7月, 2021年

紀州のドンファン事件の「捜査員」が犯罪者⁉

2021-07-31

その事件は今年4月18日の夜に起こっている。東京大田区の京浜急行「天空橋駅」のエスカレーターで起こった。20代の女性がエスカレーターを利用していた時、その背後に居た男からスカート内部にスマホを差し伸べられ盗撮されたのだ。女性は気付いていたが、安全のためエスカレーターを上がりきったところで「撮ったでしょう。警察に電話しますから」と言って110番通報しようとした。ところが、困った男は女性の手から携帯を奪い取ろうとした。揉み合いとなったが、男の力は強く、女性から携帯を取り上げると、それを走りながら遠方へと投げ捨てたのだ。そのまま男は走り去った。もちろん、女性はすぐ近くの警察に飛び込んでいる。こうして始まった痴漢捜査だったが、防犯カメラの分析を重ねて、とうとう三か月以上かかって7月28日に犯人が逮捕された。その犯人とは、世間を騒がせた「紀州のドンファン殺人事件」で、その容疑者を捕まえるため、当時、東京に派遣されて「張り込み捜査」を行っていた和歌山の刑事・讃岐真生(35歳)であることが判明した。つまり「盗撮の痴漢犯人」が、和歌山からやって来ていた“殺人事件の捜査員”だったのだ。しかも、彼の上司が「東京には防犯カメラが無数にあることに気付かなかったとは刑事として失格」などと述べている。冗談じゃない。問題は、そこじゃない。刑事としての問題ではなく、人間として「盗撮」だけならまだしも、それに気付かれ、証拠隠滅を図って形態を奪い取り、投げ捨てて逃亡したことにある。もちろん、仕事(張り込み捜査)とは何の関係もない。刑事としての前に、人間として“許されない行為”の連続なのだ。さらに彼の上司の発言は、理解に苦しむもので「防犯カメラさえなければ…」という風にも聴こえるではないか。とんでもない捜査員たちなのだ。そういう人たちが「思い込み」から逮捕したのが“ドンファンの元妻”須藤早貴容疑者なのだ。彼らは容疑者が“覚せい剤の売人”と接触した可能性が高いと言っている。位置情報から割り出したとしている。確実に「売り買いした」という証拠でも、証言でも、電話記録でもない。それは当時、彼女が主として暮らしていた東京ではなく和歌山だった。一般的に言って、そういう“危ないモノ”は雑踏でのやり取りが基本なはずで、わざわざ雑踏の多い東京ではなく、人目に付きやすい和歌山で行うこと自体が不思議である。彼女は派手な容姿なので、田舎では人目に付きやすいのだ。それに、おかしいことはたくさんあって、例えば故人が仮に“二人だけの時”に飲まされたとするなら、二階に上がってしばらくして“身体に異変”が生じたはずである。ところが、お手伝いさんが戻ってのちにも、二階から何の反応もしばらくなかった。お手伝いさんとは何十年来の関係で気心も知れている。何らかの異変があったら、それを知らせたはずだ。戻ってのち、2時間ほどは生きていたはずだから…。

“出逢い”と“別れ”には「無数の運命」が息づく

2021-07-30

今年は「おしどり夫婦」と呼ばれた人たちが次々と離婚している。昨日も、丸岡いずみ氏夫妻が離婚を公表した。篠原涼子夫妻も、鈴木保奈美夫妻も、小林麻耶夫妻も、八代亜紀夫妻も、福原愛夫妻も……数え上げるときりがない。それぞれが大変に仲が良く、その熱々ぶりに“うらやむ声”が多かった人たちだ。この「愛」の“出逢い”と“別れ”ほど、われわれに「運命」を感じさせるものはない。ここで「別れ」というと“生別”ばかりを思い浮かべるかもしれないが、“死別”だって“紛れもない別れ”に違いない。そう考えると、誰もが「別れ」を経験する、或いは“している”ことになる。結婚や恋愛の「別れ」を経験していない人でも、親・兄弟との「別れ」は、或いは親友との「別れ」は経験している。つまり“別れ”を経験せず、生きてきた人などいないのだ。そして、人はだれでも「別れ」を経験することで、ごく自然に「運命」というものを意識する。一般的にいうところの「先天的運命」や「宿命的運命」を信じていなくても、世の中には“どうすることも出来ない別れ”というものが存在していて、愛した人との別れは「身を引き裂かれるようにツライものなのだ」ということを理解する。森羅万象が常に流転していて、それを止めることも出来ず、押し戻すことも出来ないものであることを理解する。そして、大自然の営みに本能的な“畏敬の念”を抱く。そういう意味では、たくさんの運命的な「別れ」を経験すればするほど、大自然界の営みに対しても、一見、何気なく過ぎ去ってきた自分の過去も、特に「出逢い」と「別れ」に対しては、何かしら視えざる“別次元の力”が介在していたかのような幻想を抱く。「運命なんか存在しない」と言い切れるのは、もしかするとまだ“視えざる力”が介在した“愛の出逢い”や“愛の別れ”を経験していないからかもしれないのだ。「別れ」をたくさん経験してきた人は、あがらうことのできない“視えざる力”の存在を知っている。それは「理屈」や「努力」では、どうすることも出来ない。「出逢い」には「別れ」が“つきもの”であることを誰もが知っている。それでも、そこを避けて通ることは出来ない、本能的に“別れ”の不安を抱きながらも、人は“出逢い”の「扉」を開いていく。

昨日「日本一」暑いのが「マラソン」北海道

2021-07-29

何しろ最近の「地球」は、明らかに“おかしい”のだ。7月の下旬、日本では“オリンピック”や“コロナ感染”で簡単に「通過していったニュース」が世界各地の「豪雨・洪水」のニュースだ。まずベルギーやドイツで起こり、次に中国で起こり、インドでも起こった。世界各地が「水浸し」なのだ。ベルギーやドイツの死者は200名を超えているし、中国の洪水では、その被災者が1000万人を超えている。何しろ「1000年に一度の豪雨」と言われ、その雨量は1時間に201mm以上だ。日本でも豪雨被害はあるが1時間に100mmというのが最大で、その倍である「200mm」は“異様な数値”だと言って良い。インド西部ではモンスーン豪雨というのがあって、そういう意味では“珍しくはない”のだが、今回は“地滑り”を伴ったことで死者120名以上と被害が大きくなった。そういう意味では、まだ“変則航路”を辿った台風の直撃を受けても、それほどの被害が出なかった日本は“恵まれている”と言えるのかもしれない。気象異常と言えば、昨日は北海道の旭川で“37.6度”を記録し「日本一」の暑さとなった。ん⁉ 東京は暑いから「札幌でマラソンをする」ことに決めたのではなかったか⁉「日本一」の“暑さ”となったら、また、どこかの国に文句を言われかねない。まあ、今年の「東京五輪」は“すべてが変則的”なので、それもまた“珍記録”を生んで良いのかも…。そういえば、ここに来て「東京五輪関連のグッズ商品」が飛ぶように売れだしているらしい。思わぬところから“資金難”のところに“救済の手”が述べられていると言って良い。もっとも、購入している方たちは“救済のため”などという意識はさらさらなくて、純粋に“選手応援の意志表明”的な意味合いが強いのだそうだ。ところで、中国の異常気象は「豪雨・洪水」だけではない。その北西部では一転「砂嵐」を呼び起こしているのだ。「砂嵐」と言っても、そんじょそこらの“砂嵐”ではない。地上100メートルにも達して、あっという間に街並みを“飲み込んでしまう”程の「茶色い壁」としての砂嵐なのだ。こちらの方は、早急に何らかの対策を立てなければ、遠からず「砂に埋もれていく」ことは間違いがない。一見、最近の中国を見ていると、アメリカを「追いつけ」「追い越せ」の段階まで迫っているかのよう見えがちだが、案外、大自然の前に“手も足も出ない”状態が迫っているかもしれないのだ。

「事故被害者」かと思ったら「哀しい窃盗犯」

2021-07-28

トンネル内で大型トラックに後ろから追突され、同乗していた仲間2人が死亡してしまったのだから、まぎれもなく「事故被害者」ではある。それなのに彼らには「逮捕状」が出ていた。そして7月26日、ケガを負いながらも逃げ延びていた二人は逮捕されてしまった。どうして“逃げ出した”のかと言うと、彼らの乗っていた車は「盗難車」だった。つまり、盗んだ車でトンネル内までやって来たのだ。ところが、そこで燃料切れとなる。仕方がないから、トラック内に停車中だった。そこに、大型トラックがスピードも落とさず突っ込んできたのだ。小さな乗用車は大破し、結果的に仲間5人は死傷してしまった。けれども、軽い怪我だけで一命をとりとめた二人は、金庫を抱えて立ち去ってしまった。割の合わない「仕事」だった。せっかく5人も集まって計画を練り、一人暮らしの資産家宅に忍び入って、現金と金庫を奪ったはずなのに、その金庫が開けられなかった。したがって、すぐ“分散”するはずだったのに、出来なくなったのだ。だから盗難車で、とりあえず逃げて行った安全な場所で、じっくり金庫を開けようとしたのだ。何しろ、資産家宅なのに“手持ちの現金”というものがまるでなかった。老女(78歳)の財布には3万円しか入っていなかったのだ。一人1万円にもならない。だから、重い金庫を持ち出すしかなかった。もっとも、この金庫のおかげで、身動きもできず、ぶつかった衝撃でも生き延びられたのだ。だから、ふたりで頑張って金庫を持って逃げて行った。そして中を開くことにも成功した。ようやく……と思ったのに、ここにも現金は入っていなかった。ここに入っていたのは何冊もの預金通帳や書類のみであった。ところが印鑑は入っていなかったのだ。資産家は意外にも慎重だったのだ。そうこうしているうちに、彼らには逮捕状が出て、逃げ延びてきた場所も突き止められた。何しろ金がないのだ。すんなり「御用」となるしかない。押し入った時、老女は妙に落ち着いていた。あの「優しく咎めるような眼」が忘れられない。

見せ付けOK⁉、喰い入るように視るのは逆鱗⁉

2021-07-27

今回の「東京五輪」には、さまざまな点で“理解に苦しむ”場面が出てくる。例えば「多様性を認める」ということで、女子の重量挙げに“むかし男性だった人”が加わろうとしていたりする。女子サッカーだったと記憶するが、将来的には「肉体的にも男に変える」と宣言している女子も入っていたりする。この種の“こと”はどんどん加速していくのだろう。どうせなら「中間の人たち」だけの“競技”も加えた方が、スッキリしそうな気がするのは私だけなのだろうか。卓球で「男女混合」が行われたが、もっと他の競技でも「男女混合」を増やせば、そういう問題もなくなる。大体「“性”というものに捉われない…」などということを“声高”にいう割には、“男子の競技”と“女子の競技”とではルールが違ったり、採点法が違ったりしている「不平等さ」を誰も咎めない。そんなに「違いを無くしたい」なら、すべて“男女混合”にしてしまうか、同一ルールで競い合うかしてしまったら良いのに…と思う。25日にはドイツの体操女子選手たちが、本来の“レオタード衣装”を嫌って、レギンスとレオタードの中間だという“ユニタード”という衣装で登場した。もちろん、女子選手のレオタード姿を“卑猥な目で見つめる人たち”や“そういう写真”があることは知っているが、性的趣向は“さまざまな部分”にあって、けっして“股間部分”だけに注がれているわけではない。例えば、アスリートが使用した“靴の匂い”に性的興奮を覚えるような人もいる。だからと言って、すべての競技を裸足で行うわけにもいかないだろう。そういうことを過剰に意識しすぎるなら、体操とか水泳とかレスリングとか、全身のシルエットを必要とする競技に参加しなければ良い。確かイスラム教国家の女子たちは元々“人前で肌をさらす”のは禁じられているから、全身を覆って参加していた。あれでは実力を十分発揮できないと思うが、それでも参加することに意義があるだろうか。私は以前から、現在の「五輪競技」の“在り方”自体を見直すべき時期に来ていると思っている。何より“何千個ものメダル数”に疑問を持つ。そんなに“細かく分ける必要性”があるだろうか。もう少し“単純化”した方が、世界が参加する「五輪競技」としてふさわしい。片方に何百個もメダルを所有する国があり、片方に一個のメダルも所有できない国がある。ほんとうの「公平さ」をうたうなら、そういう“部分”にも目を向けるべきなのだ。私は昔「貧しい家庭」で育った。裕福な家庭の子供たちは「おもちゃ」をたくさん持っていた。私には何もなかった。現在の「五輪競技」は決して“真の平等”からは程遠いものなのだ。

 

「コンビニ」&「自販機」日本のオモテナシ⁉

2021-07-26

意外なほど東京五輪には、たくさんの“海外メディア”の人たちがやって来ていた。これは考えてみれば“すごいこと”だった。なぜなら彼らは“伝えるのが仕事”だからである。今回“無観客”となったことで、当然のことながら外国人は観客としてやって来ていない。けれども、メディア関係者はその限りではない。総勢16000名もの外国人がやって来ているのだ。何度も言うが、彼らは“伝えるのが仕事”なのである。もちろん、第一の目的は“東京五輪”だが、記者たち“特有の眼”というものがある。つまり「日本」や「東京」などの競技会場周辺を“観察する眼”だ。特に今回は、移動だって“一定の制限”がある。したがって彼らが“行ける場所”“接する人”は限られている。その中でも特に、外国人記者たちの注目を集めているのが、日本の「コンビニ」であり「自動販売機」なのだ。実は前から外国人たちに“世界一”と共通して支持されているのが、日本のコンビニであり、自販機なのだ。今回は、はからずも日本の“細やかなオモテナシ”が出来ない。特に飲食に関しては、夜遅くに“開いている店”がない。その結果として、いやでも「コンビニ」や「自販機」が利用されることになる。さまざまな国の外国人たちから「世界一」と折り紙付きの「コンビニ&自販機」がごく自然に利用されることになる。元々メディア関係者というのは時間に追われる仕事なので、短時間で食べられる「安くて美味しいメニュー」が好まれる。そういう点で、日本のコンビニ商品や自販機商品は外国人からまことに評判が良い。街中ならどこにでもあり、24時間フル稼働で新鮮でもある。それに現在は世界的に見ると「日本の円」は“円安”に傾いていて、コンビニに置かれてある商品は、相対的に自国通貨で推し量ると“とても安く”購入できる。昔は、アジア通貨に比べると「円」は高かったのだが、現在では経済力を増した国が多くなって、そうとは言えなくなっている。したがって、どこの国の外人記者であっても日本の「コンビニ」や「自販機」は“素晴らしい商品”ということになる。この記憶が、東京五輪について書くときに、同時に日本の“一般的感想”として追加される。ここが重要なのだ。今回、一般客としては誰一人“来日”出来なかったが、そういう日本であれば、コロナさえ収まれば行ってみたいと思うのが一般観光客である。一時的に失われた「観光日本」の客足を戻してくれる格好の人物たちが、日本のコンビニを物色している。

 

 

 

 

そろそろ「幸せの多様化」を考えるべき時期に

2021-07-25

いつの間にか「性の多様化」や「働き方の多様化」が“推し進められている”社会となった。もう一つ、最近は「家族の多様化」というのも加わりそうな気がする。昨日、俳優の市村正親氏と篠原涼子氏とが「離婚」を公表した。かなり前から、この二人には“離婚の噂”があったので、そのこと自体は驚かないが、あまりにも「円満離婚」を強調しすぎると、かえって違和感が漂う。よく「離婚しても、父親や母親であることには変わらず今まで通り…」などと言うが、それなら何故「籍を抜くのか」ということにもなる。昔の日本では、娘が“お嫁入”と同時に、実の“両親”はもう親ではなく、“他家の所有物”となった。今から百年ほど前までは、そういう考え方が一般的だった。だから、十代半ばくらいで“お嫁入”をした場合、早くに両親を喪ったのと同様な立場となる。もちろん、お嫁入の場合には、その代わりとしての“義理の両親”を得ることになる。したがって、それ以降はすべて“義理の両親”の言いつけに従わなければならない。このようなことを書くと、なんと時代錯誤な…と思うかもしれないが、百年ほど前の日本では、それが“普通の考え方”だったのだ。しかも、その“お嫁入の相手”とは“一度も顔を合わせたことがない相手”だったりする。この“驚くべき制度”は何も、過去の日本に特有の現象なのではない。例えば、インドでは現在でも田舎に行くと“同様なシステム”が存在している。総じて、ヒンズーとか、イスラムとか、宗教概念の強い地域では「家系・血族」としての意識が強く、結婚は“新たな血”がその「家系・一族」に“混入してくること”として捉える。そうすると、“新たな血”は伝統的な“一族の血族”に馴染ませていかなければならない。したがって、家系的に伝えられてきた作法は“受け継がせる”責務が生じるのだ。そういうような考え方をするのが、昔の「結婚」だった。さて、現代は有難いことに、そういう“ややこしいこと”はなくなった。だから、子供を夫側に預けて家を出る形となっても、夫側が承諾している限りは“後ろ指をさされる”ことはない。こうして日本も、子供を置いて“家を出る”ことが、“普通のこと”になっていくのだろう。密かに進行していた「家族の多様化」は、ようやく“日の目を見始めた”ばかりなのだ。

無名ながら「総理」を目指す「鞍替え」選挙

2021-07-24

誰がどう見たって、菅総理に今後も日本を「任せておいて大丈夫‼」とは言えない。そこで、早くも「次期総理はだれか」という“話”が飛び交うことになる。ところが菅総理には任せられないとは思うものの、では「誰が良いか⁉」と問われれば、誰しも口ごもってしまう。“本命”と言えるような人材が見当たらないのだ。与党に居ないなら、野党に居るかと言えば、これも見当たらない。つまり、いまの日本には“今後の10年20年”を安心して“任せられる”ような政治家が見当たらないのだ。SNSが発達したことも作用しているのか、いまの日本は、あっという間に“スキャンダル”や“問題点”が駆け巡りやすい。そのせいで、よほど慎重で思慮深く、うかつな行動やスキャンダルや問題発言を起こさない政治家でなければ、国民が長く支持してくれない。最近の傾向としては、SNSは政治にマイナスな作用の方が多い気がする。次期衆院選の山口三区に林芳正参議院議員が“鞍替え出馬する”と正式に発表された。本来ならもっと大きく報道されて良いニュースなのだが、小さくしか報道されていない。実は、林芳正氏は密かに「次期総理」を狙っている人物で、本人自身がそう公言している。ところが、この人物の知名度は残念ながら高くはない。おそらく、これを読まれている方の多くも、知らなかったのではないだろうか。だが、実際には何度か「大臣」も経験している。決して、役職無き議員ではない。TV出演も何回も行っている。ところが、それでいて“印象に残っていない”場合が多い。実は自民党内部では、早くから“総理候補”という呼び声もあった。ところが個性が乏しいというか、印象度が薄いというか、いわゆる“政治家っぽい顔貌”をされているし、話し方も穏やかでそつがない。したがって記憶に残りにくいのだ。なぜ、参議院から衆議院に鞍替えなのかと言えば、参議院では「総理になりにくい」からだ。だから、あえて当選10回を数える自民党議員の居る地域で“勝負”を賭ける。負ければ、総理どころか“議員バッジ”も飛ぶ。それでも「総理を目指す」と言い切るところは素晴らしいが、正直に言うと、いかんせん、惑星配置から言うと「日本のトップ」は難しい。頭脳とか、性格の問題ではなく、運命という摩訶不思議なものから視て…。

「暗く」「重苦しい」東京五輪が始まった…

2021-07-23

物事というのは、最初にケチが付くと、なかなか上手く立て直すことが出来ないもので「東京五輪」などは、その典型的な出来事と言える。では、こういう場合に「止めてしまった方が良いのか」と言うと、これがそうでもない。途中で「止める」と、それはそれで“非難されるような”状態が起こってしまったりする。運命学的には“行く”も“戻る”も出来ないような状況であれば、“死をも覚悟”で突き進むしかない、と教える。戻れないなら「突き進む」しかないのだが、人間「死」をも覚悟で突き進めば、瀕死のところで最終的に突破できる場合が多い。個人的な人生上の出来事であっても、永く生きながらえていれば、時折そのような“状況”に出くわすことがある。例えば、恋愛などでいろいろと問題が起こって“この相手”とそのまま結婚しても大丈夫か、と迷うようなケースは多い。或いは、新しい職場に入社する場合、途中でいろいろ噂や問題を見聞きして、果たして“この職場”で働き出しても大丈夫か、と迷うようなケースは多い。そのようなときに、運命学的には「まだ引き返せる」時には、すぐに引き返した方が良い。けれども、情況的に、時間的に「後戻りできない」ようなときには、覚悟をもって“突き進む”しかない。そういう“切羽詰まった状況”で引き返しても「佳き事」は何もない。かえって深い後悔だけが長く尾を引く。普通の人が「占い」に相談に来るのは、大体が「後戻りできない状況」に至っているときが圧倒的に多い。そういう時には覚悟をもって“突き進む”しかない。運命学的な経験から言って、ほとんどの場合、上手くいくことはないのだが、それでも“覚悟をもって突き進んでいる”場合には、窮地に至っても、何とか“切り抜けて”行くことが出来る場合が多いものだ。同じように今回の「東京五輪」も、ここまで来た以上は「覚悟をもって突き進むしかない」のだ。何とか「成功させよう」などとは思わない方が良い。おそらく「暗くて」「重苦しい」東京五輪として、記憶に残ることだろう。けれども、それは日本に問題があるというよりも「五輪競技大会」そのものの在り方が「神から問われているのだ」と思った方が良い。

 

何より「売る気のない不動産屋」が興味深い

2021-07-22

「宇宙飛行」の“下準備”として現在ロシアに滞在中の前澤友作氏が休日を利用して、ロシアで売り出し中の“豪邸内見”の動画をアップした。欧州一の高層ビルの“最上階”にある95階の領域が、その物件らしい。何人かの人物が案内人らしいが、どの人物が本当の担当者なのかが解からない。その広さは2180㎡と異様なほど広いが、どう見ても日本でいう「部屋」ではない。よく高層ビルにある「展望台」という雰囲気で、もし日本人があそこで暮らすのだとしたなら、完全に区切るなどリフォームしなければ、あのままでは暮らせない。価格は日本円で約40億円で、前澤氏であれば“安く”感じられるかもしれない。ニューヨークなどの物件に比べると、はるかに安い。確か松居一代氏がニューヨークに購入した物件はもう少し高かったのではなかったか。なんとなく、前澤氏の表情を視ていると、内見をしているのに、案内人たちが離れたところでお喋りしているなど、どう見ても“売る気がある”ようには見えない。もしかしたら、ラフな格好で気安く訪れた日本人を“マスコミの人物”と勘違いしたのかもしれないが、それにしても、客となるかもしれない人物を案内する態度ではない。その辺の賃貸物件ではなく、何十億もする物件なのだ。ただ海外では、時々こういう“やる気のない商売人”を見かける。私は昔、エジプトに行ったときに、お土産屋でちょっとした土産品を購入した時のことを思い出した。その時、その店にはその店主らしい人物しかいなかった。しかも、その人物は客などには無関心で、レジの脇に置いてあるTV画面に夢中だった。サッカーの試合を中継していたのだ。レジの前に購入するものを置いた私に、絶対に気付いているはずなのに、無視し続けた。私はしばらく待っていたが、無視し続けるので、わざと土産品を彼の目の前に差し出した。ところが、彼は「うるさいな」とでもいうように、それを押し戻したのだ。もう我慢の限界である。「お金いらないなら、持ってくぞ」慌てた店主は、仕方なさそうにレジを打った。だが、一言も謝る風ではなく「お前には、この試合の重要さが解からないのか」という風なことをまくしたてていた。あの時のことを思い出すと、もう少し日本人は“自分勝手”でも良いのかもしれない。

フジモンにも「愛の出逢い」がやって来る⁉

2021-07-21

“芸能界”を引退したはずなのに、何かと“華やかな⁉”話題の多いのが木下優樹菜氏である。先ごろは、Jリーガーとの“交際宣言”がニュースとなった。性格もあるのだろうが、子供が何人いようが、離婚して間もなくから「わが恋」を最優先するあたりが、いかにもこの人らしい。ところで、木下優樹菜氏が話題になると、どうしても“この人”の存在が気に掛かってくる。「フジモン」こと藤本敏史氏のことだ。私は二人が「結婚」を公表した時「長続きするだろうか」と大いに疑問だった。それは、ふたりともに“離婚の星”ともいうべき惑星配置が見受けられるからだ。特に、藤本氏の方は金星と土星の180度を持っている。運命的に一度は“愛する人と離別する哀しみ”に遭遇しなければならない。この場合の“愛する人”は、配偶者がいちばんだが、恋人の場合もあるし、子供の場合もあるし、親・兄弟の場合もある。本人がもっとも離れたくない“最愛の相手”ということになる。案の定というべきか、藤本氏と木下氏との結婚は、何度も“危機”を迎えたが、そのつど夫の忍耐強さで“乗り切った”かに見えた。けれども、そうではなかった。とうとう「離婚」が正式発表となったが、なぜか藤本氏は離婚後も同じマンションの“別々の部屋”に住み続けた。一説には、子供の“送り迎え”を手伝ってあげるのに、その方が都合が良いからだとも言われた。ところが、興味ある記事がマスコミから出てきた。彼は、家族みんなが仲良かった時に暮らしていた住居も、未だにローンを払い続けているのだという。それは、もう一度「復縁・再婚」して、みんなで一緒に暮らしたい気持ちの“あらわれ”だというのだ。つまり“未練”を持っていた。ところが今回のJリーガーとの“交際宣言”で、それは完全になくなった。藤本氏は大きなショックを受けているという。こういう場合、夫側も“新たな恋”を求めた方が、運命学的には良い。実は、ホロスコープを見ると、彼にだって“恋の運気”はやって来ている。私の観るところでは、2021年7月~9月、2022年4月~5月、2023年1月~2月、この三度の時期には“恋愛としての出逢い”として作用する惑星配置が見受けられるのだ。但し、これらの時期を逃すと、そのあとはなかなかやってこない。したがって、彼が気持ちを切り替え“過去を棄てる”勇気があれば、新たなる“恋”はもうすぐそこまで来ているのだ。

 

“どの大学”“どの業種”なら女性社長になれるか

2021-07-20

男女格差を測る「ジェンダーギャップ指数」と呼ばれるものによると、日本は世界156ヵ国中の“120位”であるらしい。つまり、その順位くらいに“男女格差の大きい国”であるらしい。どの部分に“格差”が大きいのかというと、その第一は“収入差”であるという。要するに、会社に入って同じ仕事をしていても、男性と女性とでは収入面で「差をつけている」ということらしいが、今時、そんな会社があるのだろうか。もしかすると公務員とか大企業とかの方が、昔からの慣習を引き摺っているような気がしないでもない。もう一つは「女性社長が少ない」ことのようだ。これは“国の制度”というより、自分で「起業しようとする女性」が少ないことが影響しているよう私には思われる。もう一つは日本の大企業の場合、結婚や出産を機に“女性は出世競争”から外れる、という高度成長期の「企業戦士」的発想が未だ抜けないことが原因に思える。とにかく日本では“がむしゃらに働く人”が「社長」になっていく“イメージ”から抜け出せていないのだ。そういう「日本国」であっても沢山の“女性社長”を誕生させている大学はある。その調査によれば「日本大学」がトップ246名、2位が「慶応義塾大学」で241名、3位が「早稲田大学」で226名を輩出している。そのあと「青山学院大学」や「日本女子大学」などが続くが数字はぐっと落ちる。また、地域別の違いで見ると「沖縄・四国・九州」では女性社長の比率が高く、「北陸・中部」などの地域では女性社長の比率が低い。さらに業種別では、もっとも女性社長の比率が高いのが「不動産」の業種で、そのあとに「サービス」や「小売り」の業種が続くのだが、なぜか不動産の比率はとびぬけて高い。このように見てくると、もし、娘さんを“女性社長”にしたければ、日大か、慶応か、早稲田かの大学に入れ、四国・九州の不動産会社に入れれば、やがては社長に出世していくかもしれない。

 

 

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