7月, 2023年

SNS誹謗中傷は「名前公開」を原則とすべし

2023-07-31
自民党の今井絵理子参院議員が“少子化対策”や“子育て支援制度”の視察や意見交換を目的としたフランス訪問から帰国した。その間、彼女のところに多数の誹謗中傷DMが届いていたことを報告している。その中には「死んでほしい」という内容のものもあったとして、それを公開している。それ以外にも、彼女が海外に出向くことに対し多数の批判メールがあったようだ。この海外旅行は自民党の女性局に属する38名で行ったもので単独ではない。したがって、もし批判をするなら、その38名全員にすべきだが、おそらく知名度の高い彼女だけに集中したのに違いない。或いは、他の女性議員にも批判はあったのかもしれないが、さすがに「死んでほしい」は無かったのかもしれない。ともかく、有名人に対して、或いは有名人ではなくても、公的な仕事や趣味で活動している人たちに対しての誹謗中傷が後を絶たない。今井絵理子議員は冷静に「わたしは死ぬことはありませんが、世の中には、その言葉に悩み、苦しみ、思いつめる人もいます。SNSの発信には気を付けなければなりません」と返している。確かにその通りで、世の中には人一倍“傷つきやすい人”“真摯に受け止めやすい人”“影響を受けやすい人”がいる。発信する側は、そんなに深く考えず罵声を浴びせる感覚で言っているのかもしれないが、相手側は軽く受け流すような人達ばかりとは限らない。そういう点から言えば、根も葉もない誹謗中傷は「大いなる罪」と認識すべきで、罰せられて当然なのだ。最近は有名人たちも、そういう場合に“公開報告”する人も多くなった。私は以前から“無記名”であることが誹謗中傷を許す一番の原因だと思っている。わたしは“意味のない称賛”も良いとは思わないが、誹謗中傷したいなら堂々名前を出してすべきだ。どんなに誹謗中傷しても良いから、必ず“記名性”にすべきなのだ。そうすれば、そういう心無い罵声は十分の一に減る。今や幼い頃からSNSの世界に入っていく時代で、より“書き言葉”に対する抵抗感が薄れているのかもしれない。文字は後々まで残るのだ。

「熱中症」によって高齢夫婦がベッドで死亡⁉

2023-07-30
東京の東村山市の住宅で高齢夫婦がベッド上で死亡しているのを介護事業者が発見した。事件性はなく、エアコンの線が抜かれている室内は異様に暑く、熱中症によって死亡したと推測された。90代の夫と80代の妻の二人暮らし。扇風機だけが廻り続けていたらしい。近年、似たようなケースが後を絶たない。この暑さの中でも“エアコンを使おうとしない人達”の熱中症による最期だ。もちろん、中にはエアコンそのものが設置されていない住宅もある。その場合には扇風機を使うのも仕方がない。しかし今回もそうだがエアコンが設置されているにもかかわらず、それを使おうとしないのは圧倒的に高齢者夫婦に多い。電気代の節約意識が強い人達と、元々“エアコンの冷風”が体質的に合わない人たちに多い。年齢に関係なく、暑い日々が続くと、どうしても動きが緩慢になる。カラダ全体がだるくなってくる。したがって、元々が何らかの持病を持っているような人の場合、黙っていても体力が奪われていく。食欲も衰えることが多いから、栄養不足にもなる。そして注目しなければならないのは、無意識の発汗が多くなって、水分の補給が必要になっていくことだ。高齢者の場合、ましてや“寝たり起きたりの暮し”をしている場合、身近な気象変化に鈍感になる。出掛ける必要性が乏しい場合はなおのこと周囲の変化に対して鈍感になる。それは室内における気温の変化に対しても同様なのだ。総じてお年寄りは我慢強いので、その点でも手遅れになるケースが多い。だから誰かが日ごと体調などを確認してあげることが必要なのだ。実際、今回だって、そういう意味もあっての訪問だったに違いない。高齢のご夫婦で、双方とも何らかの持病があって“寝たり起きたりの暮らし方”をしている人達は、数としてはそう多いとは言えないが、遠慮深い人達の場合には“公共サービス”もあまり利用していない場合も多い。高齢者の長期入院をよほどでなければ認めない傾向が強まって、結果的に熱中症などの環境さえ整えれば防げる死亡を増やしてしまった実態があるのではないだろうか。

「台湾」「日本」「中国」それぞれの人気運

2023-07-29
“子供連れ去り”ということで、元夫から訴えられてピンチに立っている福原愛氏。その福原氏に対して「台湾」「日本」「中国」それぞれの反応が微妙に異なる。それは、この人の“顔貌”や“会話(文章)”も影響を与えている。彼女は幼い頃からTVで注目を浴び、言ってみればマスコミの中で育って行った。そうして学生時代に中国に留学し、中国語による会話や文章が書ける。そのせいもあってか、彼女は十代後半から本国である日本よりも、中国や台湾で人気があった。その顔貌も一見すると「日本人」というより「中国人」に多いタイプだ。だから、そういう意味でも彼女は、中国にファンが多かった。その彼女が結婚したのは日本人でも中国本土人でもなく、台湾人の卓球選手だった。それによって、最初は中国人に人気が高かった彼女は一躍「台湾の有名人」となった。台湾におけるTV番組やCMで“夫婦二人”が共演することが多くなった。こうして“仲睦まじいご夫婦”の象徴として、憬れられる存在となった。ところが、途中から二人の間がギクシャクし始めた。彼女は日本で仕事をする機会が増えていった。そしてとうとう離婚が決定的となる。それに前後する形で“不倫スクープ”を週刊誌がすっぱ抜いた。この報道が広がって「日本」における福原人気は急速に失われていった。日本人は不倫した有名人に手厳しい。台湾においては“家族を見捨てないか”の方が重要なようだ。彼女は“共同親権”の形を取ったが、子供たちは台湾に置く形となった。たぶん、そうしなければ離婚できないという事情がもたらした結果だった。けれども、子供を置いて出て来た妻に対して、どの国でも容赦なかった。ただ一つ「中国」だけは、それでも彼女を擁護する声が多かった。子供時代から、彼女の成長を観てきたファンたちには“擁護派”が多かった。逆に「モラハラ夫」をたしなめる風潮さえあった。これは実際の中国本土でも多少似たようなケースが多く見受けられることも影響している。「日本」の場合には、不倫報道以降、その評価が変わっていない。今後、この問題がどう動くかはわからないが、少なくとも「子供」は手放した方が彼女の“人気運”という観点からは望ましいような気がする。子供にしがみつくと、本来もって居る人気運をどんどん失ってしまいそうな気がするからだ。

奇怪だけど「怖さがない」AIとの共同作品

2023-07-28
確かに、その動画に出て来る“女性らしき存在”は、その動きも表情も奇怪である。途中から“透明人間”のように透けている部分もあるし、不可解な動きも異様である。どう視ても“この世のもの”とは思えない。それなのに“怖くない”のだ。なぜか“健全な匂い”のようなものを感じる。それもそのはず、この動画はAI(人工知能)と彼(岸裕真氏)とが作り出した“異世界生命の世界で、彼が「異質な知性」と呼ぶ、AI(人工知能)を駆使して生み出した共同作品なのだ。そのせいなのか“奇怪な動画”なのだが、いわゆる“霊的な世界”はみじんも感じない。だから、怖くないのだ。人は誰でも“この世のものとは思えないもの”を怖れる本能がある。だから、そういう意味では、この動画にはもっと怖れてもいいはずなのだが、なんの怖さも感じない。人はどうして“その違い”を見分けるのだろう。どんなに精巧な“幽霊”でも、それが人工的に作られたものなら、恐怖を感じることはない。それなのに、実際の“幽霊”とか“霊現象”とかに出逢うと、どうしても恐怖の感情が先に立つ。フェイク動画などで“UFO”や“宇宙人”を視ても、或いは“作られた心霊現象”を視ても、それらに本能的な恐怖は感じない。だが、少しでもほんとうの気配を感じると、途端に恐怖感が沸き起こってくる。実際のところは、宇宙人は必ずしも敵対関係ではないかもしれないし、幽霊だって親しくなれるのかもしれないが、それでもやっぱり怖さの方が先に立つ。これは本能だから仕方がない。昔、墓参りに行ったとき、その場所がわからなくってうろうろしていたら、いつの間にかちゃんと自分の家の墓の傍まで来ていた。その種のことは誰でも一つや二つは経験あるのではないだろうか。「導かれる」という言葉があるが、そうとしか思えないような現象にしばしば逢っている。だから、本来から言えば、怖さよりも“嬉しさ”とか“懐かしさ”とかが先に来ても良さそうな気がするのだが、わたしの場合は、やっぱり“怖さ”が先に来る。その場から動けなくなる。生きている人間に“怖さ”は感じないのに、あちらの人たちには思わず“低姿勢”になってしまうのだ。

「正社員」と一緒になって働く「社員犬」達⁉

2023-07-27
ペットのことを「家族だ」という人たちが多くなっている。だからだろうか。そのペットと一緒に「働きたい」と思う人も多くなっている。確かに家族は、それぞれが働いている場合も多いから、そういう点で言えば“まともな考え方”かもしれない。ということで「バイオフィリア」という会社では、ペットと一緒に出勤して来て、一緒に働くことが出来る会社として、いま大注目を浴びている。この会社で働きたいという転職希望者からの問い合わせが後を絶たないらしい。確かに会社内には、7~8匹の犬などが常時たむろしている。仕事の邪魔になりそうなものだが、実際にはそうでもないらしい。何しろ、彼らも仕事をしているからだ。どういう仕事なのかと言えば、ここはペットフードの開発会社なので、その試作品などを食べて“その反応を教えてあげる”ことが彼らペットたちの“お仕事”なのだ。確かに、人間が食してみるよりも、ペットが食してみる方が、その試作品が優れているかどうか、その反応で瞬時に解かる。さまざまな種類のペットが居ることで、さまざまなペットの反応などを同時に観察できる。だから、文字通り彼らは「社員犬」としての働きを担っているのだ。ここに勤めているのは、若い独身女性たちが多い。したがって、自宅にペットを残して出勤するよりも、一緒に出勤して、一緒に帰宅する方が、ペットだって寂しい想いをせずに済むから悦んでくれる。或る意味ではペットが恋人のようになっている人にとっては最良の職場なのだ。したがって、この会社の存在を知って、自分もこのような環境の中で“ペットと暮らしたい”と願う人たちが急増しているのは無理からぬ話ともいえる。近年は一人暮らしでもペットを飼う人が多くなった。ただ一日中狭い「ペットの部屋」に閉じ込めておくのは動物だって精神衛生上良くない。そういう点で“一緒に働ける”ことは何となくペット自身も自覚しているようで、だから出勤だって自ら勇んで買主を会社の方に導いていく。同じように既に出勤して来ている「社員犬」とは、もう家族のようなものだ。必ずしもペットではなくても、ゲームの開発会社とか、ランジェリーの商品開発とか、こういう“趣味の延長線上にあるような仕事”が増えていけば、おのずと毎日、活き活きと笑顔で働く人たちが増えていくのかもしれない。

あまりにも“辛く”哀し過ぎる「親子の復讐劇」

2023-07-26
札幌のススキノのホテルで起こった「頭部なき殺人事件」は、29歳の女性とその父親・母親の3人が逮捕されるという奇妙な結末になった。しかも、その父親と母親は周囲から敬愛されているような人達だった。29歳の娘は小学校の途中から“不登校”や“引き籠もり”となってしまったようで、それによって極端に潔癖感の強い感受性の激しい女性になっていったようである。学校のような“集団生活”に馴染めないまま成長した場合、どうしても性格的には“偏り”が生じる。両親は、その娘を守って生きようとする。したがって、その“偏り”は増長していくことが多い。通常、娘が強い復讐心を抱いた場合、両親はそれを諫めようとするが、娘の気持ちに同調した両親は、その復讐劇に加担してしまった。本来は「外科医」になるはずだった父親は“首の切断方法”を娘に指導したに違いない。首の切断に必要な“刃物の購入”にも同行した。このことが、もしかしたら“致命的なミス”だったかもしれない。鋭利な刃物の購入に“父親と娘”という組み合わせで訪れるカップルは稀であると思われる。“母親と娘”なら違和感がなかったかもしれないのだが…。それも父親が主導して「娘に鋭利な刃物を買い与える」のは一種異様な光景として店員の記憶に残る。おそらくスーツケースの購入時にも、父親と娘が一緒だったと思われる。用意周到な計画は“返り血を浴びた洋服を着替えて”目立たぬよう“黒っぽい服”に着替えさせたが、その違いがかえって“目立つ格好”となり、防犯カメラから割り出しやすくなった。あの恰好のままススキノの路上を歩いたら必ず目立つ。したがって“路上の途中で消えた”ことがハッキリとしてしまった。犯行の動機は“本人の復讐心”だが、父親までもがそれに“共鳴していった”ことが、この事件の哀しいところだ。そして、被害者の方にも子供たちが居た。けれども一説によれば、その子供たちはいずれも“病気持ち”であったらしい。つまり、被害者と容疑者の父には“子供のことで悩みを抱える”共通性があった。一方は、その現実を“女装”によって忘れようとし、その一方は、その現実を“バンドのボーカルをする”ことで忘れようとした。29歳の容疑者にはそういう“もう一つの世界”がなかった。だから“実際に復讐をすること”でしか、怨念を晴らせなかった。不意打ちを食らわせるような“襲い方”をしてカラダを奪った被害者に対しては、同じように“不意打ちを食らわせるような殺し方”しかない。被害者の身元が割れなければ、復讐は果たせる。けれども「死人に口なし」とはいうが、頭部を自宅に持ち帰ったことで「死人に口アリ」となり、身元もすぐに発覚し、容疑者も意外なほど早く特定されていたのだ。

時代の寵児を作った『人間の証明』という小説

2023-07-25
作家の森村誠一氏(90歳)が逝った。作家としては晩年までずっと書き続けていて、老人性うつ病になって以降も書くことを辞めなかった。彼は元々ホテルマンから出発している。ホテルマンになったが、生涯サラリーマンとして勤め続けていく気は無くて、早くから“作家生活”を志向して小説を書き続けていた。わたしは、その売れない時代にたまたま書店で彼の本を取り、なんとなく「この人は将来、大物作家になっていくのではないか」という予感を持った。小説家の文章としては、少し“きちんとしすぎていて”あまり“文学的な表現や描写”が見受けられない。そのせいか、若い頃の彼は“売れない作家”であった。いまでいう“作家とホテルマンの二刀流”生活を長く続けた。そんなに売れなくても、どの出版社だったか忘れたが、その一つの出版社の社長が彼を買っていて、小説を書くごと出し続けてくれていたからだ。その彼を一躍有名にしたのは『人間の証明』という小説だった。当時、流行っていた“社会派推理小説”というやつだが、彼をメジャーに押し上げたのは、あの頃、若手事業家として勢いに乗っていた角川春樹氏であった。つまり、彼は“売れない出版社”から“角川書店”に引き抜かれた格好だった。そうして、この小説は薬師丸ひろ子氏を主役として映画化され“大ヒット”となった。それまで“売れない作家”だった森村誠一氏は一躍“時の人”となり、華やかな流行作家となった。形として整っている彼の小説は、次々とTVドラマ化などもされたが、小説そのものは『人間の証明』以降はそれほど売れていない。一つには、文章そのものは昔のままで情緒的描写に乏しいのだ。その点は同時期に活躍していた松本清張氏などとは根本的に異なる。松本氏の小説には、その表現自体に情緒性がある。長らくホテルマンとして几帳面な暮らし方をしていたに違いない森村氏に情緒性を求めるのは酷な要求かも知れなかった。それにしても、初期の二刀流生活を支えて本を出し続けてくれた出版社社長には「観る眼があった」ということになる。人の才能は、こうした微妙なつながりの中で発揮されていくことが多い。余程の天才でない限り、その才能を「見出してくれる人物」と出逢うことが成功の鍵となるのだ。

外見の「多様性」より、生き方の「多様性」を

2023-07-24
とうとうというべきか広末涼子氏が離婚を公表した。「ダブル不倫報道」が始まったのは6月上旬だから、あれから1か月半が経っている。週刊誌で始まった報道はまたたく間に伝播し、マスコミ総出動のような形で報道合戦となってしまった。さらに一般人のネット批判が加わる。こうして、まるで“喧嘩両成敗”のような形で、それぞれの人物が批判を浴びた。つまり、広末涼子氏、キャンドル・ジュン氏、鳥羽周作氏、その妻……というメンバーだ。“その妻”だけは一般人であるが、その家族しか知り得ない内容を暴露した可能性があり、そういう意味では今回の報道合戦において“完全部外者”とは言い難い。そして、その四人ともが最終的に人民裁判的な“ネット批判者たち”の被害者となった。もちろん、多少は“自業自得”の部分もある。けれども、不倫の代償はあまりに大きい。一時的にはキャンドル・ジュン氏の店は大繁盛したという報道もあるが、野次馬的な見物人たちが去った後も大繁盛するかは大いに疑問だ。なぜなら、あまりに「哀しい灯り」となってしまうからだ。本来は「希望の灯り」で売ってきたはずだ。広末氏も、鳥羽氏も、仕事や名誉や財産の多くを失った。大昔から、著名人のスキャンダルというのはマスコミが報道してきた。それも仕事のうちだから、それ自体は批判できない。ただ現代はあらゆるマスコミが“集中攻撃”をしすぎる。そして、もっと激しくバッシングして来るのが“ネット上の声”という奴だ。ほとんどの場合、それは一方通行であり、自らの記名もない。それによって、さまざまな人物が傷つき、亡くなる人物まで出て来ているが、容赦する気配はない。それは、書きこむ人々が「自分は“正論”を言っている」という意識があるからだ。現代は「多様性の時代」と言われ、それぞれの“生き方”を認めようという動きが世界的にあるが、それは主として「外見的な多様性」で必ずしも“生き方そのもの”としての多様性ではない。もし“生き方”の多様性を認めるのであれば、不倫をバッシングなど出来ないはずだからだ。マスコミ報道があったとしても「ふ~ん、彼女たちは、そうなんだ」で終わってしまう。それが本来「生き方の多様性」を認めるということだ。ところが、最近の世相は「生き方の多様性」は絶対に認めようとしない。自分と同じ“考え方”或いは自分と同じ“価値観”さらには自分と同じ“暮らし方”でなければ「敵」であるかのような捉え方をする。それぞれの考え方や、それぞれの価値観や、それぞれの暮らし方が、存在していることを“許すまい”という意識が強い。歌謡曲の歌詞などにも、それが反映されて、生き方を強いるような歌詞が多くなっている。もっと、それぞれの生き方を認め合えるような“世の中”にしていかないと、息苦しくなっていきそうな……。

記念品として「最高の贈り物」になるかも⁉

2023-07-23
興味深い動画ニュースを見つけた。レトロなビルとして知られる東京交通会館2階に旅行用品を専門に扱う「トコ―」がある。順調に営業してきていたが、コロナ禍となって売り上げが激減。その時に“新たなる秘策”として同じビル内にオープンさせたのが“3D人形スタジオ”「doob」だ。360度カメラの画像66枚のデータを駆使して希望者向けに“3D人形”を作る。画像データはドイツにある工房に送られ、1~2か月たってから本物そっくりの“本人の全身人形”が完成する。“手作り人形”とは異なり、3D工房によって制作するので“完璧な全身人形”となる。着ている衣裳もそのまま再現されるので、コスプレした場合など“そのままの永久保存版”となる。入学式とか結婚式の晴れ姿、或いはペットなどの需要も多いらしい。価格もそれほど高くはなく、いちばん小さい15㎝ものなら27500円で完成する。いちばん大きい35㎝ものでも84700円なのだ。これは自分自身というより、たとえば海外に留学する子供とか、海外出張する恋人とか、高齢になった両親とか、何か祭りやイベントに出る時の舞台衣装姿とか、出生して数か月の我が子のおむつ姿とか、憧れの制服姿とか……さまざまな使い方が出て来そうだ。一種のインテリアの一つとして、或いは趣味的な感覚で各種の人形やフィギュアを飾っている家庭は多い。そういう中に、自分自身とか家族とかの人形を加えるという方法もある。15㎝から35㎝まで5㎝ごと“大きさ指定”も出来るので、他の人形たちと並べて飾るという方法もある。特に、将来的にやや不安のあるカップルの場合、結婚披露宴のウエディングドレス姿の自らの人形を自宅に飾っておけば、そんなに簡単に“別れる”“別れない”まで発展しないことだろう。自分の娘が結婚する時に“そういう姿”を実家に残して置くというのも“それなりの効果⁉”はありそうな気がする。昔は「写真」しか“しのぶ”方法がなかった。けれども3D人形であれば立体感もあり、より“想い出”も鮮明にしのぶことが可能になるのではないだろうか。

「友人への占い回答」ほど難しいものはない

2023-07-22
きのう久し振りに東京在住の友人と逢った。友人といっても、わたしより一回りも上の80代だ。2年ほど前までは溌剌としていたが、昨日はちょっと“老いた印象”を受けた。奥様が同行していたが、このところ認知症の初期症状がみられるとかで、外出時には必ず同行しているらしい。最近は東京の住宅街にも高層マンションが建つようになって、彼が所有しているアパートにも「新しいマンションに建て替えないか」という話が金融筋などから来るらしい。あちこち故障して修理代もバカにならないが「この年齢で建て替えをする気はない」と寂しそうに言っていた。その友人が何やら取り出し「これを暇なときで良いから診ておいて欲しい」とわたしに差し出した。3年ほど前まで同居していた孫娘とその婚約者とのツーショット写真数枚と生年月日が記された紙片だった。婚約者という言い方をしていたが、実際には、もう入籍を済ませているし同棲もしている。だから実質的には、もう夫婦なのだった。ただ10月にハワイで挙式をするので、それまでは「正式な夫婦とは言えない」という考えのようだった。わたしは最初、その“診ておいて”というのが「一応、知っておきたい」程度のことだと思ったのだが、実際には、その孫娘さんから“頼まれて”のことらしい。お金も封筒に入れてあった。正直、わたしは気軽に「美男美女で最高に良い写真じゃないですか」などといってしまったことを後悔した。なんとなく気軽に引き受けた格好になってしまったからだ。正直、まだ私はホロスコープも命式も作っていない。だから、どういう結果になるかは今の時点では判らない。けれども、正直、気が重い。友人の孫娘なのだ。それも三年前まで彼の家に十年以上も同居していた孫娘なのだ。どうしてかというと、札幌の母親の元を飛び出し、元々早くにアイドルデビューしていた娘さんだからだ。メジャーなアイドルではない。読者モデルとか、バックダンサーとか、その種の仕事をしてきた女性なのだ。だから容貌的にはとても優れているが、きちんと学校に行っていなかったので、そういう意味でも不安がある。その婚約者というか、夫になる人物というか、実はこちらもアイドル系なのだ。主として現在は“振付師”的なものをメインの仕事としているらしい。だから入籍したとは言うものの、生活基盤は極めて脆弱で祖父や祖母としてみれば“心配この上ない状態”らしい。祖父でなくても心配だが……。ということで、結婚式までの間に回答してほしいとのことだったのだが、何となく診ること自体に嫌な予感しかしないので……。

すぐ「昔に戻れる」二人と「戻れない」二人

2023-07-21
お笑いコンビの「ピース」が6年ぶりに日本で「トークライブ」を開催するらしい。2017年に綾部祐二氏が日本を離れてから、初めての帰国であるらしい。6年ぶりに戻って古巣で“6年ぶりとなるコンビ”で仕事をし、またすぐアメリカに戻っていくに違いない。最初はニューヨークに暮らしたが、現在の拠点はロスにあるらしく、自宅に完成したガレージの写真などが公開されている。アメリカ在住の日本人女性と結婚したというニュースは伝わったが、それ以外は仕事もプライベートも未公開のようである。一方の又吉直樹氏の方は現在は7割方“作家業”がメインとなっているらしい。芥川賞を受賞し、人気作家の仲間入りを果たしたが、その雰囲気などはピース時代とほとんど変わらない。元々あまり明るい方ではなく、口数の多い方でもないから、芸人よりは作家業の方が雰囲気的にも向いている。ただ、この二人は別に“喧嘩別れ”をしたわけでもなく、仲が悪くなったわけでもない。お互いの性質を知り尽くしている二人は、適度な距離間でいまも続いている…という感じなのだ。男性同士のこういう関係は長続きする。互いに認め合っているから、又吉氏は未だに「綾部さん」という言い方をするし、綾部氏は「(作家)先生」という言い方をする。おそらく、今度の「トークライブ」も二人からの発案というよりも、吉本興業からの提案なのではないだろうか。それに、ふたりが「良いですよ」と答えた形のような気がするのだ。なぜなら、双方とも“そのこと”に対して特別意欲的だったわけではない。別に綾部氏は、日本に戻るための布石を打とうとしているわけではない。もしも、そういう気持ちがあるのであれば「昔の写真」とか「想い出の話」とか、そういうものをさりげなく加えるだろう。けれども、彼のコメントにはそういったものはない。最後のコメントは横文字だ。それは自分がもう「そっちの人間だよ」とさりげなくアピールしているかのようである。おそらく今回のトークライブでも、現在の“本業”的なものとか、暮らしぶりとかについては、あまり話そうとしないのではないか。何となくの日本との違いなどで“笑い”を採ろうとするだろう。そして、又吉氏も“その部分”については追及せずに、作家とは異なる新鮮な芸人の舞台を懐かしみながら、いまの自分を再確認するだろう。そうして二人は吉本興業の進める“次の舞台”には、やんわりと“断り”を入れるのではないだろうか。

難病女性自身が描く「欲望・怒り・ユーモア」

2023-07-20
今回の芥川賞に先天性難病を持って生れた市川沙央氏(43歳)の作品『ハンチバック』が選ばれた。文学界新人賞にも選ばれたデビュー作らしい。本人もおっしゃっているようだが、確かにこれまで先天性難病を抱えて生れてきた方の小説家は記憶がない。そういう方達が、われわれ健常者とは異なる日常的な“受け止め方”を持っていることはあまり知られていない。だから、その必要性を感じて描いたのだという。したがって難病女性の“欲望”や“怒り”や“ユーモア”が随所に出てくる。つまり単なる「難病克服記ではない」ということ、ここが重要なのだ。ともすればわれわれは、その“苦しみ”や“辛さ”や“希望”といった部分にのみ目を向けがちとなる。けれども、当然のことながら彼らは、それだけで生きているわけではない。そういう方達でなければ知り得ない、或いは感じない“欲望”や“怒り”や“ユーモア”も備えて生きている。だからといって、それをそのまま日常的に語ることはない。同じ感覚を持った者同士でしか、共有できない独特の世界だからだ。けれども、小説という形を取れば、それは一般の方達でも共有することが出来る。もしかすると文学というのは、そういう少数者特有の感覚というか感情というか、そういうものを“そうではない人々”にも理解させ、共感させ得る“稀な手段”であったかもしれない。歴史ドラマなどを見て、われわれは大いに感動したりするが、実際には“その時代の感覚”はその時代を生きなければわからない。現在のわれわれとは、あらゆる部分で違っている。それなのに、われわれが理解できるのは、それがドキュメンタリーではなく“小説世界”だからなのだ。ドキュメンタリーでは形や結果は伝わっても、その“心の声”“心の言葉”“心の行動”が伝わることはない。それは必ずしも、われわれ健常者が勝手に障害者に対して描いているイメージとは大きくかけ離れているかもしれない。そのことを気付かせるために登場したのが、今回の芥川賞作家なのかもしれないのだ。 « Older Entries