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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


昭和がすべて詰まっている「神田川」の歌詞


私は歌謡曲の歌詞の中で“好き”“嫌い”で「1曲だけ択べ」と言われたなら、迷うことなく「神田川」を択ぶ。それくらい、この曲の歌詞が大好きだ。その作詞家であった喜多條忠氏が亡くなった。“昭和の日本人”をすべて凝縮したような歌詞が「神田川」だった。私は昔、日刊スポーツ新聞社が公募した「北海道作詞大賞」というものに応募して大賞を受賞した。その前後に別な作品で「日本作詞大賞」の「新人賞」にノミネートされた。その関係者から勧められ“新人作詞家の登竜門”と呼ばれる歌詞募集に応募した。作品の優秀者にはプロの作詞家が添削してくれるというのが魅力だった。その時に、私の作品を添削してくれたのが喜多條忠氏であった。私の作品に対して《作詞そのものは良いのですが、この作品は暗くて救いがありません》と書かれてあった。確かに、その通りだった。つまり彼は「歌謡曲はどこかに救いがなければいけない」というのだ。私は、その時、喜多條氏の「神田川」だって暗くて救いがないではないか…と内心思ったのだが、よくよく考えると、そんなことはなかった。あの歌詞には「♬若かったあの頃」と出て来る。「いま」を歌った歌詞ではないのだ。いまは多分、それなりの暮しとなった人物が、学生時代を振り返っている。だから「♬何も怖くなかった」のだ。私は自分の弱点を突かれた気になった。そうして「作詞家はムリかな」と思ったのだ。正直、ほんとうに無理だったかどうかは判らない。けれども私はその後に占い師となって、その「占い」でもそうなのだが、自分の占いが“救い”という点では、やや“劣っている”かもしれない、と思うのだ。「神田川」の歌詞は、つい“若いふたりの歌”と思いがちなのだが、実際には“何もなかった時代”を懐かしんでいる二人の歌で、懐かしんでいるからこそ“美しい”のだ。もし、あの歌が“50代半ば”とかで、今の心境とかで書かれていたなら、けっして“美しい”ものにはならない。こんなことを書いてはいけないが、50代半ばで“風呂のない四畳半”に二人で住むなど、ろくな者ではない。私はだから情緒性や共感性が強すぎるのか、そういう“昭和的なセピア色の情景”に感動しやすい。それにしても、今の大学生なども、或る意味ではここ数年“似たような状況”にあるような気がするのだが、その割には「神田川」のような情緒性豊かな曲が生れない。日本人の何が変わったのか。下手くそな踊りを組み合わせなければ、情感・情緒を表現できないようになってしまったのは何故だろう。
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