8月, 2022年
2022-08-31
以前から“そういう噂”はあった。だがWHOの西太平洋地域事務局長として葛西健氏は自分を改められなかったようだ。人種差別的言動、もっと重大なのはWHO内部だけの情報を“日本政府”に向け漏洩していたらしいことだ。こういう国際機関で働く人たちは、基本的に“国際人”としてのマナーや在り方が身に付いていることが絶対条件である。この人はおそらく、そういう部分に何らかの課題を持ったままトップへと上り詰めたのだ。多分WHO内部では見逃してきてあげた部分があったのに、何人もの告発を受けてを受けて“休職させる”という処置をとらざるを得なくなったのだろう。「日本」は第二次大戦後にすべてを失ったが、戦前、明治から昭和初期にかけてアジア太平洋の多くの国と地域を支配・占領していた。そういう時代の名残を“とどめている人達”が今もいる。そういう人達は、総じてフィリピンとか、ベトナムとか、タイとか、インドネシアとか、ミャンマーとか、台湾とか、朝鮮とか、中国の一部とか……そういった国や地域に対して或る種“支配者的な感覚”をどこかに持っている。本人にはそのつもりがなくても、欧米人とは明らかに“違った対応”で接していることがある。それは“支配者側の歴史と情景”を遠い記憶としてとどめているからだ。もう、そういう時代から百年近くも経過していることを彼らは忘れている。だから未だに“支配者的”に振舞おうとする。もちろん、過去の歴史は歴史として“誇り”として良いのだが、現代においても“その意識のまま”仕事をされたのでは困るのだ。ましてや、いまの「日本」は国際的にみて必ずしも“優位な位置”にあるとは言えない。むしろ、どんどん追い抜かれて、さまざまな意味で“遅れた先進国”に評価が下がりつつある。そういう中にあっての葛西氏の言動には、あまりに国際人として無自覚なところが目立つ。いまの日本は、かつての“勢いがあった日本”ではないのだ。国際機関とか、海外において働く人たちは、無自覚な人種差別が“もっとも人を傷つける”ということを意識して、これからの世界に向き合っていかなければならない。
2022-08-30
今から20年ほど前に投資家としてマスコミの注目を浴びていた村上世彰氏。昨日、ニュースとして報道されたのは、その村上世彰氏ではなく“次女”村上玲氏の方だった。「村上財団パブリックリーダー塾」の理事長として、女性政治家の少ない「日本」に“危機感”を持ち、少しでも女性政治家を育成する形の“政治塾”を立ち上げたことを発表した。確かに日本には女性政治家が育たない。仮に育っても、マスコミや世間が“その足を引っ張り”続けている。例えばタレントの生稲晃子氏が参議院に立った時でも、まだ開票前の段階から“批判の嵐”だった。もちろん彼女の方にも、政治家になろうというには、多少、勉強不足気味な点はあった。けれども、そんなことを言ったら、現在タレントとして活躍している杉村太蔵氏だって似たようなものである。どんな分野であろうと最初から“その道の達人”は居ない。わたしだって、もう“占い師”を名乗って40年以上になるが、最初はひどいものだった。みんな最初から優秀ではない。やはり「日本」には女性が“政治世界”に躍り出ていくことを許さないような風潮がある。本当は「国家としての日本」が女性政治家を育成していくのが良いのだが、事実上、そういう予算はおいそれと組めそうにない。したがって「村上財団」のような“お金が余っているところ”が「政治塾」として女性政治家を支援していこうというのは大変喜ばしい。けれども、その個々の政治志望者に対しての支援金というのが、あまりに少なすぎる。ひとり100万円だというのだ。これで「資金的にも応援していきます」と言われても、正直、首をかしげざるを得ない。これでは選挙に立候補するとき必要な許託金にも足りない。政治家になるには金が掛かるのだ。せっかく「女性政治家を育てよう」という趣旨であるなら、少なくとも一人に対して500万円くらいは用意しなければ「村上財団」が泣く。何千億円の資金も、すぐに調達できる、と話していた村上世彰氏ではなかったか。「お金配りおじさん」と違って、女性政治家の育成といっても、実質的には100名も育てられれば良いところだろう。どう考えても、金額が少ない。もし、ほんとうに“みみっちぃ財団”なら、大げさな記者会見を開かなくても……。
2022-08-29
地球は丸いので、気まぐれな大自然との“お付き合い”も、それぞれに違っている。一見、正反対に思える“洪水”と“干ばつ”だが、ほぼ同時に“地球人”へと襲い掛かっている。まず洪水の方だが、インドに近いパキスタンの南部では6月半ば以降ずっと雨が続いていて、各所で洪水が発生し、3000万人にその被害が及んでいる。既に900人以上もの人々が豪雨被害で亡くなっている。特に南部シンド州の被害が大きく、被災者の多くは路上にテントを張って暮らしている。同じようにアフリカのスーダンでも異常なほどの豪雨に見舞われ、6つの州に対して非常事態宣言が出されている。洪水により現在まで79人の死亡が確認された。その一方でイタリアでは猛暑と干ばつが続き、本来は川底にあるはずの大砲や不発弾が露出している。中国各地でも猛暑と干ばつは続いていて、四川省、江西省、貴州省などの干ばつが深刻さを増している。連日40度以上の熱波と干ばつに人間だけでなく、農作物も干し上がっていて、その被害の大きさが、世界の食糧事情にも影響を与えるのではないかと心配されている。この数年“巨大な生命体”としての「地球」環境は何かが狂い始めている。これまで人類が生きていくのに相応しい環境を提供してくれていた「地球号」だが、もはや“天使”から“悪魔”にすり替わってしまったかのように、われわれ人類にさまざまな試練や課題を与え続けている。俗にいう「地球温暖化」とか「環境資源」とかの問題ではなくって、もっと根本的な“問い掛け”があるような気がする。もしかすると、コロナが世界中に蔓延し始めた頃から、巨大な生命体としての「地球」は“見返りを求めない優しさ”の顔から、次々と不条理な難題を突き付ける“冷酷非情な悪魔”へと姿を変えてしまったのか。われわれはそれに気付かず、昔のままいつまでも“優しい天使”で居てくれるものと勝手に妄想していたのではないのか。いったん制御を失った「地球号」は歯止めが利かなくなっていて、後戻りできないところまで来ているような気がして、私にはそれが怖いのだ。
2022-08-28
マスコミは“世の中”に派手なメイクのryuchell(りゅうちえる)という人物が出て来たとき「平成型の新しい男子」として“異色タレント枠”で彼を迎え入れた。その“相棒”のような存在としてモデルのpeco(ぺこ)も受け入れていった。いつの間にか、この“異色ペア”は子供たちや同世代からの人気を得て、一時的にはバラエティー番組を席巻した。けれども、人気というのは移ろいやすい。“異色”だから受け入れて来たTV業界は、やがてryuchellが“まともな会話や反応”をし始めたことで、徐々に排除するようになる。こうして、ryuchellとpecoとが“結婚した”というニュースも、“出産した”というニュースも、ネット上で流れただけで“世間を騒がす”ニュースではなくなっていた。多くの人々からタレントryuchellはもはや“過去の人”となった。そういう中で8月25日、ryuchellとpecoとは「夫婦関係を解消した」とSNS上で公表した。その理由は判然としていなくて、ryuchellの言葉によれば「ほんとうの自分」と「世間的ryuchell」との間で“溝が大きくなった”からであるとしている。解かり難い表現だ。もっと単純に「男や夫や父親で居られなくなったから」といえば良いのに……。「平成型の新しい男子」は“令和の時代”まで持ち越すことが出来なかったということだろう。一般の人たちにとって、解かり難いのは、この二人が「夫婦関係を解消した」と宣言しながら、これからも一緒に暮らし続けるとか、家族として子供を守っていく、とか言っていることだ。これらの表現は、普通に「男として生きようと思ったのに出来なくなった」と告白していたなら受け入れてもらえるのに、回りくどい表現を用いるからかえって誤解を与える。何のための“離婚なのか、”何のための“同居なのか”ということになる。もう「普通の男」として、或いは「普通の夫」として、生きられないから夫婦関係を解消し、同時に「父親」でもなくなるが、但し「家族であること」は継続したいから、このようなカタチで行く、と公表すれば誰も誤解をしなかったし、その後を応援してくれる人たちも出て来るに違いない。理解されたくて告白したのに、その告白自体が中途半端だったため、かえって「理解しにくい人」になってしまった。
2022-08-27
われわれはともすれば自国のことだけに捉われがちである。今年に入っての“我が国”は、急速に“食品類などの一斉値上げ”が始まった。私はこのコラムでも前から言っていたことだが、いったん“値上げ”方向に舵が切られる場合、日本の場合には右倣えで“一斉値上げ”となる。これまで“値下げ”に慣れきっていた日本では、まだ始まったばかりでしかない“一斉値上げ”にうろたえている。ところが、インフレの加速は「日本」だけの問題ではない。とりわけ深刻なのは欧州だ。ドイツ、イタリア、スペイン、フランス……と、どこもエネルギー価格の急上昇に頭を悩ませている。とりわけドイツは深刻だ。ところが、もっと深刻に受け止めなければならない国がある。お隣の「韓国」だ。実は「円安」の陰に隠れて、あまり大きく報道されないが、ここに来て急速に「ウォン安」が進んでいるのだ。しかも、韓国が日本と異なるのは「利上げ」を行っていることだ。それも“2か月連続”で行っている。そうするとどうなるかというと、間違いなく物価が上昇するのだ。何もしなくても資源の高騰で“物価上昇中”なのに、政策金利を上げ続ければ、間違いなく市場は混乱し「インフレ」が加速する。しかも貿易赤字で急速なウォン安を伴っているので、日本以上に韓国経済は“危ない橋”を渡り始めている。まだまだ「ウォン安」は続きそうなので、物価は上がるけど貨幣価値は下がっていくという現象は加速しそうなのだ。しかも、どちらかといえば“世界の眼”は「円安」の方に向けられていて「ウォン安」の方には向けられていない。韓国経済のかじ取り役である中央銀行の“利上げ”はインフレを加速させるので、歯止めがかからず救いようがない。日本の場合には、まだ“金利が据え置かれている”ので極端な現象にはならないのだ。もちろん日本だって、一斉値上げでピンチではあるのだが、それ以上に“大ピンチ”に衝突し始めているのが「韓国」なのだ。しかも、この事実を日本と対比しながら「中国」の新聞が“冷静に伝えている”ことが、私にはいっそう不気味な感じがする。
2022-08-26
どことなく風貌的に“似ているような”“似ていないような”……「車寅次郎」と「松井一郎」。そんな気がするのは私だけであろうか。松井氏は以前から任期切れとなる来年の春で大阪市長を辞め、同時に「日本維新の会」の役職からも身を引き「政界から引退する」と断言していた。何しろ、維新の会は橋下徹氏と“二人で結成した”ような政治団体である。その橋下氏が先に政治家から身を引き、今度は同じように松井氏が身を引く。昨日は、改めて「維新の会の党員も辞める」とまで強調した。これほどの“潔さ”は、歌手の安室奈美恵氏の引退と似ている。ただ安室奈美恵氏と違うのは、その法令線のクッキリ度合いである。実は安室氏も“若い頃”には法令線がクッキリとしていた。おそらく美容整形によって“法令線”を消したのだと思う。法令線が無くなれば、仕事に対しての想いは自然に薄らいでいく。だから、安室氏は見事なまでに“姿を消した”のである。そうしておそらく、現在でも、そのことに対しては、なんの後悔もしていないことだろう。ただ松井氏の場合は、当たり前だが法令線を消してはいない。人一倍クッキリとした法令線の持ち主なのだ。こういう人は、そう簡単に“仕事から離れられる”人ではない。もしも、彼が何かの事業や商売を開始すれば別なのだが、そうでなければ必ず何らかの形で“政治世界”に引っ張り出されることだろう。もし、彼が本当に「離れたい」気持ちが強いのなら、何らかの趣味的な要素ある事業・商売をすぐに開始することだ。仮にそれが“道楽半分”に始めたとしても、必ずそれは“大きく”成長して繫栄していくことになるだろう。法令線がクッキリしている人は、根本的に“遊び暮らす”ことなど出来ない人なのだ。しかも、彼の場合は眉間が広く、眉尻が下がっている。こういう相は必ず部下・後輩の面倒見がよく、その世話事などを引き受ける。つまり情に厚く、すぐ誰かを助けようとして、厄介ごとに巻込まれていく……映画の「寅さん」と同様なのだ。だから私は、彼が政界以外の場所で「寅さん」的に、いつの間にかさまざまな問題に巻き込まれながら、世話事を引き受け、その解決に一役買うような“そういう存在”として、第二の人生を歩んでほしいと願っている。
2022-08-25
“過去最高”という表現は、悦ばしいこともあるが、もの悲しいこともある。2020年の「離婚統計」によると、これまで20年以上同居生活を送っていた夫婦が離婚する確率、つまり「熟年離婚」が過去最高の21.5%に達したらしい。この比率は30年前の1.5倍にあたる。明らかに熟年離婚が増えてきているのだ。もちろん、これは昔に比べて世の中が“離婚”というものに対して「寛容になった」ことも影響している。つまり離婚したからといって、その人が世間から“白い眼”で視られたり、責められたりするケースが無くなったからともいえる。また専業主婦の離婚に対する社会福祉的な制度が、それだけ整ってきたからだともいえる。したがって一概に単純計算で1.5倍に増えたことが問題であるとは言えないのだ。そうは思うのだが、それでもやっぱり、20年以上も一緒に暮らしながら、齢を取って別れるのは、何かしら“うら寂しい”ものを、私は感じる。よく「性格の違い」とか「価値観の違い」とか言うが、そんなことは最初の1~2年もすればわかることであって、20年も一緒に居ないと解らないようなことではない。日本の場合“子供が成人するまで”というのが、一つのメドになっているのかもしれないが、そのためだけに20年も“仮面夫婦”を続けるのは容易ではない。或いは“退職金”の問題とか、“年金支給”の問題とか、“親の介護問題”とか、さまざまな理由が「性格の不一致」や「価値観の違い」の前に来ているのかもしれない。これが、もっと異なる理由から、つまり「新たな恋人が出来た」とか「自由に一人暮らしを満喫したい」とか「趣味の世界に没頭したい」とか……そういう“前向きな理由”から離婚するのであれば、或る意味で“明るい未来”があるようで良いと思うのだが…。どうも“現実逃避的な理由”からの離婚が多いようで、その点が寂しく感じられる。むしろ全体的には「3組に1組は離婚」という比率からすれば、合わなければ“早期に離婚して”新たなる第一歩を歩みだす方が、建設的な未来の築き方といえるのではないだろうか。
2022-08-24
社会的な地位や名誉を手に入れ、実力も人気もあって、それでも“手に入れることが出来ない”場合があるのが“プライベートの倖せ=恋人・配偶者”だ。というわけで、製造業を営む御曹司との破局報道が流れたフリーアナ有働由美子氏への直撃取材から出て来た「2%の可能性」という言葉。つまり彼女自身が、今後、自分が結婚する可能性について、そのように見立てているのだ。今回の相手とは8年間の交際が実らなかっただけに、みずからに対して自信を失っているのかもしれない。何しろ、彼女は過去に80回もの“お見合い経験”を持っているらしい。“お見合い”というのは、回数が多くなるほど“成立する確率”は低くなる。択びすぎると、何が何だかわからなくなってきてしまうのだ。「結婚」は“縁もの”なので、“条件”にこだわったら成立しなくなる。自分が“縁”を感じて、何となく“一緒に居る”ことに違和感を感じなかったなら、その相手とは“縁”がある。一緒に居て、妙に疲れてしまうとか、話すことがないとか、いつまでも緊張感が抜けないとか、黙っていることが苦痛だとか……そういう相手とは本質的に合わない。お互いに黙っていても、それはそれで嫌ではなく苦痛を感じない、というのが重要で、沈黙に苦痛を感じてしまう相手とは長続きできない。他には“飲食物の好み”と“ファッションの好み”に共通性のあることも大切で、これらがクリアされていれば、基本的にその相手とは長続きできる。もっとも、恋愛・結婚は“相性”だけで決まるものではない。恋愛・結婚に対しては、誰でも“先天運”というものが作用する。例えば有働氏の場合、四柱命式上で年・月に「傷官・劫財」と並んでいる。これが良くない。傷官は“夫を剋す星”であり、劫財は“妻を剋す星”である。その両方が出ている。したがって、じっくり付き合ったなら“結婚”は遠くなる。慎重に見極めたいのかもしれないが、元々の運に支障がある場合はタイミングが重要なのだ。“良い時”を逃すとなかなか次が巡って来ない。ホロスコープの方でも、彼女の場合、出生時の時点で、恋愛・結婚に最も関係が深い金星は土星と0度一体化で結びついている。こういう場合、相手が年長者とか困窮者とか病者とかとかであれば持続的に愛情を注げるが、そうでない場合には“徐々に冷たい愛情”となる。或いは“義務的な愛情”となる。だから相手が何らかの持病を持っているような場合なら、いつまでも献身的に愛を捧げられるが、そうでなかったなら最初の頃の愛情を持続するのは困難なのだ。そして、その愛情は“仕事の方”に向けられることになる。そういう意味で言うなら、彼女自身の言った「2%の可能性」は占い師以上に的確な判断なのだった。
2022-08-23
岸田内閣が「だいじょぶだ教」じゃなかった「旧統一教会」に関わった自民党議員が多数発生していたことで、その支持率が急落している。大衆の気持ちは移ろいやすい。特に大衆の“エセ正義感”というやつは、人の評価を一変させる。ここに来て“自民党”とか“岸田内閣”とかを“攻撃している人達”は、自分たちが“お門違いの安倍元総理”を狙撃した人物と、ほぼ同様な発想や行動をしていることに気付かないのであろうか。旧統一教会の教祖や教団は韓国で“狙撃”出来なさそうだから、その代わりとして岸田内閣や自民党議員を追い詰めていこう、とでも叫んでいるように聴こえる。なんの宗教であれ、得票してくれそうな宗教に対して“尾っぽを振る”のは、大昔から政治家たちが行ってきたことで、古今東西、それを行わなかった政治家はいない。というか、それを行わなかった政治家や政党は、そういうところからの得票を最初から期待できない“主義思想”の政治家や政党だからである。もちろん、本来は良くないことをしがちな団体に“尾っぽを振る”のは良くない。だが「暴力団」などと違って、宗教団体というのは100%悪の団体はない。少なくとも表面上は“善いことを謳っている”部分を持っている。だから、その部分に対して“尾を振る”のだ。例えば私の場合、旧統一教会とは“接点がない”ので関わりようもないが、キリスト教、イスラム教、仏教、神道……それ以外のもろもろの宗教、それらすべてに対して“敬虔な祈り”を捧げている。まあ、全体を合わせて言えば「だいじょぶだ教」とでも言えるだろうか。日本中に「だいじょぶだ教」を広めた志村けん氏は、その教祖と言っても好い。わたしは彼の教えを守り、死ぬまで「だいじょぶだ教」の信者として、世の中に広めていかなければならない使命を持っている。「だいじょぶだ教」の教義は簡単で、世の中すべて「だいじょぶだ‼」と三回唱えて太鼓を打てば、だいじょぶになる…というものだ。ところが世の多くの人は恥ずかしがって、なかなかこれをやらない。下腹部に力を込めて「だいじょぶだ‼」と叫び、太鼓を三度打たなければならない。そしてまた「だいじょぶだ‼」と叫ばなければならない。恥ずかしいという人は、私が代わりにやってあげるので、身代わり料として“いくばくかの礼金”を包まなければならない……。
2022-08-22
夜の11時半過ぎと言えば、通常は幼い子供の外出時間ではない。だからコインパーキングの駐車場に止めてあった車の中に“子供達だけ”の姿を見掛ければ、警察に通報するのが普通の人としての反応だろう。そして警察の方も、その車をコインパーキングから発見し、中に居る子供たちを無事保護して、大人が同乗していないことを不審がった。やがて帰ってきた大人は、子供達を車内に置き去りにしたことを認めたので即刻「保護責任者遺棄」として逮捕となった。この事件で私が注目するのは、この4歳と7か月の幼い子供たちというのが、実は彼自身の児ではなく、同棲している内縁の妻の“連れ子”であった。逮捕された容疑者は28歳で無職。どう見ても“連れ子の父親役”として相応しいとは言えなかった。ただ内縁の妻との4人暮らしで“夫”が無職の場合、当然、妻の方が“食べさせるカタチ”となる。真夜中であろうと夫に子供を預けて置いて働かなければならない。もし夫の方が“そういうカタチ”に満足し、子育てを負担に感じない人物なら、問題は起きなかったのだ。ところが、元々自分の児ではなく、あまり懐いていなかったせいもあり、容疑者にはストレスが溜まっていたに違いない。子ども達を車内に置き去りにして「ウォーキングしていた」と供述しているが、一人の時間を愉しみたかったのではないだろうか。近年、この種の事件が多い。“子連れの女性”と同棲する場合、どうしても“不慣れな子育て”を手伝わなければならない。今回の場合は特に男性側が無職で、女性側が“夜の仕事”なのだから、男性でも子供の面倒をみるのは必然となる。やはり、本能的に“乳幼児の子育て”というのは女性に適わない。最近になって“一緒に暮らし始めている”場合、出産時から居るのとは違って“7か月の男児”を上手く扱うのは容易ではない。それでも、例え籍が入っていなくても「保護者責任者遺棄」は適用される。泣かれるのは厄介だから「駐車場に来ていた」では通用しないのだ。もしかすると女性の方は、子供をあてがうことで“浮気防止”も兼ねて一石二鳥と考えたかもしれないが、意外なところに“落とし穴”が潜んでいたことを気付くべきだった。
2022-08-21
どうも最近、クマは“人間世界”に興味を持っているらしい。昔であれば、野生のクマは決して人間に近づかなかった。人間の方も、そういうクマを尊重して、遠くから見守った。ところが、いつの頃からか、クマは“人間世界”に興味を抱くように変わった。どうしてかというと馴れて来たからだ。そうでなければ国道のど真ん中に座り込んだりしない。ど真ん中に座り込まれると、どちらの方からも“通り抜け”できない。そういう形で、帰省先の羅臼町から札幌に向かっていた会社員の吉田綾乃さん(30歳)は車を停止するしかなかった。対向車線からも一台の車がやって来た。もちろん、同じようにクマの手前で停止させた。ただ急停止に近かったので、クマがそれに反応した。その車の方に近づくと、タイヤを触ったり、蹴飛ばしたりする。やがて立ち上がるとミラーを掴んで車体の上に乗っかろうとした。だが滑って上手く乗っかれない。そうすると今度は窓越しに運転手を窺った。ドライバーの若い男性が凍り付いた表情で固まっている。この付近では、最近、クマの出没が多く、ドライバーたちに注意を呼び掛けている。絶対に窓とかドアとか開けてはならない。吉田さんは夢中で動画撮影を行った。結果的に、クマが立ち上がって車内を覗き込む場面を撮影できたのだ。そのあとも車内から無視されたことで、獲物に有り付けないと悟ったクマは、ようやくその車から引き下がっていった。したがって実質的な被害は出なかった場面だが、もし窓など開けていたなら、どうなったかわからない。今回の事件は知床付近だが、大都会の札幌でも近年は住宅街でクマに出くわすことが多くなっている。地球環境の変化で、野生動物の領域に変化が出て来ている。もう一つはクマ自体の数が増えていることだ。猟友会の人たちも許可を取らないと撃ち殺すことが出来ない。ばったり出遭って“許可”もへったくれもあったものではない。先日は果樹園が荒らされた。間違いなく、クマは“人間世界”に興味を持ち始めている。今回のクマも、もしかしたら誰かが窓から食べ物を放り投げて走り去り、それに味をしめたのかもしれないのだ。動物園ではないのだから、エサなど与えてはならない。テディーベアではないので可愛くもないクマに、ストーカーのように付き纏われたなら、生きた心地がしないではないか。
2022-08-20
北欧は総じて女性たちの“社会的地位”が高い。したがって女性首相が誕生しやすい土壌を持っている。2019年に34歳の若さで“世界最年少首相”となったフィンランドのサンナ・マリン首相が“私的パーティー”の席上で激しく歌い踊る動画姿がSNS上で拡散され、ネット上での賛否が分かれ、世界中から注目を浴びている。私的パーティーであるから、激しく踊ろうが歌おうが酒を飲もうが自由なはずであるが、その動画の中では薬物を意味する隠語が使われ“首相の品位”という面では多少、疑問符が付く。元々この政権は安泰なものではなく“5つの政党”による連立内閣で、野党にとっては“格好の攻撃材料”と視れないこともない。フィンランドはロシアに近く、現在、欧州全体が抱える経済問題に直面していて、首相が踊り狂っていられるほど、安泰な状況ではない。野党の要求もあって、首相自身は“薬物検査”を受けた。そして私的パーティーでの動画を拡散されたことに憤慨している。もし、同じようなことが日本で起きたなら、どうなのだろう。同じように賛否が分かれるだろうか。私の印象では間違いなく糾弾される。多分、そういう“隠語”が飛び交う妖しいパーティーに政治家が出席したこと自体が糾弾の対象となる。いまだって旧統一教会系の関連行事などに多少なりとも関わった…というだけで、マスコミや野党から執拗な攻撃を受けている。政治家がさまざまな団体に関わるのは得票を得たいからで、その思想主義に賛同しているからではない。そんなことは同じ政治家として解かり切っているのに“正義の使者”でもあるかのように攻撃をする。まあ、そういう日本に比べれば“賛否が偏らない”ことだけでもフィンランドは“公・私”を分けて捉えている、ということだろう。マリン首相は“若く”“女性”であること以外でも、シングルマザーの家庭で育ち、初めて大学教育を受けた子供でもあったという。日本の政治家の多くは、家系的にも身内から政治家を輩出している。なんの背景もなくても、30代半ばで首相になれる国、それ自体が或る意味では「自由で民主的な国」と言えるかもしれない。
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