四柱(子平)推命を始めとして、東洋系の推命学占術の根底にあるのは「干支暦法」です。
ところが、この干支暦という暦は、必ずしもすべての占い師が同一の暦区分を用いているわけではありません。しかも、占術の種類によって用いる暦法を変えているケースなども見られます。
たとえば、“一年の起点”や“一日の起点”を、どこに置くか…という問題があります。
一般的な干支暦においては、西暦の2月4日前後に当たる「立春」を“一年の起点”として、暦における新しい年度の起点・出発点として捉えています。
ところが、それに異を唱える研究者もいるのです。
たとえば、12月22日前後の「冬至」を“一年の起点”として捉えようとする研究者がいます。
また、旧暦(太陰太陽暦)による「1月1日」を“一年の起点”として捉えていた研究者もいます。
或いは、1月6日前後の「小寒」を“一年の起点”として捉え直した研究者もいます。
さらには、旧暦による「12月1日」を“一年の起点”として伝承し続けている研究者もいます。
干支暦上において「立春」が“一年の起点”として定着したのは、今から2100年ほど前のことです。とはいうものの、必ずしもそれで各種占術の起点を統一してきたわけではありません。
現代でも多くの門派・流派では、たとえば「紫微斗数」や「星平会海」では、旧暦「1月1日」を“一年の起点”として扱っているからです。また「奇問遁甲」や「九星気学」では「冬至」を“一年の起点”として扱うとか、冬至前後の「甲子日」を“一年の起点”として扱っているからです。さらに「風水」では、「小寒」を“一年の起点”として扱っているケースもあるからです。
四柱(子平)推命において、年初「冬至」説を主張している研究者に内田明道や加藤普品がいます。ともに実占を重視した推命家で、内田氏は十万人以上を鑑定した結果として、年初「冬至」説を主張されています。
旧暦(太陰太陽暦)による「12月1日」(原初の暦11月1日)年初説を主張している研究者に北条一鴻がいます。これは「鬼谷子算命学」と同様な異端推命学の一派による伝承を守っているからです。
年初「小寒」説を主張している研究者に台湾の陳飴魁がいます。陳氏は実占的なデータから、年初とする区切りが「小寒」の切り替わりからが「もっとも妥当」と捉えているようです。
このように、必ずしも「立春」年初説だけが存在しているわけではないのです。
これに関連して、真勢易龍などが主張する「黄帝復古暦」説というものも紹介しておきましょう。
これは年初の区切りとしては「立春」で同一なのですが、暦の起点が「甲寅年・甲寅月・甲寅日・甲寅時」の“甲寅暦元説”を採用していて、そのために十干を2つ移動させた「月干」を並べた干支暦を「黄帝暦」として推命に用いています。
確かに「黄帝暦(伝承上だが黄帝時代の暦)」だけでなく、古代の「夏暦(これも伝承上だが「夏王朝」時代の暦)」なども「甲寅」を干支の筆頭に持ってきていました。また、中国の戦国時代(紀元前600~250年頃)における天文記録を見ると、「寅の節」「寅の刻」をいかに天文観察上で重要視していたかがわかります。
この流派の場合、干支暦上の1日の区分も―午前0時からではなく「寅(午前3時)」時刻から開始する―としているのが特徴です。つまり午前2時頃に生まれていたとしても、「黄帝暦」上は「前日の生まれ」とみなすのです。
実は、この1日の区分についても、古くから異説はあります。「子の刻(午後11時~午前1時)」の中間に当たる「午前0時」を起点とするのが一般的ですが、「子」の開始時刻としての「午後11時」からすでに1日が始まる―として、午後11時を過ぎて生まれた児は「翌日生まれとして扱う」という流派も存続し続けています。
もう一つ、注目すべき干支暦を紹介しておきましょう。
それは「チベットの干支暦」です。ここでは、もともと存在している「チベット暦」による「1月1日」が“一年の起点”となります。さらに“一日の起点”も午前0時ではなく、「チベットのおける日の出時間」を採用し続けています。
この「チベット暦」は、実は台湾で発行されている『五術万年暦』に記されている「農暦」と“1日のずれ”しかありません。他には“閏月の組み込み方”が違っているのですが、多分、同一の暦法原理から作成されているものと思われます。この台湾の「農暦」というのは、日本でいう「旧暦」(太陰太陽暦)と基本的には同一です。したがって「チベット暦」も、元々は中国から伝わった太陰太陽暦なのかもしれません。それにしても、チベットと台湾と両方の地域で、旧暦による「1月1日」を“一年の起点”として採用していたことは注目すべき事実です。
このように占術というのは、古代における“アバウトな仮説・理論”に基づいてスタートしていることを踏まえておかなければいけません。