4月, 2024年

元旦「能登」始まり、4月「愛媛・高知」次は⁉

2024-04-18
わたしの勘ではインドネシアの噴火が良くない前兆だった。案の定というか、愛媛・高知で震度6弱の地震が起こった。だいたい元旦に“大きな地震”が起こるということは、今年はそういう“予期せぬ地震や災難”が降りかかりやすい年ということだろう。少し前には台湾でも大きな地震があったが、今年の場合の自然災害は“やや辺鄙な地域”が標的となっている。科学は日進月歩で進んでいるように視えるが、実際には自然災害系とか、ウイルス病魔系とか、そういう方面にはからきし弱くて、特別、防ぐ手立てを持たず、うろうろするばかりで何百年も前とそんなに大きな違いはない。結局、人間は神仏とか大自然とかの“恵み”に感謝しながら生きるしかない“ひ弱な生命体”なのだ。特に日本のように“地下資源”を持たない国は、技術産業で立ち向かうしかない。ところで、自然災害を予知する方法が、われわれの顔面にある。どういう自然災害でも、その災害が起きる十日前くらいになると顔面は既に“それ”を予知していて、自らに“アラーム”を鳴らし続けている。地震とか土砂崩れなどの場合には、顔面の下頤全体、及び額の側面こめかみ付近の二カ所に異常が出るのだ。いちばん多いのは茶褐色となって汚れてくる。更にその部分の皮膚がひきつったかのような微妙な変化をもたらす。時としては汚く脂ぎったり、赤包やまばらな赤点が出る。自分の土地に何らかの変化が出る場合は、必ず下頤か又は額側面に近い領域の辺りが凹むとか暗蒙色や赤銅色に汚れてくる。こういう変化が出て来た時には、大きな災害が来る…と思っていた方が良い。自分の顔面だけなら自分のところが、もし隣近所の人たちも同じように汚れて来出したなら、その地域一帯が被害に遭うことを予告しているのだ。水害の場合には暗蒙色もあるが、青紫色となってその人の下頤付近から力強さを奪い取っていく。これらが顔面に表れたら“逃げるが勝ち”で緊急避難する場所を確保しておいた方が良い。

「司教への刃物男」ライブ配信でシドニー恐怖

2024-04-17
宗教というのは、本来は“平和”の象徴とされるが、時としては“テロ行為の標的”となることも珍しいことではない。4月15日にシドニーのキリスト教会で、礼拝を行っていた司教が15歳の少年に刃物で襲われた。この犯罪者達は何故か「ライブ配信」も行っていて、その映像を視る限り、暴漢が2~3m先に来るまで、司教は礼拝の方に気を取られて完全に無警戒だった。おそらく司教以外にも数名の牧師たちが居て、多数の信者たちが居て、いつも通りの厳かな場面であっただけに、その凶行が行われた直後は騒然となった。さいわい、すぐ近くに牧師たちが居たせいで、刃物男は司教には胸など複数回刺して、それを阻止しようとした牧師3人にも“軽い怪我”を負わせて取り押さえられた。まだ動機はよくわかっていないが、この事件が起こる2日前にも、大型の商業施設で“刃物男”が出現して無差別に買い物客などに襲い掛かり、6人がその犠牲となった。シドニー市民に、その恐怖と哀しみが消えていない中での犯行となった。無差別殺人でも、実際に6名もの犠牲者が出たということは、単なる衝動というよりも、何らかの“強い意志”を持っての凶行で、その恐怖が冷めやらぬ間に“第二の無差別テロ”ともいうべき事件が、キリスト教会で礼拝中に起こったということになる。これは明らかに、何らかの主義思想を持っている者たちの行動様式で、その事件をライブ配信していたことが明らかとなるにつれ、よりいっそう市民の間に不安感が強まっている。わたしが怖れるのは、こういう事件というのは世界各地に“伝播しやすい”ということだ。だから、オーストラリアから発生したことが、まるで“誘い水”でもあるかのような形で他の国へと伝播することを怖れる。地震とか火災にしてもそうだが、奇妙なもので、予期せぬ災難というのは思わぬところから降って来やすい。しかも、今回の場合は事件を起こしたのが15歳の少年であることが気に掛かる。ちょうど宗教などに疑問を持ち始めやすい年齢だからだ。無差別テロというのは“何かの主義思想”を背景としている場合が多い。その一方で“世の中に対する不条理”を感じているケースが多い。神様は不公平だが、だからといって、その不満を“神様のシモベである牧師たち”にぶつけて良いというものではない。

「100日遅れ」で「1ドル=155円」に手が届く

2024-04-16
海外市場でドル円相場が大きく動いている。とうとう1ドル=154円台前半まで“円安”が進んだのだ。世界情勢から言って、いずれはこういう方向へと動いていくだろうことは予測できた。わたしは昨年の11月だったか、12月の頭だったかに“年末までに155円”と予測した。ところが、その後マスコミが“円安”“円安”と連呼したせいか、日銀総裁が不可思議な“政策変更”をにおわせ、市場が混乱し年末に至って一気に“10円ほど円高に動く”という珍事が起こった。もちろん、日銀は実際には何もしなかった。まあ日銀総裁が年末の海外渡航者のために、ちょっとだけ“口先介入してみた”結果の動きに過ぎなかった。だから、それから徐々に“元の動き”に戻って、再び、今月に入って“円安方向”へと加速させている。いってみれば、私の予測が“口先介入”で約100日だけ遅れたが、予想通り“155円目前”までやって来たということになる。もしかすると「日経平均43000円」も、桜満開を通り越したので“約100日遅れ”で実現するのかもしれない。つまり“3か月半くらい”後ずれの形で実現するのかもしれない。人間の運命でもそうだが、ものごとの“実現”はちょっとしたことが原因で“本来の時期”を微妙にズレて成立していくことがある。「未来」というのに“ほぼ確実”はあるが“確約”はない。いや“確約”があったとしても、その“成立の仕方”には“多少の変更”とか“多少のずれ”とか“目立たない修正”が施されたりする。だから物事に対して、多少の変更やズレや修正は「致し方ないもの」と受け止められる心の広い人の方が、将来的な自らの願望や目的を達しやすい。頑なに“初期の願望や目標”にこだわる人は修正が難しいので、結局、途中挫折するような結果となってしまいやすいものだ。ところで「円安」だが、アメリカが“利下げ”に動けば、今度は逆方向へと梶が切られる。その時期は6月か、9月か、案外早いはずだ。だから、実質的には155円~159円程度までが限界で、その後は急速に「円高」への呼び戻しがあるだろう。

「長生き」だけでなく「認知症」も女性が有利

2024-04-15
誰でも年齢が進めば「記憶力」が著しく後退する。多少程度なら良いのだが、著しくが頻繁に生じるようになると、生活そのものにも支障が出てくる。こうして、人は「認知症」の初期段階を迎えるようになる。一般に認知症というのは、いくつかのタイプに分かれることが知られているが、代表的なのはアルツハイマー型で、認知症の7割を占める。そのアルツハイマー病に対して効果的だという新薬「レカネマブ」の製造販売が既に許可されるに至った。ただ認知症というのは、実際の暮らしの中で初期症状として本格化する以前に脳内における変化が、リン酸化して脳神経細胞を死滅させていく変化が、十年以上も前から徐々に進んでいるという。したがって実際には相当早い段階で予知しないと、アルツハイマー病に対しての抑制効果は乏しいらしい。その早い段階での“予知方法”を鳥取大病院の村上丈伸助教が突き止めたという報告がある。しかも、これまでと違って痛みを伴わない方法というのが画期的らしい。こうして人間はあらゆる病気に果敢に挑戦していく。だから病気は無くなるのかというと、かえって増えていく。まるで“イタチごっこ”のように増えていく。結局、医学の世界は日進月歩なのだが、予防できるところまで行きつくのに時間がかかるから、医学はいつまでも“イタチごっこ”に勝てない。それでも、さまざまな角度からチャレンジして人間は病気に打ち勝とうとする。認知症にはさまざまな食事の中で「日本食」が効果的だという研究も最近発表された。これは栄養学からの研究で、実際には認知機能低下を防ぐための“予防食事”として古典的ともいうべき「日本食」が、効果を発するということであるらしい。しかも、この研究では男性に対しての効果よりも、女性に対しての効果の方が圧倒的に高かったらしい。したがって、いまのところ女性には確実に効くが、男性には“多少は効く”という程度に留まっている。わたしは手相の研究から、頭脳線の長さや形状と認知症とは関係性があると思っている。多くの人は知らないが、頭脳線の長さというのは微妙に変化しているのだ。長くなる場合もあるし、短くなる場合もある。一般的に生命線の長さと比べて、極端に頭脳線が短い場合、認知症に向かう可能性は極めて高い。

「ユニホームで勝つ⁉」今年の「中日」は熱い

2024-04-14
今に始まったことではないのだが、昔から「中日=ドラゴンズ」のユニホームは「ドジャーズ」に似ている。まあ、単純にドジャーズを“真似た色や綴り方”だからかもしれない。だから……なのかどうかは知らないが、昨年まで長らく“最下位”を定着位置としてきたドラゴンズだが、今年は特別目立った加入選手がいるわけではないのにトップに定着している。いつまで続くかわからないが、少なくとも今年のドラゴンズは“大負け”をしていないし“接戦で勝利している”ことが多く、こういう勝ち方が出来ると連敗はしなくなる。したがって、少なくともシーズンを通して“上位球団”となっていくことは間違いなさそうだ。もっとも、ドジャーズと違って主力ホームラン打者がいるわけでもなく、他所の球団からやって来た“かつての強打者”中田選手や“かつてのエース”涌井投手が居るに過ぎない。また監督も昨年まで“勝つことを知らなかった”立浪監督が引き続き継続していて、正直、どこがどう変わったのか、よくわからないのだが、間違いなく“生れ変った”かのように、今年の「中日=ドラゴンズ」は強いのだ。こういう“奇妙な変化”を視るたび、わたしは「運命」というものの不可思議さを改めて感じる。ドジャーズやドラゴンズは団体だが、個人の人間でも同じことがいえる。ちょっとしたことがきっかけで“生まれ変わる”ということが人にはあるからだ。そうして生まれ変ると、その人のすべてが変わっていく。何となく輝いて見えるようになるから不思議だ。俗にいう「オーラ」の輝きが強く放出されるようになる。そうすると、本人も何となくの自信を持つし、これまで味方に付いていなかった人までが声援を送ってくるようになる。これらすべての根幹にあるのは、もちろん地道な努力とか技術とか、そういうものもあるのだが、そういうものを乗り越えて根幹にあるのは「運のめぐり」なのだ。訳の分からない巨大な力を秘めているのは、眼に視えない「運」という魔力の力なのだ。

ギャンブラー「一平」は、焦り過ぎて敗れた⁉

2024-04-13
たかが“ギャンブルによる借金”だが、そのやり方にも問題があり、その金額にも問題がありで、結局、国際犯罪を主として扱うFBIが出て来て水原一平は御用となった。罪名は“銀行詐欺罪”という珍しいものだ。彼自身が言う如く“ギャンブル依存症”である彼は、一日に数十回もの“賭け”を繰り返していた。相当な重症である。逆に言えば、この2年間、そんなにひんぱんに“賭けていた”のに、きちんと仕事もこなしていた。普通、そんなにひんぱんに賭けていたなら、必ず、業務に支障をきたす。彼はそういう点から言えば、たいしたものなのだ。彼の場合、最初から犯罪組織に狙われていたから、結果的には“負けた”のだが、実は本人が思うほど「負け続けていた」わけではない。司法が明らかにしたところによれば、彼は違法賭博で総計276億円分敗れたが、214億円分の“勝ち”を収めている。ギャンブルというのは、ほとんどの人が“負け組”になるもので、よほどの人物でなければ“勝ち組”には回れない。そして彼は“お約束通り”の「負け組」に入った。ただ負け組ではあったが、214億円分の“勝利”を収めている。この金額はギャンブルによる賞金額としては、決して“負け続けて”得られる金額ではない。単純に言えば、276円負けて214円勝ったのと同じことなのだ。だから、もし、これが桁が違っていたなら何も恥ずかしがることはない「立派なギャンブラー」だといえた。だいたいギャンブルというのは、通常、負ける回数が多く、勝つ回数が少ないのが普通で、そのこと自体には何の不思議もない。もし彼が、自分の収入の半額くらい以内で勝負を続けていたなら、多少マイナスにはなるが、だれからも咎められることなく「最近は、ちょっと負けが込んじゃって…」程度で済んでいたに違いない。そうすれば、元々「運が良い」彼は、一流の通訳として、大谷選手のもとを去っても快適な暮らしが送れた違いない。何が言いたいのかというと、ほとんどの人は彼と同程度か、彼よりも少しだけ運が悪いか、その程度の運命の範疇で生きている。つまり、彼は元々は「運の良い生れ」なのだ。だからこそ、いつの間にか「世界的な通訳」となれていた。何千万円も報酬としてもらえる通訳となれていた。ところが、彼は焦り過ぎたようだ。なぜ焦ったのか。とにかく一気に金を増やそうとした。そういう風に勘違いさえしなければ、焦りさせしなければ……。結局、人の運命というのは、ちょっとしたところから崩れていく。せめて一日に一回だけ賭ける、と改めれば優雅な人生を歩めたに違いない。

昔を知る二人から「挟み撃ち」でギプアップ⁉

2024-04-12
人には誰でも“話したくない過去”というものがある。そういうものが「まったくない」という人は、幸運な人生だったか、過去の“傷”というものを持っていないかだ。東京都知事の小池百合子氏はだいぶ前にも同じ「カイロ大学卒詐称疑惑」に揺れたことがある。いわば、この部分は彼女にとって“触れてほしくない傷あと”なのに違いない。以前の時には、エジプト大使館が盾になって“お墨付きを与え”彼女を守ってくれた。さあ、今回はどうなのだろう。今回、難しいのは告発している二人が、共に“昔を知っている人達”だということだ。その一人は小島敏郎氏で元々“側近中の側近”と言われた人物だ。こういう人物と疎遠になることは人生上良くあることだが、それが「敵に回る」のは何かしらがあったからだ。何もなければ、敵には回らない。もうひとり、別角度から告発しているのは、北原百代氏で、こちらの方は小池氏とカイロ大学時代、同居していた時期がある人物らしい。この人物からも告発された。通常は「黙っているはずの学友」と思われる。どうして告発するのか、それは小池氏が過去の二人に対して「礼」を尽くして来なかったからだと、わたしは思う。そうでなければ、こういう人たちは黙っていてくれる。小池百合子氏の売りの一つは“カイロ大学首席卒業”だった。それが、ふたりの話では“卒業”もされていないらしい。わたしは思うのだが、卒業されなかったのなら、まあ「卒業」を自称するのはともかく「首席卒業」と記すのは、勇気がいるというか、水原一平と似た“詐欺感覚”を持っていないと出来ないことで、その部分が引っ掛かる。せめて「カイロ大学を優秀な成績で卒業」と止めておくべきだったのだ。だから、いったん反感を買う出来事があれば“退学生”だったとバラされるのだ。もちろん、小池氏の政治家としての手腕は、これらとは何の関係もない。だから、よくそういう部分まで剥ぎ取ってしまう人がいるが、それとこれとは話が別なのだ。ただ人間として、また公的な立場に立つ政治家として、もしかするとギリギリのところ崖っぷちに来ているような気がしないでもない。

「無理心中」は殺人「生きる権利を奪うこと」

2024-04-11
人には誰でも“理性を失ってしまう時”というのがある。特に、自らの将来に対して“絶望している”時には、そういう風になりやすい。そして、そういう時に、人は衝動的に「死」を考えたりする。兵庫県の高砂市の公園で、車の中から10歳男児と3歳女児の二人の死体が発見された。自ら手首を切り、意識もうろうとしている中で、警察に「車内に子供たちの死体がある」と通報してきたのは27歳の母親だった。状況からみて、子供を道ずれとして「練炭自殺」を計ったのだが、自らはなかなか死ねず、本能的に警察に電話していたのだと思われる。もう少し早く電話していれば、子供たちの命も救うことが出来たのにと思う。親子は“三人暮らし”だったというから、死ぬなら「三人で一緒に…」と思ったのだろう。気持ちがわからないではないが、大間違いである。極端なことを言えば、もし、どうしても自らが死にたいなら、独りで死ねば良い。子供達を“巻込む”のは大罪なのだ。人には、それぞれ“生命力”というものがあり“運命”というものがある。もう3歳にもなれば、一人の人間なのだ。母親の所有物ではない。「自分が居なければ生きて行けないだろう」というのは思い込みに過ぎない。戦争の時には“天涯孤児”となった人たちがたくさんいる。そういう人たちがどうなったかというと、意外なほどの強い生命力を発揮し、孤児同士が肩を寄せ合って野生にかえって生きて行ったりした。その後にどうなっていくかは母親の領域ではないのだ。同じようなことは、親の介護に関しても言える。親の介護は、子供でなくても施設とかホームとか行政管轄で行ってくれる。要するに、自分が「守っていく」のであれば徹底的に守っていくのが良いし、もし自分の手に負えないのであれば、思い切って手を放し、だれかに託すのが良いのだ。世間体など考えすぎる人は「自分が守っていく」ことが難しいのは解かっていても、だれかに頼るということも出来ない。中途半端な状態でじわじわと自らを追い込んでいくケースが多い。「生きて行く」ことには、必ずしも“順当な形”ばかりがあるわけではない。さまざまな事情が潜んでいる場合、教科書通りの“親子関係”や“家族関係”や“扶養関係”にならなくても、それはそれで“形を成している”なら、そういう在り方も“選択肢”に加え、自らが背負って来た“重い十字架”を下ろして生きて行くのも間違いとは言えないのだ。

誰より実行力があり「国民」のため奔走中だが

2024-04-10
“人気運”というものはほんとうに、よくわからない。「えっ⁉ こんな人が…」と思うような人があっという間に“茶の間の人気者”になる。かと思えば、その実力とか才能とか行動力とか誰もが認めるところなのに、なかなか人気が浮上しない。岸田首相はかなり早い時期から“人気低迷”して、その後の浮上のきっかけをつかめないでいる。その代わりといって良いかどうかわからないが、彼は歴代首相の中でもトップクラスの実行派だ。これまで次々と“新しい政策”を実行し、さまざまな国とか団体とかに働きかけ“新しい枠組み作り”に奔走している。こんなに頑張っている首相がいただろうか。昨日、マイクロソフトが日本の東京に新しい拠点「マイクロソフト・リサーチ・アジア」を設立して、日本の大学などとも共同で2年間で4400億円投じて、3年間で300万人のAI人材育成を掲げた。この提携が成立したのは岸田首相がアメリカまで出向いたことと無関係ではない。こんなにたくさんの投資をしてくれた世界企業は無かったかもしれない。もちろん、岸田首相の訪米はそのキッカケの一つに過ぎないかもしれないが、とにかく「日本」の将来のため、さまざまな国や企業と積極的に“手を結んできた”のが岸田首相だ。時代が時代だから当然ではあるが、新しい法律などもどんどん成立させている。少なくとも、国民目線から観て「解りやすく」「見通しの良い」政治に取り組んでいることだけは間違いがないのだ。もちろん、自民党としてのさまざまな失態、閣僚・幹部たちによるさまざまな失態があり、それらの影響もあって、なかなか“人気浮上”できない背景があるのは事実だが、それでも、公邸に暮らしたせいかどうかわからないが「日本の総理」として相応しい采配を振るってきていることは間違いがない。これまでの首相たちの多くは国民の賛同というものを気にして、なかなか大胆に振舞えなかった。そこへいくと彼は多少の批判があっても、それが「国民のためになる」と思えば即実行している。これこそ政治家として最も必要な資質なのだ。今回のマイクロソフトの日本への投資がすぐ“成果”として大きなものをもたらすとは思わないが、少なくとも新しいAI事業が“東京拠点”となることは、日本の未来にとって望ましい。熊本などを中心とした半導体事業が進み、北海道の千歳を中心とした半導体事業が進み、その他日本各地に半導体事業の拠点が置かれつつある。それらに加えて「東京」にマイクロソフトのAI拠点が築かれることは、日本全体の未来を考えるうえで極めて“明るい兆し”が視えてきたといえるのではないだろうか。

「ごようきき」制度を復活させる手もあるが……

2024-04-09
大昔の記憶をたどると「ごようきき」という人たちが近所を廻っていた。いつの頃からか、そういうものを見なくなった。もっとも、現代も似たような制度はある。その一つは“トドック”のようなカタログ販売方式の食料品や日用品の購入。或いは地方に視られる“移動販売車”による新鮮な食料品や日用品の購入。最近は通販のアマゾンなどでも、食品類や日用品類をスーパーとの提携で届ける方式を採用している。したがって、基本的にはデパートやスーパーやコンビニが近くになかったとしても、食料品や日用品の購入に不便を感じることは少ないはずであるが、内閣府などの調査によると、高齢者の4人に1人が「買い物難民」になりつつあるらしい。わたしのような贅沢者は近隣6分以内に“三カ所のスーパー”が存在する地域に暮らしながら、徒歩1分くらいの距離にコンビニやスーパーがないことを不便に思ったりするが、ほんとうの「買い物難民」と呼ばれる人たちの多くは、近くに店自体が存在しない地域に暮らしているケースが多いようだ。或る調査によると、75歳以上の買い物難民は62%も居て、その多くは戸建てに暮らす独居世帯であるらしい。ここで私が注目したのは、数でみた場合には圧倒的に大都市の近郊に暮らしている高齢者たちに「買い物難民」が多いことだ。考えてみると、高齢となって車を運転することも難しくなってくると、郊外の戸建て住宅というのは不便以外のなにものでもない。昔は、高齢者が独り暮らしをすることは少なかったので、買い物は「若い人たちがしてくれる」というのが普通であった。ところがいまや75歳以上の高齢者は独居世帯が圧倒的に多くなっている。大都市の場合、どうしてもスーパーとかコンビニとかはマンションなどの住宅密集地域に多く、戸建ての住宅地域には乏しいのが普通だ。地域によっては食料品の移動販売車が来る。或いは大型スーパーなどを循環する無料送迎バスを提供している街もある。ただ、そういう福祉地域はまだまだ少なく、昔から戸建て住居に暮らしている独居世帯の住人には周りから干渉されるのを嫌う人たちも多い。結局、そういう人たちのことも考えると、大昔の「ごようきき」のような制度を行政が補助して提供してあげることが、もっとも効率的なことなのではないだろうか。やはり福祉に金を投じるなら、多少偏りは生じるかもしれないが「ごようきき」制度復活で“高齢者が生き生き暮らせる”形を整えていくことが、日本の将来像としても有効なような気がする。

「地味な生き方」でも「充実した生き方」はある

2024-04-08
人にはそれぞれ“その人のタイプ”というものがある。これは性格だけの問題ではなく、運勢的にも“タイプ”というものは存在している。だから、その人によっては地味でも“堅実であること”の方が、その人の本領を発揮できる場合がある。現中日の涌井秀章投手が先日「20年連続勝利」を掲げた。丁度、大リーグでの注目カードがある時だったので、そのニュースは“ささやかな形”でしか報道されなかった。けれども、考えてみれば20年連続の勝利というのは、実際にはなかなか難しい。特に投手の場合、怪我をしてしまうと、どうしても“その年は棒に振る”ようなことになりやすい。そういう意味でも、20年間“継続できた”のは素晴らしいことなのだ。もちろん涌井投手の場合、もう絶頂期は過ぎている。だから、このあと何年もそんなに多くの勝利を獲得できるとは思わないが、総じて、この種の地味なタイプのアスリートは長持ちする。現在の中日における年収は約1億円であるらしい。この1億円という金額も、どうも海外で活躍する人たちに比べてしまうと乏しいように思えてしまうが、通常の37歳日本人男性として考えれば、破格の高級である。37歳で、しかも毎年のように何千万円とか、何億円とか、そうそう稼げるものではない。ましてや彼のように“大きな故障”をせず、20年間、主力として働き続けるということは素晴らしいことではないだろうか。近年はアスリートの場合、どうしても高収入に結び付く欧米での活躍を目指す選手が多い。サッカー選手にしろ、野球選手にしろ、欧米の報酬額は日本での十倍以上に及ぶ場合も多い。したがって、どうしても海外に目を向けたがる選手が多いのは仕方がない。けれども、報酬も多い分、もし活躍できないとか、故障してしまうとかした場合、そのあとの待遇は天地ほどの開きが出てくる。人気にしてもそうで、活躍すると大声援を送ってくれるが、何かで問題を起こすと大バッシングを受けることも珍しくはない。そういう点からいうなら、必ずしも、海外に出たから成功するとは限らないし、幸福が掴めるとも言い得ない。問題は実力よりも“性格的にどうなのか”なのだ。性格的に海外でも問題なければ活躍できる可能性が強まるし、もし性格的には“日本国内向き”である場合には、むしろ日本で地味かもしれないが確実に10年とか20年とか活躍し続ける方が、充実した生き方ともなり、後々幸運な“その後の人生”を歩める可能性が強いのだ。

一流になっても「ヤバさを崩さない」粗品は鏡

2024-04-07
わたしは基本的に芸人をあまり褒めないが、粗品だけは“芸人らしい芸人”として、いつも感心する。ほんとうのプロというのは、あのくらい“常にギリギリを狙っている”のが好い。特にコンプライアンスが叫ばれてから、芸人たちは面白くなくなった。あまりにも“物言い”に気を遣いすぎていて、本来の“芸人”としての“ヤバさ”がどんどん失われつつある。あの程度なら普通のアナウンサーが仕切った方が良いんじゃないの、と思うようなMC達が多い。そういう中で、粗品だけは常にギリギリで勝負しているのが好い。賞金の出るTV番組の中で「水原一平おにいちゃんのために頑張ります」と真顔で言った。もちろん、水原一平氏は“お兄ちゃん”でも何でもない。ただ単に“ギャンブル好き”な共通点を持っているに過ぎない。ただ渦中の水原氏の名を、あえて「お兄ちゃん」と表現するところが、傷を舐めあう獣のようで好い。それに、生放送でなければ、100%カットされるのを解っていて、生で“ぶち込んで来る”ところの度胸も好い。近年、芸人と呼ばれる人たちの多くがTV番組には“なくてはならない存在”となっている。彼らの多くは、最初“キワドイ発言”などをして注目されるが、だんだんTV番組に慣れて、MCなどのレギュラーを多く持つようになると同時に、まるで“自分の忘れた”かのように「ふつうの司会者」に変わっていく。少しも芸人らしさが無くなっていく。つまりは“器用だが特に面白くはないMC”に変わってしまうのだ。それは、或る意味で“コンプライアンスを守っています”というアピールのようでもあり「ディレクターの指示通りやります」という宣言のようでもある。けれども、本来は“芸人枠”から入っているはずで、それは“ヤバいトーク”も出来る魅力があったはずなのだ。そういう中で、粗品だけが本来の自分を守り続けて“ヤバい部分”を曝け出しながら残っている。彼が残っているのは、どこかに大衆は彼のような“ヤバい人間”を“最後の芸人”として遺しておきたいのだ。だから、そういう意味では、いつまでも“芸人魂”を忘れず、これからも“ヤバい部分”を維持し続けられるよう吉本興業やTV関係者などにも、彼に変わって(⁉)お願いしておきたい。 « Older Entries Newer Entries »