「single-blog.php」* 有料カテゴリ:「今日の迷信・余言・禁言」は月額1,200円で読むことが出来ます。// ざっくりとは終了 // Header画像を変更する事

今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


昭和から令和へ微妙に変化した「男女の年齢差」


「昭和」から「令和」の時代になって、男女とも結婚年齢が微妙に引き上げられているような印象があるが、それよりも“注目すべき事実がある”と新聞特集が伝えている。それは、ここにきて結婚していく男女の年齢が“近い人たち”が圧倒的に多くなっている……というのだ。それが何よりも“昭和の結婚”とも違いであるという。そういえば昨日、伝えられた俳優同士の結婚・新木優子氏と中島裕翔氏の組み合わせも“32歳の同年齢”であるようだ。令和に入って、そういう同年齢、違っても“1~2歳差”という組み合わせが圧倒的に多くなっているという。どうしてかと言えば、それ以上離れると「話が合わないから…」という反応が返って来るらしい。つまり、それだけ現代の恋愛は“身近なところ”でしか成立しないということだろうか。確かに、近年はちょっとした声掛けや会話などでも「セクハラ」と言われる。身近ではない異性との会話が難しくなっている。気を遣わなければ“自由に話せない”のなら、最初から「話さない方が良い」と思うのも無理からぬ話で、そういう人達が多くなれば、結果的に“気心の知れた同年齢”とくらいしか、まともな会話や遣り取りが無くなっていく。さまざまな出逢いや、さまざまな会話や、さまざまな偶然の接点の中から……相手を択んでいくという選択方法は、すでに消えてしまったのだろうか。女性が働くことが当たり前となり、男女が同等の働きを求められ、その結果として“家庭”よりも“職場”の方が優先され、男女が同等の年齢まで“結婚がお預けとなる”のも解らないではない。また近年は住宅ローンを組む場合でも、夫側だけでなく、妻側も合わせて“ローンを組む”カップルも多くなった。親の介護という問題を考えても、同年齢の方が“平等に介護が訪れる形”となって、片側だけに負担が生じる心配も少ない。子育ての問題を考えても、幼い頃の育児は“同年齢の方が平等観”から割り振りを決めやすい。さまざまな事情が、会話の問題だけではなくて、隠れているのかもしれない。しかし、それらを考慮したとしても、同年齢カップルが多くなりすぎるのは、なんとなく寂しい。妙な言い方だが“恋愛らしい恋愛”が徐々に失われていってしまっているようで寂しいのだ。われわれは2000年以上もの間、不可思議な出逢いや縁の中で“恋愛という布”を折りたたんできた。それが「幻想」でもあったかのように扱われる「令和」に戸惑いを感じる。ホンモノの恋愛は、どこに消えたのか。
「ex-module-past-post-list-01.php」出力:single-post用の過去記事ループ処理

過去の記事一覧今日の迷言・余言・禁言