9月, 2022年

「離婚」と表現する妻、しない夫が事実婚解消

2022-09-28
「おとこ」と「おんな」は、いろいろな意味で違っている。最近は“同じように扱う”風潮が顕著だが、違うものはやっぱり違うのだから、ムリに“同等”に扱いすぎると違和感だけが残る。人気ブロガーのはあちゅう氏と、AV男優のしみけん氏が「事実婚を解消した」と共に公表している。二人は2018年7月に“事実婚の手続き”を役所で行って公表していた。その後、2019年9月には第一子も誕生している。そういう意味では“事実婚”といっても、通常の結婚と変わらない。違っていたのは“未入籍のままで出産している”という事実くらいか。それから3年目で事実婚が解消となった。第一子である男児は母親がそのまま引き取り、別居しての新生活となった。母親である“はあちゅう氏”は「離婚のご報告」という形で自分が息子と一緒に暮らしていくことを宣言。それに対して“しみけん氏”の方は「ぼくの口からは“離婚”という言葉は使いません」という言い方で、未練を残しながらの“離婚同意”であったことを窺わせる。ハッキリ言えば、妻側が夫を突き放し、夫としては“応じたくない気持ち”ながらも“応じざるを得ない事情”あっての離婚劇のようである。しみけん氏はAV男優という特殊な仕事柄、女性との関係は仕事上で常にあるわけだが、もしかしてそれが“仕事外にも及んだ”ことによって“妻の逆鱗に触れた”可能性がある。もっとも“子供との関係性”に対しては双方とも「今後も同一」としているので、別居は妻側の“潔癖性の表れ”と視ることが出来る。世間的にはどうあれ、妻の“はあちゅう氏”にとっては“仕事での行為”と“仕事外の行為”とは、同じ行為であっても“ぜんぜん別個”という捉え方なのだろう。その微妙な認識の仕方を、しみけん氏は“やや軽く”捉えて居たような気がする。おそらく“はあちゅう氏”は、こういう仕事だからこそ「その境界線は重要」と考えていたに違いない。果たして、その第一子である息子は将来、その境界線を守れる男児になっていくだろうか。

今に「スマホを持っていない自由」の時代が…

2022-09-27
「時代」というものは“若者”がつくるのだろうか。それとも“中高年”がつくるのだろうか。もし、あなたが“若者がつくる”と思うなら、やがて“便利さを嫌う時代”がやって来るだろうことを知っておく方がよい。実は社会人の実態調査で、スマホなどの携帯電話を所有している人の割合が99.1%であったことが判明した。まあ、当然と言えば当然の結果なのだが、ここで見逃してはならないのが0.9%の人たちは社会人でもスマホなどの携帯電話を所有していない、という事実なのだ。しかも、彼らは今後も「所有する気はない」という人が圧倒的に多いのだ。そして、いちばん重要なのは、そういう人達のほとんどが“20代の若者”であるという点なのだ。したがって、もしも“流行”と呼ばれるものが「若者たちから始まる」のであれば、この数値は今後に対して示唆的である。つまり、いまは“ほとんどの人たち”がスマホなどの携帯電話を持って外出しているが、やがて“そういう風にはならない人達”が徐々に増えていく可能性がある、ということなのだ。さて、持っていない理由についてだが「本体価格が高すぎる」という理由とともに「PCで十分間に合っている」という人たちも多い。実は、私自身、パソコンは私用するが、スマホなどの携帯電話は持っていない。昔は持っていたのだが、8年ほど前に止めてから一切持たなくなった。まあ私の場合には自宅で仕事をすることがほとんどで、外出自体がそれほど多いわけではない。それに、昔から外出時に携帯を持って出ていても、電話には出たがらなかった。だから最初から持たない方が“自由で良い”のだ。この考え方は、実は“20代で所有しない人達”と妙に共通している。彼らこそ“スマホ世代”で、それなしの暮らしなど考えられないように生きてきたはずだが、それが逆に“必需品”としての重要性を感じなくなっている部分があるような気がする。どうしても必要な時には、一緒に居る“誰か”に借りれば良い、という感覚だ。そうでなければ「今後も所有する気がない」と答えるはずがない。現在はまだ“0.9%”だが、これを侮ってはならない。昔、70年代から80年代にかけて、日本の若者たちにとっては“自家用車の所有”はステイタスの象徴で、だれもが憧れた。けれども今、20代の若者たちで同じような感覚を持つ人がどれだけいるだろうか。もはや「車」は“憧れ”の象徴ではない。同じように「もうスマホは必要ない」と考える若者たちが徐々に増えていく時代が、もうそこまでやって来ている。

政治家よりプロレスラーが似合う「奥野卓志」

2022-09-26
格闘技イベント「RIZIN」で、選手として試合そのものには出ていないのに注目を集めた人物がいる。それが“花束贈呈役”としてリング上に登場した奥野卓志氏である。彼は試合前のセレモニーとして、招待選手に対して“花束贈呈”を務める人物の一人としてリング上に登場した。ここまでは“格闘技の試合”ではよくある光景だ。この試合における招待選手はフロイド・メイウェザー選手でアメリカのプロボクシング選手だ。その対戦相手は格闘家として人気のある朝倉未来選手だった。通常、花束贈呈は形式的なものだが、その試合に対して文字通り“花を添える”ような女性が手渡すことが多いのだが、今回の場合には何故か奥野卓志氏となっていた。ところが、奥野氏はなぜかメイウェザー選手に対して“花束を手渡す”どころか、相手の眼の前で“花束を投げ捨てた”のだ。一瞬、あっけにとられたメイウェザー選手だが、感情に走ることなく、その花束を丁寧に拾い上げた。当然のことながら、試合前から会場は騒然となった。私は、その時の映像を後から観て、昔のプロレス興行を想い出していた。よく、悪役レスラーが花束を受け取ると同時に、その花束を相手選手に投げつけたり、受取そのものを拒否したり、手渡そうとする女性に襲い掛かろうとしたり……さまざまなハプニングが起こったものだ。だが、それらはすべて“花束を受け取る側”の行為だった。常識的に考えても“花束を手渡す側”が、その花束を投げ捨てるのは、パフォーマンスとしても面白いとは言えない。奥野氏とはいったい、何者なのか。調べたところに寄ると14の会社を経営する実業家で政治団体「ごぼうの党」の党首でもあるらしい。前回の参議院選の直前に結成された。なぜか結成イベントにはボブ・サップやピーターアーツなどの格闘家が応援に来ていた。日本の政治団体なのに、奇妙な格闘家たちが応援をしていたのだ。いや、実際には支持者として山田孝之、Taka、GACKT、朝倉未来…などもいる。不可思議なメンバーが応援している政治団体なのだ。それでは「ごぼうの党」とは、どういう政策を掲げた党なのかといえば“若者支援”や“文化芸能の支援”をメインにしている。だから格闘技団体を支援していたとしても無理はないのだ。メイウェザー選手はRIZINのイベントに遅れて現れたという。それに対しての“怒り”だったという説もある。何にしろ、こういう「あばれたい人」は“花束贈呈役”ではなく、覆面を被ったプロレスラーとしてリングに登場するのが相応しい。

イタリア「女性首相誕生」は、国をどう変える

2022-09-25
実は今日、混乱の欧州、中でも混乱が激しいイタリアで、注目の総選挙が行われる。それによってイタリア初の女性首相が誕生するのではないかと言われている。そして、多分、実際に誕生するはずだ。首相の名はジョルジャ・メローニ氏45歳だ。「イタリアの同胞」という右派政党の党首だ。一応「中道右派連盟」の政党の一つとなっている。そして、その連合政党の支持率が現在46.5%に上昇している。だから、これがそのまま投票率に繋がれば、その中心政党である「イタリアの同胞」党首であるメローニ氏がそのまま首相となる予定だ。この「イタリアの同胞」は、これまでの“ドラキ政権”下において唯一同盟を避け、真正面から“野党”に廻っていた政党だ。ところが、最初はあまり支持されていなかった。ところが、ロシアのウクライナ侵攻で欧州全体の経済が揺らぎ始めた。元々、経済的にはぜい弱なところのあるイタリアは一気に苦境へと落ち込んだ。わが日本国も経済は苦しいが、もっともっと庶民が苦しんでいるのがイタリアなのだ。そういう国は、どうしても政権が不安定になる。今年7月とうとう“ドラギ政権”にほころびが出て、今日25日に前倒し総選挙となった。その結果、最初からドラギ政権を批判していた「イタリアの同胞」が俄然、脚光を浴びたというわけだ。この女性首相だが、決して急ごしらえで出てきた人物ではない。現在45歳だが、何んと15歳の時から政治活動をしている。この道30年のベテラン政治家なのだ。昔(⁉)は“極右のアイドル”と呼ばれた。いちばんの主張は「反移民」で、ここに来て“その主張”が国民にも受け入れられつつある。元々広く知られた人物なので、2008年には閣僚にもなっている。そういう意味では急に支持を拡大したからといって、イタリア初の女性首相になったからといって、動じるようなところがある人物には思えない。国民の中には「この日を待っていた」という支持者も多い。ただ問題は彼女が、元々は“プーチンの支持者”でもあったことだ。現在は、それに対しては“過去のこと”と封印しているが、果たしてどこまで封印できるのだろう。

「土星環」もあり「海王星環」も手相にはある

2022-09-24
ジェームズ・ウェップ宇宙望遠鏡が「環」を備えている海王星の画像を捉えたとしてNASAが公開している。1989年にボイジャー2号からの報告で、天王星や海王星にも「環がある」ということは知られていたが、完全な形で画像として捉えたのは今回が初めてである。海王星自体も独特な画像となっていて、これまで一般に知られた海王星画像とは何となく異なる。それにしても、土星だけではなく、海王星も「環」を持っていたことが改めて証明された形だ。私は以前から“西洋式手相術”では「惑星線」や「惑星環」の名称を用いて、手相を教えている。われわれの“てのひら”には太陽系宇宙からのメッセージが刻まれていく、という捉え方なのだ。私だけでなく、多くの手相家は“てのひら”に太陽系宇宙を当てはめ「金星丘」とか「太陽丘」とかの名称を使っている。「丘」だけでなく掌線にも「太陽線」や「水星線」や「火星線」などの名称を当てはめている。さらに「金星環」や「土星環」「木星環」のように「惑星環」の名称も早くから使っている。特に私の場合には“てのひら”と宇宙との関係を最初から重要視している。そこで「海王星環」だが、私の場合、一般に「月丘(太陰丘)」と呼ばれているところは、事実上「海王星丘」を兼ねていると観ていて、それゆえに「太陰環」=「海王星環」に見立てている。この海王星環は微妙で、丁度、太陰丘(海王星丘)を切り取るかのように“弧を描いて刻まれる線”で、海王星環だけでなく、惑星環はどれも楕円形の弧を描くことが特徴で、だからこそ「惑星環」なのだ。惑星環に共通しているのは、感受性が鋭く、幻想的な性質を持っていて、時にその“幻想世界(或いは逃避世界)”に溺れていく傾向を持っていて、徐々に現実を正視できなくなっていく。例えば“アルコール中毒”や“麻薬中毒”などで、実生活から逃避するような暮らし方をしがちな傾向を持っている。特に、この海王星環の持ち主には、そういった傾向が顕著なのだ。海王星画像に写っている環は“美しい”が、手相に示されている海王星環には「妖しい人生の落とし穴」が潜んでいるから注意しなければならない。

「日本」から「日本人」が急速に消えていく⁉

2022-09-23
“円安”を阻止しようと24年ぶりの「円買い介入」が行われ、一時的にドル円相場は「1ドル=145円」から「1ドル=140円」まで跳ね上がった。けれども、真夜中になったら、また「1ドル=142円」まで戻っている。たぶん、これから“そういうこと”が繰り返されていくのに違いない。急激な“円安”は日本の家計に影響が大きい。日銀による「阻止しよう」という“行動”自体は、間違っているわけではない。ただ実質的に「効果があるのか」というと、その答えは「多分ない」。だからおそらく、これから何回も“日銀”と“海外ヘッジファンド”との攻防が始まる。おそらく双方の境界線は「1ドル=145円」で、そこまでやって来ると再び攻防が始まる。でも結局は何度目かに“押し切られてしまう”可能性が強い。ただ“押し切られる”のが少しだけ、先延ばしされるだけだ。つまり、遠からず「1ドル=150円」時代が来る。そうするとどうなるのかというと、一般的な日本人の家計的な負担が徐々に増していく。いまでもヒィヒィ言っているのに、これ以上は……という人たちが多い。つまり、一部の富裕層を別とすれば、日本人は相対的に徐々に貧しくなっていく。もっとも、今回の場合は欧州なども“似たような部分”があるので「日本」だけが貧しくなっていくわけではない。そういう点で、なぜかちょっとだけ“救われたような気分”になったりする。但し、少しだけ違う部分がある。外国人が日本にやって来て、ドルで“お買い物”をすると、妙に“安く”感じるのだ。だから“買い物のため”やって来る訪日客が増えてくる。「日本」はコロナ禍で閉ざしていた間に「買い物天国の国」に変わっていると気付くからだ。だから、訪日客は何となく“豊かな感じ”となって、現地人(日本人)は何となく“貧しい感じ”となって、その“違い”に何かしら“割り切れないもの”を感じるようになる。そこで、もしかしたら日本国内に居るから“貧しく感じるのではないか”と気付く。こうして、徐々に「日本脱出」を試みる人が多くなる。もちろん、最初は“富裕層”と呼ばれる人たちだ。やがて、それが“そうではない若い人たち”にも徐々に波及していく。特に“頭脳優秀な若者たち”が、それの先導者たちとなる。いつの間にか気が付けば、日本国内に残っているのは“もう動きようのない高齢者たち”とならないよう祈るばかりだ。

ブランド名だけ残し「生まれ変わる」新戦略⁉

2022-09-22
海外のファッションブランドが「日本」で勝利を収めるのは中々に難しい。実際、これまで多くのブランドが「日本」で戦いを挑んだが、その多くはすでに撤退している。実は今回、再挑戦を試みる「フォーエバー21」も、そういうブランドの一つだった。2009年に原宿1号店をオープンさせ、全国展開を試みたが2019年にはすべてが撤退している。日本での評判は良くなかった。それなのに、再び「日本」で挑戦しようというのだ。但し、今回は同じブランドではあるが、中身が違う。まず伊藤忠商事とアダストリアが手を結んで“日本展開”を行う。しかも「フォーエバー21」からの輸入品は2割にとどめるという。そして残りの8割はアダストリアが日本人向けとして“企画・製造”を行って商品化するという。実質フォーエバー21の看板を借りた“アダストリアのファッション”販売と言うことになる。元々「ファーストファッション」とは、ファーストフードのように“早くて安い”と言うことが“売り”のファッションということだが、日本人女性は欧米人のようにガサツではない。細かなところまで必ずチェックして商品を買う。そういう日本人女性にファーストファッションが好評価を得られるわけがない。だから、日本で売れなかったのは当然なのだ。そこで今度は「フォーエバー21」とはいうものの実質“アダストリアのファッション”で8割を占める。そのための交渉に2年間を費やしたという。ようやく販売元が折れたのだ。日本国内での戦略は、まず公式ウェブサイトを2023年2月に立ち上げ、通販の形からスタートする。おそらく、そこで反応を見ながら“どこに主軸を置くか”把握していこうというのだろう。実質店舗は春以降になってから大型商業施設に出店する戦略でいるようだ。しかも、これまでと違って20代だけでなく30代、40代と年齢層を広げていく予定なのだ。価格帯も4000円台を中心とする。決して安くはない。その代わり“良質なもの”を提供していく、というのがアダストリアの販売方式なのだ。とどのつまりは“ブランド名”だけは使わせてもらうが「その中身はぜんぜん違うよ」作戦とでも言おうか。もしかすると、これが出発点となって、続々と“この方式”を用いるブランドが進出して来るのではないだろうか。

52歳でも「アイドル衣裳全開」で突っ走る⁉

2022-09-21
人は、或る程度の年齢になると誰でも“恥ずかしさ”を知る。例えば女性の場合、極端に短いスカートとかは穿かなくなったりする。けれども、時々“そういう枠”を逸脱して、むしろ年齢逆行のような方へと走り出す人が居る。そういう感じで自らの「バースディーライブ」のアイドル衣裳をInstagramで公開しているのが歌手の渡辺美奈代氏だ。彼女は高校生の時に「おニャン子クラブの会員番号29」としてデビューした。だからもう35年間も“アイドル”を続けていることになる。どちらかというと、最近の方が何かを超越したように“アイドルらしさ”を、より強調している感じがする。そういう点では森高千里氏にも似た部分があるが、どちらかというと森高氏の場合は外見をキープし続けているだけで、精神的には“大人の女”に脱皮している。その点、この人は精神的にも“アイドルとしての幼さ”を卒業していない感じが好い。少なくとも、そういうふうに視えるのが好い。こんなことを言うと一部の人から叱られそうだが、アイドルというのはどこか“自分自身に酔っていなければ”出来ない職業で、或る意味では自分自身に酔えるから、アイドルを続けられるのだ、ともいえる。それが或る程度の年齢になって、自分のことを客観視できるようになって、自らの“限界”に不安を抱くようになる。そして大抵は“その頃”から人気が低迷していく。それが普通なのだ。けれども、その時期を超越してしまうと、或る種の“居直り的な気分”で、思いっきりアイドルを愉しむようになる。そう自分自身が“アイドルとしての自分”を客観的に愉しめるようになっていく。そうなればしめたもので、死ぬまで「アイドル」を続けることが出来る。しかも、悩まず続けることが出来る。どうやら渡辺美奈代氏は、その境地に達しつつあるような気がするのだ。だから全盛期の頃と同じようなファッションを愉しみながら行うことが出来る。それは或る意味で、自分自身を梨花ちゃん人形のように見立てて、その洋服選びをするような愉しさなのに違いない。そうでなければ、52歳のライブステージの衣裳を臆面もなく大々的に公開できない。

「日本」にとって「最良の時代」はいつなのか

2022-09-20
最近、自然災害の脅威を改めて感じることが多い。大昔から、人間は“自然災害”と闘い続けてきたはずだが、今もって“征服できた”とは言えず、むしろ古代人と同じく「命を優先して逃げてください」というのが精いっぱいでしかない。要するに“赤子の手をひねるような感じ”で敗れ続けている。つまり生命体としての「地球」や「大自然」にいくら戦いを挑んでも、永久に勝てない。そうであるなら、もう人類が歴史上の中で“進化してきた”という発想は無意味だし、止めにした方が良い。要するに、古代人そのまま「大自然の脅威に平伏しながら生きていく」ので良いのではないだろうか。そして、そういう何万年も続いた“人類の歴史”のなか客観的にみて、どの時代がもっとも輝いていたか、を見つけ出すようにする。そうして、その時代のごとくに“今を寄せていく”のが、再びわれわれが“輝きを取り戻す”上ではもっとも有効な気がする。そういう観点から“歴史・時代”というものを捉えなおすと「日本」においては、江戸時代がもっとも平和で、さまざまな文化や芸術が花開き、経済的にも豊かだった時代のような気がする。当時、京都や大阪の人口は約40万人、そして江戸は人口100万人で“世界の中でもっとも人口の多い街”だったのだ。つまり、われわれは「江戸時代」を手本として、文化や芸術や商売を行えばよい。そうすれば、再び“平和で豊かな国”を創り出すことが出来る。江戸時代といえば“鎖国時代”でもあったが、その結果、さまざまな面で“独自の文化・芸術”が花開くことになった。いまの日本で鎖国をすることは出来ないが、訪日客の数をこれからも或る程度は制限した方が“本来のJAPAN”の姿は保つことが出来るのかもしれない。特に芸術・文化・科学技術の面で、今後は“日本固有のもの”に徹していった方が、かえって“価値あるもの”が生まれて来そうな気がしてならない。或る意味で、世界から来るものを“何の選別もなしに受け入れすぎ”て独自性を失い、あらゆる世界からの影響に染まっていったことが、日本固有の優れた文化・芸術・科学技術などが衰退していった最大の原因があるのかもしれない。

「長老の国→JAPAN」の“お手本”を示すべき⁉

2022-09-19
三連休って、いったい何の日だろう、と思ったら「敬老の日」だった。それで私には“敬老”に値する人物がいるだろうか……と考えた。父母などはすでに亡くなり、身内、親戚でも“敬老”に属するような人物は思い当たらない。というよりも、もはや自分自身が“老人”なのであって、むしろ“敬老されるべき”年齢に達していた。総務相の統計によると、現在、日本には65歳以上の老人が3627万人いるそうだ。これは総人口の29%で、世界200か国の中で“もっとも高い”そうだ。何となく“高い”ということは知っていたが、もっとも高い国だとは知らなかった。なんでも“世界一”なら良いか……微妙ではある。どおりで昼間に街を歩くと、高齢者の姿ばかりが目に付く。自分だって高齢者なのだが、そういう時には自分は“別個の存在”のよう捉えがちなもので、若い人や子供たちの姿をみるとホッとしたりする。やはり、子供達の声とか動きには、或る種の“活き活きとした生命力”というものがあって、だから“子供たちの多い地域”には生命力がみなぎっているような錯覚を覚える。その逆に、高齢者の多い場所には、或る種の“落ち着き”は感じられるのだが、同時に“倦怠感”とか“衰退性”のようなものも感じることがあり、妙な不安感が生まれたりする。この独特な「気」のようなものは、どこから生まれてくるのだろう。特にそういうものを感じるのはデパートで、買い物をしている人達にも高齢の人たちが多いが、その接客をしている人達にも、高齢の人が意外なほど多い。しかも、その高齢の人の方が“客捌き”も上手い。さらに唯一ほかの場所に比べて元気が良い。あれこれとよく気が付く。気を遣った細やかなサービスというのが、日本人の接客サービスの特徴だが、そういう点で日本のデパートでは高齢の店員さんの方が気配りが行き届いている場合が多い。もしかすると、多くの高齢者の相手をすることで、さまざまな点での気配りが要求され、それが自然に“活き活きとした生命力”をもたらしているのかもしれない。「日本」の高齢者比率が“世界一”ならば、世界的な少子高齢化の波は次々と“第二の日本国”を生みだす。それらの「お手本」となるためにも、どうすれば“若々しい老後”で生きられるのか、文字通り“身を切る形”でコツを習得して後輩国に教えられる存在とならなければ……。

日本の「夜」を中華系ファンドが「狙い撃ち」

2022-09-18
「日本」を代表する“飲食店街”と言えば「新宿」「六本木」「銀座」の名が挙げる。いま、その新宿・六本木・銀座の飲食店ビルが、秘かに狙われている。誰が狙っているのかといえば、中華系ファンドだ。中国本土のファンドだけでなく、香港のファンドや、台湾のファンドまで、中華系の人々がまるで“示し合わせ”でもしたかのように、日本の代表的な飲食店ビル街を狙っている。要するに“買い漁っている”のだ。これには二つの要因がある。その一つは“コロナ禍”であり、もう一つは“円安”である。この二つが組み合わさったことで、中華系のマネーである「元」から観ると、日本の不動産、中でも“繁華街にある飲食店ビル”は「超バーゲンセール状態」にある。われわれは何となく「コロナはもう終わったのではないか」と考えがちである。けれども日本を代表するような飲食店街においてはそうではない。未だに客足は戻っていないのだ。どうして戻っていないのかといえば、外国人客がその売り上げの何割かを占めていたビルが多いのだ。だから一般の観光客としての外国人客が戻らなければ、本来の売り上げに達しない。そこでどうしてもビル自体の経営も徐々に傾く。そうビル自体の経営はあくまでも徐々に傾いていく。だから“売り出されるビル”“オーナーチェンジのビル”も徐々に増えていく。一気にではないのだ。だから目立ちにくいのだが、徐々にその所有者も変わっていく。いまから15年ほど前に“ハゲタカファンド”と呼ばれる集団が、日本を襲ったことがあった。あの時は“欧米のファンド”だった。今回は欧米ではなく、あくまでも“中華系ファンド”だ。どうしてかというと、いま欧米は自国のことで精一杯で、アジアに目を向ける余裕がない。ところが、これまで徐々に力を蓄えてきた“中華系ファンド”の眼から見れば、窮地に立つ日本の繁華街の飲食店ビルが“宝物”のように視える。なぜなら「円安」が進む日本には必ず近いうちに外国人観光客が戻ってくる。これまでよりも、もっと訪日客が増えていく可能性もある。そうすれば日本の代表的飲食店街に客が戻らないわけがない。日本の商業ビルは、欧米と違って居住者ではなくても税金が日本人所有者と同率である。これも魅力なのだ。昨年に比べて「元」から観る「円」は2割くらい下がっているので、ファンド側から観れば“超お買い得セールが継続中”なのだ。もう少し下がるのではないか、と期待する“買い手”も多い。そのうち、気が付いたら日本を代表する「夜の飲食店街」のビルオーナーは中華系ファンドで占められている、などとなりそうで何となく不安なのだが……。

風水から観た「最良の仏壇」って、どんなの⁉

2022-09-17
日本には相当数の自称「風水師」がいるが、仏壇というものについて何故か沈黙してしまう人達が多い。風水的な観点から言って“どういう仏壇”が良いのか、或いは“どういう神棚”が良いのか、少しく考えてみたい。実は英国の「国葬」を観ていて、あまりにも“古色蒼然”としたやり方を継承していることに、いささか“違和感”を憶えた。もう少し“現代的な部分”を加えても良いような気がしたからだ。物事はすべて“時代とともに”ある。葬式とか仏壇とかだけ、時代とかけ離れていて良いわけがない。仏事とか神事とか呼ばれるものは、どうしても“そのまま継承していく形”が正しいかのよう錯覚しがちである。けれども、あらゆるものが時代とともに“大きく変化している”現代、そういうものだけが“時を止めている”ことが本当に正しいのだろうか。私は現代においては“仏壇”と“神棚”とは、仲良く共存させるべきだと思っている。大昔の“神代の時代”に「国」を作ったのが“神々”、そして、その神代の時代まで遡ることも可能かもしれないのが「血族」で、つまり“先祖”とは“自分に繋がる血”を持つ人々だ。そうだとすれば仏壇と神棚とを“同じ部屋・場所”に置いたとして、何ら、おかしなことではあるまい。一応、神棚の方が「上」で、仏壇の方を「下」に置けば良い。そういうカタチで我が家では“クローゼット型の押入れ”に、その上部に“神棚”を、その中部に“仏壇”を、その下部は“物入”として利用している。もちろん、戸建ての豪邸に住まわれている方は“神棚”と“仏壇(仏間)”とを分ける形の方がより良い。基本的には神棚というのは“朝日の届く位置”にあるのがもっともふさわしい。一方、仏壇というのは子孫である我々が“日頃から接しやすい場所”にあるのがもっともふさわしい。一部に、リビングはふさわしくない、という人が居るが、それは「部屋数がたくさんあるなら…」という話で、部屋数が乏しければ、子孫が傍に居てくれる方が“先祖たち”も居心地が良いに決まっている。そして、朝夕あいさつするとか、手を合わせるとか、供え物を揚げるとか……してもらえたなら、或いはときどき読経してくれたなら、どんなに魂が清められることだろう。どの宗教であるとか、どの宗派であるとか、関係ない。血統としての先祖は無数にいるので、さまざまな先祖が居て当然で、その誰かに伝われば良いのだから、どのような“拝み方”“祈り方”でも形式など関係がない。継続が大切で、年に一度とか二度とかでは“先祖たち”も寂しいだろう。神様たちにしてもそうだが、せっかく自宅に神棚を置くのであれば、毎日のように軽くあいさつするのが礼儀ではないだろうか。その家や家族に馴染んでいるなら、その家の中で“一体化”しているなら、どうしてそれを“怒る”とか“罰する”神や先祖がいるだろうか。友達のように“親しまれる”ことこそ、神々や先祖たちのいちばんの“悦び”なのだ。 « Older Entries