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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


もっと根本から見直しが必要な「児童相談所」


近年、児童相談所が絡んでいる“事件”や“犯罪”等が多い。11月8日に児童相談所で一時保護していた15歳の少女が、施設3階のトイレの窓から10メートル下の駐車場へと転落して死亡した。この少女の場合、今年3月~9月にも児童相談所に保護され、10月になって別な施設へと移った後、11月3日に保護者に引き取られて、翌4日から行方不明となって、その3日後に警察に保護され、諸手続きを経たのち今回の児童相談所が“受け入れる”形で連れられて来ていた。その後、施設職員と面談しているうちに、本人が「トイレに行きたい」と言い出したので、行かせたのだが時間が経っても戻らないので確認に行ったときには、もう飛び降りていた。一応、事故と事件の両面からの捜査だが、これはもう“飛び降り”以外に考えられない。よほど“施設”が嫌だったのか“家庭”が嫌だったのか“生きていくこと”自体が嫌だったのか、いずれにしても、児童相談所の“トイレ窓”から抜け出すのは容易ではない。そうまでしても彼女は「逃げ出したかった」ということだろう。特に11月3日に保護者に引き取られて、その翌日には“行方不明”となっている。その場合の“保護者”とはだれだったのか。通常、もしそれが“実の親”だった場合、その親元には居たくないというなら、逆に“施設”は“家庭の代わり”になるはずで、そこからまで“逃げ出す”というのが理解しにくい。もし保護者が“実の親”ではなかった場合、半ば“仕方がないから引き取る”形ならば、本人にとって“安住の場”とならないことはすぐに推察が付く。だから逃げ出すのは理解できるが、児童相談所に来てすぐの段階で“トイレの窓”から飛び降りたのは、よほど「施設」自体も嫌っていたからに違いない。女性で15才であるから、通常なら高校生だが、報道では「無職少女」となっているので、彼女にとっては「学校」も“安住の場”ではなかったに違いない。そう考えると、彼女にとっては転々とする以外に“生きていく場”が得られなかったことになる。そういう意味では、昔なら“あいまいな形”のままでも雇ってもらえたが、現在は“そういう生き方”が許されない時代となっている。確かに、それは社会福祉的な観点からも必要なことなのかもしれないが、世の中にはさまざまな事情から“過去”を棄て“家族”を棄て“しがらみ”を棄て、ひっそりと“陰に隠れるような形”で生きていかなければならない人たちもいる。そういう人々にとって、現代は必ずしも“やさしい”とは言えない。酷な時代かもしれないのだ。
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