1月, 2022年

日本人には「無人セルフ型カフェ」大ヒット⁉

2022-01-19
名古屋市内で今月21日から「コロナ時代の新しいカフェのカタチ」をコンセプトとした“無人カフェ”「名鉄レジャック店」がオープンするらしい。その店内写真も掲載されていたが、全面人工芝が敷かれた“やや殺風景な印象”の店である。これは私の印象なので、実際にはそうではないのかもしれないが「広い敷地を確保できたので極力お金のかからない店づくり」を心掛けたような雰囲気である。その部分が、この店の一番の“不安材料”だ。無人のカフェにやって来て、なぜ全面人工芝なのか。もし“癒し系”の店内を目指すのであれば、もう少しどこかに“暖かみ”が欲しい。それが感じられないのだ。私は、日本人の場合、無人の“食料品店”は流行るような気がしないのだが、無人の“カフェ”であれば、どこの国より“需要”はあると思われる。それというのも、日本人には「ひとりの時間」を愉しみたい、という人が大勢いるからだ。誰にも邪魔されない「自分だけの空間」が欲しいという人も大勢いるからだ。そういう人のために、無人のカフェで“多数の飲み物”を選択することが出来、ちょっとした“美味しいパンやお菓子”も購入できる、そして一人用ソファのあるアクリル板で区切られた“半個室的な空間”というのが、多分、いちばん“求められるカタチ”であるような気がする。ひとり最大8時間利用できるような空間としてあれば、仮眠することだってできる。24時間営業が理想だが、店内清掃を考えれば、22時間営業とすれば、良好な状態を保てるのではないだろうか。日本人には他の国の人達よりも“孤独を好む”人たちが多い。“一人だけで食事したい人”“一人だけで勉強したい人”“一人だけで趣味を楽しみたい人”“一人だけで読書したい人”“一人だけで休憩したい人”“一人だけで妄想したい人”“一人だけで仕事をしたい人”“一人だけでものを書きたい人”“一人だけでぼうっとしていたい人”さまざまな人たちがいる。自宅で行えば済む話なのだが、その自宅に「そういう空間がない」という人も多い。自宅とは違うが「自室のような感覚で使える空間」が本当は一番良い。私などは、自宅でなければ文章を書けないが、逆に、自宅だど「文章を書けない」という人もいる。そういう人のためには半個室的な空間には“多少のゆとり”も必要で、よくあるカウンターを“一人分ずつ区切る”みたいな息苦しい感じだと、当然のことながら癒されない。そう考えると、あまり“長居をされる”と商売として成り立たないような部分も出て来るのか、その辺は難しいが「癒される無人カフェ」なら、必ず大ヒットするに違いない。

FBI捜査官「アンネ・フランクの密告者」特定

2022-01-18
戦後、世界中で大ベストセラーとなった“隠れ家での暮らし”を綴った『アンネの日記』。その著者であるアンネ・フランク一家をナチスの秘密警察に“密告”した人物は誰なのか、これまでは謎とされ特定できずにいた。もう少しの期間“隠れ家生活”を継続できれば終戦となったので「強制収容所」に送られることもなく、15歳の美しい少女は生き延びられることが出来たのだ。密告の容疑者は30人ほど特定されたが、それから先は謎のままだった。それに果敢に挑戦したのがアメリカFBIの元捜査官ビンス・パンコーク氏だった。彼は最新のAI捜査方法を用いて、その解読には専門家たちの協力も仰いで20人ほどのチームを作り、容疑者全員をふるいにかけていった。2017年10月に始まった捜査は2022年1月17日「ユダヤ人公証人アーノルド・ファンデンベルフ」が密告者だったと特定した。彼は自分の家族を守るため、アンネ一家を裏切った可能性が高い、という結論に至ったのだ。当初は2年ほどで特定できるはずだったが、予想以上に難航した。それにしても、今日のAI捜査というのは、そういう過去の歴史的事件にも効果を発するものなのか。或る種、考古学的な探求に似ている捜査のような気がした。“ユダヤ人”であるアンネ一家は、ナチスの追手から逃れるため、ドイツからオランダにわたり、1942年7月アムステルダムで“隠し部屋”のある館に身を潜めた。そして秘密警察に発見される1944年8月まで、そこで潜伏生活を続けた。多感な少女時代を外に出ることも出来ず、隠し部屋の中で過ごさなければならなかったアンネは、その唯一の慰めとして「日記」を綴った。それが『アンネの日記』だ。戦後、生き延びた父親が“娘の死”を無駄にしないよう発刊にこぎつけた。「強制収容所」に送られてからも、アンネは明るく周りの人々を励ましていた。なにが正しいことなのかは、歴史が決める。密告は良くないが、もしかすると、その人々も“自分の命の身代わり”として、アンネ一家を“差し出した”のかもしれず「罪」と言えるかどうかさえも難しい。「戦争」や「差別」に“勝者”など、居ないのだ。

「盤石な住吉会」と「反乱の稲川会」の“顔相”

2022-01-17
日本は“言論が自由”で好いなあ…と思うことがある。週刊誌の中にはずーっと“反社の人々”を追い続けている雑誌社がある。特別な事件が無くてもだ。世の中にはいろいろな人が居るから、そういう雑誌をさまざまな意味から購入し続けている人もいる。一般の雑誌ではあまり“扱わないような記事”というのは、いったん読者になると継続し続けてくれる可能性が高い。「北朝鮮」や「地下アイドル」だって、一定の読者層が居るから、その種の雑誌(或いは新聞)が継続している。とにかく、そういうわけで久しぶりに“その種の報道”をみた。関東では絶大な権力を誇る「住吉会」の「新年会」のようすに密着した報道である。よく「現在は“反社の人々”というのは激減している」とか「生活が成り立たないので次々解散している」という報道を眼にしていたが、実態はそうでもないらしい。今年が最初の年となる小川修司会長率いる「住吉会」の新年会には、各地から200名以上の幹部が参列したらしい。こういう組織はピラミッド構造なので、幹部だけでそれだけ集まるということは、相当数の人員を抱えているのに違いない。私は“そういう組織”に詳しくないので、一般的なことしかわからないが、関東は「住吉会」と「稲川会」が牛耳り、関西は「山口組」が牛耳るというのが、大まかな日本の構図と認識している。さて、私がなぜ、ここでこういうことを書くのかというと記事と共に現会長の小川修司氏の写真が載っていたからだ。観相学的にはなかなかに“立派な相”をしていて、眼と眉の間が極端に狭く、上瞼が凹んでいるのが弱点だが、それ以外は組織のトップに立つ者に相応しい顔相だ。特にクッキリとした法令線は、その取り囲む面積が広く、組織の長として隅々まで指令が行き届いていることを連想させる。ただ上瞼が凹んで狭いのは幼少期の不遇を表していて、彼の履歴を知らないが、決して恵まれた家庭では育っていないはずだ。現在も家庭・家族という点では問題を抱えているかもしれない。一方の「稲川会」を率いる内堀和也会長の方は観相学的には、必ずしも“良好”とは言い難い相が散見される。特に、私には下瞼がシワ多く暗色となっているのが気になる。ここは“子供運”や“部下運”と関係のあるところで、ここが乱れると部下後輩の統制が思うようにならないケースが多い。つまり、反旗を翻されやすいのだ。したがって、内堀氏がいつから会長なのか知らないが、今後も会長を続けるなら、その椅子は安泰とは言えないだろう。したがって今後「住吉会」は勢力を拡大し続け「稲川会」は“内輪もめ”から組織として弱体化していく可能性がある。

地域・時刻を指定できない「警報」は無意味⁉

2022-01-16
トンガでの“大噴火”の影響による「津波警報」「津波注意報」が真夜中になって出た。最初、日本全国の太平洋岸沿いと出て「とにかく高いところへ避難してください」と記されている。しばらくたってから“避難対象地域”として、青森、岩手、宮城、千葉、徳島、高知、宮崎、鹿児島の“八つの県”の太平洋岸沿い10万世帯21万人ということが明らかとなった。ところが津波が“いつ、来るのか”も明確ではない。いつになったら解除されるのかも明確ではない。「とにかく高いところへ逃げて」というメッセージだ。これが“予知・予報”と言えるのだろうか。これが昼間であれば、まだ全国に向けての「津波警報・注意報」も良いと思うが、真夜中である。しかも真冬である。大雪の地域もある。東日本大地震の時の“津波被害”の教訓があるので「とにかく高いところへ逃げて」というメッセージも判らないではないが、例えば、北海道で真冬のこの時期、真夜中に“寝起きスタイル”のまま外へ飛び出して、高台を探し求めて走ったら、転んで怪我をするか、風邪をひくか、吹雪に巻き込まれれば死んでしまう。もう少し地域や時刻などを考慮した形での「限定的な津波警報・注意報」を出せないものだろうか。「地震による津波ではないので、いつ解除できるかもわからない」というのでは、もはや「注意報」の意味すらない。自然災害というのは、漠然とした予知、あいまいな情報は、かえって恐怖心だけをあおる結果につながることもある。よく“怪しい占い師”が「あなたは短命だ」とか「30歳で事故に遭う」とかいうのと同じで、いたずらに恐怖心を煽り立てるのは、まともな行政が行うこととも思えない。もう少し的を絞って、地域や時刻を特定したうえで警報を出さなければ無意味なものとなる。さらに一番の問題は台風などと違って「避難場所」を特定していないことである。真冬の真夜中の北海道で「避難場所」も教えずに「坂道を登れ」などというのは「風邪をひけ」とか「凍傷になれ」と言っているようなものなのだ。真夜中の警報。真冬の警報。北国の警報。これらは、もう一度考え直す時期に来ているような気がしてならない。

不倫肯定で「100回」否定「15回」の“法裁き”

2022-01-15
どうも釈然としない。何かがおかしいような気がするのだが、その“何か”とは“何か”と問われれば、明確には答えられない。「とにかく、おかしい」としか言いようがない。インドネシア・アチェ州の“法裁き”だ。この地域は「イスラム法」で裁かれる。そのこと自体は、よその国の一部地域での法裁きで、しかも“宗教法”なので文句のつけようがない。同じインドネシアでも「イスラム法」を施行しているところは、この州しかない。だから、もしも「イスラム法」から逃れたければ、他の州へと移住すれば良い。その点が中東などの諸国とは根本的に異なる。向こうは「国家」として用いているところもあるが、全体的には時代に沿って緩和されつつある。ところが、この地域の場合には古来からの伝統を、良くも悪くもそのまま守り続けている。私が不思議なのは、どうして「国家」として規制しないのだろうか、ということだ。各州の“独自性”を尊重していると言えばそれまでだが、同じイスラム教徒でありながら“違和感”を感じないのだろうか。さて13日に公開で行われたのは“むち打ち刑”である。“不倫・賭博・飲酒・同性愛”などの場合に施行される。お酒の好きな人やギャンブルの好きな人は絶対にアチェ州では暮らせない。今回は既婚の男女が一緒に居るところを通報され摑まったことでの刑罰なのだが、検察の取り調べに対して女性は婚外交渉を認め、男性は完全否定した。そこで「イスラム法」にのっとり、婚外交渉した女性の方は「むち打ち100回」の刑罰となり、さらに“6年余りの禁固刑”ともなった。ところが男性の方は最後まで婚外交渉を認めなかった。その結果、不倫カップルなのに、男性の方は、既婚女性に愛情を抱いた罪により「むち打ち15回」に止まったのだ。これって、どう考えてもおかしいのだが、確かに、男性の身体の方から“証拠品”を見つけ出すのは難しい。その結果、本人が否定し切れば「イスラム法」では“軽い罪”に留まる。しかも、これは公開で行われる“ムチ打ち刑”なので、インドネシア人の誰もが望見することが出来る。イスラム教徒にとって「イスラム法」というのは“正しい”のかもしれないが、そうはいっても他の州ではすでに廃止されているのだ。その廃止している州の人たちが、人権問題など持ち出さず、黙って観光し動画をアップしていることが、私には理解に苦しむのだ。

「お見合い中」に“都市封鎖”でも「愛」育たず

2022-01-14
もしも、あなたが「お見合い」の最中、突然ロックダウンで市街地が封鎖され、相手の自宅から動けなくなってしまったら、どうするだろう。こんな昔のコントにでもありそうな出来事が実際に中国で起こった。その女性である王さんは適齢期を過ぎても、なかなか良い相手に出逢えなかった。そこで家族に勧められて「お見合い」をすることになったのだが、そこは中国、なかなかに合理的というか、細やかな配慮に欠けるというか、10人立て続けに“お見合い”する一週間の鄭州旅行となった。ところが、その鄭州に入ったとたんにコロナが急拡大、5人目の相手男性との“お見合い中”にロックダウンの宣言がなされた。実は、お見合い会場は別だったのだが、相手男性が「手料理でもてなしたい」ということになって、彼の自宅に行き、その食事中に市内全所が一斉封鎖されてしまった。だから彼女は、その家から出られなくなってしまったのだ。これこそ、まさに“運命のいたずら”であり「赤い糸」のような気もするのだが、なにしろ中国。そんなことは全然考えもせず「寝泊まりしても、愛情なんて湧くわけもない」と、そっけない。もうちょっと優しくしても…。その証拠に彼女は、そこでの暮らしを退屈なのか“動画投稿”し始めた。その動画が“奇妙な居候生活”ということで話題となったのだ。お見合い男性に対しては「マネキンみたいに無口であることを除けば良い相手」と評している。彼女に言わせると「口数が多くて面白い男性」が“好み”であるという。中国人で口数の多い男性というのは、あまり信用できないような気が、他人事ながらするのだが、どうも5人目迄の男性の中には“好みの男性”は居ないようで…。確か中国の場合、かつての“一人っ子政策”で男性の数が、女性の数よりもかなり多い。だから必然的に「お見合い」となった場合には“女性側優位”という現象が起こる。実は、この動画の拡散によって、この女性にも、そして相手の男性にも、興味を抱く独身男女が出て来ているらしい。思いもかけない反響に、王さんはもう「動画投稿はしない」とかたくなだ。果たして、彼女には“運命の出逢い”は存在するのだろうか。

ゲストハウスで「お試し移住」がトレンドに⁉

2022-01-13
再び“コロナ拡大”で、いま一つ“明るい未来”の描きにくい日本だが、そういう中で秘かに流行の兆しを見せているのが「お試し移住」というユニークな宿泊企画だ。地方創世の“切り札”として、都会からの“移住組”を受け入れようという作戦が各地域で行われているが、人口減少に悩む奈良市が積極的に活用しているのはゲストハウスだ。これまで古都観光の“担い手”の一つとなっていたゲストハウスだが、コロナ問題継続で客足を一気に失った。それでは“無用の長物”なのかと言えば、そうではない。地方移住を考えている人達の“お試し宿泊施設”として大いに活用してもらおうというのだ。確かに「移住を考えている人々」にとって、その土地の実態は、そこに住んでみなければ本当のところなかなかわからない。2~3日、その地域のホテルに泊まって探索したくらいでは“地域特有の暮らし方”や“住民の特性”などは掴めない。その点、ゲストハウスに連泊する形なら、各種“特典付き”なので安く泊まれるだけでなく、地域住民の人達との触れ合いが生まれ、或る種“顔合わせ”も出来る。自分が、その“土地に合うかどうか”何となく把握できるのだ。もちろん奈良市には“体験型”の「お試し移住」だけでなく、無料の「オンライン移住相談」の窓口もある。資料請求の件数も急速に増えてきている。距離的な感覚から言っても、奈良市の場合は大阪などの関西だけでなく、名古屋などの中部、更には東京などの関東からの移住も想定しやすい位置にある。市の行政機関が積極的に“移住組の人々”を受け入れる姿勢を示していることもプラスに働く。このほど募集したゲストハウスの「お試し移住」150泊も一週間で完売した。なぜかITなどのテレワーク組には「古都・奈良」の雰囲気を好む人たちが多いのだ。もっとも、いまのようなサービスが行政として、いつまで続けられるかは分からない。本来、観光客用のゲストハウスなので、客足が戻ってきたときには、そちらを優先するのが筋だからだ。そういう意味では今年は“地方創世”と“都会からの移住歓迎”を謳っている田舎のあちこちで、この種の手法が試みられるような気がするのだ。特に観光地的な要素を持っている田舎の場合、ゲストハウスをこういう形で活用するのは間違いなく理に適っている。

「限界集落」が「未来コンビニ」で観光地に⁉

2022-01-12
標高1000m級の山々に囲まれた過疎地である徳島県那賀町木頭地区……50年以上前には4000人以上の人達が居て活気があったが、今やその四分の一にも満たない「限界集落」だ。数年前まで“何一つ”自慢すべきものがなかった。けれども、この木頭地区から大志を抱いて東京に出て成功した人物がいた。現在、東証一部上場の「メディアドゥ」創業者である藤田恭嗣氏だ。彼は“故郷”を見捨てなかった。何とかして“活気”を呼び戻したい。その想いが「世界一美しい」と称されるようになった「未来コンビニ」の出店だ。元々学校だったところの広い敷地を安く借り受け、天井以外の四方をガラス張りとし、広い空間に地元木材を豊富に使って「Y字形」“ぬくもりあるショッピング空間”を作ることに成功した。もちろん、事業家である藤田氏は、ただ単に“美しいコンビニ”を作っただけではない。地元で生産した食品などを販売する拠点ともしている。いつしか「未来コンビニ」の名は知れ渡って、最近は県外からも買い物がてらにやってくる観光客が多い。そのユニークな外観は「日本空間デザイン賞」でグランプリも受賞した。もちろん藤田氏は嬉しいはずだが、彼の本当の狙いは、このコンビニで育った子供の中から「世界へ羽ばたく若者」が生まれてくることにある。奇妙なもので、日本の場合は全国どのような地域からでも有名人や成功者が出る。それは幼少期からの“教育環境”が整っているからだ。どんな過疎地でも、辺境の地域でも、日本の場合には学校があり、必要な教師が赴任されてくる。時には生徒数より教師数の方が多いという学校だってある。過疎地や限界集落ほど、教師や医者を大切に扱ってくれる。われわれは普段気付かないが、日本の“幼少教育”はそういう点から言えば素晴らしいのだ。ただ近年「買い物難民」の問題が指摘されてきた。それに対するヒントを、この藤田氏がつくった「未来コンビニ」は指示している。必ずしも、大手のコンビニチェーンだけが出店しなくても、遠方からもやって来るような「観光名所にもなるコンビニ」が出来れば、採算としては成り立つのだ。この地域のように“使われていない敷地”を貸し出す形をとれば、人口減でも商売として成立しやすい。文字通り「未来コンビニ」なのだ。

D・ジャンセンが泣く、パクリの「逃亡医F」

2022-01-11
ドラマ開始前から“パクリ疑惑”が指摘されているのが、日本テレビ系土曜ドラマの「逃亡医F」だ。その内容は、天才外科医が恋人殺しの罪を着せられ、逃亡しながら行く先々で“苦しんでいる人”を助け、自ら真犯人を追い求めていく、というストーリーらしい。確かに大昔アメリカのドラマで大ヒットした「逃亡者」と“ほぼ同じ内容”と言って良い。この「逃亡者」というドラマに関しては、私自身も何度かここで書いた。60年代における古き良き“アメリカのヒューマニズム”が詰まった作品で、現在のアメリカとはいろいろな意味で違っている。私は、あのドラマを観て、人間の持つヒューマニズムの大切さを学んだ。当時、子供だった私は、正直、内容のすべてを理解したとは言い難かったか、無実の罪で“死刑を宣告された医師”が逃亡しながら、真犯人を追い求めていく、という手に汗握るサスペンスに魅了されたのだった。そして当時のアメリカ人らしい、死刑囚であっても自分が“無実”と思えば助けようとする、精神性にも好感を覚えた。元々このドラマはアメリカに実在した人物をモデルにした作品で、全米で50%台という驚異的視聴率をたたき出したドラマだ。そういう意味でも古き良き“アメリカの良心”を感じさせる。特に、このドラマで主人公の逃亡者を演じたのは名優デビッド・ジャンセンだった。元々はバスケットボールの名手だったが、足を怪我したことで俳優に転じた人物だ。彼の笑顔には、だからどこかに“影”があった。それが、そのまま“妻殺しの逃亡医”としての“翳りある笑顔”と重なった。日本の俳優には、そういう転身組が少ない。幼い頃から俳優を目指して、俳優になった人物の横顔は“美しすぎ”て、苦悩を引き摺った過去を持つ翳りが出せないのだ。私はまだ子供だったが、無実の彼を執拗に追ってくる刑事の執念を本気で憎んだ。それくらい彼の演技は素晴らしかった。日本人俳優で、ほんとうに“無実の死刑囚”を演じられる“横顔の男”が存在するだろうか。かつての名優・市川雷蔵氏の横顔にはそれがあった。眠狂四郎は、だから彼でなければならなかった。けれども、彼は39歳の若さでこの世を去ったのだった。

ドラマと異なって「私、失敗の連続です」

2022-01-10
世間は往々にしてドラマの中の人物と、その役者とを同一視しがちだ。けれども、当然のことながら、そう思わせることが出来たなら、役者稼業に尽きるというものだ。人気ドラマで「私、失敗しないので…」というセリフが注目の的となったのは、孤高の外科医を演じた米倉涼子氏だった。役柄として、何となく勝ち気でプライドの高い外科医として、実際に居そうな雰囲気を常に漂わせていた。けれども、素顔の米倉氏は決して自信満々のタイプではない。林修氏のインタビュー番組で「私、失敗の連続です」と語っている。イメージを払拭したかったのかもしれないが、あえて「失敗の連続です」を強調した。今年4度目となるブロードウェイの舞台でミュージカルを演じる“日本を代表する女優”と言える。それなのに、少しもおごる部分はない。それは多分、常に“前を視ている”からだ。人は、或る程度の履歴を踏むと、どうしても“これまでの自分”で満足するようになる。「失敗」を恐れるから、あえて自分から「挑戦」しなくなるのだ。それを彼女は嫌がって2年前に独立して事務所を持った時「私は挑戦する」という意味のスペイン語を社名にした。だから、適当なところで満足など出来ないのだ。彼女は、失敗の連続だといったが、同時に「失敗しないと先に進めない」と言い「自分がやりたいんだったら、そこを通るしかない」とも言っている。最近の“若い人達”を見ていて、私が感じるのは、失敗を恐れすぎている、ということだ。「失敗のない人生」など、ありえないのに、まるで“それが存在する”かのように、極力、失敗を回避した道を歩もうとする。もしかすると「ゲーム世代」にとって、失敗したら最後、もう“新たなる道”や“新たなる扉”は無くて、敗残者としての“運命”しかないかのような錯覚を持っているのではないだろうか。そして、ゲームと同じように“どこまでも失敗を回避し続ける”ことが「幸福な人生」であり「成功への鍵」でもあるかのような観念を抱いているのではないだろうか。そうだとしたなら、それは根本的な誤りだ。人生はゲームではないので、見掛け上“失敗を回避した”かに思えても、必ず、そのツケは廻ってくる。だから早くに「失敗を経験する」ことこそ大切なのだ。感染症ではないが、失敗に対する“免疫”を高めておく必要があるからだ。人間的にも、失敗を経験していない人は、他人を理解する力が劣る。さまざまな失敗経験を持つことで、人は人に対して“優しく”なれるのだ。ドラマでは格好よくても、実在社会では“傲慢で無理解な人間”にならないためにも、失敗は大いにすべきなのだ。

「自分の子供」を“自分だけで”作るという選択

2022-01-09
女性であれば結婚しなくても子供は産める。そんなことは誰でも知っている。ただ結婚しなかった場合、その子の“父親”を、どう捉えるかは難しい問題だ。多くの場合は“好意的”には捉えられない。それは「母親」にとっても「その子」にとっても、そうである。けれども、もし「完全な自分だけの子供」であった場合はどうだろう。“自分だけの子供”なら、そういう“煩わしい問題”から逃れられる。実際、そういう形で「自分の子供」を手に入れ、倖せに暮らしている母子が居る。彼女は36歳の時、その選択を決断した。シングルマザーとして生きることを決意し、自分の子供を得るため、“精子提供”のドナーを求めたのだ。英国に住むサラ・フィリップス氏は、そのアイディアを映画から得た。自分も映画と同じように、配偶者や恋人からではなく、見ず知らずの相手から精子を受け、人工授精で出産してみよう。そこに迷いはなかった。彼女にとって“結婚”は夢ではなく、“母親になること”が夢だったからだ。それは英国では許可されていて、2019年に初めて試みた人工授精で彼女は見事妊娠・出産した。既にベラと名付けられたその娘は3歳になる。母子とも健康で仲良く順調で、まだ卵子が残っているので兄弟を得たいと考えている。何の迷いも、後悔もない。元々望んでいたのは「幸せな結婚」ではなく「自分の子供」だったのだ。このような“カタチ”が日本国内で許されるのかどうか、私は知らない。多分、難しいのではないだろうか。けれども、彼女のように俗にいう“男運”は良くなくて、“男択び”も上手くなく、結婚生活は上手く行かない予感がするが「自分の子供は欲しい」と願う女性は多い。そういう人達にとって、このような“未来”や“選択”もあることを広く世間に伝えることは、重要なことのような気が私にはする。なによりも「父親」に関して悩まなくて済む。或る意味では「母親」だけで産んだ子供なのだ。それは子供自身にとっても、自慢になる。決して父親を“悪く言う”必要もない。もっとも英国での話ではあるが、ドナー提供の費用は90万円余掛かったそうだ。自分の両親が応援してくれるかには疑問も多い。したがって、そのくらいの費用は捻出できる経済力は持ち合わせていることが「自分だけの子供」を妊娠・出産するためには必要な条件なのだ。

どうやって調べたのか⁉「735点」下着の経路

2022-01-08
ときどき警察という商売(仕事)は本当にたいへんだなあと心から思う。下着の一点一点を地道に盗まれた女性たちの元に“聞き込み”をして、その足取りを辿ったに違いないのだ。そうでなければ、総計214回、197ヵ所から、10代後半~83歳まで220人の女性たち、735点の下着と特定できないはずだ。それとも6年余りにわたって盗み続けた永山被告は几帳面に記録していたのだろうか。いや、仮に記録していたとしても、実際には、誰の所有物であるかまでは分からなかったはずだ。だからこそ“83歳の女性のもの”まで盗んでしまったに違いないのだ。ただ女性たちの年齢や人数、盗んだ回数や箇所が同一でないのにきちんと特定できたのは、地道な“聞き込み捜査”の結果だと思われる。そして、その“聞き込み”を嫌がることなく、真摯に応じてくれた地域女性たちの協力もあってのことに違いない。そういう意味では神奈川県栄署の警官(刑事)の方達、その地域で下着を盗まれていた女性達、その両方の方達の“小さな勇気”はもっともっと称えられて良い。それなのに、どのマスコミもこのニュースには冷たい。まるで“なかったこと”にでもしたいかのように、事務的に通り過ぎる。それでは6年間にわたり214回も、毎回のように場所を変え、人物を変え、品物を変えて、頑張っていた窃盗犯も哀しすぎるではないか。いや、窃盗犯は“哀しすぎ”ても良いのだが、恥ずかしいのに盗品を持って嫌がられながら“聞き込み”に廻った刑事たち⁉の努力はどうなるのだ。こんなこと“訊き回る”ために警官(刑事⁉)になったのではない。大体、女性の下着は、どれも似たようなもののはずで、それをどうやって“その女性のもの”と特定できるのか。洗って干してあったもののはずだから、臭いだって無いではないか。女性たちが「これは私のもの」と“奪い合い”にはならないのであろうか。“自分のモノ”と主張した女性が、後になって「穿いてみたら違っていた」というようなことはないのだろうか。裁判官は、どういうところから「罪」を特定するのだろう。記録では735点で40数万円相当ということになっていた。ちょっと安すぎるような……。 « Older Entries