今日、「十干十二支」と呼ばれているものについて、中国では近代まで「十幹十二枝」と記されるのが一般的でした。 それは十干十二支が植物の「幹」と「枝」の関係であるとして捉えられていたからです。現在でも、多くの推命家たちは、この仮説が古来の伝承そのままであるかのように誤解しています。ところが、実際には中国の漢代以前は「十干十二支」を「十母十二子」と記していて「母」と「子」の関係として捉えていた節があり、さらにそれ以前の史料では「十日十二辰」と書いて、「十の太陽」と「十二の月」として捉えていたことが明らかです。
そして、十の太陽とは、原初の感覚でいえば「殷(商)王朝部族に与えられた十の太陽」であり、だからこそ殷(商)王朝の王子は、その干支暦日に由来した十干王名を持っていたのです。呪術王朝であった彼らが、いかに「十の太陽」というものが自らの身体に宿っている…と信じていたか、それは甲骨文字としての初期の文字形に表れています。【図1】
これらの文字の象形を辿っていくと、人体そのものの一部を象形化していることに気付かされるのです。【図2】一般に十干十二支の文字形が、干支共に「植物の象形から来ている」と解説する占術書が多いのですが、それは先にも述べたように、近代までの「幹枝説」に惑わされているからです。原初の十干十二支は、決して幹枝などに由来するものなどではなく、「十の太陽」と「十二の月」という、もっと解りやすくてシンプルな事象に由来しているのです。そして、その「十の太陽」を表す実際の象形は「身体の十部位」に求め、「十二の月」を表す実際の象形は「各月ごとの代表的季節現象」に求めているのです。 | |
したがって、「甲」=「頭骸骨の前頭縫合の形」、「乙」=「下頤から咽にかけての象形」、「丙」=「両肩とその肉の象形」、「丁」=「心臓の象形」、「戊」=「胴に巻く鎧の形象」、「己」=「腸の象形」、「庚」=「脊髄を中心とした骨格の形」、「辛」=「女性の陰部から股にかけての象形」、「壬」=「下肢骨の象形」、「癸」=「両肢を交差させた形」といった各人体部位の象形にそれぞれ由来しているのです。 | |
ちなみに、これらの解釈は、決して独りよがりのこじつけなのではありません。 中国の『説文』にも、「「甲」は人頭にかたどる」とか、「「乙」は人の頸にかたどる」とか、「「丙」は人の肩にかたどる」とか…記されているのです。 |
一方、十二支の方はどうかというと、「子」=「頭髪の象形」、「丑」=「手指の象形」、「寅」=「錘をつけた矢の象形」、「卯」=「開門の象形」、「辰」=「大はまぐりの象形」、「巳」=「胎児の象形」、「午」=「杵の象形」、「未」=「木枝の象形」、「申」=「稲光の象形」、「酉」=「酒壺の象形」、「戌」=「鉞の象形」、「亥」=「豚骨格の象形」に、それぞれ由来しています。【図3】
より具体的に云えば、子節=頭髪に基づく呪術儀礼が行われる、丑節=農具を紐で結ぶ、寅節=錘の付いた矢を延ばす、卯節=門の両扉を開く、辰節=月節の標準星・大火(アンタレス)を含む星象と「大はまぐりの形」を結びつけた、巳節=甲骨文字には二つあり、その初期は頭の出来かけた細く小さい胎児の形、その後は季節的な蛇の跳梁する姿、午節=穀物類を杵で搗く、未節=木の枝葉が重なり合う、申節=雷鳴時の稲光の形、酉節=酒壺の神酒を神にささげる、戌節=月節の標準星・参(オリオン)を含む星象と斧鉞の形を結びつけた、亥節=殷(商)の開祖と目される王亥(おうがい)と結びつけた豚骨格――などを根拠に、各季節現象としての文字形を採用しているものと考えられます。
けれども同時に、この十二支の方も人体と無関係ではないのです。
十干が、殷(商)王朝族の人体各部位に結び付くように、十二支の方は殷(商)王朝族の妊娠から出産に至る胎児の成長過程と結びつけた暗示的記号でもあるのです。
子=王児の生霊が宿る意、丑=生霊と母体が結び合う意、寅=受精卵が成長する意、卯=母体内で独立していく意、辰=胎児が動き始める意、巳=頭と身体が出来掛ける意、午=胎動が激しくなる意、未=手足が成長し始める意、申=胎児の身長が伸びる意、酉=胎児の身体が成熟する意、戌=叫び、吠え、体外に出ようともがく意、亥=胎児の骨格が固まる意……がその成長過程です。