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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


ドラマと異なって「私、失敗の連続です」


世間は往々にしてドラマの中の人物と、その役者とを同一視しがちだ。けれども、当然のことながら、そう思わせることが出来たなら、役者稼業に尽きるというものだ。人気ドラマで「私、失敗しないので…」というセリフが注目の的となったのは、孤高の外科医を演じた米倉涼子氏だった。役柄として、何となく勝ち気でプライドの高い外科医として、実際に居そうな雰囲気を常に漂わせていた。けれども、素顔の米倉氏は決して自信満々のタイプではない。林修氏のインタビュー番組で「私、失敗の連続です」と語っている。イメージを払拭したかったのかもしれないが、あえて「失敗の連続です」を強調した。今年4度目となるブロードウェイの舞台でミュージカルを演じる“日本を代表する女優”と言える。それなのに、少しもおごる部分はない。それは多分、常に“前を視ている”からだ。人は、或る程度の履歴を踏むと、どうしても“これまでの自分”で満足するようになる。「失敗」を恐れるから、あえて自分から「挑戦」しなくなるのだ。それを彼女は嫌がって2年前に独立して事務所を持った時「私は挑戦する」という意味のスペイン語を社名にした。だから、適当なところで満足など出来ないのだ。彼女は、失敗の連続だといったが、同時に「失敗しないと先に進めない」と言い「自分がやりたいんだったら、そこを通るしかない」とも言っている。最近の“若い人達”を見ていて、私が感じるのは、失敗を恐れすぎている、ということだ。「失敗のない人生」など、ありえないのに、まるで“それが存在する”かのように、極力、失敗を回避した道を歩もうとする。もしかすると「ゲーム世代」にとって、失敗したら最後、もう“新たなる道”や“新たなる扉”は無くて、敗残者としての“運命”しかないかのような錯覚を持っているのではないだろうか。そして、ゲームと同じように“どこまでも失敗を回避し続ける”ことが「幸福な人生」であり「成功への鍵」でもあるかのような観念を抱いているのではないだろうか。そうだとしたなら、それは根本的な誤りだ。人生はゲームではないので、見掛け上“失敗を回避した”かに思えても、必ず、そのツケは廻ってくる。だから早くに「失敗を経験する」ことこそ大切なのだ。感染症ではないが、失敗に対する“免疫”を高めておく必要があるからだ。人間的にも、失敗を経験していない人は、他人を理解する力が劣る。さまざまな失敗経験を持つことで、人は人に対して“優しく”なれるのだ。ドラマでは格好よくても、実在社会では“傲慢で無理解な人間”にならないためにも、失敗は大いにすべきなのだ。
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