11月, 2023年

池田大作氏が滅して「創価学会」も滅するか⁉

2023-11-19
戦後の混乱期からバブル期まで一世を風靡したのが“池田大作氏の創価学会”であり“創価学会の池田大作氏”であった。それくらい「創価学会」と「池田大作」とは固く結びつき、ほぼ“同義語”の時代があった。そして、その頃の創価学会がもっとも勢いが良かった。池田大作氏が「会長」となってから、創価学会は単なる宗教団体ではなく、政治団体ともなったし、教育団体ともなったり、思想団体ともなった。その組織はなかなかに強固で、さまざまな問題が起こっても、何とかそれらを切り抜けてきた。それはひとえに“組織作り”に長けていた池田大作氏の肩に掛かるところが大きかった。その池田大作氏が95歳で亡くなった。わたしは、もうとっくに亡くなっているものと思っていたので、亡くなっていなかったことの方に驚いた。ただ実質的には2000年代に入ってからは“彼自身の言説”は表に出なくなっていて、それゆえさまざまな憶測が流れてきた。まあ客観的な捉え方で観た場合、彼がリードしていた時代がこの宗教団体の“栄光の時代”だったと言えるだろう。宗教とか政治とかは“カリスマ型の人物”が登場した場合、その人物の活躍とその団体の活躍とが“ほぼ重なり合う”もので、その象徴的人物が居なくなると、あっという間に崩壊していく。創価学会の場合は、組織的な骨組みがしっかりしているので“あっという間に”とはいかないかもしれないが、実質的に内部崩壊が進むことは確実であろう。わたしは身内に熱心な信者が居たので、この団体の“早期の状態”は或る程度知っているが、それ以降のことはほとんど知らない。その早期の状態で言えば、宗教団体には似つかわしくないようなことをする部分が多かった。個人の信仰心というよりも、組織的な信仰心というものを重視し、それに基づいて行動していくようなところがあった。どちらかというと早期の頃の創価学会は“攻撃型の宗教”で、ちょうどオウム真理教が勢力を拡大していた頃のようなことが平然と行われた。だからいろいろトラブルも多かった。そして、いつの間にか最初の信仰母体であった「日蓮正宗」とは切り離され、独自の道を歩むことになっていった。解りやすく言えば「創価学会=池田大作教」に変身していったのだ。したがって、その象徴的人物が亡くなってしまうと、もはや組織として維持し続けられるのか微妙な印象を受ける。おそらく15年後くらいには派生宗教はあっても、その本体は無くなっているかもしれない。日本の復興を支えた“一つの象徴”が滅したのだ。

「札幌」が「那覇」に勝つ‼“最低気温の一日”

2023-11-18
ほんとうは“勝つ”とか“負ける”とかいう問題ではないのだが、それでも、たまには「愛は勝つ」じゃなかった「気温で勝つ」日があっても良い。11月18日の予想気温が出ていたが、その中で北の北海道よりも南の本州のほとんどの地域が、その最低気温において北海道を下回っていたのだ。つまり、札幌や釧路は18日の最低気温が“±0度”なのに対して、新潟は“-2度”、金沢は“-4度”、鳥取は“-8度”、大阪は“-6度”、鹿児島は“-2度”、那覇は“-1度”と表示されている。こんなことは初めてではないか。沖縄の最低気温が北海道の最低気温を下回っている。少なくとも、わたしは過去に観た記憶がない。つまり札幌は那覇に勝ったのだ。こんな“ヘンなコト”で悦ぶのは私くらいかもしれないが、なんとなく嬉しい。というか気分が良い。たまには、こういう日があっても良い。毎年、一年に5日間くらい、そういう日がやって来ないものだろうか。そして「沖縄は寒いんだろうねえ」とかアイスクリームを食べながら言ってみたい。いや、実際に科学の発達で“そういうような日々”を作れるようにならないものだろうか。いつも「地球温暖化」とか言って、あれこれ対策を練っているが、それでも全然効果は乏しくて、結局、人類は大自然に対して“全く歯が立たない状態”が続いている。何となく「先端半導体」とかいう名称を観たりすると、人類はどんどん進んでいくんだなと思いがちだが、実際には“寒さ”“暑さ”ひとつさえも自由に出来ない。大自然様には到底太刀打ちできない、もろくて弱い存在なのだ。それを想うと、もはやこういう“偶然の出来事”で「札幌が那覇に勝った」と悦ぶしかない。いや、そういうふうに思うこと自体が“大自然に手も足も出ない”証拠と言えるかもしれない。まあ、そんなことはどうでもいい。とにかく、今日は「札幌が那覇に勝った」記念すべき佳き日なのだ。

「いまを生きて行く」人工肛門の内田春菊氏

2023-11-17
人には人それぞれ“さまざまな生き方”がある。そして、こと“生き方”に関しては、どれが正しいという“絶対的な基準”は存在しない。どう生きようと、その本人が“責任の取れる生き方”であれば、だれもそれを批難できない。作家として、漫画家として、エッセイストとして、女優として、さまざまな顔を持つのが「内田春菊」という女性だ。私生活の方でも、これまで3回結婚し、3回離婚し、そのたび妊娠・出産しているので、それぞれ父親が異なる“4人の児の母”でもある。2017年に大腸がんに掛かっていて、その結果、人工肛門を着けての生活に変った。その後は自らの意志で恋愛もSEXもアルコールも絶ったという。そして、人工肛門も隠すことなく、その後も舞台に立ち、自らの漫画でも人工肛門について記載している。それは、この人が、自らの“生き方”に迷いがないからだ。人工肛門が決った時にも「これは漫画に描ける」と瞬時に思ったそうだ。奇妙にも、だからなのか、ホロスコープを観ると、手術に至った2017年のトランジット惑星は、彼女の出生時の惑星たちに対して、吉としてのアスペクトと凶としてのアスペクトと、その両方を同時に与えている。実際、彼女のインタビュー記事からは“悲惨な感情”などは微塵も感じられない。むしろ、そういう方達とのネットワークが出来たことを感謝している風な部分さえ感じられる。吉としてのアスペクトとしては、海王星が太陽に120度、天王星が火星に120度、土星が金星に120度と示され、新たな仕事への意欲さえ窺われる。その一方、凶としてのアスペクトとしては、海王星が水星に150度、天王星が木星に150度、土星が月に150度となっている。つまり、同じ惑星が、一方で120度を作り、その一方で150度を作っている珍しい構図だ。通常、運気の良い時には、良い惑星配置だけが目立ち、運気の良くない時には、悪い惑星配置だけが並ぶものだ。この人のように、同時に“吉”と“凶”とが、見事に半分ずつ分かれるのは、この人の元々の性質の中に“矛盾する要素”が潜むからでもある。人工肛門を着けたことで、まるで仏門に入ったかのように酒やSEXを絶つことに変ったという彼女は、そのうち瀬戸内寂聴氏のように、人々を説法するようになっていくのであろうか。

“勘当”から“感動”へ「親子2ショット」の写真‼

2023-11-16
久々に花田優一氏のSNSから転載した出来事の記事を読んだ。要するに彼が母親にバースディーケーキをプレゼントして“一緒に微笑んでいる写真”に言葉を添えた投稿に対しての反響を記事にしたものだ。似ている。確かに父親である貴乃花光司氏の“若い頃”を、さらにバージョンアップさせたような笑顔だ。それが思わぬ効果を生んだ。母親である河野景子氏が驚くほど“若い”のだ。もう59歳の誕生日を迎えたというのに、一見すると40代くらいにしか視えない。そこで、どうしても昔を知っている者には、貴乃花氏と河野氏の“ツーショット”を想い出してしまう。どうして一緒に居ないのかと言えば、当然のことながら4年ほど前に離婚しているからだ。顔を寄せ合ったことで“親子写真”なのに“夫婦写真”のような不可思議な効果をもたらしてしまった。そういえば、大人になって以降、日本人親子の多くはこういうふうな“顔を近づけ合った写真”というものを撮らない。撮りたがらない。それが普通だ。けれども優一氏は、あえてこのような写真を掲載し、しかも素晴らしいメッセージまで添えている。今年のも良いが昨年のはもっと良い。《世界でいちばん幸せな母親になってくれ‼》《偉大な母の大切な日》どちらも成人した大人は、なかなか自分の母親に向かって、このようには発信できない。実は優一氏は、父親から“勘当”されている。現代では通用しない言葉だが、それ以降、父親との交流はない。それでも、母親とこのようなカタチで素晴らしい交流を続けている。有名人の子供として生まれ育つのは、或る意味では大変である。世間というのは“有名人の子供”に対して、よほどでなければ“良い評価”を与えてくれない。相撲ではなく、靴職人という奇妙な世界に向かった息子に対して世間の風当たりは必ずしも良くなかった。特に、彼がTVに多く出るようになって以降、靴職人であるのに、なかなか靴が完成せず、タレント活動に忙しいのはいかがなものか的な風評が目立った。けれども、いまも彼は“靴職人”を続けているらしい。或る意味、立派なものだ。そして、このように母親に対して素晴らしいメッセージまで届けられる息子になった。人の“生き方”は簡単には判別できない。

ジャニーズ・宝塚・歌舞伎=ハラハラの世界⁉

2023-11-15
あまりにも多すぎて全部はわからないが、とにかく一般にも浸透している“セクハラ”と“モラハラ”がぎゅうぎゅう詰めになっていた可能性が強い“三つの世界”がある。言わずと知れた「ジャニーズ」と「宝塚」と「歌舞伎」の世界だ。いずれも或る意味では“特殊な世界”で伝統を重んずる芸能世界としては「日本」を牽引してきた世界ともいえる。その三つともが今年は脆くも崩壊した。その一つ「宝塚」が劇団員の不審死に端を発して、いま窮地に立たされている。その本格調査に何んと弁護士が9人。いかに複雑で堅固な城壁であるかがわかる。調査報告書の多くは“黒塗り”となっている。まるでUFOか暴力団の調査報告書のようですらある。そんなにも“あやしい部分”が多い世界であったということに今更ながら気が付く。ジャニーズにしろ、宝塚にしろ、歌舞伎にしろ、その舞台は華やかで美しく“夢のような世界”を提供してくれていた。ただ「美しいバラには棘がある」という言葉を地で行く事件が今年は続いた。実際には昔からあったものが、今年になって暴かれたといった方が正しい。それぞれを“別の事件”や“現象”として捉えると、よくわからないのだが、こうして“同一線上に並べる”と、今年の持っている“運命の真実”が視えてくる。優れた運命家というものは、そういうふうな観点というか、視点というか、総括力というか、そういうものが必要なのだ。そういうものを持っていないと、人間の運命の本質は掴めない。ただ単に“占いの学校”や“占いの教科書”をいろいろ学んで資格を取っただけでは“運命”や“神秘”の構造が持っている本質がわからない。ところで近年はコンプライアンスというものが異様に重視されるようになった。それによって、今年のように“秘められてきた真実”がいろいろと明らかにされていった。さて、これまでジャニーズや宝塚や歌舞伎で“夢を観てきた人達”は、これからも夢を見続けることが出来るだろうか。サンタクロースと同じようなもので、一度真実を知ってしまうと、どこかに冷めた気持ちを持ちながら“サンタクロースを待つ”という日々となる。それが大人になっていく階段なのは誰でも知っているが、何かしら虚しいものを感じながら、それでもサンタクロースの伝統は続いていく。

「ドリフのコント」のようでなんだか楽しい⁉

2023-11-14
けっこう深刻な事件なのに、その内容だけを聴くと、昔懐かしい“ドリフターズのコント”のようで、妙に楽しい気分にさせられる事件というのがある。13日の午後8時半ころ、三重県桑名市の温泉施設で起きた事件は文字通り“その種”の事件だ。その日、温泉施設の従業員は入浴していた女性客から「女湯の方に男が入っているんです」と困惑顔で相談を受けた。そこで、中を確認してみると、確かに中年男性が洗い場の方で、自らの身体を流していた。特別、不審な動きをするわけではなかったが、明らかに男性であった。そこで従業員は110番通報をする。その間も、従業員は観察を続けたが、その男に特別不審な動きは無かった。もしかして眼の視えない男性なのだろうか、と従業員は思った。警官が到着して、特別なトラブルもなく「女性用浴場」に不法侵入した罪で43歳の男は御用となった。ところが、その男は抵抗はしなかったが「わたしは心はオンナなのに、なぜ女子風呂に入ってはいけないのですか」と反論した。もちろん、犯意については否定している。実際、従業員の観察からも、女性客たちからの証言を聴いても、その男が女性客のハダカを覗き見する様子とか、女性客たちの前に行って自らの性器を露出するとか、その種の行動は一切なかった。したがって、その男の反論も、頭から否定は出来なかった。ただ、どうみても“オトコの身体”でニューハーフの方達のような外見ではない。近年、各種の裁判や判例で、どちらかと言えば各国の事例として「外見だけで性別を判定する」ことへの批判が高まっている。そうは言うものの、ここは日本であり、同じ「心は……」でも、あきらかに周囲も納得する“中性的外見”の場合と、そうでない場合とがある。この“そうでない場合”が問題なのだ。どんなに「心はオンナなのに…」と言われても、共感しにくい人たちの中には、その時々でオトコとオンナを上手く使い分けているような人もいる。今後、この種の犯罪(⁉)は増えていきそうな予感があるが、一応の基準のようなものを法律的に示しておかないと、温泉施設の関係者などは困惑させられることが多くなっていくに違いない。

「死ぬ手伝い」ではなく「生きる手伝い」を‼

2023-11-13
最近は専門学校を受験する若者が多くなった。若い年齢からハッキリとした目標を持って、それにふさわしい学校を択んでいくことは素晴らしい。けれども誰もがハッキリとした目標を持って専門学校を選択しているとは限らない。何となく一般の大学に進むより“そっち”の方が資格や技術が身について「就職のとき有利そうだ」とか「授業として面白そう」とか「友達に誘われて…」とかの理由から進学していくケースも多い。そうして、いざ入ってから「専門的で難しそう」とか「やっぱり興味が持てない」とか「大学の方が良かった」とか、後悔してしまうようなケースも多いと思われる。昨日、徳島中央署が“自殺ほう助の罪”で2人の女子専門学校生(18歳)を逮捕した。実は前日、同じ学校で友人だった男子学校生(19歳)が“首を吊って”亡くなった。その男子学生に対しての“自殺ほう助罪”で2人は捕まったのだ。ところが実際には、その現場に彼女たちはいなかった。居なかったのに捕まったのは、その前日に実は「一緒に死のうとしていた」からなのだ。一緒に死のうとしていて、彼の家に集まり、一緒に“それ”に必要な道具を買いに行っていた。そして、一度は一緒に“死ぬ手筈”を整えたのだが、意外なほど人が多く通ることに気付き、そのうちの一人が“抜け”て自宅に戻り、その後、もう一度“やり直した”が上手くゆかず、女子学生の方は自力で何とか自宅に戻り、これまでの状況を父親に告げ、その父親が慌てて現場に行ってみて、男子学生の“首吊り姿”を発見したという経緯だ。せっかく同じ学校で仲良くなった3人なのに、勉強のために集まったのではなく“一緒に死ぬ”目的で彼の自宅に集まった。ただ“予定した場所”は人の気配があって、じっくり“死の作業”をするのに相応しくなかった。そこで、一人が怖くなって“抜ける”決意をした。この時点では、まだ実際の行為に移っていないのだが、それでも“自殺ほう助罪”は成立する。もし、この時点で“抜ける決意”をした女子学生が、ふたりに対して「やっぱり止めようよ」と強く働きかけていれば、或いはすぐ警察に駆け込んでいれば“自殺ほう助罪”には問われなかっただろう。「死ぬ手伝い」は出来たけど「生きる手伝い」をしなかったことで、彼女にも“自殺ほう助罪”が適用されたのだ。

「レースのカーテン」の“分厚さ”に安堵の夜⁉

2023-11-12
「冬」がひたひたと足音を立てて近づいてくる。わたしが暮らす北海道であればなおさらのことだ。ということで、一つの発見をした。いまさらながらなのだが、引っ越して来て初めて夜に外を見ようとして、レースのカーテンを指で開いたのだ。ところが私は普段、布地のカーテンは常に開け閉めしていて触る機会が多いが、レースのカーテンの方は滅多に触れることがない。引っ越して来て初めてちゃんと触れたのだ。そして、その分厚さに驚いた。レースのカーテンなのにこんなに分厚かったのか。普段、布地のカーテンを開いていて、その分厚さは知っていたが、レースのカーテンまでも、こんなに分厚いとは思わなかった。前に暮らしていたマンションでは、レースのカーテンは文字通りレース地で薄くて透けていた。だから真冬には冷気を通した。今度のマンションでは“文様の入っているレース地”だからなのか、それともこの製品だからなのか、よくわからないがとにかく分厚い。これだとカーテンを二重に引いていれば、かなり冷気を遮断できそうだ。もともと布地の方は“遮光カーテン”なので布地が厚く出来ている。北海道のマンションの多くは二重窓になっていて、大体が外気を遮断しやすく出来ている。しかも、わたしの部屋の場合は広いルーフバルコニーが突き出ている構造なので、そういう意味でも、多少、外気そのものとの接触が和らぐような構造になっている。ただ何といっても北海道である。3月下旬に入居して来たので、このマンションでは真冬の寒さを経験していない。だから実際のところ、前の住居と比べて、寒いのか、暖かいのか、予測できない。一般的に言えば、新しいマンションの方が建材なども進歩し、より寒さに強い構造となっていそうだが、近年の建築資材の値上げなどが影響して“質が落ちる”ということだってあり得ないことではない。暖房そのものも、以前はすべて灯油だったが、こちらのマンションはガスに統一されている。同じ暖房器具でも“灯油の暖かさ”と“ガスの暖かさ”とは微妙に異なる。今は昔に比べると、どの暖房器具でも変わりはなさそうだが、昔はさまざまな暖房器具で“暖かさ”が違った。わたしはエアコンの暖房を使っていないので“電気の暖かさ”はよく解かっていないが、ただ大昔は“電気ストーブ”を使っていた時期があり、その経験からすると“電気の暖かさ”は北海道に向いていなかった。このマンションの“床暖”は電気なのかガスなのかよくわからないが、とにかく“ガスの暖かさ”が“灯油の暖かさ”に負けないことを願うしかない。

「1兆4087億円の赤字」でも、平然の投資企業

2023-11-11
人でも企業でも、その人に“見合った金額”というものがある。世の中というものは上手く出来ているもので、その人や企業に見合っている限り、一般的に言って“その金額”が大きすぎようと小さすぎようと何ら問題がない。問題が生じるのは“見合っていない金額”になった場合のみである。そういう意味で、日本を代表する企業の一つであるソフトバンクグループにとって、決算時における1兆4000億円の赤字は、たいした金額ではないのだ。いつの間にか、ソフトバンクグループという企業は、完全な“投資会社”となっていて、だから実にさまざまな起業に“大盤振る舞い”のごとくに投資している。この投資企業が創業者である孫正義氏の“目利き”に頼って成長してきていることは論を待たない。大昔から、孫氏は常に未来を見つめ、将来的には海のものとも山のものともつかないような“人”や“企業”に賭けて来ている。早い話がギャンブル的な大博打を何度も打ちながら、いつの間にか日本を代表する巨大企業へと成長させてきたのだ。通常、この種の起業家たちは、或る程度まで成長した後は“守り”に入る。つまり、どちらかと言えば無難な方向へと舵を切るものだ。ところが、根っからのギャンブラーである孫氏にとって、そういう“適度な勝ち方”はお好みではないらしい。いつまでも“危うい部分”がないとスリルを感じられなくて嫌なのだろう。だからというわけではないが、今回も1兆4000億円の赤字だが、今後いくらでも挽回する可能性があるということで焦っていない。もっとも、孫氏の“目利き”が常に的中するとは限らない。今回の決算でも破綻した企業が足を引っ張っていたことは認めている。つまり、どんなに優れた“先を読む力”を持った人物でも、いつでも“それ”が的確であるとは限らない。むしろ、数多くの人や企業にチャンスを与えることで、その中から“金の卵”が出現して来ればいい…という考えなのだ。だから失敗した企業や人を決して責めない。どういう企業に出資する時にも「出資させていただく」という言い方をするらしい。決して「出資してやる」ではないのだ。そこに、この企業が巨大になっていった秘密があるよう私には思われる。

新聞社と美術館がまとめた「タロット」解説書

2023-11-10
先日、たまたま街中に出たついでに大型書店に寄った。大型書店に行くと近隣の書店では見掛けない本が多数おいてある。ただ本来の目的を持っていて、時間待ちついでに立ち寄ったときには“大きな書籍”の購入は邪魔になる。だから、小さく軽めの本が好い。ということで手に取って購入したのが『美しきタロットの世界』という“占いではないタロットの本”だった。大体、世の中に出ている本で「タロット」と名のつく本は、その9割までが“占いの本”だ。だから占いの本ではない“タロット書籍”は、或る意味で貴重な本ということになる。読売新聞の“美術展取材班”が「東京タロット美術館」なるところの監修のもとにまとめた本だ。わたしは、この本で「東京タロット美術館」という名の美術館があることを初めて知った。タロットカードなどの輸入を行っているニチユ―という会社が経営しているらしい。3000種のカードデッキを所有し、500種類のカードを展示しているというのは素晴らしいと思ったが、日時指定の予約制でなければ来館できないという点や、館内ではキャッシュレス決済のみという点が、少し融通が利かない印象をわたしは受ける。もう少し気軽に立ち寄れるような形に出来ないものだろうか。それから、この本自体はタロットそのものに関して、さまざまな観点から書かれてあって、さまざまなカードも紹介してあって、そういう点では好ましいのだが、エジプト系カードをほとんど加えていない。その点が何となく不公平であり、不可解でもある。本書の中で、タロットの“エジプト起源説”について否定的な説ばかり紹介しているが、そういう立場の研究者だけがいるわけではない。それらを頭から「現代では否定されている」と切り捨てているのは明らかに不平等だ。もし“エジプト起源説”を切り捨てるのなら、“聖書起源説”や“オカルト起源説”だって理に適っていないのであって、それらを紹介しながら、エジプト関連の説だけ排除しているのは理解に苦しむ。そういう“片手落ち”な部分は或るものの総体的には、タロットそのものを包括的に知る本としては良書と言えるかもしれない。

不可解なことがいっぱい「12億円」詐欺事件‼

2023-11-09
世の中には“悪いコト”をして儲けようとする人たちがたくさんいる。だから“ちょっとした詐欺事件”なら別に驚かないのだが、さすがに“12億円の詐欺”となると興味を持つ。それも、総合計額がではなく、一人の人物から3か月弱の短期間に7回振り込ませての12億円ということになると、なかなかの詐欺だということになる。しかも、これは俗にいう“振り込め詐欺集団”が行った事件ではない。その当時はれっきとした一流企業ソフトバンクの統括本部長職と課長職にあった人物、さらにアパレル会社を経営していた人物の3人が組んで行われた事件、しかも、それを行った場所が港区のソフトバンク本社内だったというのだから、だれもが首をかしげる。もっとも、そういう大金を振り込ませるくらいだから、カフェの片隅で行うわけがない。統括本部長だった清水亮は実在しない“システム開発の企画書”を見せながら、96億円に及ぶ社内システムの入れ替えプロジェクトが進められていて、その先陣として12億円投資すれば5%の配当がつくという説明をしたらしい。この“内密の投資話”のターゲットとなったのは1人の投資家や企業家だけではない。20人ほどが集められていたという。そのくらいの人数を会議室に集められるくらい統括本部長は実力があったのだ。それにしても、ソフトバンク本社の会議室と言えば、そうそうふつうの人が入れるところではない。しかも、現役のおそらく課長が制作したであろう本格的な企画書を伴っている。実質担当者役として、或いは“内密の投資話”の拡散役として、アパレル会社の経営者が加わっていたに違いない。いずれも現役で“それなりの風格”を持っている。通常、社外から、自社のシステム開発の“投資を募る”ということはあり得ないが、何しろ、当時は現役の統括部長と課長なのだ。そして本社の会議室なのだ。40代で本社の統括本部長にまで出世した人物が、なぜ道を間違えたのか、40歳になったばかりの課長も同様だし、当時はアパレル会社を経営していた現ホストもそうだが、みな或る意味では“それなりの成功者たち”だったはずだ。もしかすると、彼らはいずれも個人的な投資の失敗によって“大きな負債”を抱えていた仲間だったのではないだろうか。そうでもなければ、このような詐欺事件を起こす理由がわからない。それと、このような事件を引き起こさせたソフトバンク本社にも問題がある。今回は早くに発覚できたから良かったが、もし社内で発覚できていなければ、多くの犠牲者が出て来た可能性もある。更に出資者の方も、騙されたとはいえ12億もの金を正式契約書なしで振り込むなど考えられない。すべてがTVドラマとしたくなるような事件ではないか。

こういう男性称えると“袋叩き”にあいそうだが

2023-11-08
もちろん、これはれっきとした犯罪で、実際、逮捕されているし、本人も言い逃れできる状況ではなく自らの罪や行為を認めている。だから、ここでこのようなことを書くと、女性たちから総攻撃を食らい“袋叩き”にあうのだろうと思う。そうは思うのだが、わたしはこういう人物を世間と一緒になって断罪する気には何故かなれないのだ。事件の経緯はこうだ。実に単純な事件で、30歳になる前橋育英高校の教論であるS(30歳)は、フィットネスジムに通う若い女性のハダカが視たくなって、そのジムに併設されているシャワー室の天井裏に這い上がって、その換気口らしき隙間から、シャワーを浴びている女性の姿を“覗き視した”というのだ。ところが、その女性は天井裏に男性が潜んでいることに気付いていた。そこで、シャワーを終えてから近くの警察署に駆け込み、事情を説明して容疑者である30歳の男性教論が御用となった、という話だ。フィットネスジムに通う女性には、若くて美しい女性も多い。特に最近は“フィットネス”自体が或る種のブームとなっているせいもあって、これまでなら、そういうところとは無縁だったような女性が出入りしているジムも多い。なんども言うが、だからと言って“覗き見”が許されることはなく、れっきとした犯罪だ。容疑者の供述によると、どうしても若い女性のハダカが視たくなった…というのだが、もし、ただ単に“ハダカが視たい”だけなら、風俗を使うなど視る方法はいくらでもある。たぶん彼は“或る種のスリル”と“変態的欲求”があったに違いない。ただシャワー室の天井は、それほど高くない。それに換気窓的な隙間はそれほど狭くない。ふつうに考えて、そこから覗いたなら、相手の方からも“その眼”が視えてしまうことになりやすい。江戸川乱歩の小説に『屋根裏の散歩者』というのがあって、わたしはこの小説が好きだった。これは屋根裏を歩き回って“覗き見する”人物の物語だ。小説としてのこの作品はさまざまな想像力を掻き立ててくれる。だから、小説的に妄想する分には“覗き見”はさいこうの興奮を与える。ただ、小説的に捉えればそうなのだが、実際の“覗き見”など成功する確率はゼロに等しい。なぜなら、天井裏というのは基本的に真っ暗なのだ。大正時代の建築であれば「屋根裏部屋」というのも存在したかもしれないが、現代的な構造では“部屋”的な空間は無いと思った方がいい。そうするとどうなるかというと、身動きが取れないのだ。仮に潜んでも、簡単には動けない。つまり覗ける角度や方向や距離が変わらないのだ。しかもシャワー室の場合は狭いから、ほぼ真上の隙間となる。したがって、女性の頭部や髪の毛や顔貌は視えるかもしれないが、その下の方はなかなか明確に捉えることは難しい。しかも、当然のことながら湯気が立ち上ってくる。つまり、温泉街を歩くのと同じで“ぼんやり”としか視えなくなる。彼は努力して“覗き穴”を手に入れたのだが、実際にはほとんど視ることが出来ずに御用となったのだ。 « Older Entries Newer Entries »