鬼谷子算命学(通称「算命学」)と呼ばれる「推命学」の一分派があります。「四柱推命」を主とする広義の推命学分野には種々の分派があるので、その内の一つが「鬼谷子算命学」であると見ることはできます。ただ日本においてはオーソドックスな「四柱推命学」と、“天中殺”で知られる「算命学」とが、全く別々の推命学でもあるかのように扱われているのが実情のようです。そこで、この二つの占術の共通性と違いを明らかにすると共に、それぞれの優劣についても示しておきましょう。まず歴史的な観点から言うと「鬼谷子」というのは、中国の戦国時代(今から2500年以上前)頃の人で、実際に「四柱(子平)推命」が成立していた時代の人物ではありません。ただ「四柱推命」が種々な呼ばれ方をしている中で、「算命」というのも“一つの呼ばれ方として”存在したことは事実で、すでに述べた推命学原書の誕生過程の中で、『李虚中・命書』(上巻)には「鬼谷子撰、李虚中註」という記載があります。
つまり『命書』として知られる推命学創成期の原書(上巻)は、鬼谷子という伝説的仙人が収集・記述・著作して、それを李虚中が評註した作品ということになっているのです。もっとも、それをまともに受け止める研究者は少ないのです。
大体『李虚中・命書』という表題とはなっていても、実際に李虚中が記述したのは上巻のみ、というのが今日では定説となっています。中巻や下巻には、明らかに後世の手が加えられているからです。そして、上巻の撰者とされている「鬼谷子」も、評註者である「李虚中」自身ではないのか…と視る研究者も少なくありません。
この李虚中自身の推命学で注目すべき部分は「年干支」を「我」として、捉えていた点です。今日であっても、たとえば気学では「生年九星」を「本命星」とし、奇門命理学でも「生年干」を「我」と見立てています。したがって、唐代の推命学において「年干支」を「我」だと捉えたとしても、無理からぬことと視ることができます。それが宋代の徐子平に至って、的中性から「我」を「年干支」から「日干」へと改めた―とされています。
今日の「算命学」が ≪鬼谷子――李虚中≫ の流れに沿った「命書」的な捉え方をする推命学かと言うと、必ずしもそうとは言えません。李虚中の推命学では「年干支」であった「我」が、現代日本に伝えられる「算命学」においては通常の「四柱推命」と同じく「日干」とされていて、そういう意味では、他の推命学流派と同様な原理として登場しているからです。それが原初からそうだったのか、それとも途中から「日干」に変更したものなのか私には不明です。けれども、オーソドックスな推命学との明らかな違いも随所に見受けられます。
まず「算命学」では、「年干支」「月干支」「日干支」を用いますが、「時刻干支」は採用しておりません。確かに『李虚中・命書』(上巻)では、時刻干支までは扱っていないので、そういう意味では古典・原書に基づいての結果なのかもしれません。時刻干支は扱っていないのですが、その占術原理・体系は大変に整っていて、一般の「四柱(子平)推命」を凌駕する統一性があることを認めないわけにはゆきません。もうひとつ、算命学の特徴を際立たせているのは、四柱推命の「命式」に当たるものとして、「人体図」或いは「人体星図」と呼ばれる図表を作成することです。
もうひとつ、「算命学」で注目すべきは「六親法」と呼ばれる図表を提出することです。これによって、四柱推命ではあいまいとなりがちな「父」「母」「夫妻」「兄弟」「姉妹」「息子」「娘」などの干関係が明確となるからです。ただし、判然としすぎて応用が利かない欠点はあります。
ここで参考のため、四柱推命上の「通変星」と、算命学上の「十大主星」とが“同一異名の存在”であること、又、四柱推命上の「十二運星」と、算命学上の「十二大従星」とが“同一異名の存在”であることを知っていただきましょう。
算命学上の名称 | 四柱推命上の名称 | 五行関係 | 具体的な意味・作用 |
貫索星 | 比肩星 | 我と同気 | 自我・独立・頑固・孤独 |
石門星 | 劫財星 | 我と同気 | 散財・投機・商売・観光 |
鳳閣星 | 食神星 | 我の洩気 | 飽食・怠惰・自由・安穏 |
調舒星 | 傷官星 | 我の洩気 | 理想・批評・反抗・正義 |
禄存星 | 偏財星 | 我の剋気 | 才能・奉仕・情愛・投資 |
司禄星 | 正財星 | 我の剋気 | 蓄財・家庭・堅実・温和 |
車騎星 | 偏官(七殺)星 | 我の殺気 | 闘争・重圧・緊張・事故 |
牽牛星 | 正官星 | 我の殺気 | 名誉・地位・管理・慎重 |
龍高星 | 偏印星 | 我の生気 | 焦燥・放浪・幻想・人気 |
玉堂星 | 印綬星 | 我の生気 | 芸術・信仰・学習・伝統 |
算命学上の名称 | 四柱推命上の名称 | 輪廻転生 | 具体的な意味・作用 |
天報星 | 胎星 | 胎児 | 前世・変転・機転・多才 |
天印星 | 養星 | 赤子 | 無垢・愛嬌・養育・援助 |
天貴星 | 長生星 | 出産 | 恩恵・先祖・思想・名誉 |
天恍星 | 沐浴星 | 産湯 | 波乱・愛欲・酒食・嗜好 |
天南星 | 冠帯星 | 成人 | 冒険・我儘・美容・挑戦 |
天禄星 | 建禄星 | 自立 | 独立・事業・増収・親族 |
天将星 | 帝旺星 | 家長 | 権威・自我・孤立・決断 |
天堂星 | 衰星 | 老成 | 思慮・沈着・研究・引際 |
天胡星 | 病星 | 衰退 | 妄想・芸術・病気・旅行 |
天極星 | 死星 | 死亡 | 休止・直感・衝動・技芸 |
天庫星 | 墓星 | 墓石 | 継承・探究・収集・財産 |
天馳星 | 絶星 | 魂魄 | 多忙・移動・幻想・過敏 |
このように比較してくると、「算命学」の方が「四柱推命」よりも、学問体系として整っているのではないか―と思われる方がいるかもしれません。けれども、そうとも言い切れないのです。明らかに、歴史的背景として「出生時刻干支」を加えたのは、「徐子平」以降の推命学からです。そして、その“変革期”以降の推命学では「出生時刻干支」に対して、「部下運・子供運・晩年運」が暗示されるものと規定しています。その同じ役割を「算命学」上では、「月干」(部下・子供運)と「日支」(晩年運)に対して与えているのです。それは推命学上の根本的な論理から考えると納得し難く、「徐子平」以降の推命学の“当て嵌め方”の方が妥当と考えられるのです。つまり「鬼谷子算命学」が創始された時代には、まだ「出生時刻干支」を採用出来なかったから、すべてを「月干」や「日支」で代用しなければならなかった―と考えられるのです。