1月, 2024年

高齢者の「おばさん」発言を“微笑む社会”に‼

2024-01-31
当たり前の話だが、人はだれでも齢を取る。世の中の変化が激しくなって、その“変化”に上手く対応していくことが出来る人と出来ない人が出て来ている。これは、人それぞれの現在の置かれている環境とか、元々の性質とか、頭脳とか、体質とか、職業とか、さまざまな要因から生じることだ。したがって、一律に“どうこう”いうことはできない。「高齢者」と一口にいうが、これも実際には年齢だけで区別できないところがあって、特に現役で働き続けている人と、既にリタイアしている人とでは大きく異なる。ところが現代は何でも一律にしないと気が済まない人達が多い。そこで政治家の麻生氏が上川陽子外務大臣について「おばさん」と発言したことが波紋を呼んでいる。近年、この種の発言に神経をとがらす人たちがいる。そういう人たちは、高齢者が何十年間も「普通のこととして行ってきた発言」まで“やり玉”にあげようとする。昔から麻生氏と言えば“デリカシーがない発言”で知られる人物だが、別に悪意があってのことではない。この「おばさん」発言も、上川大臣を持ち上げるような意味合いで使われていた。それに、だれがどう見たって“おばさん”であることには違いない。おそらく60代以上の人々のほとんどが男女にかかわらず「おばさん」という表現に違和感を覚えないと思う。まあ、ほんとうは「女性」という表現を使った方が講演の中での話なのだから相応しいが、元々“男性優位的な社会”で育ってきている麻生氏であれば、大目に観てあげるのが“寛容な社会”というものではないだろうか。よく田舎から都会に出てきた人たちが、方言とか訛りとかで“公的な仕事”では苦労する場合があるが、それと似たような感覚で“受け入れる”ことは出来ないものであろうか。「お年寄りはこれだからなぁ…」と微笑みながら聞き逃してあげる……くらいの寛容さが欲しいのだ。そうでないと、世代間において、あまりにもギクシャクとした状態が続いていくような気がする。ちょっとした言葉や行動に対して、すぐに“やり玉”にあげるようなことが「正義」であるかのような風潮は、必ずしも健全であるとは思えない。日本社会の今後というか未来を考えるうえでも、決して良い兆候ではない。これから、ますます“お年寄り比率”が高まっていくのが「日本」なのだ。そういう人たちが無意識に“使ってしまう言葉や表現”を、身体をいたわるのと同じような感覚で“受け入れる”姿勢が欲しい気がするのだ。

2027年ギザに「色付きのピラミッド」が誕生⁉

2024-01-30
古代において「もう一つの色付きのピラミッド」と呼ばれていたピラミッドがある。それがギザの“三大ピラミッド中の第三ピラミッド”だ。つまり俗に「メンカウラー王のピラミッド」として知られているピラミッドだ。三大ピラミッドのうちでは最も小さい。だから、ほとんどの人はギザに行っても「視て来なかった」かのような印象しかない。パッと見で目立つのは「クフ王のピラミッド」と「カフラー王のピラミッド」だ。そこで、どうしても印象に残らなかったのが「メンカウラー王のピラミッド」なのだ。ところが、3年後になると、状況はがらりと変わって、こちらのピラミッドの方が主役に躍り出る。どうしてかというと、エジプト考古庁が本格的な改修工事に乗り出したからだ。3年間をかけて「メンカウラー王のピラミッド」を“建造当初の姿”に戻す。そうすると、このピラミッドの輝きが元に戻る。もともとこのピラミッドは古代の人々に「色付きのピラミッド」と呼ばれていたのだ。茶系の花崗岩が“その化粧石”として使われていたからだ。「クフ王のピラミッド」や「カフラー王のピラミッド」も化粧石で覆われたが、これらのピラミッドには「良質の白色石灰岩」が使われていた。だから完成直後は白くピカピカと輝いていたのだ。それに比べて「メンカウラー王のピラミッド」は茶系の花崗岩だったので「色付きのピラミッド」として異彩を放った。実は、ここに秘密があって、よく“三大ピラミッド”と呼ばれるが、クフ王のものとカフラー王のものとは大きさも色もほぼ同一で、その間隔も狭かった。つまり、建造当初から“二基揃って一つの役割”を意図したピラミッドだった。それに対して、こちらのピラミッドは大きさも異なり、色も異なり、距離的にも少し離れていて“別個のピラミッド”として建造されたものなのだ。役割が異なっていたのだ。その独自のピラミッドが修復され、原初の色や形となって、エジプト観光の目玉に変わる。こちらの方が大きさ的にも「写真に納まりやすい」から、若い人たちに拡散しやすい。大ピラミッドの方は「新たな内部通路がある⁉」と煽っているが、実際には壊すことも出来ないから、玄室くらいしか見せるものがない。新たな目玉として客を呼べるのは、修復可能な「メンカウラーさま」なのだ。

“モナリザ”にスープ&パリをトラクターで包囲

2024-01-29
欧米人は“スト”や“デモ”が好きだなぁ…と感じることが多い。今月24日、フランスでは国内60カ所でデモが決行された。実は今日29日にもパリ市内を“トラクターによって包囲する計画”があると伝えられる。これらを行っているのは農家の人々だ。近年、欧州では農家に対してさまざまな規制が掛けられつつある。要するに、これまでの農業のやり方では地球環境に良くないので改正していこうという試みだ。たとえば農地を“休ませる期間”を設けることとか“農薬を規制する動き”が法制化されつつある。ところが、これらが実施されると「農家は生活できなくなる」ということで、危機感を持った人たちがデモやストライキを決行しようというのだ。これら農家の動きに、手を貸そうとする集団が居る。俗に環境活動家と呼ばれる人たちのグループだ。これらの人たちのやり方は派手だが危険な部分が多い。昨日も環境活動家を名乗る女性たちがパリのルーブル美術館内で、レオナルド・ダビンチの「モナリザ」に対して持っていたスープを投げつける騒ぎがあった。彼女たちは、それを行った後に「芸術と、健康で持続可能な食糧への権利とどちらが大切か。われわれの農業システムは病んでいる」と叫んでいる。解かったような、解らない主張だ。まず第一に、その主張と“芸術作品”とにどういう関係があるのか。最近、有名な作品が狙われているケースが多い。昨年は、ゴッホの「ひまわり」が10代とおぼしき環境活動家に狙われた。フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」も“赤い液体”を投げつけられた。世界的に知られる名画ばかりが狙われている。何十億円とか何百億円とかする名画に“液体”や“塗料”を投げつける行為は、その主張などとは関係なく、美術館や絵画の環境を破壊する行為でしかない。しかも、それら芸術作品と“食料”には何の結びつきもない。言ってみれば、芸術作品がとばっちりを受けているに過ぎない。もちろん、それらの作品の傍には警備員が居て、直接触れることはできない。今回の場合でも作品に向かって“スープを投げつけている”が、その行為の方がよほど破壊的で、環境を守る主張とは矛盾している。世界的な名画の場合、そのほとんどがガラス入りの額縁で、直接作品が汚れることはない。それでも、芸術作品が汚された感じで暗い気持ちにさせられる。もう少し、その主張が理解されそうなやり方に変えなければ、単なる犯罪集団として排除されていくだろう。

「未完の漫画原作」を、なぜドラマ化するのか

2024-01-28
近年、日本のテレビドラマで多くなってきているのが“漫画原作もの”を“TVドラマ”をする手法だ。昔は“人気連載小説”をドラマ化することはあったが、漫画をドラマ化すること…は滅多になかった。ところが、最近は“この種の手法”が極めて多い。その結果、最近の日本のTVドラマにはストーリー展開にムリがあったり、キャラクターが途中から変わっていったり、何が何だかわからないうちに終わりを迎えたりする作品が多い。大人のドラマとして、あまりにも“薄っぺらい”というか“深み”に欠けるような作品が目立つ。人気ドラマとして昨年10月~12月にかけ放映された「セクシー田中さん」という作品がある。わたしはタイトルに惹かれて観てみたのだが、この作品がもともと人気の漫画原作だということを知らなかった。しかも現在も継続中の“未完の作品”だというのだ。それをTVドラマとしては、既に完結させている。問題はないのだろうかと思っていたら、案の定、この作品に関して、原作者とTV局との間で問題が起こっていたらしい。要するに原作者は「もしTVドラマ化するなら、作品に忠実にして欲しい」と要望したという。ところが、実際に放映されたドラマは漫画原作とは“大いにかけ離れた作品”だったらしい。そこで原作者がクレームを入れ、その結果、終盤にかけては漫画原作者が急きょ脚本も担当するという“異例の展開”となったようだ。その経緯について、原作者がSNS上で詳しく記している。いちばんの問題は、なぜ“未完の作品”をドラマ化したのか……という点である。もし、ドラマとして“終わらせる”つもりなら、基本的に“漫画の人気”にあやかっての視聴率を期待した作品作りとなってしまう。したがって、そこには漫画原作者の“意図とするもの”は土台が反映されないこととなる。漫画原作をドラマ化すること自体が悪いとは思わないが、少なくとも“まだ終わっていない作品”をドラマ化すれば、トラブル必至となるのは眼に見えている。これがアニメ化するなら話は別だ。アニメの場合にはドラマと違って“漫画のように視る”ことが可能だからだ。ところが、漫画とTVドラマとでは“同じような眼で”見ることはできない。ドラマはドラマとしての“描き方”がある、それに、漫画世界では許される“過激な表現”とか“超現実的な展開”とかも、TVドラマではリアルには伝わらない。しかも、最終的な結末をどうするか決めないでスタートするなど、どう考えてもTVスタッフ側に問題がある。原作者を苦しめるような“タイトル借り”はすべきではない。

《「運」も才能のうち》という言葉の“真意”

2024-01-27
わたしが以前から心配しているプロ野球選手がいる。ロッテの佐々木朗希投手だ。12球団で唯一“契約未更改”となっていたが昨日ギリギリとなって「合意した」と本人側、球団側、双方から報告が示された。ただ、その内容に関しては「近日中の記者会見」で明らかにするということで、どうも判然としない。この件に関しては、さまざまな憶測が流れている。本人だけでなく、スポンサー企業の代理人、そして母親が“交渉”に加わっているとされ、そのためもあって問題を複雑化しているようなのだ。いちばんの問題点は、本人側が“メジャーリーグ熱望”で、球団側が“条件提示をしている”ことで、本来なら“その部分”を交渉によって詰めていくところなのだが、本人側が条件提示を拒否して「とにかく行かせろ‼」の一点張りである点にあるらしい。アメリカのメジャーリーグは、日本と違って、体力勝負の部分が大きい。何よりもタフでないと活躍し続けられない。一つには国土面積の違いから、あちこち動かないとならないからだ。日本でも“移動”はあるが、その動く距離間は小さい。またアメリカの場合、スケジュール日程的にも余裕がない。だから怪我をしやすい。日本からアメリカに行った選手のほとんどが怪我や故障を経験している。そして即手術のケースも多い。つまりアスリートとしての基礎体力を必要とする。佐々木朗希投手は「令和の怪物」と言われ、いろいろ記録を打ち建ててはいるが、一年を通じてコンスタントに働いていない。ダルビッシュや松坂や大谷などの選手に比べ投球回数が少なく、体力的な不安が解消されていない。年齢的にもまだ22歳で“メジャーの規定”から、すぐメジャー昇格はムリなのだ。だから球団側としては“メジャーに行かせる”こと自体は問題ないのだが、もう一年くらい日本で基礎体力をつけてからでも遅くないと留意している。わたしは運命的な観点から彼は急がない方が良いと思うのだ。正直に言うと、彼は素質、才能は確かにあるが「運」という点で“眼を見張るほどのもの”を持ってはいない。したがって、こういう人が力を発揮するためには、あまり急いではいけないのだ。身体も何となく“デリケートな部分”を持っているような気がする。アメリカは“デリケート過ぎる人”は大成しにくい。ワインと同じように、もう一年くらい熟成させてからでも遅くないと思うのだが……。

ルーフバルコニー「雪」でいっぱいになった‼

2024-01-26
わがマンションのルーフバルコニーはけっこう広い。リビング一つ分くらいの広さがある。そのルーフバルコニーが雪で完全に埋まりつつある。札幌は、ここ何年も経験がないくらいの雪の量だ。もっとも、このマンションは昨年の3月下旬に引っ越してきたので、その時にはもうルーフバルコニーの雪は消えていた。以前のマンションでは、ベランダの総体的な面積は広かったが、そのベランダに雪が積もる光景を見たことがなかった。吹き溜まりとなった端っこに“雪だるま”的に溜まることはあったが、基本的には“降り積もらない構造”になっていた。今度のマンションはルーフバルコニーが広いこと自体は知っていたが、そこに“重箱を埋めていくような形”で降り積もるとは思っても居なかった。別に“雪かき”をする必要はないと思うが、朝、カーテンを開いた時にベランダの窓越しにびっしり積もっている雪を観ると、流氷でも押し寄せてきたかのような不思議な圧迫感がある。ここに引っ越す前、この広いルーフバルコニーを活用する方法はないものかと考えたことがある。その時、初夏になったら庭先に置くような鉄製のテーブルと椅子を置いて、バルコニーで朝食をとるとか、読書をするとか言うのも好いかもしれない…と思っていた。ところが、エレベーターに「書棚が入らない」問題が起こって、部屋の中がしばしの間段ボールだらけとなって、新たな家具など購入する状況ではなくなった。結局、一か月近く経ってからクレーン車を使って“真っ白い書棚4台”を外から引き揚げたのだが、その時に活躍したのが広いルーフバルコニーだった。実際、ここがなければ、書棚は永久に中に入れられなかった。そういう意味で、今ではバルコニーに“苦い想い出”があるせいか、なんとなく「ここで朝食を……」という気分にはならない。このバルコニーには鉢植え植物などに、水やりが出来るように蛇口台まで備え付けられているのだが、それもまったく使ったことがない。そうだ、これだけ雪が溜まっているのだから「雪像」でも作れば良いのではないか。雪まつりの雪像は、自衛隊が作った立派で巨大な像よりも、外国人たちが作っている“小さな雪像”の方が微笑ましくって何となく惹かれる。

「人生の第3ラウンド」は、誰にも解からない

2024-01-25
人間には「運命」というものを強く感じさせる生き方をする人と、そうではない人たちがいる。人生が“運命的”だからと言って、幸福であるとは限らないし、ごくごく“平凡”だからと言って、不幸であるとも限らない。最終的な“人生の選択”は本人の意思に掛かっている場合が多い。タレントとして一時期“飛ぶ鳥も落とす勢い”だった野沢直子氏は1991年、急に芸能活動を休止し、単身渡米した。その後、ミュージシャンと結婚し、3人の子供達にも恵まれ、その長女は格闘家として日本でデビューしたりもしていた。一見、順調に「人生の第2ラウンド」は進んでいるように視えたのだが、昨年になって、夫との離婚協議が進んでいるということを告白し、世間を驚かせた。つい最近、その野沢氏が「人生の第3ラウンド」というタイトルでSNS投稿をした。それによれば、現在、夫との離婚協議は継続中だが、それが決ったなら、すぐ新たな相手との再婚入籍を行うという。既に昨年から、野沢氏の家で“その人物”を含めた家族4人&イヌ2匹&ネコ3匹という大家族で暮らしているという。子供達は既にそれなりの年齢なはずだが、彼女の記すところによれば、再婚相手であるトラと呼ぶ人物とは“新たなバンド”を組んでいて、したがって、そこからの収入は乏しく、野沢氏はもう60歳であるが、自分が働かなければ……ということで、バイトとしてのデリバリー・ドライバーの仕事、その他にも、もう一つの仕事を持って七転八倒している。さらに、もう一つの「夢」として“演技の勉強”も始めたらしい。その忙しさだけはタレントとしての絶頂期に似ているのかもしれない。彼女だけでなく、人は自分の未来について、ほんとうのところ誰でもよくわからない。一見、順調に思えた暮しが“何か”によって“急転してしまう”ことは、よくあることだ。しかし、それが“不幸の始まり”なのか“幸福の始まり”なのか、ほんとうのところ、誰にも解からない。おだやかで順調な暮らしだから「倖せ」とばかりは言えない。結局、人は自分の価値観の中でしか“倖せ”を感じられない。他人が、どう見るかではなく、自分自身が“何”に対して価値を見出し、それがあれば“倖せ”と思えるかどうかなのだ。

中国人女性が視た「日本女性の特徴」ホント⁉

2024-01-24
まあ、どこの国の人にも、それぞれ特徴はあるものだが、いま一つ、言われてもピンとこないような“特徴”というのもある。3年間、中国から日本に来て暮らしていた女性が感じた「日本人女性の特徴8つ」が中国本土のSNSに投稿され、それが反響を呼んでいるらしい。その特徴としている8つを、まず紹介しておこう。《①靴下を履くのを好まない。②公共での言動に気を遣う。③寿司や刺身など伝統的日本食を好む。④エコ意識、節約意識が強い。⑤住環境の清潔さを保とうとする。⑥外貌が美的であることへの意識が強い。⑦メイク技術に優れている。⑧プロポーションをいつまでも保とうとする。》若干、日本人が理解しやすいように表現を変えた部分もあるが、このような内容の投稿だ。これらを“特徴”という風に捉えて良いのかどうか、やや疑問もあるが、まあ、われわれ日本人としては「当然」と思えるような暮らし方の部分が多いが、必ずしも多くの日本人女性が“このようなタイプか”と言えば、そうとも言えないようなケースも多い。靴下を履かない…というのは女子高生や女子大生に多い特徴かもしれないが、中国女性の言う「靴下」というのはパンストのような肢全体のストッキングのことかもしれない。公共での言動に気を遣うというのは、特徴というより「マナー」の問題で、もしかすると中国女性はあまり人前でのマナーを意識していないということか。寿司や刺身を好むというのは、別に「伝統的日本食だから」などと思っている女性がいるとは思えない。単純に、好みの問題だろう。脂ぎっている中華料理は、毎日はちょっと避けたいからだ。エコ意識、節約意識というのは、男女にかかわらず、日本人は比較的強い国民のような気がする。住環境の清潔さを保とうとするのも、日本人は潔癖感の強い人が多いので、その結果に過ぎない。インドの雑踏で暮らしていくのは、体質的に日本人はなかなか難しい。外貌が美的であることに関しては、必ずしもそうとは言えないが、ただ街中に出る時、それなりに身なりを整えてから…という意識は強いかもしれない。メイク意識が強いかどうかは疑問だが、少なくとも“その種の知識”は身に付きやすい環境にある。プロポーションを保つ努力は、男女にかかわらず、比較的強い国民性を持っている。一つには健康志向が強いからだ。アメリカ人などの太った体形を見過ぎると、反面教師でああはならないよう気を付けてしまうのではないか。日本人の特徴は、他の国々から“見習う意識”の強いことだ。

モスクが破壊された跡地「ヒンドゥー教寺院」

2024-01-23
欧州や中東には「教会を改装してモスクにした」とか逆に「モスクだった建物を利用して教会にした」とかいう不可思議な建物がときどきある。時には双方の特徴が残されたままの建物まである。古来から、宗教対立は戦争に至るもっとも多い原因のひとつで、その象徴的な存在である教会やモスクを攻撃・破壊するのは当然かもしれなかった。国土が広く、民族も多種多様のインドの場合、宗教的には一応ヒンドゥー教徒がもっとも多いが、それ以外の宗教徒も多数存在する。とくに北部の方には地域的影響からイスラム教徒も少なくはない。その北部ウッタルプラデシュ州のアヨディヤでは22日、モディ政権が主導し320億円もかけて豪華な装飾を施したヒンドゥー教寺院が完成した。その落成式においてインドのモディ首相は「感動的な瞬間だ」として、そのヒンドゥー教寺院の完成を悦んだ。実はモディ首相は「ヒンドゥー至上主義」を掲げていて、ここも北部の重要なヒンドゥー教の拠点と位置付けている。ただ、この土地は元々イスラム教のモスクが建っていたところで、1992年に宗教対立からモスクが破壊され、同時に約2000名のイスラム教徒が死亡した。したがって、首相自身にとっては感動的かもしれないが、国民の多くは再び宗教対立が深まるのではないか、と懸念しているのだ。実際、インドの場合、どんなに頑張っても“一つの宗教”だけに統一することなど出来ない。この寺院に320億円もの費用が投じられたことに少数派のイスラム教徒が黙っているはずがない。経済面で力を発揮し、国民からの信頼も厚いモディ首相は明らかに「ヒンドゥー至上主義」を一気に加速させようとしているように視える。近い将来、中国を抜いて経済的にも急伸しようとしているインドにとって“思想的・宗教的統一”は重要な課題だが、今すぐ“一つに統一できる”ほどインド国民は単純ではない。大きな暴動になど発展しないうちに、宗教的対立を緩和する手立てを打たないと、徐々に対立が激化していって、モディ政権を根底から揺さぶり始めるような状態がやって来ないとも限らないのだ。

「最新機器」は「太古の遺跡」発見に役立つ⁉

2024-01-22
近年、メソアマリカにおいて相次いで発見されているのが“密林地帯の古代遺跡”だ。今から3000年前~1500年前くらいの時代における古代遺跡や遺構の発見だ。もっとも、その多くが密林地帯なので、実際に発掘して確認するところまで行くかどうかはわからない。相次ぐ発見に役立っているのは最近のスマホなどにも搭載されているLiDARと呼ばれる機器だ。どんな密林の上からでも、その内部に埋もれたままになっている遺跡や遺構を透視できる。埋もれたまま放置された“古い物の発見”に“最新機器”が大いに役立つ。人間の透視よりもはるかに正確で、素早く仕事をこなしていく。LiDARは“未来的なもの”よりも、何故か“大昔のもの”と相性が良い。メソアメリカはジャングル地帯であるから放っておくと、あっという間に密林に覆われてしまう。数十年経つだけで、もう“そこ”に遺構が存在していたこと自体がわからなくなり消滅していく。そういう個所が6000カ所くらいも見つかったというのだ。密林と共存していた古代民族は、ハッキリとした理由は不明のまま突然、その文明地域を放棄する。神話伝承の多いこの地域では、さまざまな理由が語られたりもするが、そのどれもが“怪しい部分”を持っている。マヤ文明にしろ、アステカ文明にしろ、オルメカ文明にしろ、中央アメリカの古代に関する研究はなかなか調査が進んでいない。なにしろ密林地帯が多く、遺跡の保存状態がそれほど良いとは言えないし、研究者に対する環境条件もそれほど“整っている”とは言い難い。実は現地に定住している日本人研究者も何人かいるのだが、エジプトなどの観光地化している古代文明地域とは比べ物にならないほど知名度が低い。古代マヤ人の子孫は現在でも少数居るが、現代文明に染まることを嫌い、彼らは頑ななまでに昔からの暮らし方を堅持しようとする。ただ王朝系の血統民族ではないので、古代王朝の流れをくむ“暮らし方”ではないし、王朝そのものに繋がる歴史的知識は乏しい。いつか、完全な形での古代遺跡でも発見されない限り、遺構はどんなに見つかっても「真実のマヤ文明」は埋もれたままなのだ。

「世界のオオタニ」に続くか…「世界のオカダ」

2024-01-21
わたしが昔、北海道新聞紙上で最初に占ったとき、大谷翔平氏はまだ高校を卒業していなかった。日ハムに入団が決まった直後だったが、まだ“未知なる存在”だった。けれども、わたしは彼が「二刀流」として日本のプロ野球で通用するだけでなく、米のメジャーリーグに行っても「二刀流」で活躍するだろうと予見した。その“同じ匂い”を持っているのが新日本プロレスを今月いっぱいで退団し、その後はフリーとなることが決ったオカダ・カズチカに感じる。彼もオオタニと同じく長身で、アメリカ人と並んでも見劣りしない。その外貌もオオタニ以上に“欧米女性受けする”雰囲気を持っている。年齢的には36歳で、もう若くはなく既婚者なので、その点だけがややマイナス点だ。アメリカには現在二つの大きなプロレス団体があって、そのどちらが「オカダ」を獲得するか“水面下で争奪戦が繰り広げられている”とも言われる。当然、大きなお金が動くことだろう。近年、日本人レスラーがアメリカで活躍するケースは多い。かつては、日本人レスラーと言えば“異色の存在性”を売り物にした。たとえば「グレート・カブキ」選手だ。顔面に“歌舞伎”的なペイントを施し、出場テーマ曲にも厳かな歌舞伎演目など用いて“異様さ”を煽った。そして、それが“東洋の神秘”として「日本」に“逆輸入”される形で大暴れしたこともある。ただオカダ・カズチカの場合はオオタニと同じく、実力が備わっているし、外貌も良いので“そのままの姿”でアメリカや世界に通用する。こういうアスリートたちがどんどん出て来たことが「日本」を押し上げている。日本人は最近、ビジネスの世界では今一つ“世界的に羽ばたけていない”が、スポーツとか、音楽とか、芸能の世界などでは“世界的に飛翔している人達”がどんどん出て来ている。しかも、そういう人たちは子供のときから「世界」を目指しているので、世界に進出していくことに抵抗感がない。だから実力をそのまま発揮できる。世界で通用するかどうかは、才能よりも度胸と「性格的に自分を保てるかどうか」の方が重要なのだ。

「同姓同名」が持つ、不可思議な共通点の謎

2024-01-20
元AKB48で歌手・女優として活躍している岡田奈々氏が今年予定されていた全国ツアーすべてを体調不良につき中止すると公表した。ドクター側からストップが掛ったらしい。具体的な病名はない。ただ考えられるのは彼女自身が公表していた過去の病だ。つまり17歳から“摂食障害”であったと自ら著書の中で告白している。もし、それが関係している場合、長期公演とか、全国ツアーとかは難しいものがあるかもしれない。さて、わたしがここで取り上げたのは彼女の名前が「岡田奈々」であるからだ。この名前は1970年代だったか……大昔に同姓同名で活躍していたアイドル女優のことを、わたしに想い出させる。この人の方も十代でデビューし、最初はアイドルとして歌も歌い、すぐ女優として人気を出した。どちらも“美人系”であることも共通している。そして、元祖・岡田奈々氏の方は人気絶頂の時に或る事件に巻き込まれた。確かファンだった男に監禁されてしまうのだ。刃物を持った男に怪我をさせられ、一晩だったか、二晩だったか、一緒に過ごした後、怪我を負った形で解放された。何となく釈然としない“監禁騒動”で、それ以降、岡田奈々氏は輝きを失い“表舞台”から遠のいていったように思われる。今回は、その岡田氏ではなく、もちろん“赤の他人”である同姓同名の岡田奈々氏なのだが、全国ツアー公演すべてを体調不良により“中止”としてしまうなど、何となく釈然としない公表となっている。「体調不良」とは言うが、どこがどうだの説明はない。こちらの岡田奈々氏の方も、人気運はあってAKB48を離れても“単独公演が可能”な人気を誇っている。ただ、今回の全国ツアー中止が、昔の岡田奈々氏の“引き際”と何となく似ていて、わたしには不吉なものを予感させる。ちなみに「岡田奈々」という名は、姓名学的な観点から言えば申し分がなく“人気を呼ぶ名前”なのだ。したがって、出来れば自由度が大きい“単発公演”のような形に切り替えるとか、映画主体に切り替えるとか、グラビア主体にするとか、とにかく身体に負担の掛からない状態で芸能活動が継続できる方法を模索するのが良い。訳の分からない形で、ふたりの「人気運ある岡田奈々」がいつの間にか消えて行ってしまうのは、なんとなく不可思議でもあり、残念でもあるからだ。 « Older Entries