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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


奇怪だけど「怖さがない」AIとの共同作品


確かに、その動画に出て来る“女性らしき存在”は、その動きも表情も奇怪である。途中から“透明人間”のように透けている部分もあるし、不可解な動きも異様である。どう視ても“この世のもの”とは思えない。それなのに“怖くない”のだ。なぜか“健全な匂い”のようなものを感じる。それもそのはず、この動画はAI(人工知能)と彼(岸裕真氏)とが作り出した“異世界生命の世界で、彼が「異質な知性」と呼ぶ、AI(人工知能)を駆使して生み出した共同作品なのだ。そのせいなのか“奇怪な動画”なのだが、いわゆる“霊的な世界”はみじんも感じない。だから、怖くないのだ。人は誰でも“この世のものとは思えないもの”を怖れる本能がある。だから、そういう意味では、この動画にはもっと怖れてもいいはずなのだが、なんの怖さも感じない。人はどうして“その違い”を見分けるのだろう。どんなに精巧な“幽霊”でも、それが人工的に作られたものなら、恐怖を感じることはない。それなのに、実際の“幽霊”とか“霊現象”とかに出逢うと、どうしても恐怖の感情が先に立つ。フェイク動画などで“UFO”や“宇宙人”を視ても、或いは“作られた心霊現象”を視ても、それらに本能的な恐怖は感じない。だが、少しでもほんとうの気配を感じると、途端に恐怖感が沸き起こってくる。実際のところは、宇宙人は必ずしも敵対関係ではないかもしれないし、幽霊だって親しくなれるのかもしれないが、それでもやっぱり怖さの方が先に立つ。これは本能だから仕方がない。昔、墓参りに行ったとき、その場所がわからなくってうろうろしていたら、いつの間にかちゃんと自分の家の墓の傍まで来ていた。その種のことは誰でも一つや二つは経験あるのではないだろうか。「導かれる」という言葉があるが、そうとしか思えないような現象にしばしば逢っている。だから、本来から言えば、怖さよりも“嬉しさ”とか“懐かしさ”とかが先に来ても良さそうな気がするのだが、わたしの場合は、やっぱり“怖さ”が先に来る。その場から動けなくなる。生きている人間に“怖さ”は感じないのに、あちらの人たちには思わず“低姿勢”になってしまうのだ。
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