9月, 2023年

「幸・不幸」の“巡り”だけは、まあまあ公平⁉

2023-09-19
「世の中」を公平だと思っているような人は、おそらくいないだろう。大昔から人々は「不公平」だと思っていた。だからこそ「運命」という言葉が生まれ「宿命」という言葉が生まれたのだ。生まれながらに「お金に不自由しない」人もいれば「お金の苦労をする」ように出来ている人もいる。お金だけでなく、その容貌にしても、能力にしても、生れ育つ環境にしても、明らかに“違いがある”ことを誰もが感じながら生きている。最近の調査で、現在、地球上の人口は約80億人だが、そのうちで「超富裕層」と呼ばれるような人達は約40万人いるという。多いような少ないような不可思議な人数だ。超富裕層の定義だが、3000万ドル(日本円で約44億円)以上の純資産を持っている人達が、そういうふうに呼ばれる。早い話が「大金持ち」だ。確かに44億円も持っていれば、基本的に“普通の暮らし方”をしたなら一生を掛けても使いきれない。しかも、そういう人たちは何らかの収入を得ている場合が多く、その財産に加えて新たな収入が常に入ってくる。世界に40万人もの人たちがいる……というと多いように感じるが、人口比率で言うと約0.005%の人たちに過ぎない。1%にも達していないのだ。だから、われわれが滅多にお目に掛かれないのは当然のことなのだ。それでも、日本の中では東京にもっとも多く3700人もいる。こちらの数字だと多く感じる。そんなにいるような気がしないが……。まあ「お金配り」をしていないからかもしれない。もっとも、お金があるから“幸福”というものでもない。逆にお金がないから“不幸”とも一概には言い切れない。“食べていく”のに支障がないくらいのお金があれば、あとは多くても少なくても“幸・不幸”に直接関係がない。むしろ幸・不幸は“自覚”の問題なので、或いは“運気”の問題なので、そういう意味で“本人の生き方(目的)”と“現在の状況”とが乖離していなければ幸福に感じるし、乖離が大きければ不幸に感じる。しかも、誰でも、その時々で“物事がうまく運ぶ時”と“物事に支障が生じやすい時”とがあることを自覚しているから、スムーズに運ぶ時には運勢が良く、思い通り運ばない時には運勢が良くない。そういうふうに感じている。それが自分自身の「力」だけではないことも気付いている。目に見えない“不可思議な作用”を誰でも感じている。この“運勢の力”は先天運ほど不公平ではないのだ。

300万本分の「ワインレッドに染まった」街⁉

2023-09-18
その映像を視たが、文字通り川のように坂道を勢いよく流れ続けていた。ポルトガルのワインの街で起こった哀しい出来事。レビラ醸造所の貯蔵タンク二基がなぜか破裂してしまったのだ。約300万本に相当する赤ワインが一気に路上へと流れ出た。もう流出を防ぐ手立ては無かった。丁度、坂道の上にあった醸造所からは、ゲリラ豪雨の時に川から溢れ出た“氾濫水”のように街中へと流れ出していった。もちろん、その色はワインレッドであった。したがって街は一時的に「ワインレッドの街」となった。大昔、わたしはひっそりと一つの会社に入社した。歓迎会は無かったが、その代わりのように、3日後に観楓会が行われ、わたしは初めてキャバレーなるところへと出向いた。わたしの歓迎会を兼ねていた観楓会であるから、それはそれはみんな私に優しい。ほとんど誰が誰だか解からなかったが、とにかくみんながわたしに「飲め」と言った。そのキャバレーにはさまざまなお酒が用意されていたが、特に私が気に入ったのは“甘いワインレッド色のカクテル”であった。やけに美味しかった。勧められるまま何十杯も飲んだ。当然のように私は飲み過ぎで途中から記憶を無くした。傍には美しいホステスも居た。途中で「大丈夫なの」と心配してくれたことだけが記憶に残っている。さて、案の定、どうやって帰ったか解からなかった私は、翌朝目が覚めても、まともに歩けなかった。酔いからは醒めていたはずだが、眼が廻るのだ。ワインレッドが襲ってくる。こうして、わたしは“その日”休んだ。入社してすぐ、それも歓迎会で飲み過ぎて潰れて、二日酔いで目が廻って会社に出られないという“最低な愚行”を最初からやっちまったのだった。翌日、どうやって出社したのか、ハッキリとした記憶はない。ただ誰からも叱られなかった。そして、その数か月後の忘年会では「わが社のプリンス」などと紹介していただいてマイクを握ったのだから、昔の会社は何んと大らかで素晴らしかったのだろう。

「タトゥ」のように「ハンコ」を求める欧米人

2023-09-17
わたしが好きだったTVドラマ「オスマン帝国外伝」では、大変に興味あるシーンが何回も出て来た。自分の言葉の証明としての“印鑑”を押すシーン、そしてその書簡を運び“巻物入れ(日本の賞状入れの筒)”が手渡されるシーンだ。さしずめ現代なら、サインをしたメールが届くのに似た状況だが、歴史ドラマの上での“印鑑”と“書簡”は、それとは比べ物にならないほどの重要性を帯びていた。だから蠟を垂らして、その上に印鑑を押す形式だが、それだけ手間暇がかかり、簡単には偽造が出来ない。古代から中世にかけては、いや近代までか……そういう形で“約束事”や“決定事項”は伝達された。われわれだって考えてみれば、20年ほど前までは日常の中で、ふつうに朱肉を使う印鑑が使用されていた。ところが、ここ数年、その印鑑は窮地に立っている。もはや「ハンコの時代ではない」ということで、忘れられそうになっている。ところがである。いま一部の印鑑屋さんでは外国人客で“大賑わい”なのだ。どうしてかというと、アルファベットを漢字の当て字で作製する印鑑(ハンコ)が“お土産”として大うけだからだ。都内のある印鑑店は、現在、来客の八割が外国人客であるという。その場で、欧米名に相応しい“当て字としての漢字”を択んであげて30分で製作する。このスピーディーな対応も“お土産”として持って来いなのだ。わたしは昔、香港に旅行した時、印鑑店で自分の名前入り印鑑を作成してもらったが、小さい割にけっこう高額だった。現代の日本の“お土産用印鑑”は、比較的大きめで“本来のサイン”も下に一体化させて実用性を加味してある。つまり、それを使えば、日本国内でも通用する形式に作ってある。もっとも、購入者の多くは自分専用の何かに押して、サイン代わりとして使用したがる。まるで「日本」が“脱印鑑”に向かうのはと真逆に“脱サイン”用として、重要な持ち物などに使おうとしている。その感覚は、欧米の若者たちが趣味的な感覚で「タトゥ」を身体に入れるのとどこか共通な雰囲気が感じられる。或る意味では、同じような“彫り物”であった。そして“一生もの”でもあった。自己主張の強い彼らが、自分専用の印鑑を持ちたいと思うのは、考えてみればおかしな現象ではなかった。もっとも「タトゥ」と同じように、ときどき“意味としておかしい文字”を用いようとするから、その点は教えてあげた方が良い気がするのだが……。

「農家の息子」ではなく「和菓子屋の息子」⁉

2023-09-16
わたしはときどき「自分は何者なのだろう」と思うことがある。昨日も、そう思った。大量の“生のトウモロコシ”が届いたからだ。仕方がないので、その皮むきをした。それをしながら「オレは農家の息子だったのだろうか」と思った。そうではない。わたしは「和菓子屋の息子」だったはずだ。本来なら、その後継だったかもしれない。ところが、私の父親はいろいろあって、わたしが生まれる直前に“和菓子屋”を投げ出した。というか倒産して「夜逃げ同然に北海道へと逃げ延びた」らしい。いや、それも本当かどうか、わたしは知らない。とにかく、わたしだけが“その辺の事情”をよくわかっていない。なぜか、子供の頃も、大人になってからも、みんな私には教えてくれなかった。まあ、わたしも“そういうこと”に興味がなかったので、訊こうともしなかったのだが……。とにかくそういう事情で、わたしはほんとうならば三店舗くらい経営していた「和菓子屋の息子」だった。だが、わたしが子供の頃の父親に“その面影”はなく、せいぜい毎日貧しいのに“お茶菓子”を切らさなかったこと、お茶も“高級茶”しか飲まなかったこと……そういう部分に“高級和菓子屋”の名残が残っていた。もっとも、わたし自身は“洋菓子”の方が好きだったし、そういうものは“買うもの”であって、自分が“作るもの”だと思ったこともない。父親の方も、自分の過去を振り返るようなことはたまにあったが、私に「和菓子屋になれ」と勧めたこともない。たぶん、自分の失敗を、それも“仕事以外からの失敗(⁉)”を知られるのが嫌だったに違いない。だから、四人の子供たちは“それぞれの職”に就いたが、和菓子屋を目指したものは無かった。ただし、父親の祖父は“易や家相に財産をつぎ込んだ男”だったらしい。父親は何故か“そのこと”を憎んでいて、だからわたしが“その方面”へと興味を持ったことを極端に嫌がっていた。そして“そういうこと”に興味を持ったのは「お前のせいだ」として母親を罵倒していた。なぜ罵倒するのか解からなかったが、とにかく気難しい人だったので、母親も黙って耐え忍んでいた。今なら「モラハラ」の典型的な人物だった。こうして、わたしは何故か父親ではなく“その祖父”の「血」を受継いだのかどうか判然としないが、ともかく“家系的な何か”を、もしかすると引き継いでいるのかもしれなかった。

「後頭部を長くする」のは「宇宙人」に憧れ⁉

2023-09-15
つい最近もアメリカで“似たような議会”が開かれたばかりだ。今度はメキシコの議会で“地球外生命”とおぼしき遺体が公開された。公開したUFO研究家の主張を受け入れるなら、小さな二つの遺体はペルーのナスカ地上絵の付近で2017年に発見されたものであるらしい。研究者の主張によれば、さまざまな研究の結果、これらの遺体が約1000年前のもの(700年前という調査も…)であることが解かったという。これらの遺体は目が大きく吊り上がり、後頭部が異常に長く、腕が極端に長く、3本の指を持っている。文字通り、古くから言われている「グレイ」と呼ばれる宇宙人像に近い。もっとも骨の感じなどがやや不可解で、研究者が“それらしき遺体”を作成した可能性もないではない。ただ、わたしは一つだけ“符合する”ものを感じている。それはメキシコや南米では、古くから幼児の後頭部を“長頭化させる風習”が存在していたことだ。その理由は未だに判然としていない。メキシコ北部ソノーラで1999年に発掘された「エル・セメンテリオの遺跡」では数多くの“長頭化された遺体”が見つかった。時代的には1000年前の遺跡らしい。したがって同じような時代に“長頭化の宇宙人”がやって来ていたとすれば、それに対しての“憧れのようなもの”が自分たちの幼児たちに対して働き“意図的に長頭化させた”と思えなくもない。ナスカの地上絵にしても“天空上から視られること”を意識していたことは間違いないし、マヤ地域に誕生した数多くの天文台や“天文暦”にも説明が難しい暦日などがある。この日公開された“二遺体”だけでは正直何んとも言い難いが、もし、これに引き摺られるような形で次々と“宇宙人遺体”が公開されるようなことが出てくれば、また年末になってTV特番で“肯定派”&“否定派”の激しいバトルが繰り広げられるかもしれない。ああいう面白くて“ためにならない番組”がTVを席巻している方が、性加害とか値上げラッシュとか特殊詐欺とかの相次ぐ報道よりも、はるかにわれわれを“平和な国”に導いてくれるのではないだろうか。

「新郎」が現れるまで「お義父さん」と結婚⁉

2023-09-14
世の中には“あやしいこと”がいろいろとある。インドネシアの北部マルク州オビ島のジコタモ村で起きた出来事は、あっという間にインドネシア全土に広がってしまった。だが、これはインドネシアだけの珍事ではないかもしれないのだ。昔からの風習が続く田舎に行くと、けっこう“この手の出来事”は世界各地で起こり得る。新郎として登場するはずだった人物が、突然、結婚式当日になって行方をくらましてしまったのだ。20歳のイスラ氏が問題の“新郎”だが、なぜ急に結婚式当日になって行方をくらましたのかについて、その理由は判然としていない。とにかく、突然いなくなってしまったのだから、困るのは“その家族”だ。何しろ、田舎だから昔ながらの風習がそのまま継続されている。新郎側は“大いなる持参金”を新婦側に差し出している。新婦側も“大いなる結婚披露宴費用”を関係者に手渡している。だから、どちら家族にとっても“大いなる財産”を投じている結婚式は挙行しなければならない。そこで、どうしようもなくなった新郎側の父親が「自分が新郎になる」と代役を引き受けた。もちろん、結婚が“代役”で成立するとは思えないが、問題は「なぜ、新郎は行方をくらましたのか」判然としていないことだ。したがって新婦の方も“破談”にはしたくない。とりあえず「新郎が見つかったら交代して⁉」という約束で“その代価案”を受け入れることにしたらしい。こうして、双方とも“大いなる財産”を投じた結婚式は何んとか無事に終了した。もちろん、この報道が出るといっせいに疑問の声が上がった。「なぜ新郎じゃなく、新郎のお義父さんなんだ」というまともな反応だ。「結婚式は取り止めるべきだ」という批判的な意見だ。だが、当事者の新婦側の実兄は「まずは彼が現れるのを待つしかありません」と冷静に応答している。ただ、なぜか新婦である19歳の女性のコメントはない。そこが誰もが知りたい部分なのだが、どういう心境で結婚式を行ったのか、今後どうすべきなのか、謎は謎呼ぶ“行方不明事件”は、いつか明るく新郎が戻ってきた時、何事も無かったかのように解決するのだろうか。

ロシアと北朝鮮が「宇宙基地」で見事“合体”⁉

2023-09-13
秋は旅立ちに良い季節だ。そこで…というのでもないのだろうが、北朝鮮の金正恩書記長は10日にロシアへと向かった。通常、飛行機で向かいそうなものであるが、どうも金正恩氏は飛行機が嫌いなようで、やや古臭い専用列車で向かう。そして、現在、ロシアのプーチン大統領が滞在しているウラジオストクに降り立った…のではなく、そこを通り過ぎて、どんどん先へと進む。ん⁉ 旅慣れていない彼は“行先”を間違えているのでは…と思ったりもするが、心配ご無用。もともと彼をプーチン氏が出迎えるのはウラジオストクではなく「宇宙基地」のあるボストーチヌイという街なのだ。プーチン氏の方はどういう移動手段を用いるのか知らないが、実際の会談が設定されているのは14日らしい。「宇宙基地」で握手し「宇宙基地」で“契約を交わす”方が何となく“未来永劫の仲良し”を世界に感じさせられるではないか。何しろ、このところ、プーチン氏には“お友達”が少ない。ほんとうは中国の習近平主席と“仲良くしたい”のだが、というかそれなりに仲良くはしているのだが、実はいま習近平氏は“仲良しごっこ”どころではなく、自国の経済を立て直せるかどうかの“崖っぷち”に居る。だから“仲良しごっこ”は後回しなのだ。そこで、暇そうにしている金正恩氏と“仲良しごっこ”をして、ついでに“大きな商売”もして“宇宙土産”でも贈っておこうか、という段階なのだ。北朝鮮はこのところ“科学開発”に熱心で人工衛星や原子力潜水艦の開発を急いでいる。なにしろアメリカさんと対等に話をするためには、それらが必要だからだ。一方のロシアは戦いの真っ最中だから各種砲弾や対戦車ミサイルを少しでも多く確保しておきたい…という思惑がある。つまり、双方とも実際の「地球外宇宙基地」で再び逢うことを夢見ながら、それらの“商談”を進めてゆくのが今回の“ご訪問”のいちばんの目的なのだ。やっぱり“お友達”は必要だし、もう“秋田犬”にかまっている時代ではない。それにしても、宇宙に“飛び出そう”としている国の専用列車はなかなかに古臭くてマニアックな人たちの関心を呼びそうな気がする。やっぱり豪華な晩餐より、宇宙食だよ。オシッコ飛んでいかないように注意しなくっちゃあ。

「50代での初婚」が“普通”に変わってきた時代

2023-09-12
わたしが若い頃、30代で独身だと周りから「まだか⁉」とよく言われたものだ。なにが“まだ”なのかと言えば「結婚」のことだった。それくらい、30歳になる前に“結婚しておく”のが当たり前の時代だった。けれども今は、30歳くらいでは誰も何も言わない。40歳でも言う人は少ない。ようやく50代に入る頃になると「まだか⁉」ということになる。それくらい時代は変わり、世間も変わった。もっとも、50代に入ってしまうと、もうなかなか“初婚”の場合は難しくなる。たまたま女性雑誌の記事で50代に入ってから結婚をされた二人の女性のことが記事になっていた。その一人は女優の大島さと子氏であり、もう一人も女優の床嶋佳子氏であった。大島氏の方は53歳の時に長く友人関係だった相手と結婚し、その旦那さんの仕事の関係でハワイと東京の“2拠点生活”を続けているらしい。一方、床嶋氏の方は友人の紹介で出逢った男性と境遇的にも似ていたところからあっという間に話が進み55歳で結婚した。お二人とも“初婚”で現在も夫婦関係は良好らしい。女性が仕事で活躍するようになって、一人でも生活できるように変わって来たことで、昔「永久就職」と呼ばれた結婚を急ぐ必要もなくなった。「妊娠・出産」ということを除けば、存分に仕事をした後で“寄り添う相手”を求めても遅くはない、という時代になった。時にはそれを通り越して「結婚自体が煩わしい」と考える人たちも多くなった。そのような考え方を貫いても「多様性の時代」として周りが受け入れてくれるから、干渉されないで済む。少子化が進み、結婚年齢が徐々に後退していくのは仕方がないのかもしれない。50代での結婚は、子育てを煩わしく感じる人たちにとっては“ちょうど良い年齢”かもしれないのだ。近年は“2拠点生活”や“別居婚”や“すれ違い婚”も珍しくはなくなった。若い時のように「愛」だけを追い求めるというのではなく、お互いにとってムリのない状態で“ひとりの時間”と“ふたりの時間”を分けて愉しむというスタイルの結婚が、これからますます多くなっていきそうな気がする。

金メダリストからギブアップ奪った“桜庭大世”

2023-09-11
「桜庭和志」と言えば、一時期“IQレスラー”として輝かしい活躍をした時期があった。もっとも最近は昔の活躍がウソのように第一線から遠ざかってしまった。ところが、その桜庭和志選手には“秘密兵器”があったようだ。彼自身ではなく、彼の長男「大世」が昨日、鮮やかな“格闘技人生”のスタートを切ったのだ。つまり、彼は密かに我が息子を“秘密兵器”として育てていたのだ。昨日のデビュー戦、その秘密兵器はアテネ五輪&北京五輪で金メダルを獲得している柔道の内柴正人選手から「膝十字固め」でギブアップを奪った。いくら、もう現役から遠のいたとはいえ“金メダル選手”だ。世界五輪を二連覇した人物だ。その内柴正人選手からギブアップでの一本勝ちという形でデビュー戦を終えたのがすごい。「血は水よりも濃い」というが、アスリートは芸能人などと違って子供がそのまま格闘技者として成功する例は少ない。体力的な素質は受継ぐことが出来ても、その精神性とか根性、気の強さとかは、育った環境が異なると“受継ぎ”にくい部分がある。やはり“プロの格闘家”は精神の部分も重要なのだ。そういう点から言って、下馬評では圧倒的に「内柴有利‼」とされていた。どこまで善戦できるか……というのが大方の期待だったのだ。それを見事に覆して、ギブアップ勝利をもぎ取ったのだから、桜庭大世氏には“大物”の素質がある。試合後も取材陣を逆質問するなど、度胸も好い。しかも父親よりもはるかにルックスも良い。どちらかと言えば、桜庭和志氏は“格闘家の顔貌”としては、あまり強そうでもなく、柔和な印象を与えるところがあって、それがマイナス面でもあった。まあアントニオ猪木氏のような、その面構えからして“強烈な印象”を与えられる人物はそんなにいるものではない。桜庭大世氏の顔貌は“甘いアイドル顔”であって、いかにも現代の格闘家という印象を与える。女性受けしやすい容貌なのでデビューからすでにファンが多い。身長が180㎝あるのに体重が75㌔でまだまだ身体そのものは格闘家になっていない。これから体つくりも本格的に行えば、やがては世界に名をはせるトップレスラーのような存在に必ずなっていくだろう。

騒がれない方が「偉大な記録」達成しやすい

2023-09-10
オリックスの山本由伸投手が昨日の試合で日本で82年ぶりとなる「2年連続ノーヒットノーラン試合」を達成した。投手部門での記録としては「完全試合」というものがあって、それが最高なのだが、プロ野球の場合、それはなかなか達成できない。それに次ぐのが昨日のノーヒットノーラン試合で、優秀な投手でも一度も達成できずに終わっていく人生が多い。そのノーヒットノーランを2年連続で達成したのだから、偉大な投手であることの証明となる。もっとも、山本由伸投手の場合、まだ25歳であるから、まだまだこれから記録を伸ばしていく可能性もある。なにしろ彼は、一昨年と昨年の2年連続で“投手5冠”を達成している。もしも、今年も達成できたなら3年連続の大記録となる。この投手5冠というのは1年間を通じての記録であるから、簡単そうでいて実は簡単ではない。アメリカで活躍中の大谷翔平投手は打者として騒がれがちだが、投手としても間違いなく一級品なのだが、年間を通じての記録や賞は、ほとんど得ていない。それは一年間フルシーズン故障なく過ごせたことがほとんどないからだ。彼は“故障”しやすく“好不調の波”が大きい。したがって、間違いなく“ずば抜けた能力”の持ち主ではあるのだが、季節的なものだけでなく、長い歳月という眼で視た時に、運命学的に“疑問”を感じさせる要素がある。これはどんな仕事でもそうなのだが、結局、人間の評価は最終的に“その生涯になしえた仕事”で与えられる。短い期間で“駆け抜けていった人生”では、記憶には残るが記録には残りにくい。もっとも、これは“先天運”として与えられた要素でもあるから、努力すれば変えられるかというと、必ずしもそうとは言えない。したがって、山本投手の場合には、そういう点で“長期的に活躍できる素質”を「運」として与えられているような気がする。少なくとも、投手としての素質そのものは間違いなく“好不調の波”が少なく、体力的にも“長期型”のように視える。問題は、何かしら野球以外の“別のところ”から崩れていくケースがあることだ。そういう意味では、こういう人は特に“私生活管理”が重要となる。肉体的な故障の心配はないが、たとえば女性関係や友人関係など思わぬところから崩れていく可能性がある。ホロスコープにおいて彼の金星は土星と90度、海王星と180度だからだ。彼はまだ25歳であるから、30歳になるまで“野球一筋”で貫くことが出来れば、そしてマスコミに騒がれすぎなければ、偉大なる投手として次々と記録を塗り替えていくことだろう。

公的な生活に「神様」は“争い”を引き起こす⁉

2023-09-09
フランスでの決定を知って、日本でもやがて“そういう日”がやって来るのだろうか、と一瞬思ったが、いや日本では絶対に起こらないだろう、との囁きが聞こえる。現在、フランスでは人口の約10%がイスラム教徒であると言われる。だから時折イスラム系過激派のテロ事件などが起こる。それらの多くは北アフリカからのフランスへの移民たちだ。元々のフランス人の多くはキリスト教徒だ。そしてユダヤ教徒が多少混じっている。だが、お隣のイタリアほど宗教が“前面に出ている国”ではない。とにかく、そういうフランスで学校での“アバや着用の禁止”が正式に決まったようだ。これまでは“宗教的な被り物”は禁止されていたが“服装はグレイゾーン”ということで一応認められてきた。ところが着用者が多くなることで「教育がやりにくい」などの弊害が出ているとして「国」として禁止したのだ。ただイスラム教団体は「差別的な今回の決定は増悪をあおるものだ」として撤回を呼び掛けている。実際、全国で300名もの女子児童がアバヤを着て登校してきたが“着替えの要求”に反発して67名がそのまま帰宅したという。アバヤというのは日本でだと“出産間際の女性たち”が着ている洋服に近い。身体のラインが解からないようにすることが目的の服装だ。したがって学校内でだと目立つ。男子児童の“カミス”と呼ばれる白い長衣も同時に禁止された。こちらは夏場は何となく涼しそうな気もするが、運動には多少邪魔になりそうな面もある。フランスは元々はキリスト教国に近い国だが、移民を多く受け入れたことで“テロ事件”なども多くなった。一つの思想でまとまっていた国が徐々に“対立的な構図”に発展していきそうで、こういう変化を観ると日本の今後を考えるうえでも参考になりそうな気がする。「日本」という国は、元々は「神道」だったはずだが、途中から「仏教」が隆盛となり、やがて「キリスト教」なども入ってきたが浸透しきれなかった。むしろ日本では新興宗教的なものの中に“怪しい教え”があったり“政治的色彩の強い信仰”があったりして“事件”が起きた例も多い。それらすべてを総括すると「国」には“一応の宗教”は存在していた方が良いが、公的な生活に直接宗教が加わって来ると“トラブルのもとになる”ということのようだ。

「後ろ盾」の“ある”“なし”で「運命」は変る⁉

2023-09-08
4時間にも及ぶ「ジャニーズ事務所の会見」は、あらためて日本の芸能界やメディアが持っている“闇”の部分を浮き上がらせた。今回は「性加害」ということだけが問題となっているが、それだけが芸能界やメディアの“闇”なのではない。芸能事務所とメディアとの関係では“暴力団との関係”も昔から言われていたし、スポンサー企業と芸能人との関係も昔から言われてきた。いまはもう、そういうことが無くなっているのかもしれないが、昔は“大手スポンサー企業のトップ”が有名女優や歌手の“後ろ盾”となり、長期CM契約を出す代わりに“その女優や歌手”を「自分の女(愛人)」として“仕事を制限する”とか“プライベートを制限する”ようなことを行っていると、よく言われた。各地で興行を打つ場合、その地域を仕切る暴力団事務所の“後ろ盾”を得ていないと、あとでいろいろ問題が生じるとも、よく言われた。多数の“人気芸能人”を抱える芸能事務所が、一方で大手スポンサー企業に頭を下げ、その一方では各TV局や雑誌などに対して有望新人などを“ごり押しする”光景も珍しくなかった。結局、人気がそのまま結果となって跳ね返ってくる芸能界では、力のあるものに巻かれるしかない状況が生まれやすい。今回の「性加害」は、それらと同列に並べられる問題かどうかは微妙だが、各メディアが大手スポンサー企業と大手芸能事務所、それに“視聴率の取れるタレント”のもろもろに対して、今後、どう向き合っていくべきか、真摯に考えるべき時代に入ったことの象徴的な出来事と言えるのではないだろうか。ただ芸能人にしろ、アスリートにしろ、政治家にしろ、その“後ろ盾になる大企業”があるのとないのとでは全然ちがう。人生そのものが違って来てしまう。そういう意味では、それぞれ極端な不公平が生じないような仕組みの構築が必要なのだろう。少なくとも、弱小の芸能事務所でも、タレントの才能が豊かなら排除されないような仕組みが保たれ、不運に嘆きながら芸能界を去って行く人たちが出て来ないような世界を作っていく必要があるのではないだろうか。 « Older Entries Newer Entries »