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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


高齢者の「おばさん」発言を“微笑む社会”に‼


当たり前の話だが、人はだれでも齢を取る。世の中の変化が激しくなって、その“変化”に上手く対応していくことが出来る人と出来ない人が出て来ている。これは、人それぞれの現在の置かれている環境とか、元々の性質とか、頭脳とか、体質とか、職業とか、さまざまな要因から生じることだ。したがって、一律に“どうこう”いうことはできない。「高齢者」と一口にいうが、これも実際には年齢だけで区別できないところがあって、特に現役で働き続けている人と、既にリタイアしている人とでは大きく異なる。ところが現代は何でも一律にしないと気が済まない人達が多い。そこで政治家の麻生氏が上川陽子外務大臣について「おばさん」と発言したことが波紋を呼んでいる。近年、この種の発言に神経をとがらす人たちがいる。そういう人たちは、高齢者が何十年間も「普通のこととして行ってきた発言」まで“やり玉”にあげようとする。昔から麻生氏と言えば“デリカシーがない発言”で知られる人物だが、別に悪意があってのことではない。この「おばさん」発言も、上川大臣を持ち上げるような意味合いで使われていた。それに、だれがどう見たって“おばさん”であることには違いない。おそらく60代以上の人々のほとんどが男女にかかわらず「おばさん」という表現に違和感を覚えないと思う。まあ、ほんとうは「女性」という表現を使った方が講演の中での話なのだから相応しいが、元々“男性優位的な社会”で育ってきている麻生氏であれば、大目に観てあげるのが“寛容な社会”というものではないだろうか。よく田舎から都会に出てきた人たちが、方言とか訛りとかで“公的な仕事”では苦労する場合があるが、それと似たような感覚で“受け入れる”ことは出来ないものであろうか。「お年寄りはこれだからなぁ…」と微笑みながら聞き逃してあげる……くらいの寛容さが欲しいのだ。そうでないと、世代間において、あまりにもギクシャクとした状態が続いていくような気がする。ちょっとした言葉や行動に対して、すぐに“やり玉”にあげるようなことが「正義」であるかのような風潮は、必ずしも健全であるとは思えない。日本社会の今後というか未来を考えるうえでも、決して良い兆候ではない。これから、ますます“お年寄り比率”が高まっていくのが「日本」なのだ。そういう人たちが無意識に“使ってしまう言葉や表現”を、身体をいたわるのと同じような感覚で“受け入れる”姿勢が欲しい気がするのだ。
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