11月, 2023年

2023年12月の運勢

2023-11-30

「ペット依存症」は「人生を狂わす」危うさ⁉

2023-11-30
単身者や核家族が多くなったことで、ペットを飼う人たちが増えている。犬や猫だけでなく、近年は“さまざまな生き物”をペットとしている例が多い。彼らのほとんどは、そのペットを「家族」として意識している。世界的な傾向でもあり、そのこと自体が悪いとは思わないが、中にはどんどんペットが増え過ぎ「妖しい家」になっていくケースも珍しくない。タレントの壇蜜氏が12月6日から再びラジオ番組に復活することが公表された。3月に体調を崩し、しばらく静養して7月から番組復帰したが、8月に入って再びギブアップとなった。まあ、今年は一年の大半が体調不良だったことになる。この人は“さまざまなペット”を飼っていることで知られている。一般的に言えば拒否感の強い爬虫類なども飼っているらしい。そのペットが立て続けに亡くなったことが、心身疲労の一つの原因であることは本人自身が語っている。彼女を可愛がっていたお祖母ちゃんも含めて、次々と家族が他界していったことで、心身の均衡が取れなくなってしまったようだ。元々がグラビアで人気沸騰して登場した壇蜜氏だが、いつの間にか瘦せ細って近年は弱々しい印象を受ける。一時期は拒食症ではないかと騒がれた。実は私は運命家として「壇蜜」という名前に危惧するものがある。「壇」は言うまでもなく仏壇の壇であり、「蜜」はその仏壇への“供え物”を意味する。したがって、芸名そのものに“死者に供えられるもの”的な意味合いがある。つまり近親者の死は、彼女にとって危険なのだ。そういう意味では“ペット屋敷”に住んでいること自体が良いこととは言えない。休養時に住居内の変更を試みたかどうかわからないが、それをしないままだと、いったん回復しても、またしばらく経てば心身に支障をきたす事態が生じやすい。それでなくても、ペット依存の強すぎる人たちは、その病気とか死亡とかに振り回される。家族という思いが強ければ強いほど、そうなってしまうのだ。だから一人で多数のペットを飼うのは考え物なのだ。壇蜜氏は結婚されているはずだが、別居婚であるらしい。確かにペットだらけの屋敷に、元々がそれほどペットに愛着が少ない男性は入りにくい。ほんとうはだからペットを棄てて旦那様と同居できれば良いのだが、なんとなく出来そうもないような気がして、順調な回復をしていけば良いのだが……。

ユネスコ「世界の記憶」候補として家康貢献⁉

2023-11-29
ときどき歴史上の人物が、歴史遺産的な事柄に対して貢献していた事実を知る。今回の貢献も、地味だが貴重な貢献と言える。ユネスコの「世界の記憶」国内候補として文部科学省が「三種の仏教聖典叢書」と「広島原爆の視覚的資料」の二点を決めたことを公表した。このうち仏教聖典叢書の方は元々徳川家康が個人的に集めたものを浄土宗大本山の増上寺に寄進したもので、12~13世紀の頃に中国や朝鮮で作られた12000点に及ぶ木版による聖典群だ。しかも、それらは現在デジタル化されていて、その精密画像をウェブ上で公開している。こうしてウェブ上で公開することで、たとえユネスコで認められなかったとしても、永久に研究者とか信仰者とかは眼にすることが出来る。わたしは正直言って、あまりユネスコの審査官たちを信用していないので、そんなに「世界の記憶」に登録されることが重要とは思わない。それよりも、デジタル化されたことで、興味ある人はだれもが視ることが出来て、時代を超えても当時のまま伝承されることの方が重要だ。宗教的な文書などの場合、時代によって地域によって微妙に変貌していくことが珍しくない。原初のままだから正しいとか、書き加えられたからおかしいとか一概に言えないが、少なくとも“原初のカタチ”は記録としてとどめた方が良い。そういうものが世の中にはたくさんある。原爆の視覚的資料にしても、同じような戦争が今もまだ世界各地で行われている以上、その巻き添えとなった市民はどうなるかということを画像として、映像として残して置くのは大切なことだ。残して置くだけでなく一人でも多くの“令和”を生きる人たちに見せておくことが重要だ。同じ時代を生きた者は“肌感覚”で知っている事柄も、時代が遠ざかれば“肌感覚”は消えて行く。教科書に載れば良いというものではない。世界の人々が“戦争の犠牲者になる”ということの意味を考える資料として、ユネスコの審査官たちも各国事情など考えず“公平な眼”で「世界の記憶」として採用してほしい。

「自分の居場所」を見つけたmisonoは輝く⁉

2023-11-28
人は最終的に“自分の居場所”を求めて生きて行く。どんなに恵まれた環境でも、そこに“自分が居ない”と思えば、その中で“倖せ”を実感することはできない。人は、本能的に“ここが自分の居場所”と感じられるところの中に生きがいを見出していく。スポーツ新聞が歌手misono氏が大阪のアメリカ村の中心区域でオープンさせる「ウチのヤキトリ」を取材していた。有名人の“名前貸し”ではなく、本格的に共同経営する店舗のようで、これが成功すれば「全国展開する」野望を秘めているらしい。経営という点に関しては、既にエステサロンを展開しているようで、それと同時に最近は“動物愛護”や“社会福祉”や“子ども食堂”にも積極的に関わっている。今回の焼き寄り店の経営でも、その売り上げの一部をそれらに寄付すると決めているらしい。この人は極めて若くして歌手・アーティストとしてデビューし、それなりの人気と知名度を得たが、そのご低迷した。そして、そのあとは実姉である倖田來未氏の方に爆発的な人気が出たことで、その陰に隠れるような形となった。一時期はバラエティー番組に出て人気回復を図っていた時期もあった。それが最近は“自分のお店”という新たなジャンルで息を吹き返したようだ。確かに、実姉の容貌や歌唱力などと比べて、やや劣るかもしれず、アイドルとしての年齢でもない。この人には“こういう形”の方が合っているように思える。人はだれでも、巡り巡って最終的な“自分の居場所”を発見していくケースが多い。そして、そういうものを探り当てると、そこで活き活きと羽ばたく。それが当初求めていた自分の姿ではなくても、むしろ世間から“求められる形”で得たステージであるなら、アーティストとしての舞台よりもはるかに輝くことが出来るのが人生なのだ。彼女の場合「ウチのヤキトリ」という庶民的な雰囲気の店で、元気いっぱい振舞いながら生き生き働いている姿が目に浮かぶ。ひょっとして全国展開は夢だけに終わらないかもしれない。misonoの第二ステージはこれからが本番なのだ。

「昭和初期」に逆行⁉秘かに流行の「移住婚」

2023-11-27
歴史というのは、時として“逆戻り現象”を生み出す。日本は昭和初期(1920年代後半)の頃、結婚の7割以上が“お見合い”によるものであった。それが徐々に“恋愛結婚”が増えていって1960年代半ば頃に“お見合い”と“恋愛”の婚姻数が半々くらいとなった。そして1980年代には95%以上の人たちが“結婚する国”となっていた。ところが、その後“お見合い”はどんどん減っていって、一時的には“絶滅状態”のような時期もあった。最近になって、特にコロナ禍になって以降、再び“お見合い結婚”に注目が集まり出している。どうしてかというと、一つにはズームなどを使って直接会う前に“相手と話すことが出来る”ようになったことが大きい。直接会ってから“断る”というのが日本人はやや苦手なのだ。ズームの画面を見ながら話すことで、相手の顔はもちろん、その表情や雰囲気や考え方など、実際に暮らしていくときに必要な事柄を何となく把握できる。書面だけでは判らない部分が、映像から感じられる。これは大きい。もう一つ、コロナ禍によって“リモートワーク”を推奨する企業が多くなったことだ。つまり直接出社しなくてもOKな企業が多くなってきたことだ。そうであれば、別に首都圏に暮らす必要はない。元々が“田舎暮らし”など好む人たちにとって、リモートワークの解禁は願ったりの仕事スタンスとなった。そうなってしまえば、実際に“暮らせる環境”を提供してくれる見合い相手との結婚は理想的なものに変わる。さらに、そういうふうに地域枠を設けないことによって、お見合い相手の選択数が激増するのだ。こうして、地方行政も後押ししてくれる「移住婚」というスタイルが、いま都会脱出希望者たちから脚光を浴び始めているのだ。確かに、雑踏が嫌いで田舎暮らしを希望しても、職業と住居を同時に提供してくれる自治体は少ない。結婚しての移住であれば、自治体も応援してくれるし、企業側も退職せずとも可能であれば、その結婚も移住も支援してくれたりする。ましてや若い男性が結婚という形で移り住んでくれるのであれば、少子化対策の上からも支援しやすい。少子化の前に“嫁不足”の田舎でも、若い女性が来てくれるのなら大歓迎であろう。こうして、昭和初期に行われていた“お見合い”とはいろいろな点で異なってはいるが、見ず知らずの土地に“移住を伴って結婚していく”という共通のスタイルは、ひょっとすると“婚姻減少”の対策としても“少子化”の対策としても、両方を救う救世主となるかもしれない。

「死人に口あり」が“逮捕の決め手”となった⁉

2023-11-26
昔から「死人に口なし」というが、わたしは前から疑っている。ほんとうは死人でも“口がある”場合があるような気がするからだ。特に、殺人事件とか予期せぬ事故に巻き込まれるとかして亡くなられた方の場合、死んだからと言って“口なし”と思うのは間違いなケースが多い。名古屋市中区のマンション1室のクローゼットから発見された男性死体は、その部屋に居住していた阿部光一氏(42歳)の姿であったことが明らかにされた。阿部氏本人の親族からの依頼で室内を開け、両手を縛られ、顔にビニール袋を被せられた状態でクローゼットの中から発見された。その後、この死体が死後1か月半以上経過していたことが公表された。ところが、彼のSNSアカウントではその死後にも発信が確認されていて、結果的に“それ”が容疑者逮捕のきっかけとなった。つまり容疑者は、その死後にも“生きているかの如く”発信し続けることで、現在も生きているよう“見せかけたかった”可能性が強いのだ。もし親族の誰かが、SNSからの発信内容になんとなくの不審を抱いて住居を訪れなければ、この事件はまだまだ容疑者逮捕にまで至らなかったかもしれない。要するに「死人に口あり」の状態を偽装したことで、かえって「その発言がいつもとは異なる」ということで身内の方に疑問を抱かれてしまった。少なくとも、SNSに手を加えなければ、被害者の遺体の発見も、その後の容疑者の逮捕も、もっと遅れていたに違いない。そういう意味では死者になりすましたことが容疑者特定の決め手となった。死者でなくても、大体が“なりすまし”は一度くらいならバレなくても、なんども行えば必ず“おかしな点”が出て来る。SNSの発信には、その人特有の癖のようなものが出る。だから、その人の発信をいつも見たり読んだりしている人の場合、その微妙な違いに必ず気付くものなのだ。捕まった容疑者は29歳の女性で、元々同じ職場で働いていたことのある人物らしい。これが、ただ単に“上司と部下”のような関係だったか“男女間の関係”であったかは微妙で、その部分で怨恨的要素の絡む事件なのか、単なる金銭的トラブルだったのか判明するような気がする。いずれにしても、現代は多くの人がSNSで発信していて、それが“生きていることの証し”となっている場合も多い。それだけに、殺してしまうと“自らが被害者”になりすまし発信して墓穴を掘るのだ。

「運命」という点で興味深い伊集院静氏の生涯

2023-11-25
作家の伊集院静氏が亡くなった。わたしがこの人に注目したのは、彼がまだ作家デビューしたての頃、たまたまその履歴に作詞家としてのペンネームがあり、その名の方で想い出す作品があり「おもしろい詞を書く人だな」と興味を持っていた。だから最初は“小説”ではなくて“作詞”の方だった。その詞は、いま考えると「ギンギラギンにさりげなく」だったのかもしれないが、わたしの記憶ではもっと別な女性新人歌手の歌だったような気がする。とにかく「伊達歩=伊集院静」という名前で記憶に残った。その時点では、だから“女性”なのか“男性”なのか判らなかった。その後はどちらかと言えば小説の「伊集院静」の方で売れ出すようになった。ただわたし自身は雑誌に掲載された小説も読んだが、正直、たいした作品とも思わなかった。それから少し経って「伊集院静が夏目雅子と結婚」という週刊誌記事を目にした。わたしは初めてそこで、この人物が男性で、しかもたいした風采でもないのに、人気絶頂の夏目雅子氏と結婚するのだということを知った。写真を視ても、特別、女性受けするような印象はない。どうして、こういう“冴えない感じの作詞家&小説家”を夫に選ぶのだろうと不思議な気がした。ところが、この結婚生活は長く続かず、間もなくして夏目雅子氏は亡くなった。ただ、その頃から、さまざまなところで「伊集院静」の名を眼にした。本格的に“売れ”始めたのだ。作詞家としても「愚か者」の大ヒットがあった。やがて小説の方でも直木賞を受賞し、さらに女優の篠ひろ子氏と再婚をする。この時にも、わたしは大いに驚いた。一度ならず二度までも“美人女優を妻にする”その人物的魅力が、その当時はわからなかった。やがて、何かの雑誌で彼のエッセイを読むようになって、彼が相当に破天荒な人生を歩んできたことを知った。特に、その借金人生に驚いた。文字通り、昔型のギャンブラーだった。出版社に前借をして博打を打つなど、なかなかのツワモノだった。それから彼の“人生相談コーナー”のようなものが週刊誌に掲載され、ときどき読んだ。ここでもユニークな彼らしい人生論が展開されていた。とにかく令和には相応しくない“昭和の香り”の色濃くする人物だった。亡くなったのは昨日だが、実は運命学的には前回倒れた時の方が、その死亡時期として相応しい。医学は、もしかしたら、無理に生き永らえさせたのかもしれない。

「ライブ会場」は「無差別殺人」の危険地帯⁉

2023-11-24
きのう夕方、横浜に新しく出来た2万人収容できる大型ライブ会場で殺傷事件が起きた。ライブを視に来ていた40代女性が帰り際の通路付近で何者かに刺されたのだ。最初は気付かなかったというくらいだから、そうとう“ごった返していた”と思われる。2万人近くの観客がいっせいに出口方向に向かえば混雑する。刃物を持つ者が居たとしても気付きにくい。また誰もが出口に向かっているから、周囲の人物の顔も判然としない。もしも、無差別殺人を計画したなら、その犯人にとって最も安全に刺殺可能な場所なのだ。もっとも、すぐ大声や悲鳴を上げれば、そこから脱出できない不自由さはある。現在、警察が防犯カメラを解析していると思われるので、或いは犯人が特定できるかもしれないが、ただ防犯カメラで“刃物を持っている人物”が特定できるかは難しい。無差別殺人を意図しなければ、逆に犯行など成立しにくい場所だが、無差別殺人などの意図であれば、もっとも“無法地帯”と言えるのがライブ会場なのだ。なぜなら誰も“そういう意図”を持つ人物がやって来ているとは考えもしないからだ。通常、そのライブにやって来るのは、出演するアーティストのパフォーマンスを視たい、聴きたいファンの人たちだからだ。したがって、すぐ隣に“殺傷意図を持った人物”がいたとしても、気に掛けない。だれもが舞台の方しか視ていない。また、ライブが終われば、出口に向かうことしか考えていない。つまり、周りにあまり注意を向けることがないのが大型のライブ会場なのだ。そういう中で無差別殺人など企てる人物が混じっていたなら、ロック会場などの場合、周囲の人物がサングラスをかけたままマスクをしたままだったとしても不思議に感じることはない。立ち上がったままの会場では、その中を“縫うように”進んできても別に怪しいなどとは考えない。近年はどういう場所にも防犯カメラがあって大活躍しているが、ライブ会場などの場合、警備員が大勢いても、みな立ち上がっていると、どこに誰が居るのかがわかりにくい。今回の事件が、必ずしも“無差別殺傷”を狙っていたかどうかはわからないが、少なくとも、大型のライブ会場が“そういう死角”を持っていることだけは知っておいた方が良いだろう。

義兄「会社破産」で笑顔が消えた渡辺満里奈⁉

2023-11-23
一時期、タレントの渡辺満里奈氏は“癒し系バラドル”のような存在で多くの男性たちから人気があった。それだけに“ネプチューン”の名倉潤氏との結婚は意外な組み合わせのような気がしたものだ。その後、ふたりは結婚後も順調で、次々と子供たちも生まれ育って“健全な家庭”を築いているように見えた。ただ私には気になって仕方のないことがあった。元々身体のラインは細いが顔は丸々と可愛らしかったのに、徐々に“細面”なふうに変貌していったことだ。そして、それに合わせるかのように笑顔が徐々に消えて行ったことだ。子供たちのことなどで苦労が多いのかなと思った。そのうち、夫である名倉潤氏が“うつ病”であることが公表された。そういえば、この人もいつの頃からか、あまり“笑わなく”なっているような気がした。芸人が“うつ病”を公表するのはマイナスな要素が強いと思われる。だから、大丈夫かなと思っていたが、案外早く現場に復帰した。その名倉潤氏がプロデュースして実兄が社長を務める「ステーキなぐら」が破産したというニュースが飛び込んできた。そういえば、何番目だったか忘れたが兄弟の中に「暴力団の兄がいる」と書かれていたのを読んだことがある。殺人事件に関与して逮捕された過去を持つ山口組系の暴力団員だ。このお兄さんではなさそうだ。ただ、そこは兄弟だから、今回の破産劇に何らかの関係があるかもしれない。とにかくこの店をプロデュースしていたということは、無関係ではない。むしろ資金的には“大いに関わっている”と視た方が適切だろう。もしかすると、わたしが感じていた渡辺満里奈氏が“苦悶する表情”に変わっていった背景に、今回の事情が潜んでいたのではないのか。いや、今回の事情だけでなく、もう一人の義兄の動向が関わっているのではないか。夫が“うつ病”となったのも、そのことが絡んでいるのではないか。さまざまな疑問が濃密な霧のように立ち込めてくる。とにかく汚れを知らない少女のように「もじもじ君」を楽しそうにやっていた頃の“癒し系の笑顔”が取り戻せるような環境が、もう一度やって来ることを願うしかない。

「ミサイル」だけじゃない「タワマン」林立⁉

2023-11-22
われわれはどうも誤解しているようだ。北朝鮮が“貧しく遅れた国”だという風に……。そう、誤解なのだ。もう北朝鮮は貧しくもないし、遅れてもいない。確かに、そういう部分も昔はあった。だが、それは昔のイメージを引き摺っているに過ぎない。今の北朝鮮は、或る意味ではアメリカをも脅かす“驚異の国”に変わりつつある。われわれが勘違いしている経済力だって、いつの間にか台頭してきている。都市部だけとは言いながら100メートルを超すタワマンが続々と建設されている。いつまでも昔のイメージで視ていると、そのうち、われわれは追いこされていってしまうかもしれない。だから、北朝鮮が発するミサイルだって、その精度は或る意味で信用して良いので、沖縄に落ちてくるなどありえないのだ。あくまでも沖縄上空を通過していくというに過ぎない。北海道方向に向けて発射した時もそうだったが、日本の政府は北朝鮮のミサイルに対して、少し過剰反応をし過ぎだ。なぜなら北朝鮮は「日本」に対してケンカを売っているわけではない。北朝鮮の狙いはあくまでも「アメリカ」なのだ。アメリカを振り向かせるために、日本近海を利用しているに過ぎない。だから、沖縄とか北海道とか、直接“そこ”に向けてミサイルを発射するわけがない。ただ沖縄の方が、アメリカさんは過敏に反応してくる可能性が強いので、たまには「沖縄を通過させてみるか」という、その程度の思惑からに違いない。それにしても健気ではないか。アメリカさんを振り向かせるためなら、何でもやりますみたいな点が……。だから、日本があれこれ反応しても、別に日本に向けているわけではないので意に介さないのだ。むしろ、日本が気にしなければならないのは、北朝鮮にはタワマンが次々と建っていて、最高300メートル超のタワマンさえも建設中だという点である。その数もいまや東京や大阪には敵わないが、名古屋は間もなく抜いていきそうな勢いらしい。いつの間に北朝鮮人たちは、そんなに金持ちになったのか。その一番の功績は、戦争をおっぱじめている各国との取引だ。最近は中国だけでなくロシアとの仲が良くなった。一発触発の中東各国も、武器輸出のお得意さんたちだ。そういう“お得意さん”をたくさん持つことで、平和を願う日本とは真逆に“戦争することを願って”各国との取引に勤しんでいる。軍事パレードはそのための広告動画なのだ。世界で、何かが変わり始めている。

“事件の舞台”か“バベルの塔”か「麻布台ヒルズ」

2023-11-21
東京港区に日本一の高さを誇るビルが24日に誕生するという。330メートルの高さに達する「麻布台ヒルズ」で、現在の日本一である大阪の「あべのハルカス」(300m)や神奈川の「横浜ランドマークタワー」(296m)よりも高い。現在、世界には“背の高いビル”が続々と建設中なので、それらからすると必ずしも“誇れる高さ”とは言い難いのかもしれないが、地震の多い東京においては画期的な高さといって良いだろう。そのコンセプトは“自然と健康”だそうで、植物園のようなコンセプトだが、自然や健康をテーマとしたような“お店”をたくさん集めていることが特徴のようだ。まあ、でも“こういうビル”のテナントに入るということは“高い賃料”を覚悟で入って来るということで、それなりの金額を取らないと経営として成り立たない。したがって、東京人は“自然と健康”に対しては、それなりのお金を支払う、ということであろう。もちろん東京人だけでなく、世界の観光客たちも視野に入れているだろうから、いまの世の中が大都会の中に“そういうものを求めている”証であると言えるかもしれない。もっとも、このビルが“日本一”で居られるのは5年間だけで、2028年には高さが385mの商業ビルが日本に誕生するらしい。わたしは何となく旧約聖書に出て来る「バベルの塔」の話を想い出す。人間たちが「天まで届く塔を建てよう」と建設を始めるのだが、それを知った神が“増長した人間たち”に怒って、人々の言語を混乱させて塔の建設が出来なくなってしまう話だ。それまで統一されていた言語が、別々に分かれてしまったことで通じなくなり、結局「バベルの塔」は旧約聖書の中では完成しなかったことになっているが、実際の歴史上では“バビロンにあった聖塔跡”が存在していた可能性を示唆している。一説によると、この聖塔ジックラトは91m四方で、その高さも91mだったと言われ、七段形式だったとされている。そして、その塔の上に“神の部屋”が設けられていた。そこに降り立つのは“聖書に示されている神”ではなく“惑星神としての神”で、その神の“お相手”を“処女である巫女たち”が勤めている……とされていた。まあ、だから“聖書の神”は怒ったのかもしれない。

「人気・支持率」よりも「政治は実行力」が鍵

2023-11-20
ここ数か月、岸田政権に対する“支持率低下”が叫ばれて久しい。確かに徐々に徐々に低下し、今回の新聞調査では「21%」の支持に対し「70%」の不支持だそうである。ただ岸田政権の可哀想なところは、特別、何かしらの“大きな失態”があっての“不支持”ではない。閣僚が次々と問題を起こしてはいるが、それらは“副大臣”とか“政務官”とかで、これまでであれば“見逃されてきた人々”だ。現代は情報化が進んでいて、本来であれば“脇役”として調査されなかったような人たちまでが調査対象として報道される。おそらく、同じ基準を十年以上前の政権に適用したなら、多数出て来ていたに違いない。岸田政権の「政策」に対する“不支持”も多いが、客観的に言って、特別“明らかに不公平・不平等”とか、私腹を肥やしているとか、社会にとって悪影響とか、そう言ったような政策というのはない。現役世代にとって“不利な政策”という批判があるが、経済を立て直していくとき、まず第一に救済しなければならないのは“底辺の人々”で、岸田政権はそういう人々を無視してはいない。確かに現役世代への“恩恵”は少ないかもしれないが、暮らしていくことはでき、将来的な報酬を政権自体が企業側に求めている。こういうことは私の記憶する限りにおいて、あまりなかった。現在「日本」自体の経済力が衰えているのだから、その“シワ寄せ的なもの”が現役世代に降りかかりやすいのは仕方のないことなのだ。それが嫌なら起業すれば良い。マスコミというのは基本的に“会社員たち”で構成されている。つまり、一般会社員にとって“多少シワ寄せが掛かりやすい”政策に対しては、どうしても批判的になる。そういう情報番組を次から次と流す。そうすると世間一般の人たちも、基本的には会社員が多いので“街の声”も批判的なものが多くなる。インフレは世界的な傾向で、日本などまだまだ良い方である。これまでがデフレだったから対応できていないだけなのだ。円安は“儲けている企業”の方が圧倒的に多いのだ。その企業に対して文句を言うのなら解かるが、それを“政権批判”に向けるのは違うと思う。岸田政権はさまざまな法律や条例を次々と通して実行力を持っている。少なくとも、これまでの政権よりも、その速度は速い。特別失態のない政権を“追い詰めていく”マスコミに対して、理解に苦しむものを私は感じる。 « Older Entries