10月, 2023年

「アイドルの店」でなく「美味しいお店」に‼

2023-10-19
2015年まで「バイトAKB」として活動していた梅澤愛優香氏(26歳)が「失踪したらしい」という報道がある。「バイトAKB」の後は名古屋で地下アイドルをし、その後は東京・葛飾でラーメン店をオープン、その後は店舗を変えて神奈川の大和市でラーメン店を開始し、その店は順調でさらに4店舗を経営、2年前には『ラーメン女王への道』という奮闘記まで出版している。そういう異色の経歴の持ち主だが、現在はすべての店が閉鎖され、その本店が店の前に並ぶ冷蔵庫から異臭がする……ということで騒動になっている。短期間アイドルとして活動し、その後はまったく異なった道を進んでいく人たちは多い。梅澤氏も“そういうタイプ”のひとりだ。ただ彼女の場合、実質経営は男性の若手起業家だったらしい。その実質オーナーは問題を起こしやすく、何度か逮捕されている。そして、その人物が居なくなったことで店の経営が“行き詰まった”可能性もある。店を休業し、そのあとSNSからも遠ざかり、本人とは連絡が取れないと不動産関係者も困っているらしい。まさか店の前に置かれた冷蔵庫に入っていることはないだろうが、実質経営者が逮捕されているだけに、何らかのトラブルに巻き込まれた可能性もあり得ないことではない。もし、本人の意志で疾走したなら、早く姿を現さないと、さまざまな方面に迷惑が及ぶ。梅澤氏はフードジャーナリストとの間にもセクハラや誹謗中傷のトラブルがあったらしく、あまり地道な形で商売が出来ていなかったような印象を受ける。ラーメン店というのは、元々は“日銭商売”で地味な飲食店に属する。彼女が自分の意志で“ラーメン女王”を目指していたのかどうかわからないが、わたしには何となく、このひとには飲食店の接客業自体は向いている気がする。問題は“地道な商売”として経営する気持ちがあったかどうか、実質オーナーだったとされる若い起業家との関係がどうだったのか、訴訟事件に発展しているというフードライターとの関係はどうだったのか、いろいろ難しい部分が潜んでいた気がしてならない。とりあえず迷惑をかけている関係方面には謝るのが筋だし、まだ26歳で再出発は十分可能な年齢なので、新しいお店で“スタッフとして”身軽になって「アイドルを売り物にしない飲食店」として再スタートを切った方が良い。

「親子」ではないけど……やっぱり「母娘」⁉

2023-10-18
歌手の前川清氏が自らのYouTube動画で、宇多田ヒカル氏がTV番組内で「逢いたい人」として前川清氏の名前が出て来た時、たまたまその番組を一人で見ていたので、思わず後ろで誰も観ていないのに「振り返ってしまった」と驚きのようすを伝えている。確かに、ふつう、これまで一度も逢ったことがなく、しかも“血の繋がりもない”相手から、いきなり名前を出されて「逢いたい人」と言われたなら驚くのが自然だろう。宇多田ヒカル氏の母親は、言わずと知れた歌手の故・藤圭子氏である。そして、その藤圭子氏は19歳にして前川清氏と“初婚で結ばれた相手”でもある。好奇心の旺盛な宇多田ヒカル氏が、自分の母親が最初に結婚した男性と「逢ってみたい」と思うのは特別、奇異なことではない。ただ元々“そういうようなこと”を話す番組でもなく、たまたま会話の流れから、いま逢ってみたい人と訊かれて、口をついて出てしまったのが母親の“最初の結婚相手”だった。しかも、その番組をたまたま見ていたのが、その張本人ともいうべき前川清氏だったという偶然が重なっている。ところが、今回のYouTube動画によれば、そのあと前川氏は取材などで「わたしも逢いたい」と言ってきたのに、それは何故かニュースになっていないというのだ。まあ、ニュースとして取り上げるほどのことでもないが、ただTVの企画として“二人を逢わせる”のは高視聴率を得られそうな気はする。もっとも、前川氏の方も、藤圭子氏の方も、その後に再婚して、そのどちらも子供を得ているから、そして藤圭子氏の方は“不幸な亡くなり方”をしているから、この場合、そっとしておく方が無難だという捉え方もある。ただ運命学的な観点から言うと、この二人が逢って“愛のデュエット曲”など吹き込めば、売れそうな気はする。前川氏は動画の中で「声がお母さんに似て来ている」と感じたようだ。そうであればなおのこと“ふたりの演歌”を聴いてみたい。宇多田氏は比較的器用なタイプだから、演歌であっても歌いこなせるのではないだろうか。もともと母親である藤圭子氏も、プライベートでは洋楽の方が好きだったと言われる。もっとも阿久悠とかなかにし礼とか“こういう組み合わせ”の曲を書かせたら上手い人達が亡くなっているので、ここはひとつ私が代わりに……というわけにもゆかず。

異国の空で聴く「昴」は“荘厳な響き”があった

2023-10-17
昭和をリードしたシンガーソングライター谷村新司氏が亡くなった。わたしには今も明確には想い出せない記憶の断片がある。あれはタイだったか、それともフィリピンだったか、確かどちらかの国だったと思うが、とにかく“その時”わたしはトラックの荷台に乗っていたような記憶がある。もちろん東南アジアなので夕方6時過ぎだが、まだまだ蒸し暑い。空は暗く街は喧騒のままだった。それが、どこからか突然、谷村新司氏の「昴」の歌声が聴こえてきたのだった。よほどの大音量でなければ聴こえないはずだが、もしかするとトラックそのものが掛けていた音楽だったのかもしれない。とにかく、その日わたしは何故か疲れていた。旅そのものに疲れていたのか、連日の暑さに参っていたのか、いまではよくわからない。ただ精神的にも、わたしは何らかの悩みを抱えながら、その結論を見いだせないで居た。そういう中で、わたしの耳に「昴」が飛び込んできたのだ。最初はだれの歌か判らず、なんとなく「日本の歌だな」と思った。確か、その前に掛かっていたのは現地の曲だった。だから、そういう意味で「日本の曲だ」というのはすぐに判った。けれども最初は何の曲なのか解からなかった。それでも、引き込まれるように、わたしの中で“その歌”が大きくなった。そうだ「昴だ‼」そう気付いた。そう気付くと、あの歌詞が妙に“その時の状況”に符合したのだ。わたしだけが勝手に符合させたのかもしれない。けれども、あの曲は確かに異国に合っていた。異国の中で、疲れていて、連日の蒸し暑さで弱っていたカラダに、染み入るように入ってきた。不思議だった。そうするとほろほろと涙が流れる。なにも哀しいことなんてないのに、涙が流れる。わたしは日本人だった。アジアの薄闇の中で、アジアのトラックの荷台の上で、埃っぽい路上を走りながら、聴く「昴」には荘厳な響きがあった。何か、日本人がかつての戦争でアジアの密林で戦っていたことを彷彿とさせる響きがあった。不思議だった。それは決して激しく歌っていたわけではない。力いっぱい歌っていたわけでもない。ただ、朗々と歌っていたのだ。何かしらの決意のもとに歌っていた。日本の魂をアジアの片隅に置いていくかのように、トラックは走り続けていた。

14人に1人が「2億円超」を保有している香港

2023-10-16
確かに「風水効果」というものを、いちばん先に言い出したのは香港の風水師たちだった。あれから、もう30年近い歳月が流れている。あの頃、わたしはまだ「風水」というものがよく解かっていなかった。だから、その雑誌に銀行同士の「風水戦争」という言葉が出て来ても、正直ピンとこなかった。あれから、香港には何度か訪れたが、そのたび、香港は新しくなっていた。或る意味で“急速に生れ変っていく都市”という印象を受けた。最近はもう十年以上も行っていない。だから、そういう意味では“新しい香港”を知らない。その香港の銀行が公表したデータによると、今年も“都市間ランキング”において香港は「世界一お金持ちがたくさん暮らす都市」らしい。何しろ、日本円で2億円以上の金融資産を保有する人の割合が“14人に1人”なのだそうだ。実数では約40万人。あの“狭い地域”の中に、それだけの“金持ち”が暮らしている。それに比べると、日本などはほんとうに少なく、都市別ランキングでは別な調査で東京は第9位であるらしい。これは“超富裕層”の方の調べで、2億円ではなくて45億円を保有している人達の調査だが、それでも香港はいちばんで、次がニューヨークなのだそうだ。とはいうものの日本人だって、持っている人は持っている。何しろ東京は9位なのだ。何千人もが45億円以上の金融資産を保有している。ただ香港のように“14人に1人”なら、歩いていれば“出くわし”そうだが、日本の場合は探し出さなければお目に掛かれない。ところで香港は「風水」によって“世界一の金持ち都市”になったのか。どうも、わたしにはそうは思えないのだ。何しろ「風水戦争」で騒がれた銀行は、その後になって向かい合っていた両行ともいろいろ問題が起こったし、今やだれも当時の風水効果を自慢しようとはしない。ただ、風水が関わっているのかどうかわからないが、香港には“新しいビル”が次々と建つ。特にホテルに関しては、こんなにたくさん高級ホテルがあって果たして商売として成り立つのかと不思議に思うほどさまざまなホテルが多い。それだけ多くの人たちが出入りしているということなのだろう。いまや“完全に中国化”してしまったようで、昔の良さは失われていっているようにも思える香港だが、超富裕層になりそうな予感が出てきたら(⁉)ぜひあなたも行ってみて欲しい。

「NHK」は“ミスった”のか“狙い通り”だったか

2023-10-15
最近のNHKは、それなりに努力を続けている。そう感じさせる番組の一つが17日に放送される「世界LOVEジャーナル」という番組だ。なんでも“世界の性愛”を取り上げる番組らしい。う~ん、NHKと性愛……なかなか好い組み合わせだ。そして、この番組のMCが松本人志氏と呂布カルマ氏であるらしい。当然というべきか、このニュースが流れると「ジェンダー平等」を訴える団体などから反対の声が起こった。何しろ、最近は“この種の問題”にやたら“思想問題”が絡みやすい。特にMCとして松本氏と呂布氏を起用したことに対しての反対が多いらしく、その交代を望む署名は既に2万名を超えているのだという。いまの日本は、こういう問題に対して、きわめてデリケートだ。確かに彼らは“ジェンダー的な視点”からすれば、正しい選択ではない。ジャニーズ系タレントがTV番組から“締め出し”を食らっているなら、或る意味では“過去に過激発言”をしている松本氏や呂布氏が「MCという立場で出演するのはおかしい」という主張は、それなりに正しい。ただ、その番組の内容はまだ明らかになってはいないのだ。少なくとも、この二人をMCとして起用した時点で、NHK側が“大真面目に捉えようとする番組”でないことだけは明らかであろう。NHKがこういう人選をする時は、なるべく多くの人に興味を持ってもらって、たのしみながら観てもらおうとするようなときに、行なってきた手法だからだ。もし、大真面目に捉えるなら、必ずNHKアナも一人加えて、万一の場合に備えるはずだからだ。したがって、そういう点から言えば、こうして世間の注目を集められ、思わぬ“宣伝効果”をもたらすことになった人選は、もしかすると狙い通りの“素晴らしい人選だった”ということなのかもしれない。ただし、もし世界に向けての放送で、そういうコンプライアンスに厳しい団体などから“狙い撃ち”されたら、今後のNHKは“この種の番組”に憶病になってしまうことは間違いがない。いっそのこと開き直って、MC達に“大暴走”させたなら文字通り大炎上して、この種の論戦が繰り広げられる“良い機会”になるかもしれないのだが……。

「神は偉大なり」はイスラム過激派の共通語⁉

2023-10-14
イスラム教という宗教には、日本人向けに解かりやすく言うと“過激派”と“穏健派”の二つの潮流がある。その“穏健派”の方は問題がないが“過激派”の方は、世界各地で問題行動を起こしがちである。昨日もフランスの北部の都市で、過激派の人物が元自分が在籍していた高校に侵入し、教諭一人を刺殺し、ふたりの教論にも怪我を負わせた。さいわい生徒たちは無事だったが、目的の教諭に対して「神は偉大なり」と叫びながら、切り付けていったらしい。この「神は偉大なり」という共通言語は“イスラム過激派”たちがテロを敢行する時の呪文のようなもので、単独犯の場合は特にそういう共通性がある。同じような事件は、2020年10月にもパリ近郊の中学校でも起こっていて、その時にも教論が刺殺された。他にも自らにダイナマイトを巻き付けての“自爆テロ事件”を引き起こす人物なども、この呪文のような叫びを唱えて行う。なぜ、このような言葉を唱えるのかと言えば、自らの行動が“神の代替えとしての行為”と位置付けているからだ。彼らにとっては、こういう行為そのものが“聖戦”として、神に成り代わった自分が、自らを犠牲にして“正義を貫き”その死後に、神を恩恵を賜ることが出来る……と信じて決行する。したがって彼らには“罪の意識”というものがない。むしろ、自らには“英雄意識”すらある。なぜなら原理主義者は必ず“この行為”を理解し、称賛し、神の御胸の元に到達できる、と信じているからだ。或る意味では、それだけ強固な信仰の証しでもある。基本的に“原理主義者”というのはイスラム法に現在でも忠実な考え方をする。今から1400年以上の前の“宗教的規範”から一歩も外れまいとする。元々フランスで生まれ育っていた少年は、たいていの場合に“生まれ育ち”はキリスト教徒である。したがって、外部から持ち込まれたイスラムの教えというのは、或る意味“不可思議”で“純粋な信仰”のようにも思える。ふつうだった少年が“過激派”に傾倒していくのはこういうケースが多い。移民を大幅に受け入れる方向に舵を切ったことで、フランスは国内に“原理主義”を受け入れてしまった。イスラムの神以外を認めようとしない“原理主義者”は、それ以外の信徒を「敵」とみなすのだ。

「あなたの燃える左手で」という興味深い作品

2023-10-13
最近の私は滅多に小説を読まない。だから新しい小説家も、新しい文学作品も、あまり知らない。ときどき何かの文学賞の受賞作で、そのタイトルが記されるが、あまり惹かれるものは出て来ない。そういう中で、きのう何気なく「泉鏡花文学賞」の受賞作のタイトルを見て、妙に惹かれた。それが朝比奈秋著『あなたの燃える左手で』という作品名だ。女性かと思ったが、著者は男性らしい。まだ42歳の比較的若い作家だ。それも現役の医師との“二刀流”であるらしい。そのことも興味をそそった。医師との二刀流としては渡辺淳一氏がそうだった。彼も“興味深いタイトル”で書く作家で、わたしは『阿寒に果つ』というタイトルに惹かれて最初に読んだ。多少、自伝的要素のある作品で、自らが通った高校時代の同級生で「天才少女画家」として知られていた少女の、短い生涯の生きざまを描いた作品だった。真冬の阿寒の“白い雪”に包まれて亡くなっていこうとする少女に近づこうとして近づけない、もどかしさのようなものが伝わって来る……そういう作品だった。さて新進の二刀流・朝比奈氏の『あなたの燃える左手で』の方だが、こちらの方は、麻酔から覚めると見知らぬ他人の手が、それも白人の手が“移植されていた”という状況から物語がスタートする。現役の医師が、海外において、外国人の手を移植されてしまった日本人という設定で執筆をした興味深い小説だ。彼は別に小説家を目指していた人物ではなく、たまたま論文を書いていて、急に構想が浮かび書きたくなって執筆したら賞を取り、その後も浮かび上がってくる材料を次々と執筆していたら、いつの間にか本物の小説家になっていった、という珍しい履歴の持ち主だ。そうでなければ、こういうタイトルは付けないような気がする。タイトルだけからすれば官能小説でも行けそうな気がする。昔、なかにし礼氏の作詞に「燃える手」というのがあった。ろうそくにかざした私の手が「燃えている間だけでいい……わたしの傍にいて…」と願う切ない愛情をうたった詞だ。文学のタイトルには、タイトルだけで魅力的なものがしばしば出現する。

「末期がん」で15人と「余命半年」で対談本⁉

2023-10-12
漫画家として著名な倉田真由美氏の夫で映画プロデューサーの叶井俊太郎氏が“膵臓がん”の末期にあることを公表した。実際には『エンドロール!末期がんになった叶井俊太郎と文化人15人の“余命半年”論』という長いタイトルの本が出るそうで、そのために妻である倉田真由美氏が「公表せざるを得なくなった」というのが実情のようであった。医師から「余命半年」であることを告げられたのは昨年であるらしく、だから実質的には“もう亡くなっていなければならない”ような時期に書籍化されることになる。それにしても、いかにも映画プロデューサーらしく、自らの状態をそのまま活かして対談集を出す。或る意味では生命力の強さを感じる。妻である倉田氏自身は公表することに対して躊躇があるようだが、何しろ本のタイトルがタイトルだけに、書籍化されれば当然マスコミ対応が必要となる。その時になって、色々聞かれるのは面倒ということか、先に公表してしまった方が良いと判断したようだ。確かに、有名人は何かあると“マスコミ対応”がややこしい。別に隠していたわけではなくても、どうして公表していなかったか問われる可能性もある。そのせいか最近は多くの著名人たちが、自らの病気や健康状態などをマスコミに知られる前に公表してしまう。わたしは運命学的な観点から言うと、著名人の場合には無理に隠すのは良い方法と思わない。多くの人に知ってもらうことで、多くの未知の方達から応援する形での“パワー”というか“エネルギー”というか、そういうものを貰えるプラス効果がある。だから、そういう意味でも著名人は公表してしまった方が良い。奇妙なもので、多くの方達からの“生命力”が注ぎ込まれることで、病気が半減するとか、苦痛が軽減するとか、弱った生命力が蘇ったりすることがある。だから著名人の場合には、なるべく公表して未知の方達からの“パワー”や“エネルギー”をもらい受けた方が良い。もちろん末期がんなどで“完全に手遅れ”の場合には、いくら“パワー”や“エネルギー”が注がれても、それで蘇るかどうかは微妙としか言いようがない。それでも、変な言い方をすれば“苦しまずに逝く”ことが出来る。こういう本を出した彼は、妙な言い方だが“活き活きと逝く”ことが出来るのではないだろうか。

アメリカ「金利」に振り回される日本の経済⁉

2023-10-11
10月10日、つまり昨日は「日経平均ー751円高」となって“今年に入って随一の上げ幅”となった。なにが原因なのかと言えば、日本ではなくアメリカの長期金利が急低下したことによる。それだけの理由で、日本経済の指標が今年一番の上げ幅となるのだ。では、そのアメリカの長期金利低下の理由は何かといえば、もうこれ以上「金利引き上げの必要がない」見通しが出て来たことによる。この「見通し」とか言うのが曲者で、これまで何度この曲者に振り回されてきたことか。日本の経済の指標となる「日経平均」が、日本ではなくアメリカさんの「長期金利の見通し」一つで、急騰したり大幅下落したりする。奇妙なもので、経済に限れば、日本の未来は“アメリカさんの長期金利”に握られているのだ。アメリカさんの長期金利一つで、大きく浮上したり、壊滅的に低迷したりする。日本は今年前半まで「半導体バブル」の恩恵を受けるはずだった。日本各地に半導体工場が次々と計画され、その経済効果は計り知れない。ただし、それはあくまで企画・計画段階で実際のスタートは今後の経済見通しに影響されるところが大きい。何しろ、そこで生産しようとしているものが、今すぐ使うものというよりも“今後必要となって来るもの”だからだ。したがって、中国のマンションではないが、途中まで出来上がっても、実際にそれが製品として流通するかは定かではない。これからの“世界経済の見通し”いかんでは「必要がなくなった」と言われかねない。そういうものに対して、日本は大規模な国家予算を組んで“一発勝負の賭け”に出ているのだ。どうしてかというと、日本には経済を活性化する手立てが、それ以外にないからだ。我らが日本の子孫たちに対して、低下し続ける“経済”を何とか立て直して遺していこうとする“日本政府(岸田政権)”の涙ぐましい努力の結晶が、この一大プロジェクトなのだ。それを野党の面々も解っているから、この“半導体関連への国家予算の投入”に関しては、あまり大ぴらに反対する声を聴かない。何しろ、日本の経済はどんどん低下しているから、何とか浮上させなければならない。極端な言い方をすれば「これしかない」にやっと気付いたのだ。ただ、そのやっと気付いた部分が、もっともアメリカさんの長期金利の影響を受ける。だから、そういう意味では、もう“金利引き締め”とかしないでね、と尻尾を振って頼み込むしかない(⁉)のが「日本の未来」なのだ。

「寺山修司」が「香取慎吾」なのはちょっと⁉

2023-10-10
来年2月の舞台で歌手・俳優の香取慎吾氏が舞台で故・寺山修司役を演じることが決ったらしい。ミュージカルに近いような「テラヤマ・キャバレー」というタイトルの作品だ。正直、ちょっと違うんじゃないのかな、という感想を持つ。作品自体の内容に関しては自由で構わない。ミュージカル仕立てでも、それは良いと思う。ただ、まだ多くの人たちがその人物像について記憶している中で“故人名”を出して作品化するのであれば、やはり多くの人たちの記憶の中に“その人のイメージ”というものが残っている。特に「寺山修司」という人物はなかなかに強烈なイメージを残した人物だった。その風貌もそうだったし、経歴もそうだったし、思想もそうだったし、舞台作品もそうだったし、特殊な犯罪などもそうだった。要するに、どこにでもいる平凡な人物ではなかった。それだけに記憶として鮮明なのだ。一方の香取慎吾氏の方はどうだろう。彼はどちらかと言えば「アイドルの王道」を歩んできた人物だ。どちらかと言えば“都会派”で問題など起こしそうもない常識型の人物だ。つまり、人間の持っている“翳りの部分や欲望の部分”がとぼしい。彼が俳優としてどうとかいう以前の問題として、もっと“ドロドロとした部分”を持っている俳優は居なかったのか。寺山修司氏の印象として強烈に残っているのは、他人の家の屋根裏に上って“覗き見”をしていて逮捕された事件だ。なかなか“ふつうの人”でも行わないことを彼は実践した。もちろん“性犯罪の一つ”だから逮捕されて当たり前だが、その時すでに彼は「天下の寺山修司」だった。そして、その反面で詩人の彼にはいくつもの“作詞作品”もある。わたしが特に好きなのは「ときには母のない子のように」という歌だ。「♬時には母のない子のように、黙って海を見つめていたい……時には母のない子のように、ひとりで旅に出てみたい……だけど、母のない子になったなら、だれにも愛を話せない」もしかしたら、少し違っているかもしれないが、そういう歌だ。この感性は“詩人”そのもので、あまりにも切ない。こういう歌を書いた同じ人物が、その一方では“屋根裏から覗き見”をしていた犯罪者なのだ。外貌的に言えば、ビートたけし氏が比較的“寺山修司像”に近い。そう、なによりも彼は美男であってはイメージが壊れるのだ。そういえば松尾伴内氏も寺山修司寄りだ。そういう、ちょっと毛色の変わった俳優こそが、寺山修司氏を演じるのにピッタリなのだ。

だんだん「男と女の境界線」が希薄になって⁉

2023-10-09
「昭和」から「平成」そして「令和」と移るにつれて、男と女の境界線が徐々に失われつつある。あらゆる部分で失われつつある。もっとも、日本の場合にはまだ“政治家の男女比”とか“会社役職の男女比”とか、まだまだ互角には程遠いが、令和男子の“オシャレ度”などをみると、どちらかと言えば日本では、男性側の方が“女性側に接近しつつある”と感じさせる現象が多い。そういう点で興味深いのが、先日ポルトガル東部ボルバーで行われた「ミス・ポルトガル」のコンテストだ。なんとこの大会で優勝したのはトランスジェンダー(男性ながら女性として暮らしている)マリナ・マチェーテ氏(28歳)だった。もちろん彼女は“ポルトガルの代表”として「ミス・ユニバース世界大会」にも出場する。実は一足先の7月、オランダで行われた「ミス・オランダ」でもトランスジェンダーのリッキー・コレ氏(22歳)が優勝している。実は、このひとがいちばん最初でもなく、2018年にトランスジェンダーの“スペイン代表”が「ミス・ユニバース世界大会」に出場している。つまり、ことさら珍しいことでもなくなりつつあるのだ。ミスの栄冠を狙っている女性たちにしてみれば、思わぬ伏兵が出現してきたということだろう。表現は悪いが「男」に「女」が“美を競い合う女の闘い”で敗れたのだ。もしかすると、これからは“そういうこと”が普通になっていくのかもしれない。そうして逆に、かつては“男の職場”と呼ばれていた大工、鳶職、左官、旋盤工、解体屋、長距離運転手などの分野にも続々と若い女性たちが就き始めている。また徐々にではあるが、日本の社会でも“職業による男女差”が徐々に縮まりつつある。もちろん、恋愛とか結婚とかの場面でも、昔のように男女で簡単に区別しにくい状況が生まれつつある。しかも、昔なら虐めや拒絶の対象だった“中間的な性”を感じさせる人達が、今や庶民権を得て堂々と振舞い始めた。公衆トイレにさえ、中間的な性を意識した街づくりが行われ始めている。こうして、かつては「♬男と女の間には暗くて深い川がある」と言われていたが、いつの間にかその川は乾し上がってしまい、もう誰も振り返りもしないくらいだ。

「人間の予定」を「運気の予定」が切り崩す⁉

2023-10-08
最近芸能関係での「公演中止や延期」が多くなったように感じる。それも、その間際になってから、急きょ「中止」が発表される。その多くは体調不良に基づくものだ。昨日も、浜崎あゆみ氏の8日と9日の公演が急きょ中止となったことが事務所サイドから公表された。中止や延期でも良いが、もう少し前から決められないものか。昨日の今日というのでは、それを見に行くことで地方などから来ているファンはどうすることも出来ない。近年、そういうことが多くなったのは、一つにはスケジュールの管理に問題があるのではないだろうか。あまりにも前から予定を組み入れ過ぎているような気がする。だから過密なスケジュールの場合、それを途中から状況や体調を見て変更するということが難しい。浜崎氏の場合も“歌手デビュー25周年記念”ということで、全国47都道府県すべてを組み込んでいるようだ。記念の年ということで、そうせざるを得ないのかもしれないが、その前の期間は余裕を持った暮らし方をしているのが、全国ツアーをすることになると一気にスケジュールが過密化する。ほんとうに人気絶頂で毎日が過密だったころは、若さもあって乗り越えられたハードスケジュールが、余裕が出たのちの暮らし方に変わって、年齢的にも無理のきかない年齢に差し掛かって、体力的についていけない状態となっているのではないだろうか。それに“25周年記念”というような区切りは、その人物のスタッフが勝手に“記念イベント”を組むことを取り決めたもので、運勢的に「記念すべき区切りの時期」として用意されているものではない。運勢というのは、別に前もって“何周年”と定めなくても、それが必要な時期になれば自然と“華やかな運気”がやって来て、大きな舞台が次々と用意されるようになるものだ。あまりにも前から決めすぎるのは、全国ツアーなどの場合“会場を押さえておく”必要性から仕方がない部分もあるのかもしれないが、それならもう少し余裕を持たせてあげないと、結局、体調不良でキャンセルでは経営的にも“赤字”となってしまう可能性が強い。或る程度の年齢になっていけば、どんなスターもアイドルも過密スケジュールでは身体が持たない。ギリギリのところで全国を回っていけば、やがてはその付けが神経系の慢性病となって出て来てしまうのではないだろうか。 « Older Entries Newer Entries »