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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


3年以上の「ひきこもり」には「大きな代償」


あまり話題になるケースは少ないが、日本国内には相当数の「ひきこもり」が存在している。その人たちには大きく分ければ二種類あって、その一つは明らかな理由があって“ひきこもっている”人々。もう一つは特別“大きな理由”は存在していないが、或る時期からなんとなく“ひきこもり”出して、それがずるずると継続している人々。前者に関しては、ここでは重要視しない。問題は後者のひきこもりなのだ。昨日14日に“長期のひきこもり生活”の果てに両親を殺害した松本淳二被告の初公判が開かれた。被告は検察による殺害に至るまでの過程をおおかたで認めた。それによれば、大学を中退して以降、一時的には実家の家業を手伝ったりもしたが長続きせず、通算35年間にも及ぶ“ひきこもり生活”を続けていた。その間、本人の供述によれば、母親以外とはほとんど会話していないのだった。もちろん、そういう生活は心身の葛藤を招き、しだいにストレスが溜まっていく。父親が老齢になって病気となり、寝たきり状態に近くなると、自宅で“介護的な役割”を演じなければならず、被告への負担が掛かってくる。殺害当日も、何度もトイレに行くため夜中に起こされて、我慢の限界が来ていたらしい。したがって、父親殺害後もそれに対しての後悔は乏しいようだ。母親の場合には、その殺害現場を目撃されたからで、母親まで殺してしまったこと対しては“大いなる後悔”が残っているようだ。元々被告の実家は“酒蔵・酒屋”である。既に廃業して長いのだが、業務用冷蔵庫はそのまま残っていた。その業務用冷蔵庫に二人の遺体を押し込んだのだ。殺人は相手の首に電気のコードを巻く形で行われた。当然、父親は不自由な身体ながら必死の抵抗を示した。それでも狂気と化した彼には、父親への怒りが勝っていた。客観的には“35年間の恩恵”だが、身勝手な彼には“35年間の怨念”でしかなかった。自分の責任を両親に向けていた。こうして“ひきこもり”続けていた彼は「殺人者」という形で“公の場”に登場した。誰でも人生において一年や二年の“苦悶煩悶する日々”が続くことはある。そういう“試練の時”を乗り越えて、人は人間的に成長していくのだ。精神的に“生まれ変わる”ことが出来れば、どのような過去があり、どのような汚点があっても、世間は徐々に受け入れていく。あくまで徐々にだが、受け入れていくものなのだ。ところが、この“徐々に…”というのを待てない“過去ある人々”が多すぎる。だから、また元に戻ってしまうのだ。運命学的には3年以上“ひきこもり”が続く場合には何らかの“大きな代償”を払わなければならない。
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