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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


4500年前ジェドフラー「太陽神殿」の発見⁉


このところ古代エジプト遺跡に関しては“さまざまな発見”が続いてはいるのだが、いま一つ既存の歴史を覆すような“大きな発見”というのは出ていない。保存状態の良いミイラなどは多数出現しているのだが「末期王朝時代」のものが多く、エジプトが豪華絢爛に繁栄していた古王国時代とか新王国時代のものではない。したがってTV番組などは大げさに伝えるが“慣習としての埋葬ミイラ”の域を出るものでなく、王朝の歴史に直接かかわるような価値あるミイラや遺跡などは姿を現していない。さて、カイロの南で第5王朝の遺構が多数あるアブ・シールの近くアブ・グラブと呼ばれる地域がある。ここではポーランドの科学アカデミー・ヌッゾーロ助教授が発掘を続けていて、このほど第5王朝ニウセルラーの“太陽神殿跡”の下に、それより前の太陽神殿跡が存在していることを突き止めた。助教授自身は、今後の研究によって“どの王”の時代のものなのかを特定できるかもしれないと弱気なのだが、おそらくそれに該当するのは第4王朝ジェドフラー王で彼の“太陽神殿跡”ではないか、と私は推測する。このジェドフラーという王名は、実は“ギザの大ピラミッド”建造で有名なクフ王の息子の王名なのだ。クフの息子にはカフラー王やメンカウラー王が居て、この二人はクフに続いてピラミッドを立てたことで有名だ。同じ息子でもジェドフラーはピラミッドを建てていない(厳密にいうと途中で止めた)ので、クフ王の後に王位に就いたのだが、短かったせいもあり、ピラミッドが無いせいもあり、知られていない。エジプトの太陽神は「ラー」が代表的で、それゆえ皆クフの息子には「ラー」が付く。つまり太陽神から力を授かっている証明としての“ラー名”なのだ。特に、このジェドフラーは王の中でいちばん最初に《ラー神の息子》とも名乗った。したがって、ピラミッドの建造よりも、太陽神殿の建造に力を入れた形跡がある。クフ王が亡くなった時に地下に埋葬した“太陽の船”も、このジェドフラー王が収めたものなのだ。彼は弟のカフラー王に暗殺された可能性が強いのだが、このジェドフラーの孫にあたるウセルカァフが第5王朝を打ち立て、アブ・グラブに“太陽神殿”を造営したと伝承されている。その後、4代をおいて王位に就くのがニウセルラーなのだ。そしてその遺構の下に、それより百年以上さかのぼる形で“太陽神殿跡”が存在していたことが今回の調査で解かったのだ。つまり、クフの息子ジェドフラーが、父クフ王とは真逆の“太陽神殿”を造営し、その結果として弟カフラーに暗殺された可能性も浮上するのだ。
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