともと連立政権が成立する以前から、欧州銀行の利上げ方針に対して批判的だったメローニ氏は昨年の秋に“危うい連立政権”が成立して以降も、他の欧州各国のやり方に対しては牙を剥き続けている。イタリア語を守る制度とか、科学的な合成食品の禁止とか、同性同士のパートナーに対し“養子縁組”が成立しにくい法制度とか、いわゆる“欧州的な改革路線”を好ましく思っていないようなのだ。ただ欧州銀行の決定に従わなければならない銀行に対して、その利上げ分の利益を没収して、その分一般の税負担を減らして、庶民の暮らしを守ろうとしているようにも観える。ただ“国家間の対立”にも発展しかねない制度の確率だけに、欧州株は敏感に反応していっせいに大きく値を下げた。元々中国の景気減速が明らかになりつつあって、株価には下押し要因があったとはいえ、欧州株全体が大きく反応したのは注目すべきだ。今回だけで済めばよいのだが、今後もまた何かで欧州各国と大きく異なる方向性を打ち出したなら、危うい火種にもなりかねない。日本は現在“岸田政権が危うい”などといっているが、支持率20%台のイタリア政権などに比較するとまだまだ安泰なのだ。そういう点で欧米に向かっていた投資資金が銀行金利が1%にも届かない日本に、向かっても良さそうにも思うが、逆に言えば“成長性が乏しい”ともいえるので、そう簡単な話でもない。ただし日本は急激な成長もないが、徐々にその芽だけは生みだされているので“庶民に優しい国”と言えるかもしれないのだ。

「天気を変える科学」はなぜ誕生しないのか⁉

2023-08-08
台風シーズンになると、あちこちで“天気予報”を詳しく解説する。だから、そのメカニズム自体は何となくだが解かったような気になる。だが、そのたびに思うのは、それでも結局は気象予報士でも“進路予測”とかはハッキリ判らず、何となくの予想で終わる。何回も聴いていれば「もう、それは解かったよ」と言いたくなる。結局、人間は大自然に勝てない。いつまでも勝てない。何千年も前から、同じように自然界に振り回されてきた。大雨だ。氾濫だ。洪水だ。土砂崩れだ。強風だ。竜巻だ。雹だ。雷だ。地震だ。津波だ。高波だ。熱波だ。猛暑だ。大雪だ。日照りだ……古代人のように神に祈りをささげるでもなく、大自然の“おさまり”をじっと待つ。まるで宇宙を制したかのような発明品は次々と生まれているのに、天候を変える、台風の進路を変える、地震を無くす……そういう研究や発明は聴こえて来ない。人類にとって、本来から言えば、もっとも最初に着手しなければならないはずの「発明品」に誰も着手しようとはしない。いや、着手したけれどダメだったのか。以前、中国で「気象を変える」試みが行われていたような気がする。確か、雨の降らない地域に雨を降らせるとか、雨が降っている地域を晴れに変えていくとか、そういう感じの試みだったような気がするのだが。確か、その時、一応原理的には「特定地域に雨を降らせることは可能」と言っていたような気がする。もちろん、降らせることが可能なら、それを留めることも可能なはずで、そういう研究・実験であればだれもが協力するのではないだろうか。中国のような広大な大地であれば、実験しやすいとも思われる。どちらかと言えば日本のように地形が複雑な地域は難しいのかもしれないが、月とか火星とかに住宅を作ろうとする時代なのだから、そういう実験が各国で行われても良さそうな気がするのだが、いま一つ“地球大自然”に立ち向かっていく企業や人物は表われていないような気がする。たぶん、ものすごくお金がかかって、そのわりに“儲けられる可能性”がないからであろうか。自然災害で何万人もが亡くなっても、実質的に“難しくてお金の掛かりそうな研究事業”には腰が引けてしまうのであろうか。それとも、もしかして、そこは「神の領域」として触れないことが暗黙の了解となっているのだろうか。 « Older Entries Newer Entries »