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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「映画の中のワンシーン」のような現実の事件


南米エクアドルにあるグアヤキルの教会。10月17日、神父パトリシオ・サンチェス氏はいつものようにミサを執り行っていた。その途中で、多くの信徒が祈りを捧げているその中で、突如、巨大な木製の十字架が背後から落下してきた。祭壇中央で“神の言葉を述べ続けていた”神父は、その巨大な十字架の直撃を避けることが出来なかった。鮮血が飛び散る。もちろん、大勢の信徒たちがすぐさま駆け寄って、下敷きとなった神父を引っ張り出して病院へと救急搬送したが、既に死亡が確認されただけだった。こういうシーンは、よくドラマチックな映画のワンシーンとして演出されたりする。だが、今回は“偶然なる災害”としか言いようのない事件だった。もちろん、誰もが感じるように、その出来事自体は偶然であったとしても「単なる偶然であろうか」と戸惑いが抜けない。そこは“神が住まう”はずのカトリック教会なのだ。しかも、背後からの落下直撃は、まるでサンチェス神父を狙ってでもいたかのように頭部に直撃している。実は十字架本体は木製だが、そこに貼り付けられているイエス・キリストの彫刻像はブロンズ製(⁉)のような気がする。単なる“木製の十字架”であれば、背後から直撃しても、死亡はしなかっただろう。そういう状況からみても、これは単なる“偶然の事故”なのか、推理小説などでよくあるような“事件性”があるのか、それとも神の“逆鱗”に触れたものなのか、どうしても気になる。ということで、一応、彼の周辺を解かる範囲で調べたが、別におかしな部分は出て来ていない。ただ、彼は“事故の数分前”に「説教」を行っているのだが、その時に“人の死”や“神の出現”について語っている。「ここに居る私たちも、いつか皆、死を迎える…(中略)…神や愛する人に自分の時間を捧げなさい」と教えたのだ。もちろん、彼は“いつものこと”として、これらのことを語ったのかもしれない。けれども、それから数分も経たないうちに巨大な十字架が背後から落下した。そして、見事なまでに頭部を直撃した。昔から「事実は小説よりも奇なり」というが、彼の最期の言葉は、はたして誰に向けられたものなのか、ほんとうにそこに来ていた信心深い人たちに向けられた言葉だったのだろうか……神は沈黙している。
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