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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「載る側」も「視る側」も“若い命”が散っていく


人が載って“走る競技”というものがいくつかある。競馬、競輪、競艇などがそれだ。それらはスポーツでもあるが1分1秒を争い合う“危険な競技”でもある。したがって事故や怪我が絶えない。昨日、日本競輪選手養成所の練習生が落車して死亡した。最近、競馬でも競輪でも競艇でも、レース中とか練習中とかに、若い選手が落下して死亡するケースが続いている。スピードを争い合う競技では、隣の選手や前の選手が落ちたとしても、他の選手が手助けできない。自分も落下して死亡する危険があるからだ。或る意味では格闘技よりも“死亡者が出やすい競技”かもしれない。現在、この養成所の所長である神山氏は自らが競輪選手として活躍してきた人物で、死亡された選手の練習風景を目に焼き付けており「残念でならない」とコメントしている。当然のことながら、1分1秒を争い合うプロ競技の勝者には人気と賞金が集まる。逆に何らかの理由で脱落してしまえば、通常の会社員生活はなかなかに難しい。その一方で、この種の競技は単なるスポーツではなく“ギャンブルとしての一面”もある。つまり「載る側」だけが賞金を得るだけでなく「視る側」もギャンブルとして、お金を掛けて視る競技でもある。実際にはスポーツ観戦として楽しむ人は少なく、ギャンブルとしての配当金を得るために視ている人たちも多い。むしろ、それが普通の応援スタイルなのだ。したがって、自分が“賭けたお金”が何倍にもなって膨らんで還って来る場合と、逆に、すってんてんとなって路頭に迷うようなケースさえもある。自分の賭けたお金が何倍にも、時に何十倍にもなって還って来る経験はギャンブルにおける醍醐味でもある。だから一度その醍醐味を味わってしまうと、なかなかその“危い悦び”から抜け出すことが難しくなる。こうして「載る側」だけではなくて「視る側」の方でも、生活のすべてを犠牲にして、最期は自らの命まで犠牲にしてしまう人達が、数字には表れて来ないが、何人も居る。つまり、これらの競技によって輝かしい人生を歩む者も居れば、落ちて全て失い“命”さえも犠牲とする“哀しい世界”でもあるのだ。
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